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夕闇のキャンバス

作者: 桐谷 迅

 僕と言う人間は、周りから見たらどう映るのだろう。焼けた陽射(ひざ)しが照らす、その流し目から見れば、どう映っているのだろうか。そんな事を思いながら、彼女と言う人間をカメラのレンズに写す。

 茜色の学校、直線の廊下、開いた窓、吹き抜ける風。髪が(なび)き、そっと掻き上げた瞬間をシャッターの中に収めた。


「撮れたよ」

「ん。ありがと」


 アルバムのボタンを押すと、撮ったばかりの写真を画面に表示させ、手渡す。彼女はそれを確認するや否や、すぐにカメラを鞄の中へと入れた。


「今日も遅くまで付き合ってもらっちゃってありがとうね」

「別に。こっちこそ」

「うん。それじゃ、私はもう帰るから。じゃあね」

「また」


 そう言い、窓を閉めながら、階段の下へと消えて行く彼女を見送った。


 さてと、僕も帰路に就くとしよう。鞄を持ち上げ、下駄箱まで降り、随分と柔らかくなった革靴に履き替えると、その足で駐輪場へと向かう。たった一台だけポツンと置かれてあった自転車の側へと歩いて行った。荷物を籠の中に入れ、解錠すると、軽く勢いをつけて(またが)り、漕いでいく。速度は上げることなく、落とすことなく、そのまま校門を飛び抜けて行った。


 斜陽に染まる住宅街を横目に、のんびりと走る。生暖かく、ほんの少し冷たい風は、火照(ほて)る頬を掠めた。心地良い。()いだ夕空の雲は動かない。なのに、藍で染められていて、もう一等星も見え始めていた。


 何となく、感傷に浸ってみる。別に、悲劇的なことがあったわけでもないし、昔の傷を触れて、自分を確かめたいわけでもない。ただ、人間なのだから辛いことの一つや二つくらいあるもの。この胸に秘める想いも、きっと––––。


 途中、自転車を降り、昇って行く月を立ち止まって、眺めてみる。綺麗。なんて、時間をあまり気にすることなく、帰り道を満喫した。

 それでも、三十分と経たない間に、マンションの駐輪場には着いていた。


 ふと、スマホに通知が来る。

 ポケットから取り出し、ロックを解除すると、そのままアプリを起動させ、彼女とのトーク画面を開く。すると、新しい画像が一枚追加されていた。それも、さっき撮ったばかりの写真。露出度、明暗、彩度、全ての調整がなされていて、完璧としか言いようがない。全く、流石に仕事が早過ぎる。

 “保存”と書かれたボタンを押すと、ポケットの中にしまい、階段を上がって行く。二〇二と書かれた玄関の前に着くと、鞄の内ポケットから鍵を取り出し、開けた。


「ただいま」


 なんて言ってみるが、返ってくる言葉などない。すぐ手前のスイッチを入れ、明かりをつけた。

 物寂しい部屋だな。改めて見てみるが、殺風景という言葉そのものに近い。そんなリビングを横目に、隣の部屋へと入る。


 ただ、そこはさっきと打って変わって、物で溢れていた。

 ここが僕のアトリエ。僕だけの秘密基地でもある。

 荷物を適当な場所に放り投げると、近くのロッカーから画材を引っ張り出す。数を数え、足元に置くと、パッと思いついた色を手に取り、右側の机に置き、奥から真っ白なキャンバスを取り出した。

 スマホのギャラリーから、今日送って貰ったばかりの写真を開くと、横画面に変え、台に設置。そこから作業が始まるまでに、大した時間など必要なかった。


 先の丸い鉛筆は細かな線を幾つも描き、純白のキャンバスに輪郭を生み出していく。だが、それだけでは止まらない。綺麗に流れる目、物言いた気にも見える少し開いた口、華々しい乱れ髪、風に煽られ揺れる制服。そんなところに至るまで、彼女の全てを浮かび上がらせていった。


 穂先の柔らかい筆は下地から段々と絵に色を付け始める。こんなご時世、絵を描くなんてパソコンでやる方が数倍も楽だろうし、そっちの方が需要があるだろう。

 ただ、それでもいい。例え、書き方や道具、出力する物は違えども、同じ“絵”を書いているはず。だったら……。そう信じて、筆を動かし、全ての土台を作り上げた。


 後は、人と、風景の本塗りだけ……。

 だが、ふと見てみた時計の短針は九の字を刺し、ちょっと集中を切らしてしまった途端、空腹と全身の疲れが僕の体を襲って来た。


「飯……風呂……」


 必死の思いで気怠さを吹き飛ばし、何とか体を動かして、ご飯を胃に詰め込み、サッとシャワーを浴びる。

 だが、結局ゴタゴタしてしまい、アトリエに戻って来たのは十時を過ぎていた。


「はぁ」


 それでもやるしかない。筆を取り、色取り取りの絵具をパレットの上に並べる。勿論、絵具にあるのは原色だけじゃない。ただ、今並べたのはある程度の基本色ばかりで、これと言った特徴的な色は一切なかった。


 大きく一息。柔らかで、繊細で、滑らかな穂先まで意識を向ける。

 色に染まっていく風景は、よく僕らが目にする世界のもの。色付けされていく彼女は、何を考えているだろうか。どれ一つとして(まと)まらない考えを、直接ぶつける。

 届きそうで届かない想いも全て。言いたくても言えない心も全て。

 胸の奥底へと溜まっていく感情。暴れ、抑え、それでも吐き出したい募る感情。

 叩きつけるように当てていく色。撫でるように塗っていく色。

 その全ては僕の筆であり、絵具であり、材料そのものだ。


 時すらも忘れ、たった一つの写真と、たった一つのキャンバスに向かう。僕が思い描く理想と、僕が存在している現実が混じる絵を。

 ひたすらに、無我夢中だった。


 最後に絵の女子のリボンを赤く染める。これで完成、と言いたかったのだが、何故か足りないような気がしてならない。ただ、どれだけ考えても、模索しても、一切分からなかった。


 と、気付けば、もう十一時を越しているではないか。そう気づいた時にはもう遅く、目は半分も開けることが出来ない。次第に全身の力は抜け、意識が深い闇に浸かり始めた。


 ピロリンッ。


 途端、背後から大きな音が聞こえ、慌てて飛び起きた。

 静寂に訪れたもう一音に一瞬驚くも、振り返って見れば、ただスマホの通知が来ているだけ。それにしても、こんな夜遅くに連絡をしてくるとは。なんて、溜め息を吐きながら、送り主の名前を確認した。

 彼女。彼女の名前が書かれてあった。

 そのメッセージは紛れもなく彼女からのもの。ただ、いつものトークアプリではなく、メールだった。


天河(あまかわ) 達樹(たつき)くんへ

 急な連絡、また夜分遅い連絡をどうか許してください。私は今日が終われば、もう高校生じゃなくなります。本当は、私の愛する人だけに送るつもりだったんだけど、どうしても送っておきたかったので、送らせて頂きました。こんな私と、ずっと昔から仲良くしてくれて、本当にありがとう。天河君からすれば、私は都合の良いモデルだったんだろうけど、私からすれば嬉しかったんです。恋人でもないどころか、天河君を避けていた私と、それでもよく話してくれたのは覚えています。あと、今日の写真から出来た絵をまた会うことがあれば、見せて欲しいです。では、御元気で。

 三坂(みさか) 奈穂(なほ)より』


 堅苦しい長文だった。読み辛くて、仕方が無い。

 ……本当に、本当に、本当に。


「なんなんだよっ」


 叫ぶ。


 唐突に告げられた別れの挨拶。それも、僕を特別扱いした取っておきの挨拶。

 でも、そこには別れの理由なんて何処にも無い。理由もない別れに、如何(どう)納得しろと言うのか。

 部屋中に張り詰める空気は、動くことなど出来なくなってしまった。


 胸にはまるで何十本もの矢が刺さったように痛い。苦しい。辛い。

 この気持ちは––––。

 内に秘め続けていた想い。ずっと言えなかった想い。そして、もう永遠に言うことの出来ない想い。彼女の側に居たからこそ芽生えたこの想い。

 ––––好き。


 ふと、花瓶に刺されていたヒヤシンスが目に入る。すると、心が締まる感覚とともに、手は筆を持ち、腕は動き始めた。

 夜空を写したかの様な一輪のヒヤシンスを夕焼けた廊下の端にそっと描く。ぼやけた視界の中、この気持ちを託して。


 そして、それの写真を撮り、画像として送った。そして、『保存したよ。最後までありがとう』の言葉だけ見ると、トークアプリの友達一覧画面を開き、彼女のアカウントをブロック、消去する。

 だが、堪え切れるはずもない。折角用意した夜食も喉を通らぬまま、部屋の電気を消し、布団の中へと潜り毛布に包まった。




 静寂に酔う午前零時。藍の闇に包まれた部屋の真ん中には、蒼い雫がこぼれ落ちたようなようなヒヤシンスの花弁が一枚、床に落ちていた。

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