03.出会い
アックスがミカと初めて会ったのは、また十歳にもならないころだ。貴族の子供だけのお茶会で、のびのびと宮殿の庭を開放して行われたのだが、アックスは同世代の少年たちになじめず、一人、花の咲いた生垣の間をとぼとぼ歩いていた。角を曲がった先で出会ったのが、ミカだった。
集団を作って自慢しあっている少年たちと違い、ミカは優しかった。当時、人見知りで内気だったアックスの話に付き合ってくれたし、わからないことも馬鹿にせず教えてくれた。しっかりしていたミカが、自分より年下だったことに衝撃を受けた。
ミカと仲良くなりたい。友達になりたい。自分ももっと勉強すれば、ミカと話ができるようになるだろうか――。思えば、アックスが勉学に身を入れた動機は結構不純だった。
十年以上前のことを思い出し、アックスは目を開けた。王都のアックスの屋敷の、広いベッドの上。一応夫婦の寝室だ。結婚したばかりのころ、一人で寝ていたらアックスのベッドに肌もあらわな女性が忍び込んできたことがあった。その女性の目的は明白だが、自分でも自覚のある女性恐怖症であるアックスは悲鳴を上げ、隣のミカの寝室に逃げ込み、そのまま一緒に寝た。そのころから、ミカと一緒に寝ている。本来の意味での同衾だ。同じベッドで寝ているだけ、ともいう。少なくとも、正式な妻であるミカが一緒なら、女性が入り込んでくることはないのだ。ミカにも了承済みである。万事無関心な彼女らしく、別にかまわん、というスタンスだ。その彼女が、すでにベッドにいない。
ミカは古いタイプの魔術師だ。魔術の研究を行っている、と言い換えてもいい。そのため、朝から魔法的なものを採取しに出かけることがある。どこかに行くとは聞いていないので、敷地内に居るだろう。アックスは伸びをしてベッドから降りた。大きな窓を開けてバルコニーに出る。この部屋は二階にあり、庭に面している。見下ろすと、ミカが花壇で何かを採取しているのが見えた。アッシュグレーの髪を適当にくくり、シャツにスラックス姿だ。男装をしているわけではないので、男物を着ている、と言った方が正しいか。背丈がそんなに変わらないので、彼女は勝手にアックスの服を拝借して着ていることもある。
しばらく妻を眺めていると、ミカがアックスに気づいた。軽く手をあげて、「おはよう」と唇が動くのが見えた。声が届くには距離がある。アックスも手をあげて「おはよう」と返した。ここではないが、ミカと初めて出会ったのも、花が咲き誇る場所だった。
着替えてから朝食を取ろうと食堂へ向かった。アックスが席に着いてからしばらくしてミカもやってきた。朝食はまだだったらしい。
「おはよう」
「おはよう、ミカ」
先に食べ始めていたアックスも挨拶を返す。お互いに笑顔などではないが、別に喧嘩をしているわけではない。食事中も無言であるが、別に喧嘩をしているわけではない。
「今日は登城予定は?」
一応予定など確認してみる。ない、と言われたので今日はアックスは一人で登城になった。ミカは屋敷で研究に一日を費やすらしい。まあ、気づいたら鍛錬でもしている可能性がある。弓の腕は、軍人のアックスでもかなわない。
ほぼ毎日城に上がるアックスに、ミカは淡々と「城に泊まったほうがいいんじゃないの?」と言った。それは断固拒否する。
「それは遠慮したい。城に泊まるなら、お前も道連れだ」
「え、嫌。なんでよ?」
「……部屋に勝手に女が入ってくる」
むすっとして、これでも控えめな表現だ。一応、妻の前なので。少なくともミカが一緒ならこれはない。屋敷内と同じだ。ミカは「ああ」とうなずいた。
「僕もやられたことがあるな」
「は!?」
「未遂だよ。その前に窓から投げ捨てた」
「……相手、死んでないか?」
「療養にはなったらしいね」
ミカは見た通り華奢な女性であるが、彼女の力は見た目に比例しない。彼女が魔術師だからだ。瞬間的な腕力強化、もしくは念動力くらいは使って見せるだろう。そうでなければ、この細腕で弓が引けるわけがない。
たまに、自分よりもミカの方が男らしいのではないか、と思うことがある。実際、小さいころのアックスは泣き虫で自分に自信がなかったし、ミカは昔からこんな感じでしっかり者だった。
アックスはその加害者なのか被害者なのかわからない男を知らないので、きっと口をつぐんだのだろう。手を出そうとしたのは、王弟の嫁だ。ミカのことだが。ミカも口をつぐんだので、今まで夫も知ることはなかったわけだが。
「……正当防衛だろうが、やりすぎるなよ」
「大丈夫。二階から落ちたところで、よほど打ちどころが悪くないと死なないよ」
下は生垣だったしね、とミカ。違う、そうじゃない。このちょっとずれたところが、わざとなのかアックスにはわからない。
普段は動き回るので男装していることも多いミカだが、さすがに登城するときはドレスだ。ほかの女性たちが着ているようなきらびやかなものではなく、抑えた印象の濃い色合いのドレスを着ていることが多い。これがまた似合うのである。アッシュグレーのやや波打った髪は適当に結い上げられていることが多いが、そうすると左目じりの泣き黒子が印象に残ってあでやかにも見える。アメシストを有する目は涼やかな切れ長なので、どちらかというと中性的な印象の方が強いが。
「ミカ、待て」
「もう髪飾りはいいよ」
「違う」
以前渡した、というか勝手に髪に飾った青い髪飾りは、どうやらミカのお気に召したようで、あれ以降もたびたび目にする。ミカは悪妻だと言われる、などと言っているが、こうしてたまにアックスが装飾品を贈らなければ、彼女の宝石箱は必要最低限、つまり王弟の妻にそれこそふさわしくないありさまになるだろう。まあ、アックスの趣味が入っているのは否定しない。
「髪を結わせてくれ」
「……別にいいけど」
許可を得て、適当に結い上げられているミカの髪を一度ほどいた。ブラシですかし、丁寧に結う。もちろん、髪結いのメイドほどではないが、アックスは器用である。結い上げるのではなく、ハーフアップのような形にして最後に髪飾りを押し込む。うん、満足。
「いいぞ」
「ありがとう。君も好きだねぇ」
「お前が気にしなさすぎなんだろ」
ツッコミを入れておく。ミカとアックスは髪の長さもそんなに変わらないので、自分の髪ですれば、と言われたこともあるが、ミカが相手だからしたいのである。アックスはミカの姿に頓着あるが、ミカ自身は自分に頓着がないのでそのまま一緒に登城した。今日は議会も評議会もないが、図書室に行きたいらしい。
「なんだかんだ仲がいいな」
そんなことを言ったのは兄のヴィルヘルムだった。今、アックスは兄王の執務室にいた。何のことかわからず、アックスが眉を顰めると、ヴィルヘルムは低く笑った。
「ミカエラだ。ちゃんと見ていると、仲睦まじいな」
「そうでしょうか。仲はいい方だと思いますが」
べたべたしているつもりはない。態度としてはそっけないのでは、とさえ思う。だが、見ている人は見ているものだ。
「いや、おしどり夫婦と言われる夫婦でも、あそこまで共に行動はしないな。同じ場所に行くにしても、別の馬車に乗って、自分の時間に合わせて動くだろう」
「それは性格の違いでしょう」
確かに、アックスとミカはお互いの時間に合わせて動いているが、それは合うときだけだ。合理主義、というか、何といえばいいのだろう。
「ま、お前たちが仲良くやっているのならそれでいい。どうもセレスはお前に自分の妹をあてがいたいようだから、上手くかわせよ」
私もお前たちに別れられては困る、と兄は笑って言った。この時代、そう簡単に離婚はできないが、今ならミカに子供ができない、という理由で離婚が成立してしまう可能性がある。それは兄だけでなくアックスも困る。
「……頑張ります」
「気張れよ。それで、最近街で話題になっている美しい娘がさらわれると言う事件だが」
「ああ、はい」
居住まいを正し、アックスは話を聞く体勢を取った。
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