28.昔の話
ミカに連れられ、アックスは王都にあるアレリード伯爵家に来ていた。アックスにはミカの方から同行を願ったのだ。頼られたので、何があっても彼女の味方をする所存である。
「姉上!」
エントランスで両親と顔を合わせていると、子供が駆け寄ってきた。さすがのミカも相好が崩れる。
「ヨーン、久しぶりだね。元気だった?」
「はい!」
八歳のミカの弟だ。この弟が生まれたことで、アレリード伯爵家の跡取り息子として暮らしていたミカの生活は終止符を打つことになったのだが、それはそれとして、ミカはこの弟のことをかわいがっていた。ミカの生活が一変したことと、弟がかわいいことはまた別の問題のようだ。少なくとも、ミカにとっては。
柔らかな金髪に青灰色のおおきな瞳。子供らしさを残したまろい頬。ヨーン・エルフフォーシュは姉とは似ていない、かわいらしい子供だ。
「久しぶりにお会いできてうれしいです! 今日は泊まっていかれるんですか?」
「いいえ。夕方までには帰る予定だよ」
「そうですか……」
しょぼんとするヨーンをなで繰り回してやりたいような表情のミカを見て見ぬふりをした。
「ヨーン、私の旦那様にも挨拶をしてくれるかな」
「あ、ごめんなさい。こんにちは、リュードバリ公爵様」
「ああ、こんにちは、ヨーン。お邪魔している。お前は少し大きくなったな」
「本当ですか!」
うれしそうにヨーンがにこにこする。
「すぐに公爵様より大きくなります!」
「ああ……それはなるんじゃないか」
アックスが遠い目になる。ミカは思わずというように笑った。ミカとアックスはさほど身長が変わらない。ミカが長身なのもあるが、アックスが比較的小柄であるからだ。長身のミカの弟ヨーンは、すぐにアックスの身長を抜かしてしまうだろう。
「……笑うな」
サロンまでの廊下を歩きながら、ふてくされたようにアックスが言う。そのすねた言い方が面白かったのか、やっぱりミカは笑った。
「ごめん。でも、やっぱり気にしてるんだなって。僕も背が高いの、結構気にしたからさ」
「……そうか」
腕を引き、唇をふさぐ。触れるだけですぐに離れたが、ミカは目を見開いた。
「急に、なにするの!」
小声で怒鳴る、という器用なことをする。両親も使用人たちも驚いている。ヨーンはきょとんとした後に顔を輝かせているが、姉夫婦のいちゃつきなんて見て楽しいのだろうか。
「……いや、可愛かったから」
真顔で言うと、ミカは「あ、そう」となった。こいつ何言ってんだ、的な表情と声音が結構心に刺さる。
「とりあえず行こう、アックス」
いろいろ飲み込んだ様子のミカはそれだけ言った。ミカの言葉で金縛りが解けたように、みんな動き出した。衝撃が去った母は、ミカに何やら聞きたそうにしていて、サロンでお茶の用意ができたら本当に聞いてきた。
「ミカ、リュードバリ公爵と仲良くしているのね。教えてくれればよかったのに」
「夫婦生活のことを言わないでしょう、普通」
ミカは適当に流しているが、そこまで仲良くない、というのが本音だろう。ミカときたら、実の両親に話すよりは、敵対しているように見える王妃セレスティナに相談するくらいの勢いだ。この二人は、別に敵対しているわけではないが。
「娘によくしていただいて、ありがとうございます」
アレリード伯爵が微笑みながら言うが、アックスは彼のこういうところが信用できない。少し前まで娘に暴言を吐き、アックスに娘をけなして見せた男だぞ。ミカはどちらかというと母親の伯爵夫人を苦手としているようだが、アックスは伯爵の方が信用できない。
どことなくピリピリしたお茶会である。飽きてきたヨーンが、ミカのドレスを引っ張った。
「姉上、お庭に行きたいです。お花がきれいですよ」
「そうだね。ちょっと歩こうか」
ミカもうんざりしていたのか、弟の提案に相好をくずす。本当に弟を可愛く思っているのだ。姉や兄という生き物はそういうものなのだろうか。と、弟であるアックスは思った。
「アックスも一緒にどう?」
「行こう」
「即答」
即座に立ち上がったアックスに、ミカは笑った。最近、笑うことが多いな、と思う。怜悧な印象の彼女だが、笑うと年相応にかわいい。
「……昔は、ミカの怜悧な面差しがうらやましかった」
「ああ、君は艶があるっていうか……色っぽい感じだもんね」
「姉上! 公爵様! こっちのお花がきれいです!」
「うん、今行くよ」
ヨーンに手を振りながらミカが答える。ちなみに、ミカとアックスは出てきたが、アレリード伯爵夫妻は離れた木陰からこちらを見ている。
「一緒に遊んでくれとは言わないけど、親っぽくはないよねぇ」
「……かまわれすぎるよりは、ましだと思うが」
アックスが硬い口調で言うと、ミカは目を細めて「そうだね」とだけ言った。アックスがミカの事情を知っているように、ミカもアックスの事情を知っている。お互い、安易に口に出さない思慮くらいは持ち合わせていた。
ヨーンが一生懸命説明してくれる花を眺めたが、ヨーンがかわいいだけでアックスにはさっぱりわからなかった。多分、ミカは知っているが弟の説明をちゃんと聞いている。
「あっ、小鳥さん」
歩いていたヨーンが、突然地面を見てそんなことを言った。視線を落とすと、なるほど。小鳥さんだ。そこの木にある巣からおちたんだな。
「戻してあげないと!」
「待ちなさい、ヨーン、木に登らない!」
強い口調で弟を止めるミカに、アックスは驚いた。両手で小鳥を持ったヨーンの目に、ジワリと涙がにじむ。
「あ、あねうえ……おこった?」
「怒ってないよ。危ないから、やめなさい」
「でも、小鳥さん……」
「俺が行く。ミカ」
仲の良い姉弟の間に入ろうと、アックスはそういった。脱いだ上着と眼鏡をミカに渡す。
「持っていてくれ」
「は? ああ、うん」
押し付けられて、思わず受け取った様子のミカだが、うなずいたのでよしとする。アレリード伯爵がここでやっと駆けつけてきた。
「か、閣下! 危ないですぞ!」
心配してくれている、ともとれるが、彼の性格を考えると自分の家の庭で王弟が怪我をするのを懸念しているように穿ってみてしまう。見てみろ、自分の娘のいやそうな顔を。
アックスは義理の父親を無視し、さっくりと木の登って小鳥を巣に戻した。そのまま枝から飛び降りると、なぜかミカが驚いた顔をしていた。
「どうした?」
「……ううん」
何でもないことはなかろうに、ミカは首を左右に振った。両親の前では言いづらいのかと、帰りの馬車の中で話を振ってみた。ミカは神妙な表情になる。
「僕の背中に傷跡があるの知ってるよね」
「ああ、腰の上あたりだろう。昨日気が付いた」
昨日、と言われてミカは微妙な表情になったが、話をつづけた。
「昔……って言っても四年位前かな。アックスと結婚する前に、ヨーンが木に登って降りられなくなったんだよ」
それであんなに引き留めていたのか、とアックスは納得する。四年前なら、ヨーンも四歳程度だろうに、大した行動力だ。
「で、庭師が梯子を持ってくる前に落ちちゃって。僕が受け止めたんだけど。
「……その背中の傷、その時のか」
「そ。受け止めたはいいけど転んじゃって、ざっくり。ヨーンは無事だったけど」
泣き叫ぶヨーンに、使用人どころか弟を受け止めただけの娘すらなじる父親、お嫁にいけないと絶望顔になる母親。大混乱だったようだ。ちなみに、四年前ならすでにミカはアックスと婚約しているはずだ。
「で、大丈夫なのはわかってたけど、飛び降りたアックスを見て驚いたの。了解?」
「了解……だが、誰もお前の心配をしていなくないか?」
「あ、そこ言っちゃう? いいんだよ、別に。今はアックスが心配してくれるでしょ」
「当然だろう」
怪訝そうに、当たり前のように言い返すと、ミカはにっこりと笑った。皮肉気な笑みの多かったミカの変化に、アックスが気づくぐらいだから、ほかの人も気づいているだろう。
「だからいいんだ。ありがとう」
ミカは、自分自身の中で何かに決着をつけたのかもしれない、と思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ミカの家族の話はこれくらいでしょうか。