10.調査続行
突然アックスが現れて驚いたが、タイミングがよいというのも、実はあった。発言にドン引きはしたが、勢いだとわかっていたし、アックスがしょげてしまったので慰める側に回った。ミカもアックスに甘い自覚がある。
「まあ、理由がどうあれ、来てくれてよかったかも。拠点をエストホルムに移そうと思っていて。どうやら、ご遺体はそちらから流れてきているみたいでね」
アックスに許可を貰おうと思っていたのだ。いくらミカがリュードバリ公爵夫人だと言っても、エストホルムの領主はアックスだ。建前だけでも許可を貰わないと、後から何か言われるのはごめんだ。アックスからではなく、他から。
「そのまま流れていけば、またエストホルムに入ると思うんだが」
リュードバリ公爵領エストホルムは広大だ。海から貫いている運河は、エストホルムからアムレアンに流れ込み、再びエストホルムに入る。レーヴ伯爵領は、それほど広くないのだ。主産業も農業というより、花の栽培や加工業である。
冷静さを取り戻したアックスにそう言われ、ミカも「そうだね」とうなずく。
「それもあるから、エストホルムに入りたい。あちらの方が情報の集まりもいいだろうからね」
アムレアンは小さな街だ。そもそも、王がミカに爵位を与える際に、アックスの領地と隣り合うように用意したものであるからだ。レーヴ伯爵位は一代限りの爵位であるために。
「俺の許可がなくとも、好きに出入りして構わない。ミカはリュードバリ公爵夫人だ」
「こういうことをちゃんとしておかないと、後でいろいろ言ってくる奴がいるんだよ」
「お前らしいな」
アックスが苦笑して言った。まあ確かに、ミカの仕事は決まりを守ることにあるので。彼が言ったのは、そういうことではないのかもしれないが。
移動は明日にして、夕食もアックスと取ったが、寝るときにひと悶着あった。王都での一人寝がよほど堪えたのか、一緒に寝ると言い出した。子供か。
「部屋は余ってるよ」
何しろ、この屋敷のベッドは王都やエストホルムのものよりも小さい。いくら華奢な二人と言っても、そもそも二人で寝る仕様になっていない。
「なら、せめて同じ部屋で寝る」
「誰も入ってきたりしないって」
つっこみを入れるが聞かないので、結局一緒に寝ることにした。まあ、いつもより距離が近いだけで、いつもと同じだと思うことにした。少なくともミカは眠れた。
翌日にはエストホルムへ移動する。アックスも一緒だ。思わず、「一緒に来るの」と言ってしまった。仕事は大丈夫なのだろうか。
「大丈夫だ。何かあれば連絡が来る。というか、それはお前もだぞ、ミカ」
「それもそうだね?」
ミカだって、王都で何かあれば、評議会のメンバーの一人として、連絡が入る。アックスと同じだった。
もともと隣り合っている領地だ。無事に移動し、まだなじみのあるエストホルムの城に入った。街に降りるのは明日以降にして、ミカは城にある資料を読むことにした。ざっくりとした地理も頭の中に入れる。アックスもせっかくだから、と領地の仕事を行おうとしているが、例年に比べて不自然なところは見つけられなかったらしい。
「少なくとも、表面上には出てきていない、ということだね」
「……つまり?」
「最近の流行などを調べてみると、何かわかるかもね。物流から見えてくるものもある」
ミカが今まさに自分がしていることを言うと、アックスは感心したように言った。
「やはり、頭がいい人は違うな」
「別に頭の良し悪しは関係ないよ。調べ方を知っていれば、アックスも普通にできるよ」
アックスはことあるごとにミカは頭がいいと言うが、別に普通だ。たぶん、初めて出会ったときにいろいろ教えたのがまだ尾を引いているのだと思う。三つ子の魂百まで、というが、こんなことは引っ張らなくてもよろしい。
エストホルムに到着した次の日には、アックスも連れ立って街に出ることにした。その際に、エンマと少しもめた。
「奥様、ドレスにしましょう」
「嫌だよ、動きにくい」
「動きやすいものをご用意いたします」
たぶん、エンマはアックスが同行するために、ミカに女性の格好をさせたいのだろう。
「エンマ、ミカの好きな格好をさせてやれ。それに、また若い女性が狙われているんだ。危ないだろう」
というアックスの一言で、ミカは今日も男装して出かけることになった。ミカとイェオリはこれまでとさほど変わらない格好だが、アックスが同行者になっている。アックスはその美貌と左右で違う虹彩を隠すために、眼鏡と帽子をかぶっていたので、正直だいぶ怪しい。ミカが目の色を魔法で変えてやることもできるが、そこまでするほどではない、とアックス自身が断った。まあ、顔を隠していて不審に思われても、この美貌で納得してもらえるだろう。たぶん。
「くれぐれもお気をつけて。イェオリ、ちゃんとお守りするのよ」
「わかっている……」
妻に念を押されるイェオリに、ミカとアックスは苦笑したが、彼女らのせいであることはわかっている。ミカ一人ならともかく、護衛対象が二人になっている。
エストホルムのリュードバリ公爵家の城がある街にも、運河は通っている。ここは、アムレアンより上流にあたる場所だ。ミカはすでに情報を入手してきていた。
「エストホルムで、該当すると思われるご遺体が二人分。アムレアンより大きな街で、不審死の数が多いから紛れていたのだろうね」
その辺にご遺体が転がっていても、無視することが多いだろう。治安はいい方だと思うが、ご遺体になどかかわりたくない、と思うのが人間の心理だろう。
「逆に、アムレアンはそれほど大きくない街だから、ご遺体を引き上げたのか……」
「そういうこと。血を抜かれているから、腐敗が遅かったのかもね」
「……ミカ」
アックスは顔をしかめてミカを見た。ミカも目を細めて見つめ返す。
「茶化しているわけではないよ。可能性を指摘しただけ」
「……わかっている」
ではなんでそんなに不満そうなんだ。
「結局、上流にあたるエストホルムの方が犯行現場に近いだろうね。つまり、運河周辺のこのあたり」
「さらに奥の領地から流れてきたと言うことは?」
「可能性としては低いかな。報告書によると、水に流れていた期間は一日程度。長くても二日以上はないそうだよ。水流の速さから考えて、その期間内にアムレアンにたどり着くには、このあたりが一番の候補になる」
「なるほど……」
振る舞いが公爵夫人らしからぬので、さすがのアックスも苦言を呈するが、別に彼はミカを止めたいわけではないのだ。この問題を解決しなければならないし、今、問題は彼の管理する領地に及んでいる。無視はできないのだ。
「アムレアンで身元が判明しなかったのも、エストホルムの住民だったからか……」
アックスが納得したように言った。アムレアンで尋ねまわっても誰も女性の身元を知らなかったのは、そもそも住民ではないからだ。
「こっちでも照会をかけてるから、まあ、一人くらいは身元が分かるんじゃないかな」
そう言った仕事は使用人に割り振っているミカだ。やはり、どう見ても貴族のお忍びにしか見えないアックスやミカが尋ねるより、使用人たちへの方が話してくれることはよくあるのだ。
とはいえ、ミカたちも話を集めて回った。とはいえ、ここでは人口が多い分、アムレアンよりも話を集めるのが難しい。
「困ったね」
「お前でも難航しているからな」
「僕も専門家ではないからね。王妃陛下の妹姫が来る前には片付けたいんだけど」
ミカがそういうと、アックスは顔をしかめた。
「戻らなくて、いい」
「そうもいかないでしょ。特にアックスはね」
何しろ兄の嫁の妹が訪ねてくるのだ。この話はずいぶん前から決まっていて、今更避けることはできない。たとえこの作業が途中でも、切り上げて王都に向かわなければならないだろう。アックスは。
「僕は積極的に御呼ばれしているわけではないから、君だけで戻っていいんだよ」
「よし、何とか解決しよう」
「え、単純……」
イェオリが思わず、というようにつぶやいた。同じつぶやきを、屋敷でも聞いた気がする。
「やる気になったのならよいことだ。……と、なんだか騒がしいね」
「見てまいります」
船着き場の方に人が集まっていた。イェオリがミカとアックスに「待っていてください」と言ってその人ごみに向かっていく。二人だけがその場に残された。
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