後編
告白騒ぎの朝からあれよあれよと時間は進み、現在お昼の真っ盛り。
神代は更輪と見事打ち解け、お昼に誘うことに成功していた。
「うわー美味しそうー! 神代さんが作ったのー?」
「いえ、母親に作ってもらいましたの、料理上手で自慢の親ですわ。そういう更輪さんこそ美味しそうなお弁当ですわね? もしや手作りで?」
「そう? えっへへー、その通り! 実は手作りなんだー!」
わいわい騒がしい教室の片隅にて、食事を勧めながら談笑する二人。
タイプは違えど共に優れた容姿を持つ二人の集まりは、まるで動物園の一部に花畑があるかのよう。
(本当に美味しそうですわね。いいなー、勿論お母さんのも美味しいんですけど、パターンが少ないから唐揚げが出てこないですのよねー)
……まあそのうち一匹の内心は、本物の動物園に等しい卑しさではあるが。
「……その唐揚げ美味しそうですわね。良ければわたくしのコロッケと交換しません?」
「いいよー。はいどうぞっ!」
目の前のご馳走に我慢できなかったのか、申し訳程度の淑女雰囲気で提案してみれば、更輪はぱあっと笑顔で唐揚げを一つ置いてくれる。
「もぐっ、もぐっ。とっても美味ですわ!」
(何て良い娘なんでしょう! 実は天使だったりしませんよね?)
神代は人生初めてのおかず交換に感極まりながら、頂いた唐揚げに舌鼓を打つ。
レンジの使えない学生のお弁当。なのに旨さは炊きたてご飯を食べたときのよう。
実際そんなことはないのだが、テンションの上がりまくった黒髪いやしんぼには関係ない。そもそも神代は口下手ながら感情は口で表わしたい女、美味しい物には美味しいと言わなきゃ気が済まない質なのだ。
そういうわけでにっこにこでぱくぱくしている神代だが、向いに座る更輪の笑顔は少し陰りを含んだものだった。
「あ、あの……放課後のことなんだけど……」
「んー? ごくっ、放課後……ああ、恋愛決闘のことですの?」
「う、うん。本当に大丈夫? 今からでも私──」
更輪の言葉が最後まで続くことはなかった。
箸を置いて沈んだ声で何かを言いかける前に、神代は指で彼女を制止させたのだ。
「大丈夫、大丈夫です。心配も謝罪も不要、全てはわたくしの独断ですもの」
「で、でもやっぱりやりすぎだよぉ……。もし負けちゃったら──」
「信頼してくださいな。これでもわたくし、少しはやる女ですのよ?」
それは当たり前のことのように、けれど少しの自信が乗せられた言葉。
神代には強さなどどうでもいいこと。だが今は目の前の少女を安心させたい、その気持ちをなるべく直接表現したのだ。
「さ、昼食を続けましょう。次はその卵焼きを……」
「ふふっ、わかった。じゃあ神代さんの卵焼きと交換ね?」
少しの間の後、更輪の納得とともにランチタイムが再開される。
結局この後、おかずを五つくらい交換し合うくらい雰囲気の良い二人だった。
時間は放課後、場所は体育館。
本来運動部が使用しているはずのこの場所が、今日は尋常ならざる活気に満ち溢れていた。
「はいみんな並んだ並んだー!! 公開戦だけれどマナーは遵守!! くれぐれも他の人を押しのけないようにー!!」
「“黒の女帝”と田中の決闘!! 百勝目に挑む新鋭最強の黒に対するは今朝振られた事以外碌に情報のない無色透明地味男!!」
「降参気絶以外に決着の付かない尊厳決闘!! どちらかは星を掴みもう一方は地を舐める、待ったなしの大一番!! 多分もうすぐ始まるよー!!」
中央に大円を空け、他はいっぱいの人が埋め尽くす。
普通に集まる者達がほとんど。
だが二階の通路から見下ろす者、放送室から全力で覗いて声を上げる者、どこからか持ってきた豪華な椅子を壇上に置いて座る者もいる。
騒ぎ方はそれぞれ異なるが、皆に共通していることが一つ。それは誰もが今か今かと待ちわびているのはとある二人の少年少女だということ。
この祭りの中心地にして、何人も侵すことなく保つ大円に踏み入る資格のある主役達。それをこの場の人間達は、今か今かと待ちわびているのだ。
──そしてついに、お待ちかねの一人目が闘技場へと訪れる。
「田中ー、勝てよー! スーパージャイアントキリングだぜー!」
「頼むぞ田中ー! お前の勝ちに食券十枚賭けてんだからなー!」
「どの面さげて来てんだこの陰険ゴミ屑野郎っ!! 振られておいて恥ずかしくないのかー!!」
一部聞くに堪えない罵詈雑言も飛び交っている気がするが、田中はそんなのを意に介すことなく中心まで歩いていく。
……いや、意に介していないというには語弊がある。
正しくは過剰な緊張に田中の容量が耐えきれず、ほとんどの情報を処理し切れていないってだけの話だ。
「…………」
無言で立ち尽くす田中。
その姿を目に映す人々は、彼がまるで歴戦の戦士が如く、巌流島にて宮本武蔵を待つ佐々木小次郎のように。
本人的にはもうそれしか出来ないくらいがっちがちなのだが、周りはその姿を飾らない自信のありようだと都合のいいように解釈する。
少しずつ、徐々に出歯あるが、彼に対する空気が変わりはじめる。
もしかしたら、この名も知らぬ少年は奇跡を起こすかもしれない。入学から三ヶ月、未だ無敗のあの黒髪の美少女に土を付けるかもしれない。
何せ彼は未知数。恋愛決闘についての情報は僅か一欠片たりとも存在せず、実力も定かではない謎の人物なのだから。
さて。そんな会場が更に盛り上がろうとしている中、もう一人の女はなにをしているのかというと──。
「だ、大丈夫? 何か予想以上に人が多いんだけど……!」
「平気ですわ。むしろ貴女が大丈夫ですの?」
桃色髪の少女とこそこそと、何故か誰もいない体育館裏で会話していた。
「しかしこの盛り上がりよう。さてはあの新聞部の方々、随分面白おかしく宣伝したのでしょうね」
全校集会でもあるのかと言わんばかりの人の数に、煩わしさよりも感心を抱く神代。
いくら公開戦を宣言したとはいえ所詮学校。これほどの規模で見守られる恋愛決闘などそうはなく、事実神代も経験したことがなかった。
「さ、そろそろ行きますわ。これ以上待たせては運動部の方に申し訳ないですもの」
「え、ちょっと待って!」
感傷もほどほどに、さっさと体育館に入ろうとした神代の手を掴み止める更輪。
何事かと足を止めて振り返れば、そこには泣きそうなほど不安な顔をした少女が一人いた。
「どういたしましたの? お腹でも痛くて?」
「ち、違うよ! だって心配だもん! だってもし、もしも神代さんに何かあったら──」
更輪自分がバトるわけもないのに、過呼吸にでもなりそうなくらい焦燥で引き止める。
だがその不安を言い切る前に、神代の細い指が彼女の口を制止させる。
「今日で三度目。それほどまでの心配性、本当に愛い娘ですわね」
「……だって私のせいだし。からかわないでよ」
「ふふっ、残念ながら大真面目。わたくし、愛と可愛い娘には誠実でありたいですもの」
更輪の頭を撫でながら、神代は小さな子供を安心させるかのように優しく言葉を紡ぐ。
普通の男がやれば即刻セクハラと言われそうな暴挙だが、ここにいるのは神代愛受。普通を優に越える美少女がやれば、それは尊き友情の一場面に違いない。
「大丈夫。お昼も言いましたが、わたくしこれでも少しは出来る女ですの」
「…………」
「それでも心配というならそうですわね……。では一つ、わたくしから提案をいたしましょう」
突然の提案にきょとん目を丸くする少女に、神代は少し口を緩ませる。
「この決闘、貴女に必ず勝利を捧げます。ですので一つだけ、帰ってきた時にお願いを聞いてほしいんですの」
「……お願い?」
「はい。まあしょうもないことですので、戻ってくるまでどんな内容なのか考えてお待ちくださいな」
更輪の元から離れ、手を振りながら体育館へと進んでいく。
その場に残された桃色髪の少女は、少しの間呆けてから、去りゆく友人の背へ「頑張れー!」を叫んで見送った。
体育館の中心──人で囲まれた闘技場に田中が来てから五分。
観客も来ない一人へ不満を抱え始めた頃、その少女は決戦の地に舞い降りた。
空けられた中央への道を、かつかつと、ヒールでもないのに足音を響かせる一人の少女。
濡烏の長髪を靡かせながら、歪みのない姿勢。
それは多くの者から言葉を奪い、数多の視線を釘付けにする。さながら舞台の華たる最上の星の闊歩。
絶対なる少女の前に立ち塞がるものはなく。
ほとんどの者が見惚れる中、ついに人の群をくぐり抜け、田中の待つ空白に辿り着く。
「お待たせしました。少しばかり所用でしたの」
「……大丈夫です。僕にとってもいい時間になりましたから」
鈴が鳴るような神代が気安い美声。
その声で電源が付いたかのように、閉じた目をゆっくりと開けながら田中はそう返した。
「一つ、聞いても良いですか?」
「……何ですか?」
「わたくしと更輪さん。結局のところ、貴方はどちらが好きなのです?」
神代は淡々と、教師に出された問題に答えるよう質問を投げかける。
「貴方はなぜこの決闘を受け入れたのか、それがずっと疑問だったのです。もし本当にあの娘が好きなのであれば、わたくしの戯れ言なぞ取るに足らぬと切り捨てても良かったはずです」
「ですが貴方は受け入れた。それ故に迷うのです。──田中さん、貴方は誰に告白したいのですか?」
真っ直ぐに、逸らすことなく田中を射貫く神代の視線。
それは答えぬことなど許さないと、そうするならば今にも射殺してしまわんとばかりの鋭さ。
当然足は震え上がり、股を濡らしそうなくらいびびる田中。
だがそれでも迫力に負けまいと、恐怖を殺しきれぬも抗いながら口を開く。
「……それはもちろん更輪さんだよ。今回は売り言葉に買い言葉、弾みでなってしまっただけの決闘だからね」
「…………そうですか」
声を小さく震えさせながらも、なるべく平然を装った軽口と笑顔で田中は答える。
それを聞いた神代は一言呟くと、小さく息を漏らすのみ。
「では始めましょう。先手はそちら、どうぞ遠慮なく」
──刹那、彼らを取り巻く空気が切り替わる。
興奮を孕んだ緊張から、緊張を含む静寂に。
決闘の始まりを、男と女が本気でぶつかり合うの開始を、この場の誰もが感じ取る。
だが、神代は動かない。
構えを取ることもなく、そこで佇むのが自然であるとばかりに立つのみ。
田中は腕を上げ、大きく構えを取りながら、それと同時に思考を走らせる。
何故彼女は構えないのか。どうしてこちらを警戒しないのか。──何故そんなにも、決闘最中に余裕を見せていられるのだろうか。
一秒、十秒、十数秒。
疑問は警戒へ、警戒は恐怖へ、恐怖は疲労へと変わり、そして疲労は油断を生む。
端から見れば何もせず、ただ見合って動かないだけ。だが一度でも決闘に縁あるものであれば、その間の重さは十二分に認識できるものだ。
──先に踏み込んだのは、痺れを切らした田中の方であった。
「う、うおおおおっーーー!!」
緊張に耐えられなくなったのか、田中は咆哮を上げ、神代目掛けて走り出す。
それでもなお微動だにせず、森の中の木のようにそこに訓練する女帝。
型も何もなく。拳を握り、勢いに身を任せ、田中は全力で彼女に振りかぶり、彼女の顔へと突き刺さる。
(当たった!!)
音は響かず、されど確かに腕に伝わる手応え。
見ている観客も騒然となる。
何せあの神代愛受の、黒の女帝の顔に拳がヒットしたのだから。
女の顔を狙うのは男としてあるまじきことだが、これはあくまで恋愛決闘。合意ありき闘争に性は関係なく、勝者のみが正義な弱肉強食のぶつかり合い。
だからこそ、この場の多くは想像してしまう。
拳を受けた少女がこのまま倒れ伏すのを。無敗の女帝が敗北してしまう、その瞬間を。
──そう、ほとんどの者は。
「──温い」
顔面軽蔑を、失望を、そして田中への侮蔑を。
右頬に拳を喰らいながら、一歩たりとも後ずさることなく彼女は漏らす。
本能からの恐怖か、すぐに後ろに飛び退く田中。
疑問と驚愕よりも早く、田中はようやく違和感に気付いてしまう。
痛い。殴ったはずの俺の腕にじんじんと痛み、殴られたはずの神代が微動だにしていない。
まるで物言わぬ壁を殴ったかのよう。或いは強く重く聳える、雄大な山に挑んだかのようだと田中はそう感じてしまった。
「わたくしは自分への告白以外で拳を受けたくないのですが、告白を邪魔した誠意として一撃だけは避けませんでした。しかし、今のはなんと愚かで情けない拳ですこと」
「な、なにを──」
「好きなら好きと言えば良いのに。それがどれほど濁っていようと、欲しいなら欲しいと偽らなければいいのに。貴方の欲望は空ろ、致命的且つ決定的に芯がない張りぼてですわ」
神代は殴られた頬を軽く撫で、目の前の男に見据えながら話言葉を紡いでいく。
「芯がない……だって? なんだよそりゃ、何を根拠に──」
「拳は嘘はつかないもの。わたくし、そこだけは疑いませんもの」
毅然とした態度で告げられる言葉に、田中は無意識に後ろへ下がってしまう。
果たしてそれが事実なのか、それとも神代の大ボラなのか。それは見ている者達にはわからない。
だが田中は退いてしまった。恐れか動揺かは定かではないが、それでも相手を前に後ずさってしまったことには変わりはない。
その様子を目に収めた神代は、最早隠すことなく呆れを示す。
「さて、幕引きとしましょう。これ以上無駄な時間を過ごしては、この場を貸して下さる運動部の方々に申し訳がないですわ」
「……な、舐めやがって。くそがァーー!!」
ゆっくりと、されど滑らかに姿勢を変える神代に、田中は吠えながら駆け出そうとした。
──だが刹那、田中が一歩目を踏み出すよりも速く、彼女の姿はぶれて形を失った。
「な──」
瞬きよりも迅く、田中の認識と驚愕をも凌駕する速度の接近。
振り抜かれた長く白い美脚は、例えるならしなやかで強靱な鞭か鎌。
美しき凶器は感じる間もなく、その目に捉える猶予すら与えず、田中の顔面へと直撃したのだ。
「──ふう」
田中は弾かれたように体を浮かせ、座る観客達の頭上を通り、積み上げられたマットへと激突する。
中央に残された神代は足を下げ、頭を揺らし髪の位置を整えながら、マットに埋もれた決闘相手を見据える。
「次は本音を隠さず来なさいな。そうであればわたくし、いつでもお応えいたしますわ」
聞こえているかもわからない言葉を残し、神代は背を向け扉へと歩を進める。
あまりにも一瞬の決着。素人には見切れぬ一撃での撃沈。
結局観客達が結果に騒ぎ始めたのは神代がこの場を立ち去った後。一人の男が全てを賭けて挑んだ戦いは、盛大さに似合わぬほど呆気なく終わりを迎えたのだ。
壁一枚隔てた先で盛り上がる中、その中に入れぬ一人の少女。
心配そうに佇む桃色髪の少女に、戦いを終えた黒髪の少女は気軽に近づいて声を掛けた。
「か、神代さん!! だ、大丈夫だった!?」
「ええ。さしたる怪我もなく、完膚なきまでお断りしてきましたわ」
神代は両手を広げ、どこも怪我していないののをアピールしながら微笑む。
一応一発は殴られたのだが、そんなことはもう記憶の彼方。
別に負傷はなかったが、それでも来るまでにハンケチで拭き、身だしなみを整えなかったことにしていた。
「よかった、よかったよぉ……」
「あらあら。まったく仕方ない方ですの」
そんな神代へ飛びつくように抱きつき、子供のように泣き始める更輪。
泣き続ける少女に神代は微笑を浮かべながら、彼女が落ち着くまで背中を撫で続けた。
「……ずびっ、ご、ごめんね゛?」
「構いません。それよりこちらをどうぞ、折角のお顔が台無しですわ」
「う゛、う゛ん……。ありがど……」
しばらく経って泣き止んだ後、更輪は受け取ったハンケチで顔を拭いていく。
途中ずびーっと鼻を啜る音がした気がするが、神代は淑女らしく聞かなかったことにした。
「ふふっ、ようやくお話できますわね」
「お話ぃ?」
「ええ。先ほど伝えたでしょう? 凱旋の暁には、わたくしの願いを一つ聞いて欲しいと」
首をこてんと横に傾ける更輪に、神代はこほんと調子を整え直す。
会ってからまだ一日だが、常に言葉を詰まらせなかった神代の中で初めての逡巡に、更輪も少し緊張してしまう。
「じゃあ言いますわよ?」
「うん、なんでもいいよ!」
「……わ、わたくしのことを神代ではなく愛受と、下の名前で呼んで欲しいんですの!」
顔を真っ赤にして、今にも目を逸らしそうなほど恥ずかしそうに言いきる神代。
それを聞いた更輪は、ほんの一瞬だけ固まった後、今日一番楽しそうな笑いを見せた。
「な、なにがおかしいんですの? わたくし、もしかして恥ずかしいことでも言ってしまったかしら……」
「ご、ごめんね! だってそんな真面目な顔で言うから、ちょっとだけ驚いちゃったんだもん!」
更輪はえへへと華やかな笑みを浮かべて謝りながら、ゆっくりと手を伸ばす。
「うん、わかったよ! じゃあ私のことも下で呼んでね、あーちゃん!」
「!!! ええ、ええっ!! もちろんですわ! 玲唯さん!」
沈んだ声色を急激に上げ、歓喜を露わにする神代。
華やぐ笑顔で彼女を手を取り、がっしりと握手を交わして問いに答えを返した。
「じゃあ行きましょう! 今日はわたくしと貴女のフレンドアニバーサリー! 前々から行ってみたかったスイーツ店がございますの!」
「え、でもお金が……」
「そんなのわたくしが出しますわ! さあ玲唯さん。レッツラゴー、ですわ!!」
慌て戸惑う更輪の手を引きながら、二人は少しずつ歩みを進めていく。
これが二人の友情の、そして波乱の始まりである一日である。
男、裏組織、宇宙人など、もりもりエトセトラ。これから彼女たちは様々な因果や事件に巻き込まれ、いずれ世界の命運を賭けた恋愛決闘に参加したりするのだが、それはまた別の話である。




