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君が奏でる部屋  作者: 槇 慎一
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6コンクール




 僕が大学3年の時にグランプリを獲得したコンクールから一年が経った。


 僕が出場した、年齢無制限の一般部門は、高い年齢の制限はもちろん低い年齢の制限もない。とはいえ、相当のプログラムを準備しなければならないから、小さい子供は無理だろう。


 バッハの作品を1曲以上

 エチュードを3曲以上

 古典派のピアノソナタを1曲以上

 ロマン派の作品・近現代の作品・小品

 これらを組み合わせて合計150分程度のプログラムを提出し、それを3回に分けて演奏する、という規定だ。


 17人の審査員で採点されるのも大きな特徴で、最低点と最高点をカットした15人の支持を集める音楽性と完成度の高い演奏が要求される。

 ここで上位10人が選出され、ピアノコンチェルトを2台ピアノで演奏し、最終選考に残った5人がオーケストラと共演して順位を決定する。




 今年は僕の生徒が出場する。

 まだ学生の身である僕の生徒は只一人『藤原かおり』だ。


 ピアニストの母親が僕にピアノを教え、その教えをそのままかおりに受け継いだ。母親がかおりに教えたことはない。レッスン用の防音室には2台のグランドピアノが並べてあり、そこは母親が使っているため、僕たちはリビングのピアノを使った。リビングのピアノは、ある有名な作曲家が使っていたグランドピアノで、事情が許さず所持できなくなったものを譲り受けたと聞いている。おそらく値は付かない代物なのだろう。良いピアノに巡り会えることは素晴らしいことだが、それを良い状態で維持する配慮が不可欠だ。母親は音楽だけでなく、楽器をも大切にする人間なので、頻繁に調律師を呼んで調整していた。その調律の間、かおりは仕事の様子を飽きずに眺め、音が美しく整っていく様を聴いていた。


 僕たちのピアノは遊びの延長だった。おとなしくて言葉が出てこなかったかおりは、この素晴らしいピアノを弾いている時は楽しそうで、それは誰の目にも明らかな程だった。


 父親同士は同じ会社だから、このマンションは社宅とでもいうのだろう。低層住宅地でワンフロアに二世帯、全部で数世帯しかない。海外からのお客様を滞在させておもてなしすることも可能だ。うちには来たことがないけれど。


 かおりの家はピアノもないし楽譜もない。子供の頃の遊びの延長だからレッスン代をもらったこともない。もちろん、もらいたいと思ったこともない。


 かおりのお父さんはピアノのことが全然わかっていないけれど、かおりがいやがらなければと、発表会やコンクールに参加させてくれた。かおりのお母さんは病気で出てこない。たまに僕の母が会いに行って話をしているらしい。


 かおりは子供の頃から時間をかけて曲を会得する分、忘れないタイプだ。コンチェルト以外はステージで弾いたことがあるが、これまでに練習したどの曲を弾かせても、それ以降に勉強を重ねた分を加味して表現できるのも特徴だった。


 去年、僕の2台ピアノのコンチェルト審査では、かおりにオーケストラパートを担当させた。学内オーディションでは、留学直前だった大学院の先輩が担当してくれた。先輩も相当に巧かったが、かおりはピアノ用にアレンジされたセコンドの譜面をオーケストラの如く演奏するセンスが備わっていた。


 小さい頃から、僕とかおりはオーケストラの演奏会に何度も足を運んでいた。母親がくれた二枚のチケットは招待券が多く、所謂良い席ばかりだった。本当は、母親は僕と行くつもりだっただろう。しかし、僕がかおりを可愛がっていること、僕がかおりを教えることで僕の音楽的意識が高まること、かおりの母は病気でほとんど外に出られないこと、娘のようにということよりも、かおりの音楽性を無償で応援したいほどの気持ちがあるということを、僕も知っていた。


 高等部3年になったかおりは、幼稚部からエスカレーター式の女子校で、成績優秀だと聞いている。このままいけば、系列の女子大のどの学部学科にも内部進学できると、かおりのお父さんが面談の結果を僕に話してくれた。


 かおりの勉強と受験の心配がないので、去年の僕のコンクールが終わる頃から、……本当はもっと前から計画して、コンクールやコンチェルトの準備をしていた。


 去年、僕はチャイコフスキーのピアノコンチェルトを弾いた。かおりには、シューマンのピアノコンチェルトを弾かせる予定でいる。


 既にある程度の練習を積み、レッスンしてある。献身的なまでに僕の要求についてこようとする彼女の音楽的な姿勢は、シューマンの狂気ともとれる音楽性に重なり、本当に驚く程ぞっとする瞬間がある。僕が教えきれるのか。僕の力量をはるかに凌ぐ者にかおりを託してみたい気持ちもあった。母親に相談することも考えた。そこで初めて予算的な問題と、家庭の音楽に関する理解に直面した。このままでは才能がもったいないと感じたのは、僕がかおりを買い被りすぎなのだろうか。




 かおりのコンクールでのオーケストラパートは僕が弾く。いや、僕が弾くつもりでいた。しかし、去年コンチェルトのレッスンにかおりを連れていった時から……いや、初めてかおりと対面して『愛の夢』を弾かせた時から、教授はかおりを気に入っていた。


 かおりがコンクールに出場するならば、今年は審査員をやめて自分がオケパートを弾くと言い出し、その場でコンクール主催者に連絡してしまった。そして、代わりの審査員は先生の奥様に決定した。奥様は、母国であるフランスで活躍していたピアニストだ。


 これには流石に驚愕した。

 世界的なピアニストで教授でもある、僕の師匠が……。驚いたが、これはかおりのために良いことだからと自分を納得させた。厳しいレッスンの結果、教授は僕の演奏に最高点をつけてくれたのだから卑屈に思うようなことではない。


 教授は、ほとんどロシア語しか話さない。

 僕は音楽のことなら通訳なしで会話できる程度。教授の奥様は英語とフランス語とロシア語を話す。かおりは小学校から私学でフランス語を必修科目として学んだので、日常会話なら理解できるらしいがロシア語はわからない。……日本語すらあまり話さないが。

 斯くしてコンチェルトのレッスンは、僕とかおり、ロシア人教授とフランス人ピアニストの奥様の四人で行われ、様々な言語が飛び交うこととなった。


 僕自身は、ピアニストになることについてある程度の資質、体格、環境に恵まれていると自覚していた。加えて、かおりのおかげで指導経験を積むこともできた。


 世界的なピアニストで教授でもある僕の先生が、これだけ僕とかおりに関わってくれる奇跡に感謝した。

















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