39.説教
疲れた、飽きた、と頻繁にエミリアナが馬車を停めたため、アックスたちがエストホルム城へ帰ってきたのは日が暮れてからだった。夕食の直前くらいだ。一応、間に合わなければ先に食べているように、とミカとソラナには言ってある。
「お疲れ様です」
出迎えに出てきたのはソラナだけだった。心なしかぐったりしているアックスや国王夫妻に対し、元気いっぱいなエミリアナは文句を言う。
「もう! 馬車で農地を見回るなんて退屈だわ! ソラナが代わりに行けばよかったのですわ!」
落ち着いていれば鈴のなるような声だが、叫ぶと高い声が頭に響く。いや、疲れているだけかもしれないけど。
「ミカはどうした?」
ミカもその侍女のエンマも出てきていない。取り仕切っている執事に尋ねると、彼は肩をすくめた。
「晩餐の采配だけ振るい、お休みになられました。心苦しそうにされておりましたが……」
変にうろつかれるよりは、確実に寝室で休んでいるとわかっていた方が、彼らもよいのだろう。アックスは執事にうなずいた。
「わかった。後で様子を見てくる」
一日のほとんどを眠っていることになるが、午前中は調子が良かったようで、残っていたソラナとお茶をしたり、屋敷の庭を案内したりしていたそうだ。こちらの心労回避のためにおとなしくていてほしいが、適度な運動が必要だと医師にも言われているので、難しいところだ。
どうやら、ミカはソラナを取り込むことに成功したらしい。もともとソラナはミカに好意的であったし、ミカも辛辣なところはあるが、面倒見がよいところもある。泣いている年上の王子の面倒を見ていたくらいだ。なつかれるのは時間の問題だと思っていた。
すぐにでもミカの様子を見に行きたかったアックスだが、そうはいかない。アックスは国王夫妻やエミリアナたちを招いている側だ。いくら采配を終えているとはいえ、晩餐の確認をしなければならないし、晩餐の進行をしなければならない。アックスが苦手とする部分だ。ミカも好きではないようだが、彼女はそつなくこなしていたように思う。想定外のことに弱いところはあるが、段取りが立てられるものは基本的に得意だ。
晩餐でもエミリアナの文句と自分自慢、最終的にこんなところに越させられてかわいそうなわたくし、という調子で終わり、アックスはぐったりだ。ヴィルヘルムは困ったように苦笑していたし、セレスティナは爆発寸前だったと思う。一人たしなめようとしているソラナがかわいそうだ。ミカがいれば、彼女が痛烈な皮肉をぶつけていただろうが、あいにくと不在である。そのこともエミリアナは気に食わないようだ。さぼっていると思われている。
ぐったりしつつ、やっとミカの顔が見られると思ったら、彼女は寝室でもそもそ果物を食べていた。当たり前だが、夕食からは少し時間がずれている。
「……どうしたんだ?」
「いや、おなかがすいて……おかえり、アックス」
「ただいま」
とりあえず挨拶を返し、ミカのいる長椅子に腰掛ける。ひとしきり食べたようで、ミカは水に口をつけた。
「おなかがすいたなら、食事にすればよかっただろう」
「変な時間だし、そんなにがっつり食べられないよ」
しかし、おなかがすくと気持ち悪くなってくるらしい。なかなか気難しい体だ。医者にも食べられるときに食べられるものを食べるようにと言われているので、変な時間だが果物を食べることにしたようだ。
本人の主張の通り、果物もそんなに食べられなかった。どうやら糖度の高い果物も食べづらいようで、時期の問題もあるが柑橘類をよく食べている。
しかも、食べ終わったらすぐにうとうとし始めた。これは本当に大丈夫なのだろうか。ベッドにミカを寝かせながらアックスは不安になる。セレスティナが妊娠した時はどうだっただろう。
横たえるとすぐに寝息を立て始めたミカの薄い腹をなでる。ここに、命を抱えているのか。自分が親になるということが、うまく想像できない。母は夫の気を引こうと息子のアックスに毒を飲ませたし、父は優しかったが、多情だった。
翌朝もエミリアナは絶好調だった。久々に朝から顔を合わせたミカに、嫌味と文句を言いまくっている。
「やっと自分の愚かしさを理解できましたの? 賓客たるわたくしをもてなさず、体調不良などと言ってほったらかしにするなんて! 王弟の妃が聞いてあきれるわ」
ふん、とばかりに勝ち誇ったようにエミリアナは言った。ミカはぐっと眉を寄せたが、反論はしなかった。彼女が口を開けばこじれるのがわかっているからだ。
「何とか言ったらどうですの。反論もできないくらいに論破されたと思っているのかしら。それとも、ようやく自分の立場を思い出したのかしら」
エミリアナが最後まで言い切ることはなかった。おもむろに立ち上がったセレスティナがエミリアナの頬を平手でたたいたのだ。ぱん、といい音がした。
「は……?」
「セレスティナ様!?」
エミリアナは驚きすぎて声も出なかったようだが、ソラナは驚愕の声を上げた。アックスとミカも驚いて目を見開いたが、ヴィルヘルムは面白そうに口角を上げている。ちょっと不謹慎。
「エミリアナ、さすがに言いすぎよ」
「っ! だからと言って、たたくことないじゃない!」
「お黙り!」
ぴしゃりとセレスティナが声を上げ、なぜかアックスの背筋が伸びた。
「私は言ったわよね? 人をけなすのではなく、自らが研鑽なさい。確かにミカエラはうかつだったかもしれないわ。けれど、それは彼女の人品をおとしめる理由にはならないわ。あなたのわがままに対応するために、ミカエラがどれだけ心を砕いて骨を折ったと思っているの? あなたが文句を言いながらも快適にこの国で過ごせるのは、ミカエラやソラナや、もちろん私やヴィルヘルム、アクセリスがそう手配しているからなのよ。それをあなたは文句を言うばかりで一言の礼もない。礼を失しているのはあなたの方だし、立場をわきまえるのもあなたの方よ。そんな心持ちだから、国を出されて遊学なんかに行かされるのよ」
わかっているの? とセレスティナがエミリアナに現実を突きつける。というか、なんとなく察していたが、やはり国を追い出されたのか。サンルカルからついてきた護衛も、素行の悪いものばかりで、すでに三分の一ほどを国内法で裁くか、強制送還している。なのに、追加の人員が送られてくることはない。
「そ、そんなはずないわ! わたくしのように、美人でかわいい子は」
「美人でかわいい娘が、いつまでもそうだとは限らないのよ」
まあ人間、誰しも年を取る。姉に辛らつな言葉を投げかけられたエミリアナはもう泣きそうだ。
「……王妃陛下。私は気にしませんから、それくらいに」
さすがに可哀そうになってきたのか、話が先に進まないからか、ミカが口をはさんだ。だが、セレスティナはきっぱりと言う。
「いいえ。いくら気にしていないと言っても、胎教によいわけがないでしょう。それに、腹に据えかねているのはあなただけではないのよ」
つまり、中立の立場だと言っていたセレスティナも腹立たしかったわけだ。アックスは助けを求めるように兄を見た。
「……好きなだけやらせてやれ」
「兄上……」
ヴィルヘルムはとばっちりを避けるために静観モードに移行している。今日はこれからの予定に変更が必要だな……。
「いいこと、エミリアナ。あなたは自分と同年代で王弟とはいえ王族と結婚し、若く美しく賢い妻であるミカエラに嫉妬して、彼女が伯爵家の出であるというあなたが唯一優位に立てるものを振り回して、ミカエラの上に立とうとしているだけなの。そんなくだらないプライド、捨ててしまいなさい」
「違うわ!」
「何がどう違うの。説明してごらんなさい」
今のセリフがすごくミカっぽかった。やっぱりこの二人、似ているところがある。
結局、セレスティナによる妹への説教は午前中の間ずっと続いた。最初は逃げようとしたり、反論して言い返していたエミリアナも最終的にはしゅんとしていた。
「セレスティナ様、すごいです……」
「絶対に敵に回してはいけないタイプ」
と言うのが、しばらく付き合っていたソラナとミカの感想だったそうだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
セレスティナがキレました。