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第十二部 終わりの終わり


※※※※※


「む…………?」

 俺が立ち上がったことに反応したのか、女帝が電話を中断する。そして目線が肩に、背に、表情に、次々と移っていき、

「――すまない、理事長。どうも私の勘違いであったようだ。こんな遅くに、騒がせたな」

 電話を一方的に、切った。

「……お前、さっきと――――」

 怪訝な表情で俺を見つめる。

「いえ、けど――……ならば、」

 瞬きの速度を持って、女帝の手が地面に散乱する戦斧に向き、

「《斧球演舞》!」

 言葉と同時、斧球が構成されるまもなく俺に向ってたたきつけられる。

《戦斧の聖女》を構成し、《聖女の抱擁》を成し遂げ、今なお斧球を構成するそれの切れ味は先と変わらぬ天下無双。触れればその身は微塵に切り裂かれ、掠ればその肉はそぎ落とされ、そして受け止めればその身に命はもはや残されない。

 まさにそれは『死の塊』。触れれば死ぬ、そういっても、過言ではないだろう。

 が、俺はその斧球を前にしても、動かなかった。

 頭が、一瞬で考える。構成物は先ほど手にしていたレイピア、だけどあれでは丈夫さに欠ける。もう少し短く、しかし太く創って変わりに重量を増し増しに。

 接近する斧球、それに俺は手を向け、


「《在れ》」


 脳裏に描いた『それ』を、ただ一言で俺は『肯定』した。

 言葉に応じるかのごとく、宙より顕現したのは『剣の玉』。

 一桁では到底足りず、二桁でも数え切れるかどうかも不明、三桁にしてようやく数え切れる希望を見い出し、そして数えている最中に四桁への恐怖がわきあがる、そんな数によって構成された、旋廻する剣で出来た球体。

 いかに一撃必殺である無形の球体であろうとも、

 それと同一の存在であれば、打ち落とせぬ道理はない。


 ―――― っ! ――――


 激突音は一瞬であれど、その響きは無数。

 女帝が支配する斧球と、俺の支配する剣玉。その二つは完全に拮抗した力を持って、互いが互いのすべてを打ち落とした。

 無数の鋼が地に散る向こう、女帝はにやりと笑みを浮かべる。

「やはり―――目覚めたのね………」

 そして女帝は両手を天に掲げ、それに付き従い戦斧が宙へと舞い上がり、旋廻によって一寸の刃と化す。

「《聖女の抱擁》!」

 振り下ろされるまでの一瞬、俺は自分を覆いきる『無形の盾』をイメージし、

「《在れ》」

 肯定すると同時、降り注ぐ十本の断頭台。が、それは俺の眼前どころか頭上にすら届くことなく、俺の額の斜め前方で、そこに存在する何かに激突し、その軌道を停止させる。

「はは……実に楽しいわね。やっぱりクライマックスは……こうでなくてはなっ!」

 そして女帝は両手を広げ、宣言する。

「《わが被造物は己の時代を形成せよ!》」

 新たな時代の到来を。

 断頭こそが支配する、破壊の到来を。

 いつか見た光景。ドームでも構成するかのごとく、戦斧は天を半円形に覆い隠し、宵闇を完全に鈍色の鋼空へと変えていく。

 だが俺は、心を動かされることはなかった。

 時代が到来するのなら、それが到来すると予期できているのなら、それに対して備えればいいこと。

 想像する。自らを完全に囲いきる、確かな重量と質量を持った、大型の盾を。四方ばかりではなく、上空まで完全に覆いきるような、盾というよりは金属の部屋そのもののような防壁を。

 名を決めよう、とぼんやりと思った。到来するは《(スケッ)時代(ギォルド)》。北欧神話、ワルキューレに存在する英雄の導き手。ならば――

「《(スケッ)時代(ギォルド)》!」

「《軍勢(ヘル)の守り(ヴォル)》」

 時代が飛来すると同時、俺の視界は突然出現し壁によって、暗黒に閉ざされる。

 金属音は一音なれど幾千もの響きを持ち、すべての方角を持って襲来する。襲来するは音のみであり、けしてその音を奏でた戦斧(がっき)(かんきゃく)に見せることはない。

 連なりが続いていたのはいかほどの時間か。

 瞬きの間、あるいは人の生死が決するほどの間を持って断頭の支配する時代は閉ざされた国を侵略することなくその時を終局させ、閉ざされた国はそのうちに抱える者を解き放った。

 地に突き立ち、散乱する無数の戦斧。

 それらの中、俺と女王は再び対面する。

「………そうだ、それでいいの――」

 満足げに、女帝は笑う。

「『万物を肯定する力』………自分の精神世界に存在するものを肯定することで世界にその物体を存在させ、あるいは『その物体が存在しない世界を肯定する』ことで、その物体をこの世界から否定する――――傷を治したのも斧球に渡り合ったのも、《斧の時代》を生き抜いたのも、その魔法か………」

 やれやれ、とでも言うように、笑みを浮かべたまま女帝は首を振る。

「私と同じ……いや、それ以上かもしれないわね。厄介にも、ほどがあるわ……」

 悠然とした笑みのまま、その目は俺を捉える。

「だからと言って――――」

 そして姿勢を低くし、

「――――負けるつもりは…ないけどね!」

 瞬間、女帝は駆け出した。

 力は同等、守りは同等。ただ異なるのは戦に関する熟練度のみ。

ゆえにより自分が熟練した要素である近接戦にて片をつける。

 おそらくは、そう考えてのことだろう。

 地に突きたった戦斧を両手に引き抜き、一直線に駆ける。

 その速度は疾風。瞬きの間に敵との距離を零にし、手にした得物で相手を滅する。それほどの速度。そうであるからには振るわれる速度も一級のものであり、そしてその速度で振るわれる得物に対応する術を、俺は持っていない。

 だが、その疾風にしたところで、

「《在れ》」

 音の早さには、遠く及ばない。

「うぬっ………!」

 肯定したのは突撃する槍衾。神通無比の突貫力を持つ、『いかなるものであろうとも阻むことのできない槍』。槍は数十本の雨となりて女帝へと向い――

「なめるな!」

 その胴体の中心、女帝の体を射ぬかんと突撃した槍を、女帝はいとも簡単にそらしきる。そのままその身は俺の眼前まで迫り、そしてその右手の戦斧が俺の首めがけて振りかぶられる。

「死――」

「《在れ》」

 瞬間的に想像したのは鎧のように全身を囲む『姿なき壁』。鎧では本来存在しているはずの継ぎ目もその壁の前では存在せず、結果として女帝の戦斧は壁の前に制止する。

「くっ」

「《在れ》」

 続いて右手に西洋剣を肯定し、女帝に横一閃を叩き込む。女帝はそれを左手の戦斧で受け止める、が安定していない空中で受け止められるはずもなく、結果としてその身は後方へ弾き飛ばされ、

「…………やるな」

 空中で回転することでその勢いを殺しきり、自らの両足で地に降り立つ。

「これほどにまで厄介だとは……正直予想外ね」

 両手の得物を放り捨て、女帝が不適に笑う。

「……その力があれば――あるいは私の願いもかなったかもしれないんだけど………ま、ないもの言ってもしょうがないわね」

 ………?

 女帝の、願望。

 その言葉が、妙に引っかかる。

「何なんだよ、その願いって――――」

 手の中の西洋剣を放り捨て、

「たった一人の少女をボロボロに追い詰めて、その妹まで瀕死の状態にして、最後には片方の命を奪い去る――――そうまでしてかなえる必要のある願いなのか?」

 大樹に頼ることさえせず、その機能まで願望の過程に組み込むという、壮大な願望。にもかかわらず、それを支えるのはたった一人の少女の命でしかない。そこを引きぬかれれば一瞬で瓦解するような、巨大で繊細な夢なんて、俺の思い至るところなんてひとつしか――――

「はっ」

 俺の問いかけに、女帝は乾いた笑いを漏らした。

「そうまでしてかなえる必要のある願いか……?」

 大樹を見上げるように、女帝はその目を這わせた。

 何かを慈しむように。

 何かを懐かしむように。

 そして、あまりにも寂しげに。

「――決まってるでしょう?」

 呟き、

「………私は、もう独りでいるのはいや。

一人で過ごす無音の家も、心が届かぬ隣の空席も、己のものしか聞こえぬこの胸の鼓動……生きている、証も。

 もうそれこそ、死んだほうがましって思えるほど」

 心の底から吐き出すかのように、女帝は、眼前の孤独におびえる少女は、言った。

「だから、私はそのために何でもするわ。何人殺してでも、何人穢してでも、この孤独から出て行く」

 そう、そこにいたのは全てを蹂躙する女帝ではない。かつての俺と、令と同じく、ただただ『自分ひとりしか存在しない』という感覚におびえる、俺と変わらない少女の姿があった。

「だから、わたしは」

 少女は断言するかのように、足元の戦斧に手をむけ

「貴方を、止める!」

 一気に両腕を跳ね上げた。

「《戦斧の聖女》!」

 俺が反応する隙さえも与えず、少女は断言した。

 言葉に従い、戦斧が再び俺を取り囲む断頭の棺を、魔女の拷問用具を模した《処刑の棺》を作り出す。

 そしてさらに、

「《断頭の檻よ、その重なりから己を構成せよ》!」

 瞬間、俺を取り囲む戦斧の球体が二重にぶれた。

 構成する戦斧、それらのうちから『それとまったく同じ姿をしたもう一枚の戦斧』が現れることで、戦斧の檻が二重となる。

 が、まだ終わらない。

 増加した戦斧の列からさらに一重、さらに増加した列からさらに一重、さらに、さらに――――

 それを繰り返し、内側に光すら通さない、逃れることさえも不可能であることを暗に告げる《聖女の懐中》を作り出す。

 確実に逃れられぬ死をもたらす、光通さぬ檻。

 それはまさに、棺桶の名にふさわしい存在であった。

「もう逃れられない。いくら貴方が全てを肯定できたとしても、こればかりは逃れることは出来ない………」

 光を完全に阻むほどの密度を持つ、戦斧の棺桶。その向こうから響く、少女の宣告。

「……死ねばいいのよ。もうとめるなんて生易しいことは言わない。邪魔をするなら殺す、道をふさぐなら壊す、そうやって、この願いはかなえるわ――――」

 光すら届かぬ棺桶の中、俺はひとつの物体を想像する。

 闇を貫き光もたらす、手段なき願いに手段を与えるもの。それは、万物を貫く槍。『救世主処刑(ロンギヌス)の槍』、『不可避(グングニール)の魔槍』、『一騎当千(ゲイボルグ)の銛』。神をも殺し、避けることが出来ず、外れることもない、しかし目的は殺しではなく、縫いとめるものである、そんな槍にも似た『楔』を。

「――――だから、巫女ヶ浜明……」

 肯定しろ、全ての力を。

 眼前の少女の願望を否定し、

 俺自身の願望を、肯定するために。

「あたしの望みの為に――――死になさい!」

 瞬間、俺の周囲の全ての戦斧が軋みを上げ――

 そして、戦斧が殺到した。

 殺到した戦斧は俺に向って正確に飛び、しかし俺が身にまとう存在しない鎧にぶち当たって地に落ちるものの、その数が減ったことを感じさせないほどの量を持って、再び飛来する。

 このままでは、この鎧も長くは持つまい。

「………ごめん…」

 その殺劇の、中。

 俺は、己の思い描いた者の存在を、世界に肯定した。

 それは『楔』。

 長く伸びた柄、その先に存在する直線的な刃、鋭利な先端。三連槍のように三つ又になった先端は何かを捕らえることを目的としているかのように伸び、その柄尻には小さな羽根のような石突まで突いている。

 槍と同じ見た目ながらも、『貫くこと』ではなく『縫いとめること』を目的とする武器。

 それはまさに、神でさえも捕らえて離さぬ究極の『楔』だった。

「………なんて呼べばいいかわからないけど、とにかく、ごめん」

 俺は、殺劇の中に肯定したそれを右手で掴み取り、

「俺は、」

 大きく振りかぶって、投擲姿勢を形作り、

「あんたの願いを、踏みにじる」

 そして転倒せぬよう、足をしっかりと踏みしめ、

「踏みにじって、俺は―――」

 場所の見当を、適当につける。これは不可避の槍だ、はずすことはありえない。

「俺の願いを、かなえる」

 令と生きる、この先の未来。

 それをかなえるため、俺はあんたを傷つける。

 どんなものと引き換えにしても、

 俺は、俺の願いを優先し続ける。


「魔術《ゴルゴダの鉄楔》」


 言葉と同時、俺は《楔》を投擲した。

 投擲された楔を、阻む者はない。先行きを阻もうとした戦斧は全て《楔》によって貫かれ、弾き飛ばされ、いなされ、その棺桶に光を通す穴を開ける。

 そして、その先。

 その先に俺の狙い穿つ少女を見つけた瞬間、《楔》の軌道が不自然に変わり、

「なっ………!」

 言葉と同時、響いたのは刺し貫く音。

 水を含む繊維質を刺し穿つ、生物に嫌悪をもたらしかねない不気味な音。

 そしてその直後に硬質な何かを穿ったような硬質な音が響いて――――


 瞬間、

 少女の作り上げた《戦斧の棺桶》は、崩壊した。


 落下ではない、ただの消失。

 宙を舞っていたものも群れの中で旋廻していたものも、すべてその場で溶けるように消え、衝撃すらももたらされない。

 その広場に残ったもの、それはわずかに三つ。

 真っ赤に染まった制服に身を包んだ俺と、

 大樹に突き立った《楔》、そして、

 右肩を穿たれ、《楔》によって縫いとめられた、少女。


 それら全てを、大樹はただ、見下ろしていた。


※※※※※


「……………」

 阻む者のいなくなった今、焦る必要はない。

 ゆったりとした足取りで、俺は正面に聳え立つ大樹のふもとに立った。

 先の激戦にも微動だにしなかった、大樹。あいも変わらず超然とした様子でその枝葉を広げ、そこには変わらず四種の花を広げている。

 そしてその中には、俺の目的とするものが存在する。

 雨鏡令の、鏡の向こうに存在する少女の、命。

 取り戻すことは、おそらく不可能。大樹が令の命を取り込んだのは令の願いに答えた『代償』という形であり、その状況下で令の命を無理やりに開放させたところで、大樹は何らかの形で再び令の命を己の中に呼び込むだろう。

 だから、取り戻すことはやらない。

 ただ、断ち切る。

 令と、大樹とのつながりを。

 手を、伸ばす。

 両手を大樹に触れさせ、そこにある乾いた樹皮の感触とかすかに存在する暖かさ、それらを己の感覚として実感し、俺がやろうとしていることを再認識する。

「……そうして、どうやるつもりなんだ? 明――」

 右から届いたのは、女帝の、小米姉さんの声。貫かれた肩の痛みに苦しげながら、いつもと変わらぬ様子で、いつもとさして変わらぬ言葉を、かけてくる。

「わかっているだろう? いくら大樹という存在の外部を攻撃したところで、大樹という存在のもつ力までは届かん。我々のもつ魔法で調整しようとも、どういう仕掛けなのか大樹はその力を全て跳ね返してしまう。我々では、どうすることも出来んよ――」

「………わかってるさ」

 大樹は俺が外から何をしたところで、その干渉を跳ね返してしまう。それは俺の真の力を用いたところで、例外はないだろう。ゆえに令の命を助けることは出来ず、全ては徒労に終わる。

 ………ああ、そうだろうな。

 俺が、あの事実を知らなければ。

 おそらくは、そうなっていただろう。

「それでも、手段はある」

 言って、俺は額を大樹に押し当てた。

 そして、内心で言う。


 ―――― 同調、開始 ――――


 いつものごとく浸透する感触 自分の輪郭があいまいになり、自分の感覚がおぼろげになり、自分の意識が朦朧と化し、そして自分の記憶が魍碌化する。

 本来ならそのまま身を任せるはずの感触。

 だがそれを、俺は自意識を総動員し、無理やりに引き止めた。

「っっっっっ!」

 それは激痛。自分の意識が剥離するために生じた、体を引き裂かれる痛み。

 それは現実。大樹という幻想から自らの認識を引き剥がしたために生じた、全てを受け入れるための痛み。

 そして、それは拒絶。

 世界から自らの存在を引き剥がし、大樹によって許容されていた自分、その状況から無理やり現実に自らを移行させたが為に生じた、世界全てから拒絶される痛み。

 それらを無視して、俺は探した。

 大樹と完全に同一化していない今、俺は大樹の内と外、二箇所に存在していることになる。

 ゆえに探せる。大樹の中を。

 自分の意思を持って、大樹の中を、散策できる。

 ………からみ、あってる…

 幾多もの人と、幾多もの思い。それらが無数、複雑に絡み合い、織り成し、形作り、編み上げ、葉をなす。

 それは枝葉の迷い道。大樹という力によって存在させられる、願いの木々がその形。

 代償を求めるも、それは小さく。

 現実を変えるも、それはわずかに。

 全てを支配する力を持ちながら、それを行わぬその姿は、とても穏やかで、そしてとても、やさしかった。

 枝葉の迷い道を、俺は探す。

 ただ一人の命を。俺の欲する、願望の形を。

 ………どこだ、令……

 どこに、いる……

 大樹に触れている左右の手、そこが引きちぎれるように痛む。軋みを上げる全身よりなおひどく、痛みを嘆く全身よりなお深く。

 おそらく、長くは持つまい。

 ………令、どこだ…?

 これ以上は、渡さない。

 俺はもっと、あいつと話したい。

 俺はもっと、あいつのそばにいたい。

 俺はもっと、あいつを知りたい。

 俺はもっと、あいつに与えたい。

 俺はもっと、あいつとかなえたい。

 あいつの望みを、一度だけ俺に話した、その願いを。


 ―――― 私が死ぬまで、

      そばにいてくれますか? ――――


 それはきっと、今生の誓い。

 己の未来の道行きをともに歩んでほしいと願った、たった一度の、しかしとてつもなく大切な、願望。

 今思い返してみれば、俺はあの時肯定するべきではなかったのかもしれない。

 おそらくあの時、俺はこう答えるべきだったのだ。


 ―――― ああ、

      俺も、そばにいたい ――――


 それはきっと、永世の願い。

 己の未来の先行きを託してくれた、たった一人の少女に答える、唯一の、そしてとてつもなく大きな、返答。

 その先にあるのは、幸いだろう。

 俺の人生を両方とも知り、俺の抱えた孤独を知り、そしてそれを知ってなお俺を受け入れてくれた、ただ一人の名もなき少女。己の存在を知った上で、『鏡以外が存在しない』名前を名乗り、ただそれに耐え続けてきた、その少女。

 その娘が、そばにいてくれる。

 それは、そう。

 これ以上を望むことが出来ないほどの、幸せではないだろうか。

 ………だから、令。

 一緒に、生きよう。

 これまで、一緒だったように。

 もう一度、これからも――――


 ………見つけた!


 ひときわ大きな枝葉の先、そこにある葉の群れの、さらに奥まった場所。

 果実のように、その命はあった。

 感覚が、確かに告げる。

 この実は、雨鏡令、孤独を恐れた、名もなき少女である、と。

 意識を、その枝葉に向ける。

 意識を、現実の体に向ける。

「………悪い、鷺………」

 現実で、俺は呟いた。

「…ごめん、梓……」

 ただ、確認を取るかのように。

「二人の力、借りるぞ……!」

 そして俺は今にも引きちぎれそうな感覚を伝えてくる両手に力を込め、叫ぶ。

 左手は命を示す腕。よってそこには親しき妹の力を。

 右手は全てを握る腕。よってそこには良縁ある友の力を。

「《The wish comes true by all means》!」

 そして、

「《I give a rabbit wish the clock happiness》!」

 大樹の中に存在した、最強と歌われた才能の持ち主であった妹の力。名もなき少女の願いに答えながらも、まだその命を残していた梓の力。

 それらが大樹の内側から、俺の意識へと呼応し、やってくる。

 そう、これが盲点。

 巫女ヶ浜に限らず、魔道大家の持つ、魔法。

 それは、その意識ではなく、その命に宿るものなのだ。

 そして、大樹の中には。

 ………二人の命が、まだある!

 俺の意識、そこから放たれた二人の呪文に答え、二人の力が俺の下へ、大樹に存在する意識の元へと移動する。

 力と、場所。

 その二つは、確かにここにそろった。

 あとは意識を向けて、ただ命じるのみ。

 ………ごめん、だけど、

 頼む。

 ………この命を、ここから、

 切り、離して。

 ………自由に、してやってくれ。

 命令というよりはお願いであり、そしてさらにお願いというよりは懇願に近いものであったのかもしれない。

 が、それは確かに俺の目指す命に通じて――

 その瞬間、俺は。

 大樹の中に存在する俺の意識の中に、二人分の力を感じた。

 ………いける。

 意識のほうの俺、そこにある確かな力の感触。現実であれば多種多様な使用法に恵まれたその力も、大樹の中においては漠然とした力に過ぎないようである。

 が、それで十分。そう判断した俺はその力を左腕に込め、そして枝葉が実を支えている蔕の部分に叩きつけた。

 極大といっても差し支えないほどの大きな力、それを持ってゆすられた蔕は大きく揺れ、

 そして現実、俺の左腕が『崩れた』。

「ひっ……あ、あああああああああ!」

 左腕の、肘から先。その部分が文字通り完全に崩れ『銀の砂』と化し、そして身が粉塵と貸したことにより、耐え難い痛みがそこから這い登る。

 痛みは意識をひいては体そのものの感覚を曖昧化させ耄碌化させ存在すらも曖昧にし痛みに全ての感覚が集中するがゆえに俺というものの全身はその痛みの中に凝縮されきりそれ以外の感覚が朦朧としたまま放置されるそしてその状況下無理やり全身に意識をやれば全身が同じように軋みを上げて崩れかけている子をを見その事実に発狂しそうなほどの焦燥を覚え事故消滅の恐怖に体が崩れそうになって


「《在れ》!」


 健やかなる自分、など肯定できない。

 今はただ、これ以上崩れないこの身を肯定するのみ。

 崩落は、静止した。

 が、すでに崩れ始めた部分は、止まらない。

「ぎッ…ひっ………」

 崩れた左腕はそのままに、俺は再び右腕だけに意識を集中させ、同調を続ける。

 蔕は、すでに落ちた。

 だがその実はその場を動かず、落ちてくれない。

 落ちてくれなければ、解放したことにはならないだろう。

 だがもうやれることはやってある。蔕は落とした、それは事実。ならなぜ落ちない? この命の実は、どうして大樹から離れていかない?

 ………ああ、そうか…

 鎖を放っても、

 呼ぶ声がなければ、

 それは、動いてくれないだろう。

 ………帰ろう、令…

 思いながら、俺は口を開く。

 俺があの日語ることが出来なかった、そして鷺が梓の前でよく口にしていた、その言葉を。

「What color is――――」

 鏡の色は………

「――――a color of the mirrors?」

 ………何色ですか?

 そこに確かに存在する鏡、その向こうにあるものを問う言葉。

 雨鏡令の存在を問う言葉を、俺は口にした。

 その言葉に、答えるように。

 大樹の中から、令の、

 名もなき少女の命が、消えた。




「………………………」

 意識を、引き上げる。

 朦朧と、する。

 ぼんやりと、する。

 世界を、正確に捉えられない。

 一歩ごとに、体がきしむ。大樹の中で無茶をした影響なのか、俺の魔法も不完全のようだ。

 感覚が告げる。

 あと一度、肯定すれば俺が肯定したものが全て消えうせる、と。

 それが意味すること、それは、俺の体の消滅。

 ………さすがに、予想外か…

 反動で昏睡ぐらいはするだろう、とは踏んでいた。大樹の中で無茶をやらかすのだ、さすがにそれぐらいは反作用としてくるだろう、と。

 が、まさか俺自身の体が崩れるなどとは――考えられるはずもない。

 一歩を踏み出すごとに、派手に軋みを上げるこの体。

 だが、俺にはまだやることがある。

 だから、いかなければ………

「…何処へ行く?」

 後ろのほうから、小米姉さんの声。

 その声に、俺は振り向きもせずに答えた。

「………病院、へ…行く」

 軋む体を、引きずって。

「鏡を……壊すために…」

 その言葉に、小米姉さんは、

「………そうか」

 それだけを、言い残した。


※※※※※


 たどり着いたときには、もう夜が明けかけていた。

 窓から差し込む光は群青色にやさしく、無機質な白の部屋を青に塗り上げていた。

 部屋の中には、誰もいない。存在するのは今にも崩れきってしまいそうな時折銀砂を零す体を引きずる俺と、ベッドの上で死んだように穏やかに疲れたように眠る、名もなき少女だけ。

 その体には力なく、その表情には色がない。眠りの中にも安らぎがないことが見て取れ、ただ単純に、作業として眠っているだけであることがすぐにわかる。

 ICUの前にも、人影はなかった。

 おそらく容体安定を期に、二人とも眠ったのだろう。

 ………都合がいい、か。

 これから俺がしようとしていることを考えれば、そのほうがいい。

 不法侵入、だけではすまない。

 本能が告げる。この先、何かを一度でも肯定してしまえば、俺が自分にかけた魔法は解け……そのまま、大樹に取り込まれてしまうのをとめることは出来ないだろう。

 名もなき少女の、代わりとして。

 その存在の全てを、大樹の中に。

 ………いいのか、それで…?

 即答は――出来ない。

 だが、冷静になって考えれば、答えは出る。

 俺は凡人ではない。俺は巫女ヶ浜だ。大樹の中に命だけ取り込まれるならどうしようもないが、その存在全て、大樹の感覚を叩き込んだ全てを丸ごと持ってかれるのならば、どうにかなるかもしれない。

 ………こいつには――

 悪いことを、するけれど。

 ………だけど、俺は最後に――

 この、名もなき少女に。

 鏡の向こう側で、たった一人で泣いていた少女に。

 一人でない、世界を――――

 軋みのひどい右手を上げる。その手のひらを名もなき少女に向ける。

 この少女には、名前がない。自らが鏡であるということを自覚した瞬間、この少女は自らの意思で名前を捨て去り、鏡であることを肯定した。

 だが、大樹の全てから解き放たれた今、この少女は、もはや鏡ではない。

 ゆえに、俺が送るのは健やかな命と――――


「………《在れ》」


 軋みを上げる全身、その軋みがさらに大きくなる。

 砂の塊であるこの体がその事実に耐え切れず、崩壊を始める。

 痛みはない。痛みを感じるための期間はすでに砂と化して崩れ落ち、その体に痛みを伝えることすらも出来ない。

「……おはよう、令…いや、」

 右腕で、あったものが、

「もう、令じゃない――か」

 左肩で、あったものが、

「おはよう、鏡の向こうの姫君――」

 左足で、あったものが、

 右足で、あったものが、

 崩れ、落ちていく。

 銀色の砂に、変わって。

 それは紛れもない消滅、絶対的な消失。意識は次々と混濁して耄碌化して途切れていき、正確な思考はもはや出来ない状況となる。すでに体はその身を支える足をなくしたことで屹立することを良しとせず、今やこの体は、しゃがみこんでいるに等しかった。

 それでも、俺は笑う。

 目の前の少女にもたらされる、これからの幸せ。

 それらを心のそこから、祝福して。

「…………ちゃんと、帰ってくるから、それまで。俺の家、よろしくな」

 あれだけ広い家だ。放置すれば、簡単に古びてしまう。

 眼前の少女が身じろきする。その目が、うっすらと開かれる。

 目覚めは、近いだろう。

 俺に出来ること、それは、この少女を祝福することだけだ。

 この先の未来に確かに有る、希望を祝福して、

 俺は、名前を送ろう。


「………おはよう、俺の大事な人。

       桜守――()()………」


 もはや意識を保つことさえも出来ない。

 体も、そろそろ限界だろう。

 それら全てを痛感して、俺はゆっくりと閉じていく世界に身を任せ――


 そしてその直前に、少女が、桜守有希が身を起こすのを見、


 俺は、満足げに笑って――――


「……明?」


 言葉と同時、

 俺の体は、崩落した。



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