29.認識の変化
なんだか最近、人の屋敷に出かけてばかりいるな、と思いながら、ミカはノンデルフェルト伯爵家の王都の屋敷の中を歩いていた。つわりで動けない友人のウリカに会うためである。ノンデルフェルト伯爵はつわりでうなっている、と言っていたが、どの程度だろう。母がヨーンを身ごもった時は、食べ物を受け付けなかったが、セレスティナなどはけろりとしていたと思う。
案内された応接室に入ると、ウリカが嬉しそうに声を上げた。
「ミカ! 来てくれてうれしいわ! ごめんなさいねぇ、王弟妃を呼びつけたりして」
「別にいいよ、そんなことは。というか、思ったよりも元気だねぇ」
「まあね。空腹になると気持ちわるーくなってくるの。食べつわり、と言うらしいわね」
「そう。大変だね」
ミカは苦笑しながらウリカの向かい側に座る。いつもは温室やガゼボで話したりするのだが、ウリカの体調をおもんばかった結果、屋敷内の応接室になったのだと思われる。
「多少動いた方がいいってお医者様には言われてるのに、みーんな動くな休んでいろっていうのよ。まあ、夜会に参加するのはどうかなって思うけど、庭に一人で出ちゃいけないっていうのよ!」
「ウリカが心配なんでしょ。付き合ってあげなよ」
「そうは言ってもね、ミカ、同じこと言われて許容できる?」
「無理」
「でしょ!」
ウリカはとにかく話し相手を求めていたようで、ミカをこれまでにないくらい歓迎してくれた。とにかく愚痴が止まらないので、しばらく聞いていることにする。
「夫もあの調子でしょ。話を聞いてくれないのよ! って思ったら、ミカに無性に会いたくなって」
「僕もどちらかと言うと、君の旦那様と同じタイプだと思うんだけど」
「でもミカは一応共感を示してくれるでしょ」
「なるほど」
納得してうなずいた。ウリカの話にならうなずきながら聞ける自信がある。
「別に何かしてほしいわけじゃないのよね。そこにいて話聞いてくれるだけでいいの」
「……のろけ?」
「どうかしら」
二人してくすくす笑う。
「夜会でご令嬢を助けてサンルカルの近衛をぶん投げたって聞いたわ」
「それ、伯爵から? まあ、助けてもらったから文句は言わないけど、ぶん投げてはいないね。叩きのめしたけど」
「あらら。やったことにはやったのね。妙なところでお人よしなんだから」
「結局、近衛に間に入ってもらったけどね。君の旦那様に助けてもらったよ」
「そう? まあ、ミカを誘ってくれたことには感謝してるわ」
ウリカはそういってクッキーをつまむ。本当に食べつわりのようだ。疑っていたわけではないが。
「その時にサンルカルの近衛の態度は聞いたけど、お姫様たちはどうなの?」
「ああ……お姫様は『お姫様!』って感じかな」
「何それ。王妃陛下とは違う?」
「違うね。同母の姉妹のはずだけど。年が離れてるからかな」
セレスティナは理性的であるし、頭がいい。ミカとは合わないかもしれないが、合理的に判断してともに行動することができる。エミリアナは、それができない。
「女の子! って感じなのね。ミカが苦手なタイプ」
「と言うより、見下されている感じがする」
被害妄想かもしれないが。ウリカがああ、とうなずく。
「ミカは『お嬢様』って感じじゃないものね」
「実は女性歴五年程度だからね」
「でも、性認識は女性よね?」
「そうだね。自己の性認識は女性、おそらく異性愛者と思われる」
「そんな学術的に言われてもねぇ」
ウリカは笑ってツッコみを入れる。彼女の手が今度はマドレーヌをつまむ。本当によく食べるので、逆にちょっと心配になる。
「でも、そういうってことは、やっぱりミカはリュードバリ公爵のことが好きなのね」
「……友人としては、前から好きだったのだけど」
「今は違うってことね。あなたからそんな言葉が聞けるとは思わなかったわ」
ウリカは興味津々で身を乗り出してくる。
「あまりおなかに負担をかけない方がいいと思うけど」
「大丈夫よ。屋敷に引きこもってて、そういう話題に飢えてるのよね。ほら、社交界に行くと、そういうゴシップにあふれてるでしょ」
聞くのが結構好きなのよね、とウリカ。聞きたいけど、話さない。そういうところが、セレスティナに気に入られているのだろうか……。
「それって面白いんだろうか。まあ、僕も恋愛小説とかは読むけどね」
これは面白いやつは面白い。現実的でないこともあるが、物語だし、それを言うなら、人生の三分の二を男として過ごしたミカも似たようなものだ。事実は小説より奇なり。
「それが結構意外よね。まあ、私も読むけど」
ウリカにも言われた。夫のアックスにも意外そうにされたばかりであるので、ミカはそんなに自分は恋愛小説が似合わないのだろうか、と心の中で自問自答してしまった。
「で、どう?」
「どう、とは?」
「え、だって好きなんでしょ? なら……って、もう結婚してるんだったわ」
「そうだね。利害が一致した、見事なまでの政略結婚だね」
アックスが拒否しない性別:女のミカ、ミカの能力を買っている王ヴィルヘルム、家から出たいミカ……さらに、王族に娘を嫁がせられる、という誘惑に目のくらんだミカの父アレリード伯爵の思惑が絡み、この政略結婚は成り立っていた。
そこに親愛の情はあれど、恋情は絡まない……はずだった。
「……可愛い、と言うんだ」
「はい?」
「アックスが僕を可愛い、と言うんだ」
「そ、そうなの?」
唐突な話題転換に、さしものウリカも戸惑い気味だ。だが、ミカは真剣である。
「意味が分からない……」
「私は理解できないあなたが意味が分からないわ……」
「というと?」
「可愛いわよ、ミカは」
「造形的な問題? 怜悧だとは言われるけど」
ミカを表現する際に、可愛い、と言う言葉はあまりふさわしくない。彼女は怜悧な美人だ。きれい、と言った方がしっくりくるだろう。本人もその方が納得できる。ウリカも美女だが、彼女は可愛いと言って差し支えない容姿に思える。
「こういうの、説明するのが難しいのよね……えっと、美人、とか、きれい、っていうのは、どちらかと言うと客観的視点なのよね」
わかる? と言われてうなずく。確かに、客観的に判断できるものだ、と思った。きれいだとか、美人だ、とかいうものには一定の法則がある。
「でも、可愛いってのは主観なのよ。ほら、自分の子供は無条件に可愛い! とか、そういうこと」
「……わかる、と思う」
可愛い、にも一定の法則があるが、個人の見解に左右されるというのはなんとなく理解できる。可愛いは必ずしも一定ではない。
「と、考えると、リュードバリ公爵の言葉にも、かなり主観が入っていると考えられるわね。……なんだか普通にロマンスな話で、逆にびっくりしちゃったわ」
ふう、とウリカが微笑んでカップに口をつけた。ミカはお茶だが、妊婦のウリカはいわゆるハーブティーだ。ミカは半分ほど減ったティーカップの中身に目を落とす。
「ごめんね、ウリカ……身重の君に変な相談して」
「いえ、楽しかったわ。ちゃんと情緒が成長しているのね、あなたも」
ウリカひどい。確かに、知識倒れなところはあったかもしれないが、情緒が未発達だと思われるのは心外である。顔に出たのか、ウリカに笑われた。
「なんだか妹の恋路を見守っているような感じだわ。もう結婚しているけど」
「そうなんだよね……」
避けられないのだ。避けると、アックスが泣く。いや、比喩ではなく、本当に泣き付かれる。それで許してしまうのだから、ミカも甘い自覚はある。
「頑張ってね、ミカ! 続報、楽しみにしてるわ」
別れ際にそんなことを言われて、ミカは返答に困った。妊娠でピリピリしている友人が楽しそうにしているのはいいのだが、その娯楽の対象が自分であることに戸惑ってしまう。
そして、ウリカには、ミカがアックスに好意以上のものを持っているとばれている、という謎の確信があった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
さて、このお話ですが、きりがいいので一旦ここで更新をお休みします…すみません。ストックがないのです。プロットはできてるんですけど…。