21.宮殿生活
ちょっとした騒動はあったが、おおむねつつがなく晩餐会は終わった。アックスはミカに、「何か話しなよ」と呆れたように言われたが、口をはさむすきがなかったし、アックスが関与するところではなかった気がする。
「慕われていてよかったな」
アックスがくすくす笑って言うと、ミカは困惑したように眉をひそめた。
「変わった子だったよ……」
「たぶん、ソラナ嬢もお前に変わってるって言われたくないと思うぞ」
「む」
眉間のしわが深くなったので、アックスはぐいっと押して伸ばした。そんな顔でも可愛いと思うが。
エミリアナのお付きの公爵令嬢ソラナは、女性ながら爵位を持つミカのことが気になるようだった。悪い意味ではなく、簡単に言うと憧れがあるようだ。この国と同じく、女性が王位や爵位を相続することを否定しない国はいくらかあるが、実際に爵位を持つ女性は珍しい。しかも、ミカは自分の家の爵位を相続したわけではなく、王から直々に叙爵されているのだ。
「……どうしてアックスはうれしそうなの?」
ミカに怪訝に尋ねられて、自分の顔に触れた。そんなに嬉しそうな顔をしていただろうか。
「……いや、お前の良さをわかってくれる相手が現れたなと」
それが、嬉しい。ミカは頭がいいが、それは社交界の女性には評価されない部分だ。たぶん、セレスティナも頭がいいのだが、彼女と違ってミカは上手く立ち回ることができない。偏屈というより、不器用なのかもしれない。
「ああ……うん。好意的で、むしろ戸惑う……」
本当に戸惑ったように、ミカは言った。その様子が可愛らしく、アックスはまた笑う。
しばらく、宮殿に滞在する予定なので、必要なものは運び込んでいた。夜着に着替えて二人で一緒のベッドにもぐりこんだ。一応、寝室はそれぞれ別にあるのだが、また女性が忍び込んできてはたまらない。ミカと一緒なら、少なくともそれはない。慣れたもので、ミカももう文句も言わなかった。あきらめているともいう。
向こうを向いているミカのアッシュグレーの髪をひと房手に取る。ミカから「何?」と怪訝な声がかけられる。眠そうな声だ。
「抱きしめて寝てもいいか」
「僕は寝にくいんだけど」
「そうか」
嫌とは言われなかったので、背中から抱き寄せた。長い髪からは、やはり花の香りがする。ミカは寝心地がよくないと言うのは本当のようで、もぞもぞとおさまりのいいところを探している。しばらくしておとなしくなったので、アックスも目を閉じる。ミカを抱き込んでいる右手に細い指が絡められた。なんだか可愛い仕草だ。口元が緩む。それを隠すように、ミカの髪に鼻先を埋めた。そもそも、暗くて見えないのだが。
朝、腕の中でミカが身じろぎするので目が覚めた。起きようとしているらしい。それに抵抗するようにアックスは腕の力を強めた。
「ちょっと! 僕は起きたいの!」
腕を叩かれてすねのあたりを蹴られる。抱き込まれているのであまり強くはなかったが、抵抗を受けてさすがに放してやる。
「まだ早朝だぞ」
「早朝だからだよ。東園の秋薔薇の朝一番に咲いた薔薇の朝露を採取したいんだよ」
昨日は新月だったからね、とミカ。さっぱりわからないのだが。
「俺も行く」
「ええ? 来なくていいよ」
思いっきり顔に「邪魔です」と書いてある。だが、アックスも譲らない。
「別に邪魔はしない。見ているだけだ」
「急にどうしたの。なんでそんなにかたくなについて来ようとするの」
ミカとしては当然の疑問だろう。これまで、そんなにアックスがぐいぐい来ることはなかった。お互いに、好きなことをしていた。
「いや……単純に好奇心だ」
ある一方向から見れば、これは正しい。そんなものを採取してどうするのか、という好奇心から派生している。
と、同時に、ミカのしていることに興味があった。もっと突き詰めると、ミカがしているから気になるのだが。
「……まあ、いいよ。わかった。早くいかないと朝露が採取できなくなっちゃう」
ミカはここで口論になって朝露を回収できなくなるリスクを回避するため、アックスに同行を許した。これが屋敷の庭なら、ミカは絶対に男装で外に出ていたが、ここは一応宮殿である。ブラウスにスカート、といういで立ちで採取に臨むことにしたようだ。
「待て、カーディガンを羽織れ」
「急いでるのに」
と言いながらも、ミカはアックスが差し出したカーディガンを羽織ったから、思ったより寒かったのかもしれない。
東園に出ると、ミカはまっすぐに秋薔薇の生垣に向かった。白いバラが咲いている。小さな瓶を取り出したミカは、咲いている薔薇からそっと朝露を落として瓶に詰めた。ほんの少し、指先程の量を大事にしまう。
「それは何の効果があるんだ?」
「まあ、加工にもよるけど、新月の次の朝一番の朝露は、見つけることに効果があるね」
「なくしたものを見つける、とかの?」
「そう」
無事に朝露を採取出来て安心したからか、ミカは機嫌よく応じた。先ほどはあんなに機嫌が悪そうだったのに、現金だ。
「まあ、私は研究者であって実行者ではないから、使用することはないかもしれないけど」
「お前は、魔女だったか、魔術師だったか」
どちらだったか。ふと思い出して気になったので聞いてみた。広義的には同じだが、狭義的には別の存在だ。
「僕は魔術師だね。魔女に近いこともしているけど、どちらかと言うと理論派だよ」
確かに、ミカは魔法学の権威だ。それだけで、王の顧問団に名を連ねているわけではないが。
不意に、ミカが身を震わせた。本格的な冷え込みはまだとはいえ、さすがに朝晩は冷える。アックスはミカの肩に手をまわした。
「早く入ろう。冷える」
「そうだね」
ミカがうなずき、中に入ろうとするとき、アックスはちらっと少し離れた生垣の陰を見た。顔も体も見えていないが、誰かがこちらを見ているのが分かったのだ。たぶん、尾行に慣れていない女性だ。
「アックス?」
「ああ、何でもない。戻ろう」
ミカの肩を押す。彼女は成り行き上戦場にも出たことがあるが、軍人ではないので気配に気づかなかったようだ。不思議そうな顔をしながらも、アックスに押されて足を進めた。
アックスたちが外に出ている間に、部屋には朝食が用意されていた。それを食べつつ、アックスが尋ねる。
「今日の予定は?」
「しばらくお姫様たちに張り付いてなきゃ。まあ、小評議会が開かれる時はそっちに出るけど」
「お前も大変だな……」
「まさか王妃陛下と一緒だと言うことに安心を覚える日が来るとは思わなかったよ」
「それは普通に失礼だな」
ミカとセレスティナは、気が合わないと言うか、同族嫌悪な気がしている。だから、目的が一致すれば協力し合える。二人とも、合理的なのではないだろうか。
朝食を終え、着替えたミカを見て、アックスは言った。
「今夜の夜会のドレス」
「うん?」
「俺が選んでもいいか?」
「一応、もう決めてあるんだけど?」
それはそうだ。一応、公爵夫人なのだから、数日前から準備しているに決まっている。だが、女主人ではなく侍女は乗り気だった。
「大丈夫です。旦那様がお決めください」
「ちょっと、エンマ」
「奥様、どれがいいか聞いても、任せる、か、それでいい、しか言わないじゃありませんか」
「む」
ミカがエンマに苦情を言ったが、エンマからも苦情が入る。多少の好みを言ってくれなければ、決める方も難しかろう。アックスは笑って「後で選ばせてくれ」と言った。
「わかったよ……」
むっと唇を突き出してミカは了承した。
「でも、あんまり派手なのにしないでね」
「了解した」
そもそも、ミカのドレスに派手なものがあるのかが謎だ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
家に帰りたい二人。