25.その気持ちは
R15くらいの注意書きが必要かと。
「閣下」
義理としてソラナと踊った後はダンスフロアを離れていたアックスは、部下に声をかけられていた。副官だ。
「何かあったか」
人数確保のため、今は近衛だけではなく国軍も警備に駆り出されている。副官はアックスに代わり、責任者を務めているはずだが。
「先ほど、レーヴ伯爵がサンルカルの近衛に絡まれていました」
副官の言葉をすべて聞く前に歩き出そうとしたアックスを、副官は肩を掴んで止める。
「お待ちを! 対処済みです。というか、返り討ちでしたよ」
「ミカだからな」
さもありなん。アックスも特段止めていないので、ミカは体術や剣の稽古を続けている。いざというとき、自分の身を守れるのに越したことはない。しかし、せいぜい護身術レベルのミカに返り討ちに遭う近衛ってどうなのだろう。
「サンルカルの近衛だと言ったな。監視を頼む」
「もちろんです。それと、レーヴ伯爵のことも気にかけて差し上げてください」
「そうだな」
そろそろ合流したいところだ、と思ってミカのアッシュグレーの髪を探す。女性にしては背の高い彼女はすぐに見つかったが。
「合流は後だな」
「そのようですね。ああ、レーヴ伯爵のことを教えてくれたのはノンデルフェルト伯爵ですよ」
「そうなのか……」
なんだか意外だった。ノンデルフェルト伯爵はミカの友人の夫だが、彼自身はミカのことをあまりよく思っていないようだったからだ。まあ、この社交界でミカをよく思っている人間の方が少ないが。
副官と別れ、ミカを視界に収めつつ脇へ移動する。曲が終わるころ、ミカに話しかけようと移動していると、声をかけられた。
「アクセリス様。ぜひわたくしとも踊ってくださいませ」
鈴のなるような声でせがんできたのはエミリアナだ。通常、男性から女性に声をかけるものだが、彼女はそこを無視してきた。はしたない、ととられてもおかしくない行為だが、彼女の立場がそれを許されるものにしている。
断ることはできない。応じながらミカを見ると、ダンスフロアを離れるのが見えた。
「突然申し訳ありません。はしたないですわね」
曲が始まり、エミリアナに視線を向ける。媚びるような視線に引きそうになりながら、顔面が引きつりそうになるのを耐える。
「いえ……私も気が回らず、申し訳ありません」
と、言うことにしておく。気が回らなかったのは事実だ。ミカが側にいれば行ってこい、と背中を押されるくらいの気の回らなさである。やはり自分は彼女に頼り切っているのだな、と思う。ミカを追いかけたい。
「そんな……でも、わたくしの方からお声がけして、嫌われたらどうしようと悩みましたのよ」
「いえ、そんなことは」
苦手意識はすでにあるが。エミリアナのような女性らしい女性は苦手だ。彼女の友人のソラナの方がまだ好感が持てる。しっかりしている、というのもあるだろうが、ミカに好意的なのが大きい気もするが。
「アクセリス様は本当に美しい方ですわね。思わず見惚れてしまいます」
「……ありがとうございます」
眼鏡をかけていても初対面ではまず外見を褒められることが多い。まあ、ありきたりだし、一番目に付くので当たり前だ、などとミカは言うが。なんとなく、ミカが「君は美人だよね」と言うのとは違う印象を与えた。同じ言葉なのだが。
エミリアナは少し唇を尖らせて、鈴のなるような声で言う。
「もし独身でしたら、わたくしが妻に立候補しましたのに。少し残念ですわ」
背中がぞわっとして、少しステップを踏み間違えた。どうやらエミリアナはそれを好意的に解釈したようで、「驚かせてしまってすみません」と微笑んでいる。いや、どちらかと言うと気持ち悪い。こんな美少女に言う言葉ではないだろうが。
その時、ミカの鋭い声が聞こえた。放っておいて、と聞こえた気がする。思わず振り返ったが、さすがに人だかりで見えなかった。ミカは女性にしては長身だが、さすがに群衆の中にいると埋没する。尤も、それはアックスも同じことだが……。
「まあ……どうなさったのかしら」
パーティー会場で大声なんて、と小ばかにしたような口調でエミリアナが言った。もちろん褒められたことではないし、エミリアナの感覚は真っ当なのだろうが、今の声が自分の妻だとわかっているアックスは反感を覚えてしまう。エミリアナが苦手だ。初めからわかっていたが。
何とか最後まで付き合ってミカを探しに行く。エミリアナに引き留められたが、ミカが優先だ。振り切った。
だが、会場にはいない。部屋に戻ったのか、もしかしたら城下にある屋敷の方へ戻った可能性もあるが。
「閣下」
「伯爵」
先ほどミカと踊っていたノンデルフェルト伯爵が声をかけてきた。
「ミカを知らないか」
「女伯なら庭に降りていかれましたよ」
無表情で教えてくれた。追うか迷ったそうだが、妻に誤解されたくないので見送ったらしい。いろいろとツッコミたいが、今はミカだ。
「すまない。助かった」
「いえ」
見送られつつ庭に降りる。東屋やベンチ、噴水などを見て回るが、そもそもミカがそんな分かりやすい場所にいるはずがなかった。
生垣に隠れた木の根元で、ミカは膝を抱えていた。膝を抱えて顔を伏せている。アックスが選んだドレスはミカに似合っているが、薄手だ。アックスは脱いだジャケットを肩にかけてやりながら声をかける。
「ミカ、心配した」
隣に座り込むと、ミカがゆっくり顔を上げた。不機嫌そうな表情で、目はうるんでいた。
「泣いていたのか」
「泣いてない」
その顔でそれは無理がある。そう思いながらアックスは指でミカの目元をぬぐってやる。すねたように突き出された唇が美味しそうだな、と思った。
「サンルカルの近衛に絡まれたと聞いたが」
「ああ、うん。無理やりお嬢さんを連れて行こうとしてたから」
「警備を呼べ」
「間に合わないと思ったんだよ。でも、できるだけそうする」
正直信用できないが、もう一つ聞きたいので流すことにした。
「ホールで大きな声を出していただろう。何があった?」
尋ねるとミカは苦笑した。
「ああ、うん。ちょっと父とやりあっちゃって」
自制心の強いミカが、珍しいこともあるものだ。ミカは「それでちょっと自己嫌悪」と膝に頬をくっつける。
「僕って可哀そうなのかなぁ……」
どんな誹謗中傷も気にしない、と豪語してきたミカだが、やはりどこかでは堪えるものがあったようだ。アックスはミカの肩に手を置き、「可愛いとは思うが」と答えた。ミカは眉を顰める。
「ねえアックス。最近どうしたの? ちょっとおかしくない? 変なものでも食べた?」
「お前のように毒を飲んだりしていない」
「そうじゃなくって……急に可愛いとか、どうしたの」
本気で不思議そうだ。アックスはミカの体に視線を落とす。サンルカルの近衛はこの体に触れたのだろうか。アレリード伯爵も、何故娘を泣かせるようなことを平然と言うのだろう。言われたほうの娘は、父に言われたことより、自分の言動にショックを受けている。
「アックス?」
急に頬に触れてきたアックスを不審そうに見上げるミカ。そのいつもより色づいた唇に、アックスは自分の唇を押し付けた。時間にして、二秒かそこらだったと思う。ミカのアメシストの瞳が大きく見開かれた。
「……えっ?」
驚きを口にしたミカを抱き寄せて、今度は先ほどよりも深く口づけた。近づきすぎてアックスの膝に乗り上げたミカは、思い出したように抵抗し始めた。だが、抱き込まれているので抵抗もたかが知れている。下唇をはみ、舌で歯列をなぞる。ミカからくぐもった吐息が漏れた。口腔内を探り舌を絡める。吸って絡めて。後頭部に手を当てられ逃げられないミカは抵抗をやめ、縋りつくようにアックスのシャツを掴んできた。名残惜しく唇を離す。はあ、とこぼす息が色めいている。止まったはずの涙が流れていた。
「会場に戻れないな」
頬を撫でながら言うと、ミカにきっ、とにらまれた。涙目でそんな顔をされてもかわいらしいだけだ。
「どの口が言うの」
「……そうだな」
唇についたミカの口紅をぬぐいながら、アックスはさして気にせず言った。泣いたので化粧が落ちているし、ドレスも乱れている。この状態で夜会会場に戻せるわけがない。
ジャケットをちゃんと肩にかけさせ、部屋の方に戻ることにした。ミカを立たせ、肩を抱いて歩かせる。よく見ると、編み込んでいた髪も崩れていた。アックスが押さえたからだ。
「まあ、奥様。どうなさったのです」
待機していたエンマがミカを見て驚いた表情になった。それはそうだ。アックスはむすっとしたミカをエンマに預ける。
「俺は兄に話をしてくる。ミカを頼む」
「あ、アックス」
ミカに呼び留められて、ジャケットを差し出される。
「一応正装していきなよ」
「ああ、そうだな」
ミカの頬を撫でて一つキスを落とす。ぎゅっと目をつむった以外はあまり反応のないミカに対し、エンマは驚いて目を見開いていた。
「兄上。ミカの調子がよくないので、先に下がらせてもらう」
「ん? ああ、そうだな」
妻とその妹たちを眺めていたらしいヴィルヘルムはアックスの言葉にあっさりとうなずいた。先ほどの騒ぎを見ていたのだろう。
「気にかけてやれ。大事な俺のブレーンだからな」
ヴィルヘルムはそう言った後、自分の唇の端を指で示した。
「ついてるぞ」
ぬぐうと、薄い紅だった。ミカのだ。鏡を見てくればよかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。