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第十一部 決戦

   ※※※※※※


 死ぬのは当然のことである。

 悲しむ必要はない。

 そんなこと、頭ではわかっている。

 一日に死ぬ人間の数は軽くひとつの町の人口を超え、それを悲しむ家族はそれよりもさらに多い。あるいは少ないのだろうか。

 とにかく、日々世界の中では毎日この島の人口程度なら軽く全滅するほどの人間が死に、それよりもはるかに多い、あるいは少ない人間がそれを悲しんでいる。それはこの世界に人というものが生まれて、そして滅びるまでの間、日y像的に繰り返されてきた戯れごとであり、それを悲しむ必要はどこにもない。

 そんなこと、頭ではわかっていた。

 わかっていた、つもりだった。

 だけど、

 実際、それに出くわしてしまって、

 受け入れることができるかとなると、

 話は、変わってくる。

 現に俺が、そうであるように。


 須藤総合病院、ICU。

 その前のソファ、つい二週間前には例と二人で座っていたソファに、俺は座っていた。

 三人で。

 俺と、梓と、令の母親。その、三人で。

 それぞれが浮かべる表情は一見すると異なれど、それの示すことは同じ。愛しい人、大切な人、家族、それを失う可能性を目の前に提示されたものが浮かべる、『死を前にした悲しみ』。今生の離別におびえる、恐怖の感情ともいえるもの。

 隣に並びながらも、俺たちは一言も口を利かなかった。

 言葉を口にする余裕など、なかった。

 ただ内側を駆け巡る恐怖と悲しみを押さえつけるのに必死で、もし一言でも言葉を口にすればその感情が堰を切ってあふれ出し、暴走してしまうことがわかっていたから。

 だからこそ制服姿の俺も、数日前から病院に泊り込んでいる令の母親も、二日ほど前にたって歩き回れるほどに回復した梓も、言葉を発さない。

 それはある意味、ICUの前の風景としては普通だったのかもしれない。親しいものとの離別におびえるその風景は、この場にとって見ればまりにも日常的な風景で、そこに存在する一切の感情を加味する必要がなく、ただ『日常』というぬるま湯のような暖かさと残酷さを兼ね備えた言葉によって押し流せてしまうような、そんな風景なのだ。

 だが、当事者にとってはそうではない。

 特に、俺にとっては。

 この先に控える結末を知っている、俺にとっては。

 ………葬儀場だ。

 内心でそう思いながら、額の前で組んだ拳を握り締める。

 火葬。

 今までそこにあった、親しきものを一寸の灰と骨だけを残し、この世に存在していた証を骨と思い出のみにしてしまう、やさしいながらも残酷な装置。その装置を通されたものはその人でありながらもうその人ではなく、そこにいながらもそこにいない。

 そんなものへと、変わる。

 結末を知っている俺にとってここはICU、生きるものの命を永らえさせるための場所の正面ではなく、ただ生きていた証を消滅させる期間に等しいとさえ言えた。

 部屋の内側では、今なお令の命をつなぎとめるための処置が続いている。

 だが、俺はもう知っている。知ってしまっている。

 令は、『鏡となった名もなき少女』は、もうこの部屋から出てくることはないだろう、と。

 もう俺たちに、あのゆったりとした微笑で語りかけてくることは、ないのだろう、と。

 その先に希望がもう残されていないのであろう、と。

 先の見えないはずの物語、それにどんな結末が待っているのかを、もう知ってしまっている。

 隣で娘の、姉の元気な姿を待ち望む二人には知らせることのできない、あまりにも残酷な内容を。

 そして俺とて知りたくはなかった、あまりにも悲しい結末を。

 ………そんな、結末――

 認めたくは、ない。

 覆る可能性がもう残っていないと知りながらも、その先に待っているものが何であるのかを知っていても、何によってもたらされているのかを知っていても、それを認めたくは、ない。

 二ヶ月と、ちょっと。

 たったそれだけといえてしまうような、短い間ではあった。

 ほんのわずかだろうといわれてしまえば、反論できないような期間ではあった。

 だけど、その間に――――

 俺は心溶かすような微笑みを知った。

 俺は孤独から救い上げられる暖かさを知った。

 俺は弱さの上に成り立つ強さを知った。

 俺は目の前に示唆される孤独におびえることを知った。

 俺は隣にいてくれる人の偉大さを知った。

 俺は鏡の向こう側に存在する少女を知った。

 そして俺は、

 それらをもたらしてくれた人を失う、恐怖と悲しさを知った。

 鷺のいなくなった、穴。

 それを埋めていてくれた、一人の少女。

 それを失いたくないと、思うことができるようになった。

 ………いやだ。

 失いなくない。

 ………頼む。

 そばにいてほしい。

 ………いやだ。

 一人に、しないでほしい。

 その声が、聞きたい。

 かなうはずのない願い。

 この島をこの島たら占めている、巫女ヶ浜によって支えられている大樹。それを持ってでさえ、かなえることのできない願望を、抱いた。

 だからなんだろう。

「……………明、さん」

 隣からかけられた声を、一瞬令のものだと思ってしまったのは。

「……ん?」

 ゆっくりと首を傾け、左隣に座っている梓のほうへと振り向く。

 表情は、硬い。長時間ここに座っているためだろうか、あるいは心労のためだろうか、出会ったときよりも長く伸びた髪はところどころほつれ、姉によく似た顔の中にも疲弊の色が混じっている。

「…おねえちゃんは……助かりますよね……?」

 今にも零れ落ちそうなほど湿り気を帯びた声。

 そんな声で、俺にすがりつくかのように問いかける。

「………梓、」

「…知ってます………お姉ちゃんは、願ったんですよね、あの木に………」

「…………」

「わかりますよ――…わたしも、使えますから。お姉ちゃんを助けるために、願った後から………」

 大樹に願ったとき、彼女の命の一部は大樹の中に取り込まれた。そこから部分的に大樹の力を流されていたのだとすれば、巫女ヶ浜のように大樹に同調できたとしても、魔法を使えたとしても、大樹の機微がわかってしまっていても不思議ではない。

「………お姉ちゃんは、また願ったんですよね――――私の命を、助けるために。私も、こうなったことがあるからわかります。だから、お姉ちゃんは、こうなったんでしょう………?」

 肯定することも、否定することもできない。

 事実を事実であると肯定することが、できない。

「明、さん――――」

 内側にたまりこみ、荒れ狂っていた感情。

 それが、あふれ出す。

「お姉ちゃんは…助かりますよね………?」

 その顔を隠すように、梓は顔をうつむけた。

「お姉ちゃんは………私の――せいで……死んだりなんか…しません、よね――?」

 あふれ出した感情は、とまらない。感情という抽象的な存在は、この世界にあふれ出た瞬間、何らかの形をとり、世界に形を残す。

 うつむけた顔の下、その床に、しずくが滴った。

 そんな梓に、俺は、

「…………大丈夫」

 勤めて冷静に、冷静を装って、

「きっと――いや、絶対、令は、助かる」

 ありえるはずのないとわかっている、慰めの言葉を、口にした。

 梓は顔をうつむけたまま、それでも確かにうなずいて、

「………そうですよね…明さんは、巫女ヶ浜ですから……」

 そして、ポツリと。

「お願いします………お姉ちゃんを、助けてください…」

 俺に、懇願した。

「……………」

 一切の返答を返せるはずもなく、俺はただただ、沈黙するばかりだった。

 確かに、巫女ヶ浜であれば大樹と同調できる。だがそれは、魔法という力をその血に、命に宿しているものであれば誰にでもできるスキルに過ぎない。それに、大樹の力はあまりにも強大だし、内側に入り込めたとしても、それは俺の意思だけ。命まで入り込んでいない魔法使いは、その力を振るうことができない。

 大樹に対抗するすべが、ない。

 外側から切り倒すことも、できないだろう。力云々の前にまず大きさがありすぎて、チェーンソーであろうともほとんど歯が立たない。だからといって内側から破壊しようにも、俺にはそうするだけの力がない。大樹の内側に存在する力を使うなんて器用な真似、俺にはできな――――


『おはよう、私のかわいい種子』


 い、と思いかけた瞬間。

 その言葉が、脳裏をよぎった。

 そして思い出す。あの『夢』を。

 そしてつながる。すべての手段が。

 そして、理解する。

 まだ、手段が残されていることを。


 ………ああ、なんだ。

 手段は、目の前にあったのか。

 だがこの手段をとれば、その先にあるのはこの島の崩壊。

 白樺島を白樺島たらしめているものの、崩落が待っている。

 そしてその天秤の反対側に乗るものは、一人の少女の命でしかない。

 それでも、いいのか?

 ………いいに、決まってる。

 小米姉さんの問いにも、そう答えたはずだ。

 たとえ巫女ヶ浜である自分を失うことになったとしても、

 令の、そばにいるって。

 それを、実証するときがきた。

「……………」

 無言で、俺はソファを立ち上がる。

「………梓、ちょっと、悠に連絡してくる。あいつ、こういうこと忘れるとうるさいから」

「………早く、戻ってきて、くだ、さいね…」

 弱弱しく言う梓の頭に軽く手を置き、

 俺は、小走りで駆け出した。

 俺の隣にいる、一人の少女を助けるために。


※※※※※


 魔道大家が一角、巫女ヶ浜。

 古くから託宣に秀でた力を保有し、魔道大家の先行き、ひいては世界の先行きを予言することでその力を誇示し、またその家を守ってきた家柄である。

 排他的な要素は一切なく、受け入れるべきと判断されたものは遠慮なく受け入れ、古くから血に関するこだわりさえも持たずに進んできた一家。今でこそその力は弱まり、大家の中でも最低の位置に収まっているが、それでも大家は大家である。分家筋であろうとも、その当主に納まるものには、それなりの才覚を要求される。

 だからこそ、俺のような巫女ヶ浜の出来損ないが当主の立場にあり、お役目を遂行しているという自体はかなり特殊なのだ。俺に見合う立場は精々が当主のサポート役、それも日常の世話を担当する役割程度であり、当主など勤まるほどの器ではないと自覚していた。

 それがなぜ、当主になったのか。

 ………簡単だ。

 妹が守った家を、潰したくはなかったから。

 幼い妹がその身を賭けてまで守ってくれた家を、そう簡単になくしたくはなかったから。

 だからこそ、俺は御涯家当主跡取りの立場が確定している小米姉さんに助けを求め、姉さんもそれを知っているがためにその求めに応じ、俺を当主に就任させた。

 しかし、今。

 俺は、宵闇の中。

 それを、壊そうとしている――――


 いつの間にこんな時間になったのか、空は完全なる闇の色。住宅街の中を抜けてきたにもかかわらず、その家々の明かりもほぼ完全に途絶えており、俺たちがどれだけ長い間病院にいたのかを身をもって思い知らされた。

 当然、家々がそうなっている以上、公園にまで人がいる理由はない。

 ましてや大樹のふもとともなれば、願い以外の目的で立ち入るものなど皆無に等しいだろう。

「…………………」

 神妙な面持ちで、俺は大樹を見上げた。

 相も変らぬ神々しさ、相も変らぬ威厳。広げた枝葉はほかのどの木よりもなお広く、四色の花をなすその姿はほかのどんな木々よりもなお美しい。いつもならそれだけで終わるはずのその感覚も、今日ばかりは違った。

 懐かしい。

 帰ってきた。

 そんな、古巣に戻ってきた際に感じるような、確かな『帰依』の感覚が、そこにはあった。

 ………そう、か。

 梓とはじめてであったときの違和感。

 あれは、彼女の命が大樹に取り込まれていたが為に起こった『帰依』の感触であったのだ、と。

 納得して、そして俺は大樹のふもとへと一歩、踏み出した。

 今日まで今までという過去、この瞬間という現在、これからという未来。三世に渡って白樺島の願望をかなえ続けてくれた、巨木。

 それを俺は、今から壊さなければならない。

 普通のやり方ではまず壊れないそれも、おそらく俺の思い描くやり方であるならば破壊できるはず。そんな確かな確信とともに、俺は大樹に手を伸ばした。

 手に触れるのは乾いた樹皮の感触。しかしその樹皮は乾いてはいるものの、そのうちに存在する命まではかれていないことを示すかのように、ほのかに暖かい。

 ………ごめんな。

 そう内心で呟き、俺は両手を大樹に触れさせ、そのまま一言――――


「やはりお前ならそうするか。巫女ヶ浜明」


 呟き、想像する。

 それだけの行程で終わるはずだったその作業は、たったその一声によって中断させられる。

 ゆっくりと、ゆっくりと大樹からその手を離し、振り返る。

 優美に流れる白色の長衣、夜風にたなびく流絹の長髪。歩む足取りは王よりもなお威厳にあふれ、その歩き姿はいかなる姫よりも美に満ちる。

 そしてその表情に満ちるのは、余裕に満ちた笑み。

 絶対足る王と、無邪気な姫の笑みが両立して存在するその笑みの持ち主は、同様にそれらの気質を併せ持った人物であることを意味する。

 その人物の名は、御涯小米。

 大家に置いて敵う者なしとまで言われた、女帝の姿がそこにはあった。

「やれやれ……お前ならやりかねないと思ってきてみれば案の定……そこまで『鏡』にご執心?」

 以前と同じどこか別人が混ざったような話し方で、御涯小米は、女帝は言った。

「もう少しなのよ? もう少しで、ここまで長い年月をかけてまで完成させた願望がかなうんだぞ? それをどうして壊そうとする?」

「………決まってるだろ…」

 完全に振り返り、女帝に向き直った。

 女帝は悠然と微笑んだまま、俺の視線を真っ向から受け止める。

「………俺の大事な人の、命」

 断言するかのように、内心で想像を開始する。細身ながらも確実な強度と切れ味を有する、重さと重量を兼ね備えた西洋剣。

「それを壊そうとするなら、どんなものでも壊してやる!」

 そして、認識。

 今ある現実を否定する、そのための武器。

「ほう………」

 にやりと、笑みを深くする。

「ものに等しき存在であるところのあの『鏡』を守るために、世界を敵に回そうとするか………面白い――」

 そして、何かを告げるように右手を俺に向かって差し伸べる。

「面白い、面白い、面白いわね………心のそこから」

 確認するかのように、足を後方へスライドさせる。

「……そんな戯言をいう余裕があるんなら、私程度、とめられるよなぁ!」

 高速で差し伸べられた右手、その手は上空に向って宣言するかのように大きく広げられ、そして、


「《闘領!》」


 言葉とともに、大樹の広場、その一角は女帝の作り出す壁によって囲われ、

 そして世界が変わった。




「《創造(クリエイト)》!」

「《舞い上がる砂塵は、無双の戦斧に》!」

 俺が西洋剣を創造しつつ疾走を開始するのと、女帝が足元の砂を蹴り上げるのに一瞬。

「――――っ」

「《斧球演舞》!」

 砂塵がすべて小ぶりの戦斧に変じ、斧球を半ば構成するまでに、さらに一瞬。

「――――っ!」

「ふん」

 右に跳躍し、正面から迫る斧球を回避するのに、また一瞬。

 着地と同時、さらに女帝までの距離をつめるのに、さらに一瞬。

「手ぬるい」

 言葉とともに背後から迫る轟音に反応し、思い切りしゃがむまでにさらに一瞬。

「はぁっ!」

「――――ほう」

 しゃがみ姿勢から飛び上がって繰り出した乾坤一擲の突き。

 素人であれば確実に回避することができないであろうその裂帛の突きは、女帝の右手に隠れるようにして握られた戦斧によって軽くそらされ、その次の瞬間には女帝の蹴りが迫り――――

「――――――っ!」

 向こう脛で踏みつけるようにして体を跳ね上げ、バック宙の要領で女帝を飛び越える。

 この交錯、わずかに五秒足らず。

 六秒目には振り戻りの斧球が眼前に迫る。

 ………よけ――

 高速で回転する戦斧によって成る球体が眼前に迫り、

 ………られない!

 受けることも、西洋剣では不可能だ。

 斧球、その恐ろしさはその鋭利な殺傷能力ではなく、その形のなさにこそある。女帝の統御の下、球体を構成しているそれは、一見すればただの金属のボール、一枚岩の攻撃に見えることだろう。

 だが実際、その球体には形がない。剣で受け止めようとも、球体を構成する戦斧は、一直線に切れ目が入りこそすれ、受け止められることはない。

 回避しようとも女帝の意思によってそれはならず、

 手にした得物にて防御しようとも、己が斧球にとらわれるのみ。

 防御、回避ともに封じる、絶対殺傷の断頭球(ギロチンボール)

 故にこそ、それは戦技無双と呼ばれるのである。


 ――――  ガダダダダダダダダダ! ――――


 耳元を通り過ぎる、金属音の多重奏。

 一撃必殺の多重連撃。それは殺撃の嵐となって俺の周囲を通過し、そして俺の身を切り刻む。

 痛みは、ほとんど感じない。それは戦斧の切れ味があまりにも鋭利なためか、それとも俺の身がもうすでに滅びているが為に何も感じていないためか、あるいは奇跡的に俺の体にほとんど命中していないがためなのか。

 現実的には一瞬、体感的には十秒ほどの戦闘中においては長い時間が晴れた後――――

「………運のいいやつね…」

 けつえきなどっ最初から存在していなかったかのごとく、血潮が体の奥深くに沈み込む。

 それと同時に存在している生命の実感に全身の毛穴から汗が吹き出る。

「………まさかそこまでの速度で《創造》できるようになっているとは―――いささか以上に意外だな、明」

 言われながらも全身の感覚を再び強制的に活性化、眼前で悠然と微笑む女帝から、つい先ほど創造した地面にめり込むほどの重量を持つ『盾の名を持った金属の壁』から手を離し、一気に距離をとる。

「正直驚いたわ――――」

 いいながらも女帝は右手を繰り、横合いから俺に斧球を叩きつけるべく操作し、

「だが、まだ認識が甘い――――」

 それを回避するべく、前転して回避と同時に距離をつめ、

「お前の力が本当に理解できていれば――――」

 そして女帝の手が上空へ向って振り上げられ、俺は横一線の構えを取り、

「もっと早いはずだ」

 その手につき従うように斧球がその手の上に掲げられ、そしてたおやかな指二本が天に向かって伸ばされて、

「《聖女(ギヨティーヌ)の微笑み》」

 言葉と同時、指が立てられたままその右手が振り下ろされ――


 そして構えた西洋剣に断頭台が叩きつけられた。


「っ!」

 防ぎきれたのは偶然か、あるいは女帝の気まぐれか。

 体の前を横切る形で振りかぶっていた西洋剣に断頭台は振り下ろされ、その刃は背をわずかに掠める程度にとどまる。

 再び振り上げられる戦斧によってなされた《断頭台》。その刃から飛び散るは砂礫であり、つまりそれは、その刃が地を割ったことを意味する。

 ………直撃していれば、

 間違いなく、命はなかった。

 そして、今振り上げられているもう一撃に、

 ………この剣は、耐えられない!

 再び振り下ろされる《断頭台》。

 西洋剣をほうり捨てて横に転がって、回避………

「ぬぅっ!」

 斜め方向になぎ払われた《断頭台》は足をかすめはしたものの、俺の体を切り刻むことはなかった。

 ひざ立ち姿勢で、再び女帝に向き直る。

「……あの程度であせるなんて――案外鈍いんだな」

 まるで茶会の相方のこっけいな仕草を見た後であるかのように、殺劇の中意表を疲れた相手を笑う。

「私の使っているのは斧だぞ? 確かに戦技無双の斧球は強力だとはいえ、それでは巨人の腕を振るっているも同然でしょう。確かに一撃一撃の威力はあるが、無駄が多すぎる。だから、同じ殺すんだったら――――」

 五本の指を開き、天に掲げる。

 付き従うは戦斧。立てられた指の一本一本を延長するかのように、《断頭台》になりそこなった戦斧が浮上し、鈍色のラインを天に向かって形成する。

「一撃必殺の刃で切りつけたほうが、早いでしょう?」

「っ!」

 言って女帝は両腕を大きく振りかぶり、

「《聖女(ギヨティーヌ)の抱擁》」

 俺が自らのうちに『何か』を創造する暇もない速度で、振り下ろされた。

 それと同時に振り下ろされるのは女帝の指先で空と戯れる戦斧の《断頭台》。絡み付いて遊戯に誘う空の誘いに応じ、自らの体を持って悪戯に誘い込む、妖精のような無邪気さの中に秘める悪意を持って、遊戯(やいば)(きざまん)わんと落下する。

 回避することは、不可能だった。


 ―――― っっっっ! ――――


 とっさに掲げた破砕寸前の西洋剣。

 降り注ぐ《断頭台》はそれによってそらされ……しかし防いだことによって留まることはなく、俺の背に幾本かの赤いラインを描く。

 痛みは鋭角。(こおり)によってつけられた感触は次の瞬間には痛み(ねつ)となり、滲み出す血液(いのち)は俺からいともたやすく力を奪う。

 じくじくと広がっていく、痛み。

 背に広がる、汗とは異なった暖かさを持つ液体。その液体は独特のぬめりを持って制服に染み渡り、衣服ごと肌に張り付いて不快感をあおった。

 が、それらをゆっくりと体感するまもなく――――

「ほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほら」

 舞踏を楽しむ姫君のように、処刑人の残酷さを持って指が繰られる。

 連続で振り下ろされ、なぎ払われ、揺り上げられ、そして俺を抱きこまんとす、無数の《断頭台》。

 一挙動ごとに灼熱の痛みを発する背と、攻防ともに使い物にならなくなった西洋剣を手にし、迫り来る鋼刃を回避する。

 が、いかんせん数と速度が、大きい。

 一をよけようと俺が動けば、その倍の速度を持って三の刃が迫り、

 三をよけようと動けば、五が俺の体を浅く傷つけ、

 五から受けた傷に反応すれば、今度は八の数が俺に迫る。

 そして八をよければ、頭上から迫ってくるのは………

「――もう終わり?」

 俺を包み込むように広げられた、十の刃。

 創造は間に合わず、退路は存在しない。逃れようと身を横に動かせばその肉体は両断され、離れようと後退すればその身は縦に砕かれる。上や下にはそもそも選択肢はなく、そして動かなければその死は必定で――――

 ………前っ!

 とっさの判断で、正面に身を躍らせた。

 前転に近い挙動で飛び込んだ位置、それは、無数の《断頭台》を操る女帝のすぐ足元――――

「………だらぁっ!」

 後方で響く不協和音。それを背に、一瞬で頭に思い浮かんだ武器を創造、驚愕によって白紙に近い表情を形作っている女帝の首をめがけてそのナイフを振り………

「図に――――」

 女帝の身がかしぐ。首をナイフが掠り、後方で金属の多重層が鳴り響く。

「――――乗るな!」

 言葉と同時、俺の胴体にとてつもない質量を持つ衝撃が叩き込まれた。

 少女の体から放たれたとは思えぬほどの巨大な重量を持つ衝撃。空中で姿勢を崩していた俺に抗う術があるはずもなく、俺の体は宙を舞い、無数の斧が散らばる大地へと叩きつけられた。

「がはっ――――くぅ……」

 こみ上げてくる血の味、衝撃によってゆがんだ痛みを伝え来る鳩尾。叩きつけられた際に傷が広がったのか、背の傷からの痛みが増加し、それに伴ってそこから脱力感にも似た感覚が広がる。

 己の体だからこそ、わかる。

 この傷では、あと幾分も動けまい、と。

 だが、俺は――――

「………明…」

 ゆっくりと、己の力の満身をこめて身を起こし、

「まだ、やるつもりなの……?」

 手にした得物をほうり捨て、新たな得物を想像する。今のこの身では先ほどのような重量のある武器は到底扱えまい。作るのだとすれば、防御のためのものひとつと、攻撃のための小ぶりのものがひとつ。理想像はレイピアと小型の盾。

「………ああ…」

 こみ上げてきた血の味を吐き捨て、手の中に思い描く。

 作り出せ、世界よ。俺のくだらない想像物(げんそう)を。

 このわけのわからない状況を、完膚なきまでに否定するために。

「俺も梓も、あいつが必要なんだ――――だから、」

 創造(クリエイト)――――

「諦めて帰る、なんて……できるかよ」

 両手に創造された、金属の重量感。右手には細身ながらも刺突ばかりでなく、それなりの切れ味を持つレイピアを、左手には小型ながらも厚さと広さをある程度残した盾を、それぞれ構える。

 腕から血が滴る。叩きつけられた際に地に落ちた斧で斬ったのだろうか。背の痛みが大きすぎて、もうほとんど何も感じない。

「……………いいだろう」

 女帝は呟くと同時、指揮者のごとく両腕を広げた。

「そうまでいうなら、徹底的にやってあげる……」

 足元で、何かが動いたような気がした。金属と何かがすれるような感触、足と地の間にある何かを引き抜こうとしている感覚。

「だが安心して、明。殺しはしない――――」

 かたかた、と。

 足元が震える。

「ただ、ちょっとの間――そうね、一ヶ月ほど、動きたくても動けないような状況を、作ってやるだけよ、明」

 そして女帝はその腕を天に掲げ、そこに球体を捧げ持つかのごとき形を作り――――

「《わが意思に従いしものは、我が描きし形を作れ》」

 その瞬間、足元から響いたのは金属音。地面に散らばった無数の戦斧が折り重なって宙に舞い上がり、旋回して激突して衝突してかなでられる、()()()()の衝突音。あっけにとられた俺が行動する暇もなく、その戦斧たちは女帝が手に描く形を、球体を形作っていく。

 そして、

「………まあ、これだけあればいいだろう」

 銀幕の向こう、女帝の声が聞こえる。

 その姿は、見えない。

 俺を取り囲むかのように作られた、

 戦斧の球体によって、阻まれて。

「…………」

 高速で回転を続ける戦斧によって作られた、球体。その内側。

 足場は今俺が立っている範囲ぎりぎりにしか存在せず、その周囲は『触れれば切れる』という確かな脅威を明確に伝達する、浅海を続ける斧。その面積の中一歩でも先に足を踏み出そうものならば瞬時にその足は刻まれ、歩くということの意味を消失し、戯れに腕を壁に伸ばそうものならば、たちどころにその腕は両断される。

 そんな、『斧の世界』。

「中世欧州、人々は魔女と呼ばれる異端を恐れた。恐れるがあまり罪のなき者にまで審問という名の拷問に掛け、そしてそのまま自白という名の虚述を強要し、その結果によってその人物を炎の炉の中に投げ込む――――」

 女帝が、魔女が、語る。

「その中にあった、有名な拷問道具を知っているか…?」

 それは一時の遊戯。ちょっとした戯れ。

「『鉄の処女』………女神を模した棺の中に、生ける者を閉じ込め、そしてその蓋を閉めることで内側に存在するものを苦しめる………聖女に抱かれて、苦しめってわけ」

 終わり近きものに対しての、ほんのちょっとしたお遊び。

「これもちょっとした冗談のつもりで考案したんだが、思いのほか勝手が良くてな、今ではお父様にも気に入られてるのよ」

 つまり、この話の後に待つのは、死、それに準じる苦痛。

「まあ、この場合は女神といっても聖母(マリア)ではなく、聖女(ギヨティーヌ)………断頭台の乙女だが――けど、女神には違いないでしょう…」

 そして戦斧が一斉に軋みをあげ、


「《(アイ)(アン)聖女(メイデン)》」


 言葉と同時、全方位から襲い来るは戦斧。方向も速度も、ただのひとつも一致することなく、点でばらばら八方軌道、自由気ままに落下してくるそれは、まさに欧州の拷問用具を髣髴させる《断頭の腕の中》。

 戦技無双の切れ味を誇るそれからは逃れることはできない。逃れようにも、そのための場所が存在しないのであれば、よけきることもできまい。

 だから、こそ。

 俺は、

 ただただ女帝を倒すこと以外を考えずに、

 己の身がどうなるかさえも考えずに、

 ただ前に進むために剣と盾を前に構え、

 流血を続ける自分の体さえも放置して、

 すべての戦斧が自分めがけて殺到するその一瞬に、

 前方の戦斧へ向って、突撃した。

 すべての方向から同時に迫ってくるのであれば、ただ待っていては全方位から刻まれる。

 だがただ一方、己の目指すほうへ突撃すれば、

 その方向からの攻撃は、届かない。


 ―――― …………! ――――


 縦に構えたレイピア、前に構えた盾、それらに走る衝撃。

 足はただ前に進むことだけを要求し、腕は衝撃をこらえることだけを要求し、頭は女帝を倒すことだけを要求し、そして背は、痛みを伝えることだけを仕事とする。

 もはや痛みが強すぎて、何が何なのかさえもわからない。

 出血がひどすぎて、あたりの暖かささえも判らない。

 だから、俺はただ前に進む。

 瞬きにも満たない殺劇の宴と、痛みの饗宴の先、

 俺は、女帝の操る《戦斧の聖女》から脱出した。

「………っ!」

 魔女の顔が驚きにゆがむ。

 が、今の俺にそれを認識できるだけの余裕は無い。

 視力はいまやかすんでいる。

 聴力はいまやぼけている。

 嗅覚はいまや鉄の香りのみ。

 味覚はいまや血の味のみ。

 触覚はいまや痛みのみ。

 そんな中でも、俺は、手にしたレイピアを全力で振りかぶり、


「あ、ああああああああああ!」


 身の大旋廻と同時、全身の力をこめた横一線を放った。

 女帝の胸部に走った切れ目と、その下の赤い線。

 一拍遅れて噴き出す、赤い液体。

 そのまま女帝の体は切りつけられた方向に回転し、そのまま倒れ――――


 ない。


 踏みとどまったその足にまったくの震えも無く、

 真正面から俺を見つめるその瞳には、まったくのゆがみも無い。

 ただ、絶対足る勝利の確信たる笑みがあるのみ。

「………惜しかったわね、明――」

 言葉と同時に、女帝の手の中に戦斧が創造され、

「あと一歩、深かったら――――」

 戦斧が女帝の回転動作とともに振り上げられて、

「死んでいたところだ」

 ………ああ、そうだった。

 小米姉さんって、自分の使えるものなら創造も出来たっけ。

 そんなどうでもいいことを思った瞬間に――――


 俺の左肩に、戦斧の刃がすべて埋まりこむほどの一撃が振り下ろされた。



※※※※※


 ぐ、けけ、はっ。

 振、り下ろ、さ、れた。

 思い切、り。

 まっ、たくの、容、赦なく。

 痛みではなく衝撃によって意識は麻痺し、もはや感じることも出来なくなった痛みではなく、単純な途絶によって左腕全体の感覚が消失する。ほぼ切断じゃないのか? これ。何せ肩から先とつながってるのは骨でも筋肉でもなくてちょっとだけ筋肉の張り付いた皮膚一枚だし、それにしたって今にも切れそうなほど細い。普通なら直ぐに手術、それでも完全に元には戻らないレベルだろう。あ〜あ、この年で左腕とはバイバイか。いやその前に出血止めないと、直ぐにでも失血死するだろ。いま俺が倒れてるのも地面の上って言うのがおごがましい血だまりの中だし――ってあれ、いつの間に俺倒れたんだ? 衝撃も痛みもも感じな……って当たり前か。これだけ衝撃だの何だの散々浴びといて、いまさら倒れた程度。何も無かったに等しい。あれ、小米姉さん、何やってるんだ? 携帯電話? あ、そうか。こんな大怪我じゃあ、小米姉さんでも手に負えないから、たぶん葵さんにでも連絡してるんだろう。何気にいろんなところに顔聞くからな、葵さん。こんな大怪我の治療を理由も無くやらせるにはちょうどいいはず。となるとまたICUでの暮らしか。二ヶ月と……二週間ぶりぐらい? けど今はICU使用中で………ってほかにもあるか。あれだけでっかい病院なんだから。でももしかすると、あいたかもしれないな、ICU。だって、俺はもう倒れたんだし。


………イイノカ、ソレデ?


 いいわけがない。

 何のために、ここまでやりあったと思ってるんだ?

 出来るなら、俺も勝ちたいさ。勝って、俺の思い描いた方法で令の命を取り戻してやりたい。

 だけど、かなわなかった……強すぎたんだ、姉さんが。


 ………ソシテ、オマエハソレヲ ソノママ カンジュスルノカ?


 …出来れば、俺だって受け入れたくはない。

 このくだらない現実を、俺の持つ魔法で否定してしまいたい。

 だが現実問題、俺の魔法にはそんな力はない。精々が手の中にちょっと使えるものを作り出す程度が限界で――しかも未完成だ。

 こんな力なんかじゃ、到底。

 到底女帝の力を覆すには、足りない。


 ………ヒテイ?

 ………ホントウニ、ソウナノカ?


 そうじゃ、ないのか?

 俺の力は今あるものを否定するためにモノを作り出してきた。今までいくつかの認識を試したけど、これが一番効率的だった。

 だけどそれにしたところで、この程度。

 捨て身で行って、女帝に手傷を負わせるのが精々だった。


 ………ナラ、ドウシテオマエハ イキヌケタ?


 ――――何を?


 ………ジョテイノ ハナッタ、オノノジダイ。

 ………スケッギォルドノ ナカヲ


 …そういえば、そうだった。

 先ほどの《戦斧の聖女》。あれと同クラスの戦斧が、空をドーム上に覆い隠すほど一斉に急襲してきて、あの程度の手傷で済むはずがない。手心を加えられた? そうかもしれない。逃げ場があった? そうかもしれない。

 だが、それにしては変だ。

 女帝、御涯小米は本気で俺を止めるつもりだった。なら、あのときに手心を加えたりせずに、今と同じレベルの負傷を負わせて、そのうえで今と同じ状況を向かえればよかったんだ。そうすれば俺と戦う必要もないし、その過程で予定外の手傷を負う必要も無かった。

 おそらく、女帝のことだ。

 あの時、俺はこのレベルに陥るほどの負傷を負っていなければおかしいだろう。

 だが、それが何故この程度で済んだ? なぜ俺に亜柄紆余地があった?

 そう、確かあの時俺は………


 ―――― この、どうしようもない状況を《否定》しようと、

         自分の助かる現実こそを、《肯定》しようと、

            それこそを信じて ――――


「……あ………は、はは」

 急速に、理解が広がっていく。

 広がると同時に、俺の中に確信にも似た認識が、降ってくる。

 まだ、動ける。右手を、俺の眼前に広がる夜空へと伸ばし、

 今ある自分の状況を《否定》するために、

 健やかである自分こそを、《肯定》した。


 ………ああ、そうか…


 俺は、創ってたんじゃない。

 ただ、《肯定》していたのか。

 その物体がある、世界を。


 全身から痛みが消失する。

 全身から脱力感が喪失する。

 言いようのない全能感、例えようのない万能感を心中に抱き、そしてその感触を失わぬまま、確かに感覚の存在する左手でその身を、一切の負傷の喪失した身を起こし、


 そして再び、俺は立ち上がった。



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