13制服
夜。
かおりの家のリビングで、かおりのお父さんも在宅で黙認されているとはいえ、僕は長い時間かおりを抱きしめていた。
ピアノの生徒としてではない、恋人としてどう接するのが正解か、僕は考えあぐねていた。当たり前だが、何もかも思惑通りにことが運ぶ訳では無い。一線を越えるのはまだだめだ。それだけは決めていた。
僕の腕の中で抱きしめていたかおりの手がゆっくり動いて、僕の背中に回ったことで、体の前面が密着した。かおりの胸が感じられた。
う、わ……。
嬉しいけどやばい。がまんするしかないけど、嬉しいかも。ずっと同じ体勢で疲れたのか、かおりがもぞもぞと動いた。
「……あつい……」
かおりは僕の腕の中で、制服のスカーフをするするとほどいて、そのまま下に落とした。それから上着のボレロをそろそろと脱いで、また下に落として、また僕の背中に手を戻した。
かおりの通う女子校は、指定の制服であれば気温と好みで自由に組み合わせてよいと聞いた。夏は盛夏服と呼ばれるワンピース、ブラウスとスカート、もしくは薄い生地のジャンパースカート。冬はブラウスにスカート、もしくはジャンパースカートにボレロ。長いつきあいだし、かおりの制服のアイテムは全て把握している。
今、かおりはボレロを落としたから、ブラウスとスカート姿らしい。ジャンパースカートもボレロも、思春期の女の子の体型が変わっても、体の線が目立たない、落ち着いたデザインだ。
しかし、ブラウスとスカートでは……。体が密着したまま、厚手の衣類が一枚なくなり、薄いブラウス一枚になってしまった。僕は手も大きいし、ブラウスの上から下着に触れてしまう。外すことだってできるだろう。見えない分、想像してしまう。直接見たわけじゃないし、手で触れたこともないけれど、かおりの胸が豊かなのは知っていた。興味があろうとなかろうと、……ないわけがない。服を着ていても、見ればわかる程に。うっかり触れないよう、常に注意していたくらいだった。
なのに、芯のある制服の太いベルトは一番細く止められている。一番細く止めると、どうしても先が長くなる……筈なのに、かおりの制服のベルトは端がギザギザで不自然だ。いつからだろうか。少なくとも去年はギザギザだった。自分で切ってしまったのだろうか。相当長くなる筈だから、邪魔だからと自分で切ってしまったとか……。かおりならやりかねないな、などと気を紛らわせるも、これほどまでに……というほどふわふわしたものをブラウス越しに感じて、自分にはないやわらかさに、手で触れたくなる。
しかし今は……かおりが誘っているとは思えないし、わかってやっているとも思えない。多分、今は僕のことを男として意識していないだろう。こんな形で僕を困らせるなんて……。
体を離したいわけではないから、違うことを考えよう……。
この前……。僕の母親が、かおりのドレスを買いに行くことになった。ついてこいと言われ、僕は半分仕方なく、半分楽しみについていった。ソロのコンクールであれば着脱が簡単で、持ち運びが楽で、腕や体を動かしやすく、すっきりとしたドレスを着る女性が多い。しかし、コンチェルトで弾くドレスなら、上体が動かしやすければ、ボリュームがあるドレスの方が絶対に映える。特に、あの大柄な教授がエスコートするなら、どんなに豪華なドレスでも大丈夫だと、母親が張り切っていた。馴染みのドレスショップで一着一着確認する母親は、いつになく独り言が多かった。
「かおりちゃんねー、背も高いし、丈のお直しをする必要がないのはいいわね。裾のデザインまで生かせるわ。かわいいし、ちゃんと細いところは細いのに、胸がねー、このドレスは入るのかしら……だめね。ドレスは胸のサイズで決まるからー、すっかり成長しちゃったわよねー」
「お母さん……息子の前なんですから、お口を結んでいただけませんか」
別の列のドレスを見ていく母親の後を、少し後ろからついていく。……あまり離れると、母親は必要以上に声が大きくなるからだ。あまり外で僕の名前やかおりの名前を連呼しないでいただきたい。
「慎一、かおりちゃんのお洋服のサイズは知ってる? 下着のサイズでもいいんだけど。あそこは制服もほとんど買い替えなくて済むし、悦子も無頓着だからねー」
「かおりのお洋服のサイズなど存じません。ましてや、そんな……」
母親は僕に近づいて、声を控えめにしたつもりでこんなことを言ってきた。
「……あなたの感触が頼りなんだけど。触った感じとかは?かなり大きかったでしょ? この11号で大丈夫だと思う? 13号ならこんな感じなんだけど、これだとウエストを絞ってもゆるくなってしまうわよね? 私に似ていない娘の胸でこんなに悩まされるなんて、想定外だわ!」
「お母さん……僕はかおりのお洋服の中身など、見たことも触ったこともありませんし、そもそも僕の妹ではありません。かおりが産まれた時からそうでしたよ」
「えーそうなのー? じゃあ、やっぱり妊娠中でも着られるものにしようかしらねー」
この先を思い出すのはやめた。
母親は、シューマンのイメージと、ウエストの調節が可能な11号のドレスに決めた。その薔薇色のグラデーションの、立体的で巨大な布の塊を持ち帰ることになったったのだが、かおりはこのように一人でドレスを畳むことができるのだろうかと疑問に思った。変なところで不器用なところがあるからな。
遡れば、かおりが小学校高学年の頃から、胸が目立っていた。夏になる前に、女の子の下着を買ってあげてほしいと母親に言ったのも僕だった。その頃から母親とかおりの間で、ピアノのレッスンでは制服を着ると決まったらしい。
流石にその時は一緒に行かなかった。練習という名目で留守番をさせられ、母親がかおりを連れて買い物に行ったらしい。帰宅したのは母親だけ。その日、かおりは僕のところに……練習しに来なかった。買い物の内容は知っていたし、かおりが恥ずかしがったら僕も少し恥ずかしいだろうから、それでよかった。かおりがピアノを練習しなかったのはその日だけだったから、尚更よく覚えている。
それより、なぜ僕の母親が……という疑問があった。かおりのお母さんは、病気でずっと家にいると聞かされていた。何回かしか会ったことはなく、どこが悪いのかは知らなかったが、かおりよりももっとおとなしくて、微笑むと綺麗だが、普段は笑顔も感じ取れないような印象だった。
だからかおりのお父さんは、かおりが居心地よくいられそうな、お母さんの母校を選び、そのために無理なく徒歩で通えるこの場所に住んでいるのだろう。僕と一緒に遊んでいる時の、ピアノで遊ぶ、はじけるようなかおりの笑顔に喜び、遊び相手として僕に託してくれていたのだろう。ピアノの技術だとか上達だとか、コンクールの結果などではなく、ただただ、かおりの笑顔のため……。
子供だった僕も、かおちゃんが大好きで大好きで、毎日何時間も一緒にピアノを弾いた。僕がピアノの道に迷わず進んでいけるのも、かおちゃんという存在があったからだ。かおちゃんがかわいくてかわいくてたまらなかった。かおちゃんが懸命に僕についてくるから、僕がピアノで先に行って、かおちゃんに案内できるようにしたい一心だった。今、何もかもが奇跡のように感じている。
だいぶ待ったとはいえ、こんなに早く結婚させてもらえるのも、嬉しくてたまらない。
だからこそ、まだだめだ。したいことは山ほどあるが、もう少しの我慢だ。僕は自分に言い聞かせるように、かおりに言った。
「かおり、キスから先は結婚するまでしないから。予習しておいて」
僕は、背中に回されたかおりの手を外して、そっと体を離した。
かおり、暑かったのは僕の方だよ……。
その感触はなかなか忘れられず、しばらく僕を悩ませることになった。




