13.乗り込む
どうも、兄がミカにアックスを連れて帰るように、という手紙を出したらしい。なんだか弟であるアックスよりも、ミカの方が信頼されている気がする。まあ確かに、兄から手紙が来たところで、アックスは一人では戻らないだろうから、兄の判断は正しい。
そのミカからは何も言われなかったが、どうもそろそろ解決しそうな気がする。少なくともミカはそれくらい優秀だ。
王都の屋敷もそうだが、一年の半分以上を過ごすこのエストホルムの城にも、ミカの庭園がある。朝と日暮れに、彼女はその庭園からの薬草の採取も欠かさない。魔法薬を作る才能は、本人曰くそれほどないらしいが、少なくとも彼女の作る傷薬はよく効いた。
「私が解読できたところによると、この魔術は精神汚染の中でも支配系の魔術に近いね。つまり、人を操れるってことだけど」
「そんなものが広まっているのか……」
「少し調査の範囲を広げてみたけれど、エストホルム周辺の領地に多少流出しているね。王都にまでは達していない。だから、この周辺に目的が存在すると思われる」
ミカの言葉を聞いて、アックスは顔をしかめた。
「俺か……」
「そうだね。軍部を掌握する王弟殿下。陛下に対して反乱を起こそうと言うのなら、君以上に旗頭にふさわしい人はいないよ」
「なら、参謀はお前だな。後方支援を任せる」
「僕は王の顧問官だ。陛下を取るかもしれないよ」
「そうだな」
アックスが絶対に反旗を翻したりしない、とわかっているからこその軽口だ。エンマが心配そうに見ているが、不安になるようなことはない。
「目的はなんにせよ、君を狙っているのだと思うよ、アックス。しかも、王都の時のように攫うのではなく、自分からやってくるのを待っている。ここは君の領地。君が問題解決に乗り出してくる可能性は、かなり高いからね」
「来るのはお前かもしれないぞ、ミカ」
「それでもいいんだよ、きっと。だって、僕はこれでも君の妻だからね。僕が攫われたら、君は助けに来てくれるだろう? 王都でそうだったように」
ただ事実を告げているだけ、というように淡々と言われて微妙な気持ちになりつつ、それは助けに行くだろうな、と思ったのでうなずく。
「ああ。そうだな」
「最終的に、君が来るから経過はどうでもいいんじゃないかな」
と言っても、ここまでミカの予測である。かなり精度が高い気がするけど。
「まあ、時間もないし、拠点に当たりをつけてみた」
「お前、本当に有能だな……」
感心するやら頭の良さにあきれるやらで、アックスは息を吐いた。ミカはふん、と鼻で笑う。
「時間をかければ、アックスにだってできるよ。一応僕だって、伯爵家の跡取りとして教育されていたんだからね」
根に持って相手を攻撃したりはしないが、やられたことはちゃんと覚えているミカである。実の両親の振る舞いを忘れたわけではないらしい。まあ、許すも許さないも、ミカの自由だ。アックスも多分、母を許していない。
「まあ、そのおかげでミカと知り合えたのだから、俺は若干感謝しなくもないな」
「そうだね。僕も、君が了承してくれなければ、今頃どこに嫁いでいたかわからないしね」
しれっとミカもそんなことを言う。ヴィルヘルムが気に入っている彼女だから、その前に待ったが入りそうだが。似たような会話を以前にもした気がする。
「それで、拠点なのだけど」
そうだった。ミカの隣で地図を覗き込む。エストホルムの詳細な地図だった。ミカは本当に持ちうる権力を使いまくっている。いや、アックスの地位を利用しまくっているともいう。やはり、公爵夫人兼女伯爵よりも、王弟兼公爵の方が、どうしても権力を使いやすいらしい。
「水辺の近くにある、というのは絶対条件だと思う」
「ああ……まあ、遺体を運河に流してるわけだもんな……」
血をほぼ完全に抜かれた女性のご遺体、と言ってもそれなりに重さがあるし、何より人間大の大きさの荷物は目立つ。できるだけ、速やかに処理したいはず。軍人として訓練を受けているアックスでも、人一人を運ぶのはなかなかの重労働だ。まあ、アックスが男性にしては小柄だ、というのもあるけど。
「だけど、人口密集地から離れすぎていてもいけない。本を出版しているわけだし、人を連れ込むなら、人が多いところじゃないと怪しまれる」
「それも……そうだな」
納得してアックスがうなずくと、ミカは言った。
「それらを踏まえて、このあたりかな、と思うわけだけど」
ミカが上流の川岸を指さす。適度に森に近く、適度に住宅街に近い。
「……攻めにくいな」
「アックスはそう言うよね。まあ、確かに逃げ道を確保してるんだろうな、とは思った」
ミカは軍人ではないが、兵法書は頭に入っているので、大まかなことは理解しているようだ。アックスとしても、ミカとは会話が楽でいい。
「まあ、外れていたとしても、怪しげな宗教団体の根城だと投書があった、などとごまかせるでしょ。行って見る価値はあると思うのだけど、どうかな」
間違っていても、特に被害がなければそれで押し切るつもりだ。権力は使うためにある、と言ったミカらしい。アックスはうなずいた。
「わかった。捜索に入ってみよう。あまり広くはないな」
「と、思う。せいぜい、アムレアンの屋敷くらいじゃないかな。あまり大人数だと、逆に不利かもね」
「と、言うか、魔術師がいるのなら、どれだけ騎士をそろえても無駄だ、という側面もある」
魔術師は厄介だ。剣士は間合いが狭い。だが、魔術師は遠隔攻撃が可能なのである。攻撃魔法、というものは存在しないのだが、ミカのような魔術師がいれば、いくらでもその能力を軍事に転用できる。そもそも、身体を魔術で拘束されることがあれば騎士はそこで終わりだ。力づくで抜けるやつもいるが、少なくともアックスには無理だ。結婚後は、ミカが代わりに魔術を受けてくれる形代を用意してくれるので、それを利用している。
「では、魔術師を用意した方がいいね」
「わかった。お前はここで続報を待っていてくれ」
早速部隊編成にかかろうとしたら、きょとんとミカが言った。
「僕も行くよ」
何言ってるの、と言わんばかりだ。アックスは目を見開いた。
「駄目だ。ここにいろ」
「いや、むしろ、アックスが待機しているべきだと思う」
「それこそ冗談ではない」
「だろう? だから僕も行くんだよ。自分の身くらい、守れるからね」
ミカは魔術を知る魔女。従軍した経験もあるので、それなりに武術もできる。確かに、自分の身くらい自分で守れるだろう。だが、そういう問題ではない。
「心配だから、待っていてくれと言っているんだが」
「おや、結婚するときの契約を忘れたの? 僕は僕の行きたいところに行くよ。これでも僕は多少の魔術の知識がある。役に立てると思うよ」
「ぐ……っ」
これを出されると弱い。確かに、互いに不干渉、という契約を結んだ。最近、共に行動することが多かったから気にしていなかったが、ただ二人の利害が一致していただけだ。
「わかった。一緒に行こう。だけど、中には入るなよ!」
「従おう」
一応、ミカも付いていく側だと言う認識はあるらしく、同行は譲らなかったが、アックスに従うつもりはあるらしかった。
すぐに部隊を編成し、夕刻、アックスは小さな工場の中にいた。数名の領内警備の兵たちを連れ、アックスはミカがあたりをつけた工場の中を調査していた。雑に片付けられているが、製本していたのだろう、ということはわかった。ミカを連れてくれば一発だったのだが、中に入れるような危険なことはさせたくなかった。なので、彼女は外で待機だ。
誰もいない。そもそも、明かりもついていない。すでに逃げた後か、外れか。様子を見るに、前者の可能性が高い。
「やっと来てくださいましたか、リュードバリ公爵閣下」
急に間近から声が聞こえ、アックスは飛び上がった。飛び退りながら剣を抜く。周囲の兵たちもアックスを守るように身構えた。
「誰だ、お前は」
誰何する。見た目は、アックスより少し年上の男性に見えた。一人きりで、シルクハットをかぶった気障な格好をしている。
「閣下をお待ちしていた者です」
「俺はお前を知らないんだが、なぜ俺を待っていた」
明らかに怪しい男にこんなことを聞くなんて、ミカが呆れるかもしれない。だが、アックスは尋ねた。男は微笑んだまま口を開いた。
「閣下に協力していただきたいことがあるので」
男がアックスに向かって手を伸ばす。ここで、アックスは自分の体が動かないことに気が付いた。拘束魔法だ。干渉力がミカの護符の力を上回っているのだ。さすがに焦った。アックス自身は魔術にそれほど造詣が深くないので、振り払えない。
男の肩越しに飛来するものが見えた。アックスは何とか首を動かし、それを避けた。矢だった。
……ミカだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
前回はアックスが助けに行ったので、今度はミカが行きます。