04.友人
今日もひそひそ噂される声を聞きながら、ミカは図書室で本を選んでいた。ミカは専門を魔法学として研究して、論文も書いているが、彼女に爵位を与えたヴィルヘルム王が求めているのは魔法学の知識のみではない。そのため、最近は法律なども勉強している。勉強は苦ではない。むしろ好きなほうだと思う。
と言いながら、手に取ったのは異国の歴史書だった。最近、自分の専門範囲がわからない……。
ちょん、と肩をつつかれて勢いよく振り返った。警戒もあらわな彼女に、肩をつついてきた相手は気にすることもなく微笑む。
「お久しぶりね、ミカ」
「あ、ああ……ウリカか。驚いた」
黒髪にヘイゼルの瞳の美女が笑っていた。品の良いドレスを身にまとい、ミカよりも顔半分下で微笑んでいる。
「驚かせようと思ったのだから、結構なことだわ。お邪魔だったかしら」
「いや……」
もう本を借りる手続きをするくらいしか用事はない。だが、思わずミカが口ごもったのは、自分の評判があまりよくないことを理解しているからだ。それを知らないわけでもないのに、彼女は「じゃあ、一緒にお茶でもいかが?」と誘ってきた。
結局、ミカは彼女、ノンデルフェルト伯爵夫人ウリカと、宮殿の東屋でお茶をしている。
「さすがは王弟妃。まさか宮殿の庭でお茶をできるなんて、贅沢ね」
すっかり状況を楽しみながら、ウリカは微笑んで言った。ミカは「嫌味?」とティーカップを手に取りながら尋ねる。
「まさかぁ。事実でしょう」
「……まあ、事実だね」
ミカがヴィルヘルム王の弟アクセリスの妻であることは、事実ではある。
「王妃陛下のサロンに呼ばれていたのよ。てっきり、あなたもいるかと思ったのに」
「ああ、あるとは聞いていたけどね」
ミカは肩をすくめる。ミカは声をかけられていない。周囲に明確に仲が悪い、と示しているようなものだが、ミカとセレスティナはお互い距離を取ることで、必要以上に反目せずに過ごしているのだ。いつまでもこのままではよくないのかもしれないが、今のところはそれでいいと思っている。生粋の姫君と、ミカは相性が悪い。
「ここまで徹底的だと、むしろ見事だわ……王妃陛下もなかなか聡明な方よ。話してみれば気が合う……かはわからないけれど、そんなに避けるほどでもないと思うのだけど」
ウリカにそう言われ、ミカは「うーん」と苦笑した。
「確かに、機転の利く人だとは思っているけど……こう、淑女とは、と説かれるのが苦痛というか」
「ああ。高貴な姫君らしい優雅な方よね」
ウリカも納得したようだった。自分で大概のことはしてしまい、身なりにそれほど気をはらわず、優雅な言い回しもできないミカは、淑女としては落第点だろう。一応それらしく振舞うことはできるが、本物の姫君の前には負けてしまう。別にミカも努力しなかったわけではないのだが、早々に投げてしまったのは事実だ。もう少し、頑張るべきだっただろうか。
「どうかしらねー。そうなると、あなたの良さが消えてしまう気もする。難しいわね」
悩ましげに言われ、ミカは苦笑するしかない。ウリカは性格の良い人だと思う。みんなに避けられるミカにも、こうして親しくしてくれる。
「というか、旦那様に僕との接触を控えるようにって言われているんじゃないの?」
ミカが尋ねると、ウリカは「まあ!」と驚いて見せた。
「どこから聞いたの? 友達いないのに!」
「それは事実だけど。それはアックスがノンデルフェルト伯爵本人から聞いたらしいよ」
そういうと、ウリカは眉を顰める。
「まったく、あの人ったら……私が好きで付き合ってるのに。それに、私はミカの友人だと思っているのだけど」
「そうなの? 僕も、ウリカが友達だったらいいなと思っているよ」
「なあに、それ。お友達でしょ」
二人してくすくす笑う。笑ってから、少し真面目な顔になった。
「正直な話、僕はあまり評判がよくないから、伯爵の気持ちが分からないわけではないよ」
「そうね。でも、社交界の評判と実際の人となりは別なんだなって、ミカを見ていると思うわ」
その言葉を聞いて、ミカは先日、王に言われたことを思い出した。
「似たようなことを、陛下にも言われた気がする」
「むしろ、あなたが王の愛人だと思われてるんじゃないの?」
どうだろう。ありえない、と切り捨てられないところが苦しい。確かにミカは、ヴィルヘルム王のお気に入りなのだ。調査してみてもいいが、ミカが調査人では話が集まるかわからない。懸賞でもかければいいのか?
ミカが変人なのは事実だが、一応、こういう性格になったのには理由もある。ミカは、十四歳まで男として育てられていた。少年めいた口調はその名残だ。この国では女子でも家督を相続できるが、大体のことに男子が優先されるのは確かだ。そして、ミカの生家アレリード伯爵家は、古くから続く名門だった。
名門貴族の誇りだか何だかわからないが、父は男児を強く望んだが、生まれたのはミカ、つまり女児だった。しばらくして、男児に恵まれなかったアレリード伯爵は一人娘を男として育てることにした。
頭がそれなりによかったためか、後継ぎのための勉強は苦ではなかった。男として生きても、女として生きても、爵位を継ぐのだろうと思っていた。そんな時、宮殿で開かれたお茶会で、アックスに出会った。
貴族の子供同士のお茶会だった。当時の王太子……つまりヴィルヘルムが、弟王子……つまりアックスに友人を作ろうとして、同世代の子供たちを集めたのだ。まあ、早々にアックスは行方をくらましてしまい、結局なあなあになったのだが。そんなお茶会で、アックスの友人の地位を勝ち取ったのが、ミカだった。
ミカはアックスより先に会場を抜け出していた。庭で開かれたガーデンパーティーの様相だったので、抜け出しやすかったのだ。生垣に隠れて花を観察していると、会場から逃げてきた男の子と目が合った。それが、アックスだった。
当時、ミカとアックスは八歳か九歳くらい。アックスは気の弱い少年だった。確認したことはないが、群がってくる貴族の子女たちに耐え切れずに逃げ出したのだと思う。自分も逃げ出した立場なので、ミカは何も言わなかった。
「こんにちは」
アックスが大きな目で見つめてくるばかりなので、ミカから挨拶をした。今思い返しても、このころのアックスは可愛かった。女の子にしか見えなかったと思う。左目が蒼、右目が琥珀色のヘテロクロミアが見開かれた。
「こ、こんにちは」
はにかみながらあいさつをされて、ミカも思わず微笑んだ。ミカはその時点でアックスの正体をわかっていたが、アックスはミカを知らないだろうと挨拶をした。
「アレリード伯爵家のミカです。どうぞお見知りおきを」
「あ……第二王子のアクセリスです。よろしく、ミカ君」
「ミカ、でいいですよ」
「じゃあ、俺のこともアックスって呼んでほしい」
どうやら初対面のミカに気を許したようで、子供ながらに心配になったものだ。呼びかけ方で、アックスがミカを男だと勘違いしているのはわかったが、対外的には息子として育てられていたので、ミカも訂正しなかった。
ミカとアックスは、肩を寄せ合っていろいろな話をした。アックスは家庭教師の話が難しくてわからないのだ、というので、教えてやった。この時点では、ミカの方が勉強が進んでいたのである。
「ミカの話は分かりやすいね」
そうにっこり笑って言われれば、ミカも悪い気はなしなかった。父は、ミカが第二王子とは言え、王太子が可愛がっている弟王子と仲良くなったことに満足したようだった。その四年後、ミカが十二歳の時のことである。ミカに、弟が生まれた。
さすがにこの年になれば世の中というものをなんとなく理解できてくる。父がくだらない見栄のために自分を男として育てたのをわかっていたし、それがいつまでもつづくものではないこと、それどころか、今時点で意味のないものになってしまったことを理解していた。
父も、ミカの処分に迷ったと思う。そう簡単に殺してしまえない。修道院にでも入れればいいのだろうか。かなり、迷ったと思う。
ミカが十四歳の時、戦争が起こった。国内の貴族反乱であったが、それなりに大きく、王は各貴族からも兵を募った。その軍に従軍することになった。戦場で死ねばいい、と父も思っていたのかもしれない。
「ミカ!」
あの時、戦場に赴く前に見たアックスの顔が忘れられない。泣きそうにその秀麗な顔をゆがめた彼。このころには、彼も初めての友人が男ではなく女だと気づいていたようだった。ミカがなぜ戦場に行かされるかもわかっていただろう。
結局、戦場で死ななかったミカは修道院に送られた。戦地からそのまま放り込まれ、一年足らずほどをそこで過ごした。女性としての立ち振る舞いを叩きこまれたのだ。十五歳になって、ミカの双子の妹のミカエラとして社交界デビューした。
書類上は別人であるが、『ミカ』と『ミカエラ』が同一人物であるのは公然の事実で、その異色の経歴から、彼女は遠巻きにされた。そんな中で、アックスだけが「ミカ」と呼んだ。その時は驚いて突き放してしまったが、あの時、初めて会ったとき、ミカに話しかけられたアックスは、こんな気持ちだったのだろうか、と思った。端的に言えば、うれしかったのだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
アックスとミカは、お互いに初めてできた友人。