91講師時代〜約束
女性と二人でカフェなんて初めてだった。
もしこれが学内だったらメインロビーの奥にあるカフェテリアに行っただろう。正直、女は苦手で面倒だ。でも、音楽のことならば。
五月末のピアノコンチェルトオーディションの試演会のセッティングか……。
同じピアノ講師の母親も、門下生を集めてはしょっちゅうやっていた。慣れてくると、母親が全てセッティングしなくても学生同士で有志を募る。『友達以外だと有り難い』などと言う女は珍しいし、感心だ。
今は四月半ば。アドバイスが欲しいなら、あまり直前でも良くないだろう。会場を確保する意味でも早く動いた方がいい。
僕はまず平山にメールをしてみた。如月さんと、オケパートの小林さんの都合の良い日を全て連絡すると、返事は直ぐに返ってきた。僕はその日を平山のオケパート担当者にメールした。こちらも了解の返信があった。僕は慎重になっていた。こんな気持ちは初めてだ。平山のオケパートは……。
「とりあえず一組、決まったよ」
「ええっ!ありがとうございます!どなたですか?」
「学部四年の平山慎二」
如月さんは絶句していた。
「優勝候補のお方ですか……」
「さあ。双方勉強になると思うよ。各々、いい機会にしよう」
「はい。ありがとうございます」
「あと数人は返事待ちだけど、最低この二組だったとしても開催しよう。時間もかかることだし、場所は学内の広い場所を借りられるようにするよ。月曜日なら、最低でも僕のレッスン室が使える。ホールでできたら最高だけど、どうかな。演奏事務で聞いておく。あとはA氏のレッスン室が借りられるといいな。コンサートサイズのスタインウェイが二台ある。本番もスタインウェイだ」
「そこまでの考えに至りませんでした。本当にありがとうございます」
「どういたしまして、と言いたいところだけど、まだ何もしてない。何を弾くの?」
「シューマンのピアノコンチェルトです。平山さんは?あ、ご本人がいらっしゃらないところでいけないかしら」
「構わないんじゃないか?平山はリストのエスドゥーア、変ホ長調。シューマンはレッスンしたことがあるから、何かお役に立てるといいけど」
「まさか、こんな。ダメで元々でお願いしてみたんです。本当にありがとうございます。私がお役に立てることなんてないとは思いますが、もしありましたら仰って下さい」
僕は新たなメールの着信に気づき、それを開いた。平山からだ。
『良い機会を頂き有難うございます。先輩がセッティングとは珍しいですね。藤原さんにも宜しくお伝え下さい』
『藤原さん』とは僕の妻だ。
如月さんと小林さんに妻を見せることになるのか……。小林さんは僕のファンと言ったか……。面倒なことにならないといいけど。
「如月さん……僕があの書店にいたこと、口外しないでほしい」
「わかりました。お約束します」
借りを作ってしまった。
何を見ていたかも、忘れてほしい。




