15.嫌がらせ
もともと、ミカは『間に合うように』と言っていた。間に合ってしまった。間に合わなくてよかったのに。
何に間に合ったかと言うと、王妃セレスティナの妹の来訪に間に合ったのである。しかも、余裕がある状態で間に合った。ミカは兄に呼び出されて、出迎えの最終確認中だ。一応遊学という名目で、セレスティナの妹はやってくる。なので、そう言った場所への訪問もしなければならない。
アックスもアックスで、警備の強化が必要なために計画を練り直さなければならない。尤も、これはどこを訪ねるかで変わってくるものではあるが。なので、また最終警備計画案は出せていない……。
「閣下。すみません……」
「またか……」
さすがのアックスも眉をひそめた。ここ最近、アックスの……というより、リュードバリ公爵家の王都の屋敷に、たびたび嫌がらせがあるのだ。生ごみを投げ込まれる、ミカ宛に虫が大量に入った箱が届く、塀に落書きをされる……などだ。子供のような小さないたずらから、どう考えてもやりすぎなものまで、これまで十数回。ミカ宛に虫入りプレゼントが届いたことや、塀の落書きの内容からして今回はミカが狙いらしい。
そのミカ本人であるが、彼女はこの手の嫌がらせを気にするタイプではない。罵詈雑言や人格を否定されるようなことは、「心が疲弊する」らしいが、それ以外の嫌味や嫌がらせに関してはほとんど気にしていないようにみえる。だが、さすがに今回のこれは「うっとうしい」と言って昨日保護魔法をかけたばかりなのだが。
「普通に、封書で届きました……」
「それは避けようがないな……」
いかにミカの魔法が優秀であろうと、通常の方法で届いたのなら避けることはできなかっただろう。ミカ宛であるが、アックスはその場で封を切った。怪文書が入っていた。
「『お前の悪事はすべて知っている。逃げられると思うな』か……」
「奥様がそんなことをなさるとは思えませんが」
眉を顰める家令に、アックスも「そうだな」とうなずく。貴族受けは悪いが、使用人にはおおむね慕われているミカである。ちょっと変人が入っているが、無茶は言わないし、優しい。大胆すぎる面もあるが、誰かに嫌がらせをしたりとか、悪事に加担したりなどとは無縁であるはずだ。
ちなみに、アックスはミカより先に帰宅していたのだが、しばらくしてミカも帰ってきた。今日は、友人のウリカのところに行っていたらしい。
「ミカ。開けてしまった。すまん」
「ああ、別にいいよ。私信じゃないし」
中の怪文書を眺めて、さすがのミカも顔をしかめた。
「うーん。いろんな方法でくるね」
「さすがに郵便を止めるわけにはいかないからな……」
「そうだよね」
ここはリュードバリ公爵邸だ。王弟と、王の秘書官が暮らしている。手紙や書類が毎日のように届くのだ。
「アックス」
その夜だが、ベッドに座り込んだミカがアックスの腕を引いた。しばらく前までは、アックスの過去の事情に考慮して自分から触れてくることはめったになかったミカだが、最近は手をつなぐくらいは平気なのだ、と学んだらしく、腕を引っ張るなどはしてくる。アックスとしても、別にミカなら抱き着かれても平気だと思っている。
「たぶん、屋敷の中に手引きをしているものがいる」
「……やはり、そうか」
アックスもうすうす感じていたことである。一応、雇う使用人などは選別しているが、それでも内通者などを完全に排除することはできない。やろうと思えば、ミカの能力で排除可能であるが、そこまで踏み込んではミカの負担になるし、使用人たちを疑心暗鬼にさせる原因になりかねない。
「おや、気づいてたの」
「お前がいなくなっただけで、寝所に女が忍び込んでくるんだぞ。全員味方だと思う方がおかしい」
「なるほど。その通りだね」
アックスの判断の仕方に、ミカは笑った。どうしても排除しきれないことは、アックスだってわかっている。だが、公爵の寝所に女を案内するくらいならともかく、今回は悪質だ。
「……実被害が出ている」
「おや、君の寝所に女が送られてくることは実被害ではないんだ?」
狙われているのはミカなのに、彼女は面白そうにそんなことを言ってくる。少しムッとして、アックスは言った。
「そうではないが、ミカを意図的に傷つけようと言う悪意があると言っているんだ。それが気に食わない」
憮然として言うと、ミカは苦笑を浮かべたまま小首をかしげた。そのしぐさが可愛い。
「君、案外僕のことが好きだね」
「当たり前だろう」
「はいはい。初めてできた友達だもんね」
受け流す様子が、自分より大人びて見えて面白くない。まあ、一年の差なんて、誤差の範囲だけど。
この想いが、とっくに友情の範囲を超えていると言うことを、本人だけが気づいていない。
「アックス、お前、ミカエラが嫌がらせを受けているそうだな」
兄にそんなことを言われ、アックスは思わず眉をひそめた。
「そうですが……そんな話、いったい誰から」
そう尋ねると、ヴィルヘルムは笑って「情報収集は得意なんだ」と答えた。答えになっていない。
「必要なら教えるが、そこではなくて。実は、セレスも嫌がらせを受けているようなんだ」
「義姉上が? 根性ありますね」
セレスティナは王妃だ。そんな相手に嫌がらせなど、なかなか根性がある。できれば別方面に発揮してほしいが。
「そう。なので、ミカエラがやっているのではないかという噂が広まりつつある」
「……」
王妃に嫌がらせをするなら、そこそこの身分の人。そう、例えば義理の弟の妻、ミカとか。身分的に考えれば、想像できなくはない事態だ。
「もちろん、俺もセレスも、ミカエラがそんな姑息な手段を使うとは思っていない。だが、噂が広まっているのは事実だ。気をつけろよ」
「……はい」
貴族社会でのミカの評判は悪い。彼女が女の社交の場になじめないからだ。女性ながらに爵位を持っていると言うことも、彼女に不利に働いている。しかし、だからこそ、余計に嫌がらせなどの手段に出るはずがないのだが、こういう噂が広まるのは女性からだ。いや、これはさすがに偏見か。だが、女性間の噂の広まる速さは伝令より早いと思う。
兄王の前を辞し、宮殿の回廊を歩いていると、再び声をかけられた。今度は壮年の男性だった。
「リュードバリ公爵閣下」
「……アレリード伯爵。お久しぶりです」
濃いグレーの髪、青紫の瞳の、昔は美男子だったのだろうと思われるその男性はミカの父アレリード伯爵オリヴェルだった。アックスは、このミカの父が苦手だ。
「お久しぶりです。娘は元気にしておりますか。務めをはたしているでしょうか」
にこやかに尋ねられ、「ええ、まあ」とうなずく。ミカなら今、セレスティナのところだ。王妃に呼ばれるなんて珍しい、行くのも珍しい、と思ったら、嫌がらせに対する対応策を話し合っているのだ。
「それなら、よいのですが……実は娘に対するよくない噂を耳にしまして」
「……」
王妃に嫌がらせを、というやつか。この父は、娘がそんなことをすると思っているのだろうか。だとしたらその目は節穴である。
「まあ、まさか娘がそんなことをするとは思っていませんが……」
と言いつつ、アレリード伯爵は疑わし気な表情だ。確信が得られないのだろうな、と思う。当然だ。彼はその程度にしかミカと接していない。
「もし、離縁を考えていらっしゃるようなら、娘は修道院の方に……」
「出戻りも許さないのか」
ぽつりと小さな声のつぶやきは聞き取れなかったようで、アレリード伯爵は「はあ」とあいまいな反応だ。まあ、別にいい。彼は、自分の評判に傷がつくのが嫌なのだ。だから、普段から評判のよくないミカに接触しない。
「あれは、ミカではありません。離縁など考えたこともないので、ご安心を」
では、と急ぎその場を離れる。アレリード伯爵はついに娘の名を一度も呼ばなかった。
なんだか無性に、ミカの顔を見たくなった。
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