38.二人だけのお茶会
エストホルムの領内を見て回る視察に、ミカは本当に置いて行かれた。いや、リュードバリ公爵家の本拠地に戻ってきた以上、これ以上馬車などで移動しない方がいいことはわかっている。高確率で妊娠しているのだから、これまでのような無茶は禁物だ。セレスティナに叱られるし、アックスは半泣きだし、ヴィルヘルムは笑顔でたしなめてくる。味方がいない。
とはいえ、無理は禁物でもエミリアナたちがいない間にしておきたいことはある。書類を持ってこさせて、領政を裁く。最終的な裁可はアックスの署名が必要だが、その前段階までもっていくことは可能だ。
「奥様。休憩にいたしましょう」
声をかけられてはっとした。エンマがあきれたように「さすがの集中力ですね」とため息をついた。そのとたんに、なんだか気持ち悪いような気がしてきた。思わず口元を押さえた。
「気持ち悪い気がする……」
「大丈夫ですか? 横になります?」
「いや……温かいものが飲みたい」
「わかりました。空腹なのでしょうか」
エンマも首をかしげながら、温めたはちみつ入りのミルクを用意してくれた。ついでにサンドイッチも出してくれた。野菜とチーズをはさんだもので、あっさりした味付けだった。
ずっと座っているのも体に悪かろうと、エンマと、護衛にイェオリをつけて庭園を歩く。厚手のショールを羽織らされ、歩きやすい靴を履かされる。もともと、ミカはヒールの高い靴を滅多に履かない。夫のアックスが男性にしては小柄であり、妻のミカは女性にしてはかなり大柄の部類に入るからだ。ミカ自身があまり服飾にこだわらないせいでもある。
「足元、気を付けてくださいね」
「あまり長居しませんように」
「……」
使用人たちまで過保護だ。さすがに、体調がよくないことを自覚しながら走りだしたり、などと言うことはない。たぶん。
「あ……レーヴ伯爵」
花の剪定を眺めていたソラナがミカに気づいて近寄ってきた。どうやら、彼女もお留守番のようだ。
「ごきげんよう。ソラナ嬢は同行しなかったのですね」
そう言うと、ソラナは「セレスティナ様が、たまにはエミリアナ様から離れてのんびりしなさい、とおっしゃって」と頬を赤らめながら恥ずかしそうに言った。なるほど。ミカに押し付けていったな。この機会に取り込め、と言うことだろうか。確かに、エミリアナよりはとっつきやすいが。
「レーヴ伯爵はお散歩ですか? 大丈夫なのですか? その、妊娠されているのですよね?」
やはりソラナは察していたようだ。ミカは「ミカエラで結構ですよ」と答えながら歩き出す。ソラナもついてきた。
「ここはほかの貴族の目もありませんし。それから、みんな心配しすぎなのですよ」
「普通は心配すると思いますが……」
ソラナにも言われたので、そういうものなのだろうか。母が妊娠した時は遠ざけられていたのでよくわからない。だが、セレスティナや友人のウリカが妊娠した時は周囲がピリピリしていた気はする。
「奥様、ソラナ様をお茶に誘われては」
早くミカを室内に戻したいのだろう。エンマがそうささやいてきた。聞こえていたソラナが期待するようにミカを見たので、彼女はため息をついた。
「ソラナ様、よろしければお茶に付き合っていただきませんか。無理にとは言いませんが」
「ぜひ」
目を輝かせたソラナが深くうなずいた。あれだけそっけない態度を取ったのに、ここまで好意を見せられるとミカはどうすればいいかわからなくなる。あいまいに微笑んで、ソラナとサロンに向かった。
「すみません、ずうずうしくて」
サロンのソファに座り、紅茶の入ったティーカップを前にソラナは恐縮したように言った。ミカは首を左右に振る。
「いいえ。私の侍女が言い出したことですし、慕ってくださるのはうれしいのです。耳目を考えるとよろしくはありませんが……」
ミカが貴族社会でよく思われていないということは事実なのだ。エストホルム城なら、他の貴族の目がない、と言うだけで。
「皆さん、女が知識をつけるのをいやそうにしますものね」
ソラナも身に覚えがあるのか、顔をしかめつつ言った。ミカが白い目で見られる理由はそれだけではないのだが、そう言った面も大きいだろう。ミカもソラナも、この時代の女にしては頭がよすぎた。それでいて、セレスティナのようにうまく立ち回ることもできない、不器用な二人なのだ。まあ、ミカが男社会に切り込んでいったのが問題なのだろうけど。
「私、二つ下に弟がいて。ずっと、どちらが爵位を継ぐかで競い合っていると思っていたんですけど……」
結局、跡取りは弟に決まったそうだ。そういうものだ。ミカは自分と通ずるものを見て、ソラナがミカに好意的だった理由を知った。
この国もサンルカルも、女性が爵位を継ぐこともできるし、王になることもできる。だがそれは中継ぎが多いし、実際の権力は夫側が持っていることが多い。実際に爵位を継いで采配を振るうことを想定していた、ミカやソラナの方が珍しいのだ。
「法律上は可能であっても、実際に女性で爵位を持っている方はほとんどいません。わかってはいるんです。でも、納得がいかなくて。勉強だって、私の方ができるのにって」
そんな時、レーヴ伯爵の話を聞いたんです、とソラナが微笑む。王妃がサンルカルの人だから、昔から交流があるのだ。
「女の人でも、認められて叙爵されることもあるんだって思ったら、うれしくてうらやましくて……」
これは為政者の違いだろう。ヴィルヘルムは才能があれば平民だろうが女だろうが引っ張ってくる行動力があるが、すべての為政者がそうとは限らない。サンルカルの王は、ヴィルヘルムほどの行動力はないのだろう。
「……私も、陛下に取り立てていただいたときは、これまでの努力は無駄ではなかったのだと、うれしくなったものです」
「レーヴ伯爵」
「ミカエラでかまいません。きっと、ソラナ様の努力も、無駄にはなりませんよ。これまでご自身が積み上げてきたことは、力となりますから」
「……はい」
はにかむようにソラナがうなずいた。ミカも人に講釈をたれることができるような人間ではないが、ソラナの努力が報われればいいな、と思う。
「そういえば、ミカエラ様はヴィルヘルム陛下を尊敬していらっしゃるのに、リュードバリ公爵と結婚したのですね」
なんだか言葉が変だが、ソラナの言いたいことはわかった。紅茶を一口飲んだミカは首をかしげる。
「尊敬することと愛情は別です。私は陛下のことを尊敬していますし、感謝していますが、別に愛しているわけではありませんし」
「まあ……!」
逆説的に、アックスのことは愛しているということだ。結果論であるが、そう言うことにしておく。ソラナがふふふ、と笑った。
「少し、意地悪なことを言ってしまいました。ごめんなさい。ミカエラ様と話せてうれしくて、はしゃぎすぎたようです」
「いいえ、かまいません」
実際、社交界の嫌味に比べればかわいらしいものだ。
「ミカエラ様とリュードバリ公爵が仲睦まじいのはわかっておりますから、大丈夫ですからね」
「……」
お客様であるソラナから見ても、そう見えるのか、とミカは遠い目になった。いや、あれだけ人前でいちゃついておいてミカが言えたことではないとはわかってはいる。ちょっと眠くなってきた。
「奥様、大丈夫ですか?」
「えっ、ミカエラ様、無理なさらないでください」
あくびをかみ殺したのがわかったのだろうか。エンマが背中を支えるようにしながら声をかけてきた。ソラナも心配そうに退席を促す。自分の体なのに、自分の思い通りにならないのがつらくなってきた今日この頃である。
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