前編
ほーほけきょと、思わず小鳥も囀る朝八時。
何とも心地好い風が吹くモーニングタイムの道中を騒がす人影が存在した。
艶やかな黒髪を靡かせ、真っ白な食パンを咥えながら、必死の形相で足を動かし続ける少女。
優雅に歩いているだけで、通りがかる人のほとんどが振り向いてしまうほどの美しき容姿。だが、今の彼女にはそんなお清楚な取り繕いを出来る状況ではない。
少女には走らねばならぬ理由があった。足を止めてはならぬ理由があった。
多くの人が笑うであろう、けれど彼女にとっては何よりも重要な現実。それは──。
(いっけなーい、遅刻遅刻☆)
──単なる遅刻への危機感であった。
だが、ただの遅刻だと思って甘く見てはいけない。
なんと彼女、これが間に合わねば今期十度目の遅刻。つまりはクソほど面倒なお説教目前の、外見詐欺の不良女。常習犯なのである。
もちろん、彼女にも悪気があって遅刻をしてしまうわけではない。
確かに徹夜明けのゲームで遅刻したことが三回ほどはあれど、それ以外はやむを得ぬ事情だったり人助けが長引いたりした結果だったりもする。
だが、そんな言い訳は彼女の中では納得できないこと。だから少女は格好付け、そういった考慮されるべき理由を一言たりとも口に出さないのだ。
ということで教師共は普通に判断を下し、遅刻の罰印は積っていくばかり。
これ以上はまずいのは自分でも分かっている。
まだ学校が始まってから一ヶ月。いくら行動が不良でも、性根が腐っているわけではない彼女は焦っているのである。
(よーしここを曲がれば最早目前! 後は歩きながら整えれば問題なしですわー☆)
時計の針が最終警告時間にすら至っていないのを確認しながら、最後の曲がり角を曲がろうとした──。
「──っ!!!」
刹那、少女は気付く。角の先にいる誰かの存在に。
判断は一瞬。口に咥えるパンを空へと飛ばし、勢いのまま角を飛び出した。
「──好きです!! お覚悟ぉっ!!!」
唐突な告白と同時に彼女の顔──顎目掛けて迫り来る拳。
爽やかな朝に突然と降りかかる暴力の風。だが風と例えるのなら、彼女にとってはそよ風に過ぎないものでしかなかった。
まるでわかっていたかのように僅かに顔を逸らして拳を躱しきる。
あるはずの衝撃がないことに驚きを見せようとする相手。だが少女はそんな隙すら与えぬまま腕を掴み、そのままの勢いで地面へと叩き付ける。
「く、くそっ……」
「お生憎様。わたくし、そんな拳は受けれませんわ」
少女は落ちてくるパンを片手でキャッチしながら、倒れる相手に微笑みかける。
読んでいる側からすれば、実に野蛮な犯罪行為であろう。
けれどこの世界でこれは普通。特に指差されることのない、割と当たり前な光景なのだ。
「告白とはもっと素直に。私、その方が好みですのに」
「し、仕方なかったんだ……!! こうでもしなきゃ君は僕のことなんて……ううぅっ」
パンを食しながら訳を聞く少女に、朝っぱらの往来にも拘わらず泣き始める男。
その醜態はなんと醜さを通り越し、なんと哀れなことか。
見よ、その証拠に通る人全て──老若男女関係なく、通りがかるあらゆる人が目を逸らしているくらい見るに堪えないものではないか。
さなら見世物パンダ。友人が見れば友を止め、他人が見ればSNSにでも拡散されそうな痴態。
だが少女は見捨てない。優雅にパンをはむはむしながら、男にそっと手を差し出す。
「ですが中々に良い拳。貴方には不意打ちなど似合いません。だから立ちなさい」
「な、なにをぉ……」
「遅刻まで時間はあります。この私──神代愛受への告白を、こんなしこりの残った形で終わらせて言い訳がありませんわ」
神代は倒れる彼の手を引っ張りあげて強引に立たせ、男の曲がったネクタイを整え直す。
満足いく形に仕上がれば、懐からハンケチを取り出し、彼に差し出しながら微笑みを浮かべた。
「しゃんとして。五分あげます。身支度を整え、そこの公園で仕切り直しです」
「……いいん、ですか?」
「ええ、ええ! 愛には全力で。それがわたくしの流儀ですもの!」
学校の反対側を指差した神代は、黒髪を靡かせながらその方向へと歩き出す。
「あ、ありがとうございます! 次は全力で告白します!」
「──来なさい。今度はきちんと受け止めてあげますわ」
少年の大声を背に、神代は進み続ける。
これが神代愛受の日常。この世界における愛の告白──恋愛決闘なのだから。
授業前。それはそれぞれが次の授業の準備をし、短い休息を楽しむ生徒達の癒やしの一つ。
恋バナに花を咲かせ、昨日のテレビを肴にし、中には勉学に精を出す者。
まさに多種多様。教室というキャンパスに、様々な彩りを与える束の間の自由時間。
──そんな小さな箱庭の中に一人、眼を奪われるほどの美少女がいた。
「神代さん、今日も凜としてるねー」
「きっとこの世の平和について憂いているのよ。遅刻だって世の人々に手を差し伸べているに決まっているわ! 嗚呼、ほんとうに思慮深いお方!」
ある者は彼女を見て彼女が聖女のようだと噂して。
「俺告ってみようかなー」
「バカ言え、身の程をわきまえろよ。お前じゃ一瞬で撃沈だぜ」
またある者はその美貌に、獣のような憧れと欲望を向けながら。
「入学して三ヶ月。今朝も断ったらしくて、九十九撃沈らしいよ」
「まじ? やばくね? 先週の王子のとき九十くらいじゃなかったっけ?」
「噂じゃ一度も断ったことないらしいね。やっぱ四強、黒の愛帝は違えーわー」
そして多くの者達は重ねてきた記録へ畏怖を抱き、羨望の眼差しを向けてしまう。
彼女のついて語るなら美貌と佇まい、そして武勇伝とちょっとお茶目な遅刻回数だけ。
上質な墨が如き濡烏の長髪。汚れのない玉肌に、すらりとした長い手足。そして制服からでも窺える、大きすぎず小さすぎない整った胸。
彼女の名前は神代愛受。人が黒の愛帝と呼ぶ、漆黒の髪を持つ女王。そんな彼女は今──。
(朝から疲れましたわぁ……。今日のお昼はなんでしょうかねぇ……)
──全ての人の期待を裏切るしょうもないことを、すまし顔の裏で考えている最中だった。
(それにしても、随分噂されてますわね。やっぱり朝のが原因ですよねぇ……)
お腹が鳴りそうなくらいの空腹の傍ら、無駄に良い五感が捉えたのは自分についてのひそひそ声。
相変わらず噂。気になるのならば、せめて自分に話しかけてくれればいいのに。
神代は心の中で大きくため息を吐くも、周りの期待を裏切らぬよう顔には出さないよう努力する。
席が隣のいない奥列の一番後ろだということもあり。
神代愛受。誰しもに知られる彼女には、授業前に話せる友人がいなかった。
「はーいHR始めるぞー。者ども席に着けー」
気怠そうな男の教師の一声を合図に、声は散らばり教室に静けさが訪れる。
「じゃあはじめっぞー。と言っても特に言う事なんてないんだけどなー」
真っ平らな声色でHRを続けていく教師。
正直どうでもいいことだらけなので、ほとんどの者がばれないように宿題したり、携帯を覗いたりして時間を潰している。
(それにしても眠いですわー。朝はどうにも眠くてやばめですわー)
神代もどうでもいいことを考えながら、この退屈な時間を無意味に過ごしていく。
出来る事なら自分も携帯を取りだし、リリース当時から推しているソシャゲにログインしたい。席は前の方だし、普通に真面目な生徒をやっているつもりなので遊ぶことも出来ない。
あるのは渦巻く眠気と朝特有のだるさだけ。なんともまあ見かけにそぐわないことだ。
(早く終わりませんかね? ガチャしたいですわ)
「以上。あ、最後に転校生紹介するから。入っていいぞー」
まったく話なんて聞かず、昨日から始まっているピックアップに思いを飛ばす神代。
そんな彼女の耳に届くいたガラガラ音。
遅刻した生徒でも入ってきたのかと、釣られるままにそちらに目を向けた。
──瞬間。神代の目は大きく見開き、意識と思考は一気に覚醒する。
まず目に入ったのは、春桜のような鮮やかな桃色髪。
身長は百六十前半くらいだろうか。百七十くらいの私よりは低く、例えるなら可愛らしい人形のよう。
まるで一輪の可憐な花のようだと、神代は柄にもなく見惚れてしまった。
「ほーい自己紹介。適当にお願いなー」
「は、はい! え、えっと、広異名学園から来ました更輪玲唯です! よろしくお願いします!」
いきなりで緊張していたのか、少し固くなりながらも精一杯大きな声で自己紹介を勧める玲唯。
最早ソシャゲのことなど念頭にすらなく、今を頑張る少女の一挙手一投足を食い入るように見つめ続ける。
玲唯……更輪玲唯。そう、彼女はそういう名前なんですね。
(やだ、超絶おかわわですわっ! 天使かしら?)
「更輪さんは後ろの空いた席に入ります。あー神代。隣だから面倒見るように」
「はい。かしこまりましたわ」
教師の言葉に心の中で全力でガッツポーズをしながら、なんとか平静を保とうと気をつける。
未だに緊張が抜けないのか、たどたどしくもゆっくりと歩いてくる少女。
神代はそんな彼女を眺めながら、自分の心の中で発声練習をしておくことにした。
最初はどんなことを話そうか。何が好きでどんなものに興味があるのか。
なにを考えようとも興味が尽きることはない。
こんなにも人を知りたいと思ったのは、神代の人生では初めてのことだった。
「あ、あの。よろしくお願いします……!」
「ええ。わたくしは神代愛受。どうぞ気軽にお呼びくださいな」
声を震わせながら挨拶してきた玲唯に、これ以上なく綺麗に返す神代。
まるで挨拶などなんてことないものだという余裕綽々な態度。
玲唯は案の定、その容姿と態度に凄い人なんだろうなと勘違いしてしまう。
(噛まなくて良かった~! ふふっ、ちゃんとできましたわー!)
だが、神代の内心は全然違うもの。
噂に尾ひれが付き、周りは孤高だとかなんかいろいろ勘違いしてるが、所詮はただのぼっち。なので高校においては自己紹介と授業の受け答え、そして部活の引き継ぎ以外で碌に人と会話をしていない。
つまり、同級生とまともに会話するのは久しぶり、というか初めてのこと。
そんな彼女がこうも上手く挨拶できれば、それはもうテンションが爆上げというもの。ましてや余計な偏見のない彼女の視線は実に神代の心に優しいものだった。
願わくばこのまま友人……いや親友……いやいや、それ以上に深い関係になれればと。
暗闇に吊された一本の糸のように、五月頃に枯れてしまった友を欲しがる心が再燃しそうな勢い。
もし一欠片すら理性が欠けていれば、彼女の手を握り声高らかに提案していただろう。
だがそう上手くはいかないのが世の常というもの。
そもそもそれが叶うなら、外見だけは超一級な神代愛受は孤高なんてやってなく、ましてや黒の愛帝なんて呼ばれてないのだから。
というわけで考えるのをやめ、いざいかんと窓から玲唯へと振り向こうとした。
(さあて声掛けますわよー? さ、さら──)
「更輪さんっ!! お話いいですかっ!!!」
「ひゃ、ひゃい!!」
そんな黒の愛帝(笑)を嘲笑うかのよう、先に大声で転校生を呼ぶ男の声。
神代は心の中でそれはもう唖然としながらも、なんとか口を噤むことに成功する。
(もー、なんですのこの野郎は?)
「ひ、一目惚れしました! 僕と付き合ってください!!」
約一名が邪魔にふて腐れている中、朝っぱらの教室に轟いた男の一声。
突然の大声に沈黙が走るも、その間はほんの僅か。
いきなりの公開告白は、された本人を置き去りにして、クラスの少年少女に活気をもたらした。
「え、え? あ、あの、誰ですか……?」
「申し遅れました! 僕は田中太郎です! 付き合ってください!」
意気揚々と名前を宣誓しながら、手を伸ばして九十度のお辞儀を見せる男。
実に真っ直ぐで向こう見ずな直線行動に、神代も少しだけときめいてしまった。
──だが、勇敢と蛮勇は違う。田中は所詮、顔一つで堕とせるイケメンではないのだ。
「え、ええっと! ごめんなさい! まだよく知らないので!」
実にあっさりと、ほんの一瞬で告白に返事を出す更輪。
態度とは裏腹な詰まりのなさに、案外慣れているのだろうと神代は検討づける。
「そ、そんな……」
決死の一撃をいとも容易く撃沈された田中某。
その消沈具合にクラスの雰囲気も一気は盛り下がり、多少苛ついていた神代でさえも同情をしてしまう──。
(どんまい田中さん。さあ、とっとと帰ってくださいまし)
──わけでもなく。
用が済んだらとっとと立ち去ってほしいと、血も涙もない鬼畜なことしか思ってなかった。
(さあてどう切り出し──)
「……ぶ……とだ」
「えっ?」
「恋愛決闘だ! 更輪さん。僕は君に、恋愛決闘を申し込む!!」
急に再燃したのか、やけくそ混じりに大声を上げる田中。
だが恋愛決闘。
田中が上げたその一言がきっかけとなり、クラスは先ほどよりも大きな熱気が一気に充満する。
「恋愛決闘だってよ! おい聞いたか!」
「まじかよ! しかも振られてからってことは尊厳決闘だぜ!」
「ないわー! まじでないわー! 転校生困らせんなよ陰キャー!!」
讃辞に驚愕に野次。
数多様々な人の怒号が興奮へと代わり、田中と更輪の二人へ降りかかる。
(恋愛決闘。はあっ……)
だが、そのクラスの空気とは正反対。
まるで反比例するかのように、神代心底つまらなそうに気持ちを冷ましていく。
恋愛決闘。それは古より伝わる世界の基盤たる聖なる勝負。
勝者は求める者を手に入れる事が出来、敗者は潔く散るのみ。
まさに人類に刻まれた獣の名残。緑と本能を捨て、文明と理性を昇華させた人類において、なお捨てきれぬ原初の摂理。
当然ながら神代愛受も同じ人。その本能に抗うことはない。
むしろその行為に好んですらいる。醜いほどに野蛮なれど、人と人がぶつかることこそ最も直接的に愛をぶつけ合えることだと思っているからだ。
だが、それはあくまで両者の同意があってのこと。
人も所詮は獣なれど、互いに言葉を交わし手を取れる異端種。だから例え強かろうが弱かろうが、それを好まざる者に押しつけることを何より嫌うものだ。
「え、えっと……やです……」
「お願いしますっっ!!!」
「ひっ」
見よ。この小さな拒否が掻き消し、見ない振りをして落ちきろうとしている哀れな男を。
お祭り騒ぎで便乗する周囲。それにあやかって決闘を強制させようとする卑怯者。
神代にとってこれ以上不愉快な光景はない。どこまで歪であろうとも、愛は強いるものではないのだから。
「醜いですわね。どいつもこいつも」
──だからこそ。神代が、黒の愛帝が声を上げたのは必然だった。
クラスの熱気に比べれば、対して大きくないはずの女の声。
なのにそれは恐ろしく鋭く、興奮ごと一気に凍らせ、静寂へと切り替えさせる。
「か、神代さん……。ご、ごめんうるさ──」
「声の大小などどうでもいいのです。……そこの貴方、呆れるほど愚かですわね」
「──なっ」
神代はクラス全員の視線がこちらに向いているのを自覚しながら、それでも何ら動じることなく田中へ侮蔑を零し続ける。
「さっきから見ていればなんと情けない。仮にも好いた相手が困っていることすら気付かないとは、どこまで独善的で自分勝手なんでしょう。そこまで自分が大事であれば、いっそのこと鏡にでも告白してはいかが?」
「な、なんだ急に!! 君には関係ないじゃないですか!!」
あまりの暴言にさすがに憤慨したのか、田中は顔を真っ赤にして反論する。
だが、神代はどこ吹く風といった様子。
まるで目の前で吠える犬を相手にするかのように、顔色一つ変えず目を細めるのみ。
「私の隣に迷惑が掛かるのなら、それはもうわたくしの害そのもの。そして目の前で行われそうな愛の強制など、学友として見過ごすわけにはいきません」
神代はするりと優雅に立ち上がり、懐から何かを田中の前に放り投げる。
「拾いなさい」
「なにを……。ってな、生徒手帳……!?」
「手袋代わりです。今はもちろんおわかりですわよね?」
田中は眼中に拾い上げた物を凝視しながら、思わず驚愕の声を上げてしまう。
生徒手帳。それ自体にありふれた生徒の身分証だが、こと特定の場面では違う意味を持ってしまう。
それは誘いにして宣誓。言葉以外で唯一、対象へ示す敵意の証。
つまりは決闘の申し込み。決闘法なんてつまらない法律を無視した、全世界全学生共通の戦いの意思表示である。
「わたくしがこの娘の肩代わり。つまり尊厳決闘の公開戦で結構ですわ。もし貴方が勝利したのなら、わたくしは心と体を差し上げます」
「……本気かよ」
「ええ。ですが貴方が負けた場合、勝利の命令権は更輪さんに。その意味は分かりますわよね?」
ごくりと、どこからか唾を飲む音がした。
田中は手帳と神代を交互に見続けながら、脳を回して思考を走らせる。
今の状況はさながら、死か幸せかを決める生涯最高の大一番。
もし負ければ自分に残るものなどないが、もしも勝てば目の前の至高の美少女を──音に聞こえしあの神代愛受を自らの物に出来るのだ。
──男ならばこれに乗らないなんてことがあるだろうか。いや、あるわけがない!
「いいぜ。受けるよ、勝負だ神代さん」
「ええ、では放課後に。それまではどうぞよしなに」
返答は一言ずつ、互いに契約は果たされる。
最初の主役であった更輪を差し置き、ようやく理解の追いついた教室はざわつきを唱え始める。
転校生へのただの告白が、黒の愛帝の恋愛決闘に。
朝に訪れたたった数分の珍事が、今学校屈指の激アツである美小女を巻き込む決闘へと発展したのだ。これを騒がずに何を騒げばいいのだろうか。
「黒の愛帝の決闘だー!! 急いで新聞部に伝えなきゃ!」
「まじかー! 今日部活休んでも見に行かなきゃ損だろ!!」
「ってことは次で百戦目? やっばー! 一年でもう三強に並んじゃうの!?」
話題は一気に膨れあがり、数人が叫びながら教室を掛けだしていく。
神代立ち去る田中を一瞥し、周りの煩さに小さく息を吐いた後に座り直した。
(はあっ……。いらだっていたとはいえ、くっそめんどい安請け合いしてしまいましたわ~)
澄ました顔を晒しながら、心の中で深い深いため息まみれの神代。
いくらいろいろ貯まっていたとはいえ、他人の決闘に乱入するなど蛮族もかくやの行いである。
まあ正直に言えば後悔は欠片も持ち合わせていないのだが、それでも放課後の予定が埋まってしまうのは花の女子高生として少し落ち込んだりするものだ。
(別にわたくしへの告白でもないですね。あーほんっとにめんどくさいですわ~)
「──あ、あの!」
「はい?」
思考の中で考えごとという名の愚痴大会が始まりそうな矢先、神代に掛かる小さな声。
少しどきっとしながらも、なるべく態度に出さぬようゆっくりと声の方に顔を向ければ、そこには申し訳なさそうに顔を下げて座る桃色髪の少女がいた。
「確か更輪さん……でしたわよね。先ほどは大丈夫でしたか?」
「は、はい。えっと……助けてくれてありがとうございます。巻き込んじゃってごめんなさい……」
外見だけ一流な女の比じゃないくらい落ち込んだ様子を見せる少女。
うだうだメンタルになっていた神代もも、そのへこみように辛気くささを取っ払う。
「気にしないでくださいまし。わたくし、同意のない恋愛決闘は見るのも嫌いですのよ」
「で、でも尊厳決闘なんて……」
「それに、隣人には手を伸ばすのが楽しい学校生活の第一歩。そうでなくて?」
落ち込む彼女前にして、神代はなるべく気を落とさせないよう言葉を選ぶ。
まあちょっと当たりが強いのは口調と口下手さではあるが、本人的にはこれが限界なくらい頑張っていたるするのだ。
「……ありがとう」
「ふふっ。やはり見立て通り、貴女にはそういう笑顔の方がお似合いですわ」
「──ふぇ?」
きょとんとした顔で呆ける更輪に、神代は口に手を当てながら小さく笑みを浮かべる。
まるで一枚の絵画のような完璧な姿に、更輪は呼吸すら忘れてしまうくらい見惚れてしまう。
何と優雅で綺麗な女の人だろう。まるでこの世の美を集約したみたいな、美しき黒の華。
更輪もまた、目の前の少女に眼を奪われてしまったのだ。
「それより貴女、教科書はお持ちで?」
「は、はい! 一応揃っています!」
「そう、なら見せていただけませんか? わたくし、今日はたまたま忘れ物をしてしまったのです」
ぐいっと机を合体させ、他よりも近い距離感に近づく二人。
無論、一応真面目な生徒をやっている神代が教科書を忘れるなんてことはない。
ただの嘘である。交友を深めようとなりふり構わない、淑女の嗜みというやつだ。
「何か分からないことがあればどうぞ。わたくし、意外と成績いいんですの」
「あ、じゃあノートを見せてもらってもいいですか……?」
「ええ。どうぞこちら、見苦しい物ですが」
他のクラスメイトは転校生に声を掛けようとも、神代に気圧され近づくのを躊躇ってしまう。
そんな周りを置き去りにして、二人は少しずつ緊張を解しながら会話を弾ませていくのであった。