20.来訪者
「帰りたい」
「さすがに早いよ」
謁見の間の玉座の隣で、死んだ目のアックスがそういうので、ミカはツッコミを入れた。今日、セレスティナの妹が到着するのだ。その出迎えである。一部の高位貴族も並んでいる。遊学に来るとは言え正式訪問なので、体裁を整えている形だ。
「もうちょっと頑張りなよ」
「わかってる。……お前は大丈夫か? 体は?」
「大丈夫だって。心配しすぎ」
ちょうど謁見の間の無駄に大きなドアから女性が二人入ってきたので会話が途切れた。その二人は、玉座の手前で膝をついて顔を伏せた。
「ヴィルヘルム陛下に於かれましては、ご機嫌麗しく。わたくしどもの申し出を受けてくださり、ありがたく存じます」
鈴のなるような可憐な声に、貴族たちがため息を漏らすのが聞こえた。ヴィルヘルムが重々しく「二人とも、面をあげよ」と言うので、二人とも顔を上げた。また空気がどよめく。
手前にいるのがセレスティナの妹、サンルカル王国第三王女エミリアナだ。つややかな栗毛に、碧眼。大きな瞳のちょっと驚くくらいの美少女だった。人形が動いている、と言われても信じてしまうと思う。
エミリアナの斜め後ろに控えているのは、その友人のサンチェス公爵令嬢ソラナ・マスキアラン。彼女は金髪に緑の瞳をしていた。美少女ではあるが、エミリアナを見た後だとかすんでしまう。これは苦労してきただろうな……。
二人とも十八歳。ざっくり言うと、ミカは年が近いから仲良くしてやってね、的なことをヴィルヘルムに言われたが、ミカに仲良くできるとは思えない。主に、ミカの性格の問題だが。
「では二人とも、ひとまずゆっくり休んでくれ。今夜晩餐に招待すれば来ていただけるかな」
「もちろんですわ」
エミリアナがにこりと笑う。今日は身内だけで晩餐会。明日、大々的に歓迎の夜会を開くことになっていた。昼にガーデンパーティーでもよかったのだが、さすがに外は寒い時期だった。
階段を降りるときにふらつき、アックスに支えられる。彼は、先日ミカが毒を飲んで療養してから、過保護なのだ。心配しなくてももう快癒しているし、そんなに軟ではない。
「やはり帰るか?」
「しばらく宮殿に泊まるってことで合意したでしょ」
「だが……ミカの体調だってあるだろう」
「僕をだしにしない」
あきれてミカはツッコミを入れた。アックスの帰りたい気持ちと、ミカを心配しすぎる気持ちが合わさってこうなっている。ミカだって帰れるならば帰りたい。だが、そうはいかないからとどまっているのだ。
「それより、あんまり過保護にしすぎないでよ。アックスがそんな態度だから、僕に妊娠疑惑が出てるんだけど」
「前に子供ができないと嫌味を言われる、と言っていなかったか」
「アックスは前に、そういうことを公共の場で言うな、って言ってたよね」
二人ともそれなりに記憶力がいいので、言い合いが泥沼である。ミカははあ、と息を吐いた。
「心配しなくても、倒れるほどじゃないよ。とりあえず、今日の晩餐を乗り切ってから考えよう」
「……そうだな」
自分の中でどう折り合いをつけたのかわからないが、アックスはうなずいた。自分が見ていればいい、とでも思ったのだろうか。
「ちゃんと気を付けてるよ。君に泣かれたくないからね。なのに、そこまで過剰に心配されるのは、信用されていないみたいで悲しい」
情に訴えてみる。予想通り、アックスは動揺したように視線をさまよわせる。
「そう、だな。すまない」
「ん」
お互い、とにかく我が強いところがある。互いに不干渉、としたのは、その性格から対立を避けるために設けたものでもあった。それを撤回した今、互いに譲歩が必要だ。
「今晩着るドレスはどういうデザインだ?」
「ああ……濃い目の紫のやつにしようかなって。レースの」
しばらく宮殿に滞在するので、ドレスなどの着替えもいくつか持ち込んでいる。ミカは色彩が薄いので、濃い目の色を選びがちだ。
「お前の髪、俺が結っていいか?」
「いいけど……君も好きだねぇ」
ドレスを選ぶまではいかないが、アックスはミカを飾ることにご執心である。器用なので、こうしてミカの髪を結ったりもする。
「自分のでやればいいんじゃない?」
髪飾りやらの装飾品だって、百人が百人とも美人だと言うだろうアックスの方が見栄えよくつけられるだろう。
「別に俺がしたいわけじゃない。ミカを飾るから楽しいんだ」
「……控えめにしてね」
「ミカは上品なものの方が似合うからな」
そういうことではないが、好きにさせることにした。一応何度か抵抗を試みているが、ミカの髪を結うくらいで機嫌がよくなるならそうさせた方がいいだろう。ミカも選ぶ手間が省ける。
アックスは本当にミカの髪を結った。所詮素人なのでそれほど複雑な編み方ではないが、編み込みをされた。器用だ。ミカは絶対にできない。
「すごいねぇ、アックス」
執念が。よく似合っている、と言うアックスこそ、タイトな正装が似合っている。
「アックスもかっこいいよ」
「……お前がそういうことを言うとは思わなかった」
「客観的に見てアックスはかっこいい方だと思うよ」
「……そうか」
照れた。その姿がかっこいいと言うか、色っぽくて理不尽。ミカに色気などない。
アックスの手が頬に触れてするりと撫でてきた。今までされたことのない触り方に、ミカの背中がぞわりとした。
「ちょっと。変な触り方しないでよ」
「……すまない。今度、お前の着るドレスも選ばせてくれ」
「フルコーディネートってこと? 僕は考えなくていいから助かるけど、何が楽しいの……」
恰好など、見苦しくなければいいのでは。
「お前を飾るから楽しいんだ」
「……さっきも聞いた」
ミカは気恥ずかしくなって軽く身をゆすった。とりあえずそれはまた今度。今は晩餐会に行かなければならない。いくら気が進まなくても。
「ん」
アックスに差し出された手を取る。結婚したばかりのころは、エスコートするにもひと悶着あったものだが、もう慣れたものだ。
晩餐が始まると、軽く自己紹介となった。
「セレスティナの妹で、エミリアナと申します。こちらは友人のソラナです。しばらくお世話になります」
エミリアナが簡単に紹介する。先に身の上などは聞かされているので、それだけの紹介でも十分だ。こちらはセレスティナが代表してくれた。
「国王のヴィルヘルム陛下よ。その弟でアクセリスと、その妻のミカエラ。二人はエミとソラナと年も近いわね。よろしくね」
愛想よくセレスティナが言った。たぶん、これくらいできなければならないのだろうが、ほとんど知らない相手と愛想よく、というのはミカにもアックスにも結構難しい。
「一応、この国の紹介したいところはピックアップしてあるけれど、二人は何を見たい、とかあるかしら」
ちなみに、セレスティナの言うピックアップをしたのはミカたちだ。すべて彼女がしたわけではないが、遊学なので勉学的なこともした方がいいのだろう、ということでカリキュラムを組んだ。そのあたりは、ミカの専門ではないのだが。それを聞いたアックスが、軍の訓練のカリキュラムを作れないか、と頼んできたりもしたが、今のところ断っている。
「そうですわね。服を作る過程などを見てみたいですわ。サンルカルとは何か違いがあるのかしら。それと、美術品にも興味がありますわ」
エミリアナの言葉を受け、セレスティナがミカを見た。食事の手を止めて答える。
「美術館、博物館についてはカリキュラムに含まれておりますので、縫製工場を押さえておきます。ほかにもご要望がありましたら」
「勉学とは違うけれど、地方にも行ってみたいわ」
これも想定済みだ。遊学期間中にエストホルムに行く予定になっている。ほかにも、王家の直轄地をいくつか回る予定だ。
「ソラナは、何か興味のあることはあるかしら」
「え、ええ……そうですね……」
ソラナが困ったように口ごもる。エミリアナが「ソラナは教育環境や議会体制が気になるって言ったじゃない」と言う。確かにそれは言いづらいし、見せられない部分が多い。
「ミカ、大学くらいならなんとかならないか?」
「調整してみましょうか」
孤児院や病院などは見学の範囲に入っていたが、学校は入っていなかった気がする。だが、不可能ではない。と、思う。
「あ、あの、リュードバリ公爵夫人!」
「あ、はい」
あまりそちらの称号で呼ばれないので戸惑ってしまったが、ミカのことだ。ソラナがまっすぐにミカを見て言った。
「あなたの仕事を見てみたいです!」
「……はい?」
思いっきり怪訝な声を上げたミカは、悪くないと思う。
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