表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/14

第五部 一ヶ月前:忠告

風引きかつ疲労困憊のまま書いたので、不出来です。

   ※※※※※


『………おねがいです』

 展開されたのはいつかと同じ白昼夢。夜の大樹、その足元に傅く一人の小さな少女。首には真珠の指輪付きの鎖、服装も前とかわらず、姿勢もまるで変わっていない。恐らくは同じ状況なのだろうが、今回はちょっと違う。

『何でもします、どんな代償でも払います……だから……』

 眼前の少女、それが大樹に向かって祈る声が聞こえていた。

 そればかりではない。風が吹き抜ける笛のような音、その風によって大樹の葉がこすれあう硬質な音、遠くから聞こえる猫の鳴き声と思しき声、そういったものが、今回の白昼夢には存在している。

『………――を、助けてください…………』

 か細い声、震える手先。それでもその冷え切っているであろう手は組まれたままであり、そして姿勢は傅いたまま動くことはなく、さらに声は祈ることをやめようとはしない。

 己の全てを賭けるかのごとく。

 全てを賭けて、その上でまだ何かを積み上げようとするかのごとく。

 その少女は、祈ることをやめようとはしない。

 もしかするとこの人物は、もうすでに俺の近くにいるのかも知れない。そう考えてみれば雰囲気や、成長させた後の予想外権もどことなく見覚えのある人物に近いような気がする。

 しかし、まだ確定する事はできない。この白昼夢がかつての現実なのだとして、俺がこの夢を見る理屈が合わないし、それにこの光景が過去なのだとしてもどれだけ前のことかもわからない。もしかすると俺が間が生まれる以前の光景なのかもしれないし、あるいは未来の風景である可能性もある。

 まあ、だからといって今ここで見ているこの世界を否定できるわけではないのだが。

『お願いです。どうか…………』

 搾り出すかのように、眼前の少女が言った。

『どうか  を………助けて………』

 一瞬、嫌な予感がよぎる。病院の中庭にて俺が感じた嫌な予感とまったく同列、いや同一の感覚。

 その予感を肯定するかのように、少女の体が傾いた。

 ゆらりと、操り人形の糸が切れてしまったかのような自然な動作で、傾いていく。俺の体はそれに無意識の範疇において受け止めるべく身が前に出て、そしてそこで俺は夢幻の存在でしかない可能性に思い至り、それでも受け止めようと体は動き続け、

 そして俺の手が少女の体を受け止める寸前、


 俺は白昼夢から帰還した。


   ※※※※※


 退院した。

 それはつまり俺が自らの不注意で巻き込まれたあの事故から丁度一ヶ月たったということであり、そして妹が死んでから一ヶ月がたったということであり、そして俺が巫女ヶ浜分家の当主としての仕事を始めなければならなくなったことであり、更に言うなれば俺が時瀬大付属高校の生徒として機能し始めたということだ。

 退院した直後は、はっきり言って忙しかった。

 それはもう入院一週間目の再来かと思ったほどの忙しさである。まず一ヶ月間も放置していた俺と妹の住まい、今となっては俺一人の住まいとなる巫女ヶ浜分家のやたらと大きな家の掃除。これだけで軽く一週間かかり、その間でまだ使用中である松葉杖の使用をマスターした。

 それが終わったかと思えば、今度は入院時同様退院祝いの連中の襲来である。まあ、これは入院時の見舞いラッシュほどの規模ではなかったし、内容に目を向けたところで世間体を気にした連中か友人ぐらいしか来ていなかったのでさしたる忙しさはなかった。

 そしてこれが、一番の面倒であり一番重要な仕事。

 妹から引き継いだ、巫女ヶ浜第二分家のお役目である。

 やる事は単純。『大樹に対し自らの意思を同調させ、その状況下で自らがかなえたいと思った願いを大樹に意思として送信する』、言うなれば『願いの管理』のような仕事だ。

 管理とは言っても、全ての願いを自分の意志で曲げられるというわけではない。あくまで巫女ヶ浜分家が請け負ってきたのは『大樹の補助』であり、はっきり言ってしまえば大樹という大きな意思が見過ごしていた、小さな願いまで目を向けさせるのが仕事だ。

 当然その作業には巫女ヶ浜の『魔法』を行使する。

 つまり、この作業を行うには人気のない時間帯でなければならず、早い話が深夜帯の作業になってしまう。妹などは何年も続けるうちに公園に訪れる人のパターンを完璧に読みきり、その上で『絶対に人がやってくることのない空白の時間帯』を読み取ってその時間に作業していたものだが、俺にはまだ無理な芸当である。

 唯一の救いといえば、これが毎日ではなく週に二回程度行えばいいというこの点だけだろうか。

 まあ、それでも疲れることには変わりないのだが。

 もともと睡眠時間、長い性質だし。

 そんなわけで新しい学校生活と新しい役目に囲われた新たな生活が始まると同時に、俺は授業中などの主観的には退屈極まりない時間によく眠るようになった。

 春で、温かで、寝不足だ。遅れをとらない程度に授業を受けたりはするが、それ以外の時間に眠らないなんてどうかしている。

 そんなわけで四月も後半に差し掛かったその日、お役目の次の日ということもあったので俺は午前中の授業を完全に眠ってすごしていた。

 すごしていた、のだが……………

 なんで、こんな目にあってるんだろうね……………



「―――いたか?」

「いいや、こっちは見てない」

「ちゃんと探せよ、お前ら。あの足なんだから、それほど遠くには行けねえはずだ」

「わかってる。見つけたら、当然……………」

「時間までに鹵獲せよ。制限時間は昼休み終了までだ。それ以上になると、こっちの立場も危うくなるからな」

「了解だ、板橋」



 …………あの野郎……

 時瀬大付属の中庭――はっきり言って単なる学術機関の中庭としては規模も豪華さも段違いなのだが、そこの茂みの中から庭の中央、噴水近くをうかがう。

 追っ手の数は、三人。野球部の加藤、空手家の宮下、そして裁判長の板橋学人か………

 現在時刻は………昼休み終了三十分前。

 まだまだ逃走時間は、残っている―――

 まったく、新しい生活は僅かの油断も赦されないらしい。


 そう、それは昼休みに入った直後のこと。

 俺は何者かによって緩やかに揺り動かされ、眠りの中から意識を浮上させた。

 それと同時に耳に入ってきたのは、昼休み特有のざわめきと

「……ミコ、ほらおきて………」

 妙に穏やかな感じで俺の愛称を呼ぶ声だった。


 ……ちなみにこの愛称は先日、このクラスに配属されて最初に行われる自己紹介の後に悠の手によって決められたものだ。『高校生になったんだし、心機一転ということで』。小学生時代も使ってただろうが。

 まあ、今の所それほど浸透していないのでよしとしよう。

 使う奴、俺と中学時代から仲のよかった女子ぐらいしかいないし。


「…………悠か……」

 うっすらと伏せていた顔を起こし、揺り動かす手の伸びてきた方向、つまり右側に目線やった。

「うん、おはようミコ」

 やけに柔らかな声と共に、揺り動かされる手が止まる。

「………………ひるやすみ……か?」

「もうとっくにね。ほら、おきるおきる」

「――――ああ」

 のそり、と身を起こす。そのまま後ろに思い切り身を伸ばし、凝り固まっていた身をほぐしていく。

「最近よく熟睡してるの見るけど、夜になんかやってるの?」

「ちょっとな……………」

 悠に御家のお役目のことを話すわけにも行くまい。


 すると悠は「ふ〜ん」とだけいい、そして急激に表情を暗いものへと変更させていく。

「………もしかして、今私がやってるあれって早起きできなくなってきたから……なの?」

「ああ……ちょっと夜に面倒な仕事が入ってきて、その関係で。別に嫌だって言うならやめてもいいけど…………」

 と、いうか最初からそうするべきだったのだろう。にもかかわらず俺が「そうなるかもしれない」といったら悠が、

『それだったら、私がやろうか?』

 とかなんとか言い出してきて、気がつけば現在の状況の確立。

 ま、それでもぜんぜんかまわないんだけど。


 とりあえず体がほぐせたので席を立つ。つい最近松葉杖とさよならしたばかりなので、少しばかり歩きにくいがようやく自分の足で立てるまでに回復している。


「ううん、こっちも割と楽しいし練習にもなるし、それにどうせおじいちゃんの分も作らないといけないから」

 言いながら悠の席(どういうわけか俺の隣になっている。席替え予定、月初め)の横にぶら下がった蓮の花柄の割と大きな巾着袋からなにやらブロック状のものを取り出す。

 きっちりと水仙柄の布で包まれ、ご丁寧に箸箱にしか見えないものが上部にある結び目に刺さっているそれは、どこからどう見ても、そう、

「はい、今日の分」

 手作り弁当以外の何者でもない。


「……いつも悪いな」

「気にしない気にしない。割と楽しんでるし」

「ちなみに今日の中身は?」

「昨日の煮物をちょっとアレンジした奴と、煮豆がちょっと。あとは大体いつもどおり、かな。卵焼きは出汁多めで米はちょっと硬めにしてる」

「おっけ。ありがとな」


 そう、俺が悠に頼んでいること、その内容とはお役目によって昼食の自作が困難となっている俺に代わり、毎日の昼食を製作してもらうことだ。言い出したのは向こうとはいえ、ここはやはり素直に感謝しておくのが通例というものだろう。

「今日もやっぱり、葵さんとこか?」

「ううん。今日はおじいちゃんちょっと用事で学校来てないから。でも部屋は勝手に入っていいって」

「そっか。なら行くぞ」

 理事長室はいい茶が置いてあるのだ。なぜか純和風だし。

 悠から渡された弁当を片手に、巾着を手にした悠と共に教室を出――――



「何ぃ――――――――!」



 ――――ようとした、少なくとも俺はそのまま教室を出るつもりだった。そう、俺の脚が健全であり、隣に悠がいなければ目の前に武術家を自称する加藤の制止にあうこともなく、教室を脱出できたはずなのだ。


「男子諸君! 今の状況をどう見る! 幼馴染! 手作り弁当! おじいちゃんの部屋にて二人きり! おまけに容疑者たる巫女ヶ浜明は共犯者であるところの時瀬悠と何度も同じような行動に及んでいると推察できる! 男子諸君に問いたい! この状況下、罪に問われるべきは何者か! 巫女ヶ浜明であるという回答を持つものは歓声を持って答えぃ!」

「「「「「おお―――――――――!!」」」」」


 一気にまくし立てる学級裁判長板橋学人、それによって先導された男子生徒(ぼうと)たち。

 この状況は、ヤバイ…………


「では! 容疑者たる巫女ヶ浜明よ! 問われた内容に関して釈明する事はあるか!」

「…………あるわけねえだろ」


 それに言い出してきたのは悠の方だし、昔からよくこんな状況には何度も陥ってきたのだ。いまさら二人きりのランチタイムぐらいで一気に発展するわけもあるまい。


「男子生徒諸君! 聞いたか! たった今、容疑者たる巫女ヶ浜明は容疑を認めた! 早急に断罪を行う! よってわたくし板橋学人は、巫女ヶ浜明に断罪せんがために男子諸君の強力を要請する!」


 こっそりと、

 俺は悠に渡された弁当を返し、

 身を低くして板橋のほうに注目しているとうせんぼ役の加藤の死角に入るべく身を低くし、

 そしてそのままゆ〜っくり教室から脱出し、



「可及的すみやかに! 巫女ヶ浜明を捕獲せよ!」

「「「「「おお―――――――――っ!」」」」」



 背後で怒号がとどろき、

 俺はその瞬間一気に走り出した。



 で、今に至る、と。

 とにかくしつこい追走を撒くのに苦労した。


 まず教室前の廊下を全力疾走し、階段の手すりに飛び乗って一気に下まで下りきり、そのまま正面の窓から飛び降りたと見せかけて梁の上に乗って姿勢を低くしたまま廊下を端まで移動して廊下に復帰、そして梁に乗ったことを先読みしていて廊下に待機していた三人組を上手い具合に三階までひきつけて踊り場で折り返したと見せかけて上ってきたところを蹴落とし、その騒音で近場にいたやつらが寄ってきたので一度窓から外へ出て雨樋を伝って渡り廊下の屋根の上に飛び乗り、窓から追撃してきた連中を撒くために全力疾走と屋根の上での戦闘を繰り返し、屋根から飛び降りたと見せかけてふちをつかんで再び屋根の上に上り、再び校舎の中にもどって残り三人まで撒き、その三人を中庭付近で気絶させ、そして中庭に入ったはいいものの追っ手の数が予想外に多くそしてそのまま立ち往生。


 よくここまで右足がついて来れたものだ。

 しかしそれも限界。まだ完治していないのに全力疾走やアクロバット、戦闘行為なんかをやってしまった代償として、もう足が壊れる寸前までのダメージを受けているっぽい。妙に痛みを訴えてくるし、それに足首の動きも悪い。走れて数十メートル、歩きならば一日といったところか。明日が怖い。


 いっそのことこのまま鹵獲されたほうが楽なかもしれない、と嫌な考えが一瞬脳裏をよぎる。が、今現在中庭近辺を捜索している人物の性格を思考した場合、その末に待つものはあまりにも明白だ。最悪の場合、もう一度この足を折りなおす羽目になるだろう。

 それだけは、絶対に避けなければならない。


 こっちのほうにやってきた野球部加藤をかわすため、目の前の生垣の中に潜む。一見すると中まで枝がぎっしりであるかのように見えるものの、実はこの生垣、中が空洞になっていて潜めるようになっているのである。

 かなりの厚さがあるだけあり、生垣の中はかなり用意に潜むことが出来た。このままここに潜み続けて、昼休み終了までやり過ごせればどうにか「みつけたぞ、明」なりそうだ。


 って、あれ?

 早速、見つかった?


 いや、それにしては変だ。声が潜められているし、追っ手の中にはいなかった女性の声だった。それにこの声には聞き覚えがあるような気もするし。

 声の飛んできた方向、生垣の中に寝そべるようにして潜んでいる俺の頭のほうを見上げる。するとそこには…………


「………なにやってんの? 小米姉さん……」


 ひざを抱えてしゃがみこみ、こちらをにやにや眺めている小米姉さんの姿があった。それもなぜか時瀬付属校の制服着用の。

 断っておくが、小米姉さんは高校生ではない。断じて。


「なに、ちょっとこの間提出した論文のことで渡したいものがあるといわれて高等部の校舎に呼ばれたんだ。そのついでに悠やお前の顔を見ておこうと思ったんだが、教室に顔を見せてみれば妙に落ち込んだ様子の悠がいるばかり。何があったか問い詰めたところ、お前は男子連中に追われて逃げたというじゃないか。で、目撃証言や追跡者と思われる連中の動向から判断してお前が中庭にいることをつかんだ。あとは勘だ」

 つまり話の要点をまとめれば、ちょっと用事で高等部の校舎に寄ったついでに俺たちの顔を見に着た、と。

 うん、まだなんか隠してるな。


「………ホントウに、それだけ?」

「疑うのか?」

「それだけの用事のためにこんなところまで来るような人じゃないのは俺がよく知ってる」

 昔から必要以上の面倒を嫌うのだ。そんな小米姉さんが生垣の中にまでその程度の用件のためにやってくるわけがない。

「なんだ、よくわかってるじゃないか」

 いいながら小米姉さんは抱えていたひざを生垣から出ない程度にまで伸ばした。

「確かに、私の用件はそれだけじゃない。顔など、家に帰って数メートルも歩けばいつでも拝める」

 確かに。お隣だし。


「私の用件というのは、あの病室で顔を合わせたあの少女のことだ」

 あの少女?

「令がどうかしたのか?」

「もう会うのをやめろ」



 一瞬、

 世界が凍結したように感じられた。

 会うのを、やめろ? 令と? 一体どうして?


「小米姉さん、それ一体どういう―――」

「額面どおりの意味だ。お前が巫女ヶ浜であり続けるのなら、あの少女と関わるのをやめろ」

 今までとまるで変わらない、ゆったりした表情のまま天気に関して話すかのような口調で、小米姉さんは言った。

「あの少女と関わり続けた場合、お前は巫女ヶ浜としての自分どころか、下手をすれば自分の全てをなくしてしまうかもしれん。私はお前にそうなって欲しくはない。だから、そうなる前に関わりを絶っておくことを私は勧めよう」

「…………令と関わり続けたら、俺が全てをなくす?」

 何を、馬鹿なことを…………


 雨鏡令。俺が妹を亡くして一週間後に病院でであった、俺と同じ孤独を知る存在。身近なものの喪失の感覚に怯え、眠ることさえも出来なくなっていた、俺と同じ弱さを持つ少女。真面目で親切で丁寧で誰に対しても敬語で、優等生らしいけど入院したそうで留年してて大樹が好きで四季の小瓶持ってていつも教室で読書ばかりしてて甘党で恥ずかしがり屋で割と美人で、ちょっと変わってる。

 それだけの少女が、俺から全てを奪う?

 しかも巫女ヶ浜までひっくるめて?

 背後にあるのは、他ならぬ御涯家なのに?


「姉さん、いくらなんでもそれは――――」

「ありえないことだと思うか?」

 それは、そうだろう。背後にあるのは魔道大家最大の力を持つ御涯家、そしてその当主跡取りは目の前にいるこの人物、御涯小米その人だ。その人がじきじきに巫女ヶ浜第二分家を守るといった以上、俺の立場はほぼ安定といっていいはず――――

 しかし、

 その御涯当主跡取りである人物がその可能性があると示唆してきた場合は?

 最強の大家、そこからその可能性が示唆された場合は?

 そして何より、

 その部分に関わらない形で、俺が巫女ヶ浜を失う可能性があった場合、それは果たしてありえないといえるのか?


「…………………………」

 俺は、沈黙した。

 小米姉さんはいつもどおり軽く笑うと、

「まあ、そういうことだ。あくまで現在は可能性の段階だが、このままお前らの仲が進展を続けた場合、可能性は確定事項に変ずることだろう。今回のこれは忠告、もしくは警告だ。しっかり聞いておけ」

「……待てよ、俺と令は別に今以上の仲になるつもりは――――」

「ほんとにそうだと言い切れるか?」

 ない、と続ける前に断言されてしまった。

「確かに、お前は硬派だ。あれほど露骨に思いを寄せられながら気づかない鈍さも兼ね備えた、いまどき珍しいほどに欲がない男だよ。しかしお前、あの少女に対してはやけにご執心ではないか?」

「……………………」


 確かに、そうかもしれない。

 令と出会ってからまだ一ヶ月ちょっと。にもかかわらず、今では中学時代からずっと友人であったもの、中学時代どころかまだ片手の指で年齢を数えられるほどの頃から友人であった悠、そういった人物を差し置いて、令と関わっている。

 そればかりではない。

 いつの間にか、自分の中に存在している願望。

 このまま、令と一緒にいたいと望んでいるのは、どこのどいつだ…………?


「……………」

「なにせお前の中にあれほど根を張っていた妹の存在を一気に書き換えてしまうほどのご執心ぶりだ。いずれ、お前は現在の先を望むだろう。そうなる前に関わりを絶たねば、あの可能性はたやすく事実に転ずるだろう」

「だから、どうして令が俺から全てを奪えるんだよ?」

 そう、令は普通の少女だ。変わっているところもあるし、確かに出会いのあの瞬間は奇妙な感覚にとらわれもした。しかし、ただそれだけ。関わってみれば、他の人物と何一つ違うことのない人物だ。

 奪える、はずがないだろう。

 俺のその言葉に、小米姉さんはようやく俺のほうへ顔を向けた。

 そこに浮かぶその表情、それは笑み。

 いつも以上の含みを感じさせ、いつも以上の凄絶さを裏に存在させる、そんな笑み。

「可能性の前にそんな戯言は無意味だ。可能性の前においては全てが砂上の楼閣で、全てが堅牢極まりない甲殻で、そして全てが不確定極まりない幻影だ。お前があの少女に全てを奪われる可能性も、あの少女がお前に全てを奪われる可能性も、確かに存在している」

「………………………」

「まあ、急に関わりを絶てというのは無理があったな。今の所はそれほど害もない。現状を維持し続けるのなら、特に問題にはならないだろう」

 それもできない可能性も否定できないのだが、と小米姉さんは続けた。

「分別のあるお前のことだ。きっと上手くやるだろう」

「…………………………」


 内心複雑なまま、俺は沈黙することにした。

 小米姉さんは、続ける。

「さて、今度は現実の話をしようか」

 現実? とう俺の疑問の声に、小米姉さんはああ、とこたえる。

「先ほどからこの中庭に男子生徒の数が増殖を続けている。全員がこちらを伺うなどの行動をとっていないが、意識の端には止めているようだ。そして集いつつある男子生徒は全てお前のクラスの人間。これの意味するところは……なんだと思う」


 しまった! 追われていたことを忘却していた。

 男子生徒が集いつつある、ということはその中枢にいるのは板橋、そしてそんな状況に陥ることになった原因は恐らく、ここでの会話にある。恐らく板橋のことだ。ここで俺が小米姉さんと会話していることを耳にし、更なる妄想冤罪を追加することだろう。

 早急に退避する必要がある。


 しかし、どうやって?

 閉鎖した場所というものはメリットもデメリットも併せ持っている。発見されにくい代わりにいざとなったときに身動きが出来なくなり、結果として発見されたときに動くことすらままならなくなるのだ。

 この状況下を打破するために選択できる選択肢は、二つ。

 一つは完全に包囲される前にこの包囲網を全力で疾走することで突破すること。

 もう一つは完全に包囲されきった後、全員が殺到してくるその隙を突いて突破することだ。

 が、現在の俺にその二つはどちらも望めない。この二つの選択肢を決行する条件は両足が健全な状態になっているということであり、俺の脚は現状、この包囲を突破するほどの余力がない。

 しかし、そのほかの選択肢は存在しないのだ。

 なら……………『創る』しかない、か。


「……………………ふむ」

 訳知り顔で、小米姉さんはうなずいた。

「明、やるのはかまわんが、ばれないようにな」

「わかってる」

 言いながらも、俺は想像を始める。創るのは全てを覆い隠すミスト。素材は水、ただしあたりの視界を完全に奪いきってしまうほどの濃密度で。起点はもちろん、ここでいい。

 そして創造…………


『だからその認識が間違いだというんだ』。


 一瞬、あの日の言葉が脳裏をよぎった。

 認識の相違、ゆえに生じる力への無理解。

 しかし、俺の力にそれ以外の解釈があるだろうか?

 想像したものは所詮俺の頭の中に存在しているものでしかなく、現実的にはただの幻想、意味のない偶像でしかない。それに形を与えるのが俺の力だ。それ以外の認識のしようがあるわけもない。

 しかし、その認識に無理やり別の形を与えるとすれば、どうなるのだろう。現実に存在できないものを無理やりこの世に存在させる。この世界が否定するものを無理やりこの世に存在させる。俺の世界にあるものをこの世に引きずり出す。ざっと思いつくだけでこれぐらいだろうか。いつもの手順にこの認識を混ぜ、

 創造――――


 瞬間、

 中庭に一寸先も見えないほど濃密度な霧があふれた。


「…………え?」

「ふん、その意気だ」

 隣から小米姉さんの声。しかしその姿は俺の創造した霧によって、至近距離であるにもかかわらず完全に覆い隠され、服の端でさえもうかがうことも出来ない。

 それほどにまで濃い密度を持つ、霧。


 おかしい、間違っている。俺が想像したのは視界を多少乱す程度の密度しか持たない、山中などで日常的に見かける程度の密度の霧だ。それによって個人の判別が困難になった中、追っ手にまぎれて中庭から逃走するのが俺の計画だった。

 しかし、この密度。視界は眼前に広げた自分の手が白くかすむほどの密度の霧によって完全に覆い隠されてしまい、個人の判別どころか、事前の情報がなければ自分が今どこにいるのかさえも見失ってしまいそうになる。


 はっきり言おう。

 密度が濃すぎて、動くこともままならない。

「明、逃げるなら今がチャンスだぞ」

「いや、わかってるんだけど………」

「逃げるならこのまま後ろに下がって校舎の壁を手探りしろ。左のほうに目立たない高等部校舎への出入り口がある」

「さんきゅ」


 言いながら生垣を這って脱出し、濃密度な霧の中を手探りで移動、途中で何人か突然の霧に困惑している生徒たちに出くわし、心の中で謝罪を入れつつもそのまま壁に到達し、壁に手を貼り付けたまま左のほうへ移動する。

 あった。確かにちと古い作りになってはいるものの、やや古びたスライド式の出入り口がある。

 閉まっていたそのドアを素早く開けて、内側に滑り込む。

 中庭には充満している霧の海も、さすがに閉ざされていた室内までは入り込めなかったのか、室内は綺麗なものである。場所も見覚えがないが少し見回してみればなんてことはない、保健室近くの、別名教員棟と呼ばれる施設系の部屋が集められた校舎である。もちろん俺の教室までの距離はあるが、それほど離れてもいない。


 なんとなしに中庭のほうを伺いながら、廊下を移動。階段を探す。しかしとんでもないものを創造してしまったものだ。窓を隔ててみてみると、本気で白い液体の中に沈んできるようにしか見えない。これなら裁判官の連中もどうにかできるだろう。

 保健室横、そこにある階段を上る。

 見える限りで追っ手の姿はない。恐らくあの学級裁判長のことだ、時間的余裕のなかった状況、俺の所在地の確定と言う成功率の高さ、それを考えると、間違いなくあいつは自分の動かせる手駒、その中で動けるものを全員中庭に集中させたはずだ。そして恐らくそいつらの位置は中庭の中ごろ。あれほど濃密度の霧に巻かれてしまえば、右も左もわからなくなる。



 ………しかし、あの、霧…………

 思い出す。

 俺はいつもどおり、想像から創造しただけだ。いつもどおりなら中庭全体に霧が溢れこそすれ、あそこまで完全に視界を奪えるほどの密度は生じないはずなのだ。

 にもかかわらず、霧は俺の想像を上回る量が創造された。

 普段どおりのやり方、しかし、少しだけ異なった認識で。

 それだけで、普段の数十倍もの量が。

 …………だとすると、

 俺が自らの力に対して抱いていた認識。それが小米姉さんの言うとおり、完全に間違えていたということになる。

 階段を三階まで上りきり、教室を目指して左に折れる。

 …………認識が間違いだとすると、

 それは、暗に正しい認識があるということを示している。

 そして、その心当たりは、みっつ。

 強制的に存在を与える。

 強制的に否定を解除する。

 俺の精神世界から現実に引きずり出す。

 さあ、どれだ。


「…………………検討もつかん」

 なにせ認識を一つ一つ試したのではなく、一気に三つの認識を抱いたままいつもどおりの創造に至ったのだ。あたりが一つしかないスイッチを、三つ同時に押し込んであたりをひいたとしても、どれがあたりだったのかはわかりはしない。

 教室のある廊下へ到達する。ここから見る限りではいつもどおりの雰囲気、無理やりいつもどおりを演じさせた雰囲気でも、何かが内側で待ち構えているような薄ら寒い感じでもない。中庭に起こったトラブルに関してざわついてはいるが、それを覗けばいつもどおりだ。

 ああ、そういえば悠のこと、放置してたっけ。へそ曲げてるだろうな、あいつ。機嫌取りのために今日は晩飯でも作ってやるとするか。どうせ小米姉さんのところにもちょっと顔出したいし―



 いろいろ頭の中で考えつつ、教室の中へ。


「……………………」


 思わず一歩下がりたいような衝動に駆られた。

 教室の中ごろにある俺の席。隣には俺の幼馴染の席があり、そしてその椅子は今現在、俺の席の正面に設置されている。そうであるからには当然、その席の持ち主はそこに座っているわけで、でもってその形になっているからには一人であるわけがなく、平たく言って俺の席に一人、座っている人物がいた。


 背中まで流れた黒い長髪、上品な雰囲気に、やけに似合っていると時瀬大付属の制服。

 間違えようがない。

 雨鏡、令だ。


 ……一体、どんな気の迷いで俺の教室、しかも悠と仲良くお話しながら令と会話しつつお弁当タイムなんだ…………

 数歩、教室に踏み込んで声をかけ――――


『お前が巫女ヶ浜であり続けるのなら、あの少女と関わるのをやめろ』


 一瞬、小米姉さんの言葉が俺に声をかけることをためらわせた。

 俺が巫女ヶ浜をやめること。それはすなわち、妹の存在価値を無に返すことを意味する。まだ幼かった妹が、自らの立場を捧げてまで守った俺たちの家。それを失うという事は、妹の人生を無に返すのと何も変わらない。

 それでも、いいのか………?

「……………………」

 足が、止まった。

 しかし、次に脳裏をよぎったのは、


『『…………さみしい、から…………』』


 あの夜のこと。

 互いの穴を互いで埋めた、その瞬間のこと。

 それを、突き放す。

 そんなことが、ホントウに出来るのか?

「…………………………………」

 できるわけが、ない。

 一ヶ月。そう、たった一ヶ月と笑ってしまうことも出来るかもしれない。だが、俺はその一ヶ月の関係性をなかったことにしたくない。

 例えそれで、俺が巫女ヶ浜を失うことになったとしても、だ。


 一歩を進み、声をかける。

「令………なんでこんなところにいるんだよ」

「あ、明さん」

 くるりと背中越しに振り返り、令が笑みを見せる。

「すみません、ちょっと席をお借りしています」

「いや、それは見たらわかるけど……」

「へえ、ミコって雨鏡さんと知り合いだったんだ」

 と、正面から妙ににこやかな悠。変だな、こいつのことだからもうちょっと機嫌を損ねていてもおかしくなさそうなんだが……

 まあ、おとなしい分には助かるからかまわないんだけど。

「俺としちゃ、お前と令が知り合いだったほうに驚きを感じるな」

 言いながらも自分の席の横に回りこむ。

 と、一瞬机の上に目線が移り、

「………………令、」

「はい?」

「その弁当、もしかして悠からもらった奴か?」

「ええ……余ってしまったといわれたもので……」

 このアマ………

 睨み付けるように悠のほうへ目線を移す。

 あ、睨み返された。

「置いていったのはどこのどいつ……?」

 なるほど、やっぱり不満だったわけね。わかりやすい奴だ。

 ため息をつきながら手近な席から椅子を拝借――しようと思ったけど、背後が悠の席で椅子が大絶賛使用中なので仕方なく机に俺の体重を支えていただくことにした。

「……でも珍しいよな、令がこっちまで来るなんて」

 偶然会って昼食を共にすることはあっても、どちらかが相手の教室まで出向いて誘いに行った事は今までに一度もない。用事で出向くこともまずなかったし、放課後に関しては令のほうの都合が悪いのでいつも会うことが出来ない。

 ってことは、令のほうに用事があるってことね………

 こちらの内心を察したのか、令は淡く微笑み、

「はい、今日は少し、用があったもので」

「用?」

 はい、と令は続ける。

「今日の放課後なんですけど………」

「放課後?」

「ええ、放課後です。もし良かったら、来て欲しいところがあるんですけど……かまいませんか?」

「別にいいけど………用事か何かか?」

「………ふ〜ん、随分仲いいんだね、二人とも」

 げ。

 隣にこいつがいたことを忘れていた。

「名前で呼んでるぐらいだったらミコの癖みたいなものだから多めに見ようかと思ってたけど何気に雨鏡さんまで名前で呼んでるし………」

 怨嗟の目線でじどーっとこちらをにらみつける悠。いや、はっきり言って怖いんですけど。

「お昼休みに訪ねてきたってだけで驚きなのにミコのこと何気によく知ってるし入院中に知り合ったにしては親密だしおまけに私が目の前にいるのに放課後にデートのお誘いだし………」

「いや待て悠それは誤解だ正気に戻れ」

「ぽ」

 いやいや令、赤くなってないで否定するの手伝ってくれ。それにそんな反応すると悠が更に………

「……そういう関係なんだ」

 誤解を広げやがった。これは面倒なことになったぞ………

「へぇ……私が誘ったときにはノーリアクションだったのに、雨鏡さんのは普通に動揺するんだ……これってそういう関係ってことだよね………」

「ぽ」

 いや、あの時は普通に用事あったしそれに完全に俺じゃなくてもオーケーな用事だったろうが! その辺考えてくれ!

「退院してからも普通に付き合い悪いし………鷺ちゃんのことまだ引きずってるのかとも考えたけどこの分だと普通に大丈夫そうだよね気を使った私が馬鹿だった……」

 悠の動向がすぅっと開いていき、目線の焦点が定まらなくなる。

 ……これは本格的に、ヤバイ………早急に対処しなければ、手遅れになる。

 と、言うわけで。

「令、とりあえずここじゃ落ち着いて話しようがないから別のとこ行くぞ悠板橋来たらごまかしといてくれじゃそういうことで!」

 一気にまくし立て、いまだに赤面したまま席で固まっていた令の手を引っつかみ、引きずるように立たせて教室の外へ脱出する。



 はい、当面は大丈夫。少なくとも昼休みの間ぐらいは。

 ………後々がかなり怖いけど。

 明日、弁当作ってくれるかなぁ……

「―――はぁ……」

 思わずため息が漏れた。

 兵糧攻めは、覚悟しておく必要がありそうだ。

 まあとりあえずいつまでもグダグダしていてもしょうがないので令の手を引いて廊下を教員棟方面へ歩いていく。あの辺なら人もいないだろうし。

 と、いうか令、いまだに茹蛸なのか?

「お〜い、令。恥ずかしいのはわかるけど、いい加減戻って来い」

「ぽ」


 ………駄目だこりゃ。完全に向こうの世界に逝っちゃってる……わけでもないみたいだな。一応一瞬はこっちの世界に戻ってきてはいるのだが、何かしらの要因でもう一度向こうの世界に逝っちゃってるみたい。でもその原因といえば……

 ああ、手か。

 一度離して、リトライ。

 はい、戻ってきた。

「………すみません………まだ慣れてなくて……」

「……別にいいけど」

 昔から悠の扱いには慣れている。

「で、用事って言うのは?」

「………………はい、放課後のことなんですけど……」

 そこで令は一度、言葉を区切った。

 そして何かを考えるように少しの間うつむき、そして、



「………………『TWICT・BALLME』……」



 ただの一文、それだけで、俺の精神の根底までを揺るがした。

 何故、

 何故、令がその一言を知っている?

 この一言を知っているのは、俺と小米姉さんと本家の馬鹿連中と、用は巫女ヶ浜に関連しているものしかいないはず。


 これは、妹の、巫女ヶ浜鷺の呪文、その短縮形。

『The wish comes true by all means』。

 意味は、『全ての願いは必ず叶う』。

 俺の妹、その願いの形。


 魔法を使う、その瞬間にいなければ聞くことも出来ないはずの言葉なのだ。


「………令………」

 確かに、令には鷺のことを知る妹がいる。しかし、だからといって鷺がこの呪文を聞かせるか? 何の関係もない人物に、この呪文を聞かせるのか?

「……その言葉、どこで聞いたんだ……?」

 ありえない。

 妹はホントウによく出来た奴だ。万が一にでも最悪に転ぶ可能性のあることには手を出さないし、それが自分以外のことに対して大きな関わりを持っていることならばなおさらその傾向が強くなる。

 その妹が、自分の呪文を漏らすとは、考えられない。

「私の入院している家族から、聞いたんです。『明さんにあってみたい』といわれたときに、その言葉を聞かせるように、って」

 なら、その入院している家族は、

 令の妹は、

 一体、どんな立場にいた人間なんだ?

 俺の妹の、なんだったんだ?

 俺の内心の混乱をよそに、令は続けた。



「よろしければ、会っていただけますか? 今日の放課後、私の、妹に……」



 その言葉に、

 俺は、

 あの日抱いた嫌な予感が現実のものとなりつつ感覚を持ちつつも、

 うなずいた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ