最終部 蛇足:語る必要のない物語
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白樺島の西側、繁華街のオープンカフェ。
休日であると言うこともあり、金銭的にもメニューの質的にも色々と便利なその店は、オープンと言うスタイルもあり、なかなかに込み合っている。ふと往来から目にしただけでも、カップルと思しき男女二人組、グループで休日を楽しむ女性陣、たまたま立ち寄っただけと思われる中年女性、スーツ姿の不審といえば不審な男など、さまざまな人間が、そこにはいる。
個性はさまざま、用途はさまざまで、それであるがゆえに隣席の人物に関する詮索などまったく行わないのが常だ。
ゆえに、オープンテラスに一人で座り、優雅に微笑みながら空を眺めつつ紅茶を口にする、大学生ほどの少女がそこに居ても、誰も気には留めなかった。
長髪を時折吹き抜ける風になびかせ、何処を見るでもなくどこかを見つめる少女。笑みは不敵ながらもどこか満足げで、何処となく浮世離れした雰囲気がある。その雰囲気と笑みの質があいまって、その姿は姫君と言うよりも、何処かの女王のようでさえあった。
と、その少女の正面の席、そこに一人の老人が近寄っていく。
そして、
「……まんまとしてやったりとしたり顔じゃないか…魔女」
その老人、時瀬葵は穏やかな微笑みを浮かべながら少女に語りかける。少女は表情そのままに老人へ目を移して、
「これはこれは理事長殿……久々に会ったというのに、魔女と言うのはひどい言い草だと思いませんか?」
「とぼけるのはよしなさい。小米に良く似てはいるが、下手な演技はやめたほうがいいぞ」
厳しい様子で、老人は言った。
すると少女はくすり、と穏やかな笑みを浮かべ、
「……なあんだ、ばれちゃってたのね。さすがだわ、葵」
がらりと雰囲気を変え、悪戯に失敗した少女のようにその少女はおどけた。
「小米は確かに両利きで、左手を良く使う傾向がある。だけどこの間の一件で左腕がちょっとだけ不自由になっとるんだ。茶を飲むとき、今では左腕は使わんよ」
「さすが『観察者』の家系ね。細かく見てるじゃない」
「演技が下手なだけかもしれんじゃないか、魔女。たぶん明でも、気づくんじゃあないか?」
「ふふ……それもそうね」
すわったら? と言う少女、魔女の勧めに葵はああ、と答える。
椅子を引き、テープルの上で指を組む。
「それで? したり顔って、どういうこと?」
「見たまんまをいっとるだけさ。念願が成就したような満足げな顔をしとって、したり顔以外になんと言えばいい?」
「それもそうね――――それに、現状に満足してるって言うのも本当よ」
「満足――――?」
葵の眉がひそめられる。
「とすると、願いは?」
「いいえ。そっちの願いは、知っての通り。明にとめられちゃった」
ちろり、と口の端から舌を出しておどける魔女。
「に、しては……楽しそうじゃないか?」
「ええ。だって、楽しいもの。色々と欲しかった物が手に入ったし」
そして魔女は自らの右を指差し、
「……あの向かい側の甘味処の、ガラスの向こう側。見える?」
「『観察者』を馬鹿にしてもらっては困るな。見えるとも」
言いながらも指し示された店のほうへ目を凝らし、
「………なるほど」
納得したように、笑みを含んだ声を漏らした。
魔女の指し示した店の席、そこに居るのは二人の男女。
片方は少年。何処となく浮世離れした雰囲気を持ち、少し達観したような表情で、しかし楽しげに会話している。
もう片方は少女。腰ほどまであるであろう長髪を無造作にたらした、何処となく病弱そうな雰囲気を持つ美少女で、しっかりと大人びながらも、甘えたような表情で少年と楽しげに言葉を交わしている。
万人に関係性を問えば、『恋人同士』と言う返事が返りそうな二人組。
そして二人にとっては、よく知っている人物たちだ。
「明と……有希。最近よくあんなふうにいちゃいちゃしてるわ」
「確かに見ていて微笑ましい光景ではあるが……いいのかい?」
「何が?」
「有希のことだ。なんでも、望みをかなえるために必要な部品だったそうじゃないか。それがああなって、いいのかい?」
「かまわないわ。もともとそれほど、期待もしてなかったし」
「期待してなかった?」
怪訝な表情で、葵は聞き返す。
「そりゃおかしな話じゃないか。端から期待していないものに、あれほどの労力をかけていたなんていうのは」
「そうかしら?」
「それに聞き及ぶところにおいては大部分の願望を託していたようにも思えるがね」
「そういうわけでもないんだけど――――」
「…………………」
葵は不機嫌そうに真顔になる。
「………魔女よ、わしを時瀬の獄から出してくれたことには素直に礼を言いたい。だからこそわしはおぬしの与えた『観察者』と言う役割を忠実にこなしてきた。少年だったわしも、今やこの歳。伴侶も娘にも先立たれ、残っておるのは孫一人だ。
だから、そろそろ話してくれても、いいんじゃないか?
この島と、そこにある役割について………」
「……………そうね、そろそろ、頃合かとも思ってたし」
ゆったりと、紅茶を一口口に含む魔女。
そのままソーサーには戻さず、
「いいわ、話してあげる」
ゆっくりと、魔女は視線を空へと移した。
「時に、葵。私がどうして死なないか、知ってる?」
ん? と葵は考え込むように首をかしげた。
「………いいや。ぬしが中世から生きておることと稀代の魔道師であるということは知っておるが、どうして不死かとなると……」
「そうよね。むしろ知っていたら、そのほうが驚きだわ。
今からするのは、ちょっとした昔話よ。真実かどうかも定かじゃない、長い年月を経て劣化を繰り返した、たわいもない御伽噺のようなもの」
そして、魔女は語る。
「昔、あるところに誰もかなわぬ力を持った魔道師がいました。
その才能と力は確かなもので、いかなるものも敵わぬと噂され、その力ゆえに国さえも手を出すことが出来ず、その魔道師は豊かな富と、名誉をほしいままにしました。
そして、ある日。
その魔道師は、とうとうたどり着きました。
全ての理に関する回答、全ての現象を支配する力、その力をつかさどる存在、そういった世界の全てがそろった存在、『 』へ」
「…………………」
「魔道師は、最初喜びました。
そして嬉々として自らの存在を『 』へと接続し――――自らを世界の一部にしました」
それこそが、
「以来、その魔道師は絶大な力を得ました。世界の中枢、その一部になったのですから、当然です。
そして同時に……死ねなくなりました。
『 』に接続するということは、世界の一部となること。世界によって、支配されることです。その瞬間からその魔道師のときは停止し………そしてそのまま、孤独となりました」
「………不死のからくり、か」
「そゆこと」
満足げに、魔女は微笑んだ。
「孤独からの脱却は、確かに私の願望。だけど、今の状態で孤独から出たとしても、その人はいずれ死んでしまう。死んでしまえば、再び私は孤独になる。だからその前に――――」
「不死から解放される必要がある、か」
ええ、と魔女は肯定した。
「そのために必要な存在は、四つ。
万物の生死を司る異端者、
万象の因果を冒涜する殺人者、
万世の終始を支配する無限転生者、
そして……万千の存在を創壊する肯定者」
含み笑いを浮かべ、魔女は四本、指を立てた。
「この島は、いうなれば孵卵機よ。
私の望みを叶えるために必要な存在のうちの一角を孵すために作り上げた、閉ざされた世界。ありとあらゆる可能性をもたらすことで、そのうちの一角が生誕する可能性を確実にする。そのための、島。
まあ、あわよくばあの人に会えたらいいな、と思ったのも事実だし、それも計画に組み込んでいたのも本当なんだけど」
無言のまま、葵は無邪気に微笑む魔女を見つめた。
「………そして、成功したんだな?」
「ええ――――あの人に会う計画はつぶれちゃったけど、もっと大きなものが手に入ったわ」
ありとあらゆる可能性を一同に引きずり出す、可能性の島。
それは孵卵機。魔女にとって必要な存在を生むために必要な、世界とは違った事象で動く世界。
「残るピースはみっつ。そのうち無限転生者は着々と成長を続けていて、異端者はすでに手段を発見している。あとは、行動を起こすだけよ」
「………島の意味は、それだけか?」
いいえ、と魔女はゆるゆると否定した。
「確かに、必要だった肯定者を生むと言う役割はあるわ。だけど葵、思ってみたこと、ない?」
「なんと?」
「何かの物語の、主人公であってみたいって」
「………………」
葵は、無言だった。
「ちょっとした悪戯心よ。大樹というあまりにも大きな力を持つ存在がここにあることで、この島は魔法以外に色々な『不思議』に恵まれているの。巫女ヶ浜や御涯、時瀬以外に魔法を使える家系も生まれて、そして色々な偶然も、ここでは当たり前のように起きる。
誰もが、物語の主人公足りえる島。
ここは、そういう島でもあるの」
「…しかし、いいのかい? ここまで派手に動けば、異界から干渉されたりも、するだろう」
「ええ。と、いうよりもうすでにリストアップされてるわ。大樹にエラーが出たりすれば、魔王さんも来るんじゃない?」
「あの苦労人の魔王がか――――そりゃまた豪勢なことで」
いいながら脳裏に浮かんだのは、『観察者』としてやっていた頃に魔女に見せられた、女子高生程度の少女に振り回される哀れな魔王の姿。
「けどあんまり干渉されても面白くないから……鏡面を用意しておくわ。それと、ちょっとした悪戯もね」
悪戯? と葵の問い。
「ええ――――もとの世界に帰った時に、ちょっとエラーが起きるようにしておくの。鏡面のこの島の中では普通に向こうの魔力で魔法は使えるけど、こっちで一度回復すれば最後……鏡面の中では普通に魔法は使えるでしょうけど、元の世界に戻ったときに、苦労するでしょうね。ルールが違うから」
「そりゃまた豪勢な悪戯を………」
「ええ。楽しいでしょうね、とても」
まあもっとも、と魔女は言葉を区切った。
「その頃、私はどうなっているのかしらね?」
含みを持たせた物言いに、葵は苦笑しつつ答える。
「そりゃそのころのぬしに聞けばいい。もしかすると、もうぬしが自由になったあとかも知れんぞ」
「そうでなきゃ困るわ。大樹にちょっとバグまで起きてるんだもの」
「おいおい、あの花は自発じゃなかったのか?」
「ええ。内側から一人、ルールをまげて返したから、大樹の力が少し弱くなっちゃってるの。だから可能性を導きにくくなって、ずっと四色。たぶん数年は、このままでしょうね」
「願いは? かなえる力は、変わっとらんだろ?」
ええ、と魔女はゆったりとうなずき、
「かなえる力それ自体は、まったく問題ないわ。けど前と比べると若干――――そうね、かなえる範囲が、狭くなったかしら?」
「おいおい。ずいぶんな問題じゃないか」
「でももともとの好みは変わってないから――――たぶん、」
真摯な願いなら、かなえてくれるんじゃない?
魔女はそういうと、ようやくカップをソーサーに戻した。
「………あら?」
そして何かを見つけたかのような声。視線の向う先は右側、先ほど、明たちがいた店の方だ。
「出てきたみたいよ、あの子達」
いわれて葵も目線を店のほうへと移す。
そこには確かに、二人が寄り添うように手を握り合って店から出てくる、とても幸せそうな風景があった。
「………あの二人が、幸せだといいわね」
「そうなるように操作も出来る魔女が何を言うか」
「あら? あの二人に関してはノータッチよ。死なない限りはね」
「どうして?」
「だって、
可能性なんて、見えないほうが面白そうじゃない?」
その言葉に、
「………確かにな」
葵は満足げに、笑いながら答えた。
ここは、白樺島。
可能性をすべる大樹が聳え立つ、ありとあらゆる物語が点在する島。
スポーツ少年の再会、人見知りの勇気、囲われた少女の受難、異界の王の悩みの種。さまざまな物語が、語られる島。