第一話『ある日、彼と彼女は出会ってしまう』
友人の御子柴紗耶香の家に遊びに来た。
今日は漫画を読んだり、お菓子を食べながら駄弁ったりと女友達と遊ぶテンプレのような一日にする予定だ。
二人きりの女子会はぬるりと始まった。棚に並んだ少女漫画を読んだり、コンビニで買ってきた税込み108円のお菓子を食べたりと充実した一日だ。
ふと、トイレに行きたくなった。
お花摘みに行ってくるねと言うと、いっといれーという死ぬほどつまらないギャグを投げられる。それを無視し、部屋から出た。
「あ」
「あ」
紗耶香の隣の部屋から、見知らぬ男性が出てきた。全く同じタイミングで声が漏れる。
気まずさを感じながらも自らの尿意に耐え切れず会釈だけしてトイレに向かう。
トイレに入り、用を足す。あの少年は誰だろうか。紗耶香の兄……じゃないか、弟なんだろうな。
「紗耶香って弟いたんだね。さっき廊下で会ったよ」
部屋に戻りそう伝えると、紗耶香は手を額に当てた。知られたくなかったのだろうか。
別に嘘をつかれたわけではない。それは分かっているが、弟がいることくらい話してくれてもよかったのではないだろうか。
「そっか、あいつ今日バイト休みなんだ」
「どんな子なの?」
「えっとね、変な奴だよ。いっつも一人だし、バイトと学校以外は家から出ないし」
「紗耶香と真逆なんだね」
「顔は似てるんだけどね」
確かに、顔つきは紗耶香ととても良く似ていた。中性的な顔で、どんよりとした目。
目を合わせようとはせず、しかし動きは観察してくる。
紗耶香も大概変な人なのだが、私の見立てだと彼はそれ以上に変な人なのだろう。
「私、ちょっと話してみたいかも」
「えー? まあいいけど。あっそうだ、どうせならあいつの人間不信治してあげてよ。一応これでも姉だからさ、あいつ全然人と関わらないし、将来大丈夫なのか心配なんだよねー」
「……へー、そうなんだ。でも、少し話すだけだからそんな大層なことできないよ」
人間不信。そんな言葉が姉から出てくる時点で、普通とは言い難い。
どんな人なのだろうか、紗耶香とは同級生なので学年は高校二年生か、それ以下か。
どういう経路で人間不信になったのだろうか。どういう反応をしてくれるのだろうか。
興味が湧いて仕方がない。早く会ってみたい。早く話してみたい。はやる心を抑えて、私は弟くんの部屋に向かうのだった。
* * *
先程廊下で鉢合わせしたスタイルのいい黒髪ショートで大人っぽい雰囲気のある女性。
姉貴の友達だろうか。物好きな姉の友人というだけで危険度は高い。それなのに、先程のあの視線。
品定めするようなあの目。絶対に関わってはいけない人種だと一瞬で理解できた。おそらく、俺がチラチラと観察していたのにも気づいていたのだろう。
「ま、もう関わることなんてねーか」
家に遊びに来ているだけなのだ。彼女が帰るまで自分の部屋に引きこもっていれば何の問題もない。
悲しいかな、引きこもることには慣れているのだ。こうして部屋でゲームをするか、パソコンでネットサーフィンしていれば時間はあっという間に過ぎる。
勝ったな。画面のキャラは負けてるけど。
「ねえ、それ面白いの?」
「ひゃっ!?」
突然背後から話しかけられ、変な声が出てしまった。
いつの間に入ってきた? 気配を全く感じなかった。ドアは……閉めた。カギは……そもそもついていない。いい加減付けたい。
そんなことを考えている場合ではない。問題は目の前で笑っているこの悪魔だ。
「あはは! ひゃっ! だって、かわいい!」
「…………誰ですか」
部屋に入ってきた女性は、しばらくここにいるつもりなのか座り込んだ。
それ俺のクッション。この人が帰ったら急いで洗おう。
「さっき会ったでしょう?」
「さあ? 記憶にないので名乗ってくださいよ」
俺の言葉に女性はポカンとした後、ニヤリと笑った。怖い。
ごほんと咳払いをすると、真っ直ぐ見つめてくる。思わず目をそらしてしまった。顔はいいのだ、顔は。
「天道史奈。三年。お姉さん意地悪する子は嫌いになっちゃうぞ」
「御子柴束紗。二年です。用がないのなら早急に立ち去ってください」
天道史奈……名前は聞いたことがある。成績優秀、学年のマドンナ。非の打ち所の無い先輩だ。
しかしそんな先輩がなぜあんな姉なんかと? 合わないとは言えないが、どういう経緯で友達になったのか気になるな。
いかん、興味を持つな。
「用ならあるよ」
「ほう、言ってみてください」
顔を見ないように画面に集中する。これでしっかり喋れる。はきはきとは喋れないけど。
「キミってさ、人間不信なんだって?」
「それがどうかしましたか。このご時世、人間の汚いところを知ってたら人間不信にもなるでしょう」
「……それだけじゃ、ないよね? それだけじゃ、あんなに怯えた表情はしないよ」
ドキッと、心臓が跳ねる。
何かを知っている? いや、そんなはずはない。ただこの人は俺と同じで人を観察しているだけだ。
画面で死んでいるキャラを横目に、表情に出さないよう天道さんの顔を見る。
「貴方には関係ないでしょう。それを知って何になるって言うんです」
「サンプルかな」
「…………は?」
何て言った? サンプル? なんの?
「私って人を見るのが好きなんだ。面白ければ面白いほど好き。だから、私相手に面白い受け答えをしてくれるキミに興味が出たの。さっきの質問は人間不信の人と関わるときのためのサンプルね」
「面白いって、俺の対応は世間一般的に見てつまらないものでしょ。さっきだって、あんたに嫌われるために適当に会話してたんだから」
素っ気ない返事をすれば、相手は飽きてどこかに行ってしまう。それは俺が生きてきて学んだことだ。
実際の体験をもとにした対応だったのだが。この人にはなぜか効果がない。
「それが面白いんじゃない。私ね、可愛いでしょ?」
「…………」
いきなり何を言い出すんだこいつは、という目で見る。
ちなみに、俺は自分のことを可愛いだとか、かっこいいだとか自負する人間が大の苦手だ。なんだろう、本能的に合わないというか……あれだ、生理的に無理ってやつだ。それに近い。
「それでね。みーんな自分をいいように見せようとするからさ、つまんないなーって思ってたの。でもキミは違う。私になんて興味がないって顔してるもん」
「そりゃ、興味ありませんよ」
「ほんとぉ?」
天道先輩はそう言うと、胸元を開けて見せつけてきた。
思わず目をそらす。思わず目をそらしすぎだろ俺。というかこれは人間不信とか関係なく男なら普通の反応だろ。
「あはっ、そっちの興味はあるんだね。嬉しい」
服を動かしたからか、天道先輩の香りが広がる。近づいたことにより息遣いも伝わる。
意識するな。っていう方が無理な話だ。なるべく、鼻で息はしないようにしようか。死なない範囲で。
「っ、早く帰ってください」
分かっていても胸元を見たことが相手にバレるのは辛い。
もう今更だとは思うが、俺、遊ばれすぎではないだろうか。男としてそれはどうなんだと思いつつも、反撃するために思考を巡らせる。
「ねえ、御子柴くん」
「今度は何ですか」
反撃の準備を進めていると、天道先輩が先に仕掛けてきた。
次はなんだ。色仕掛けはもう通じない……とは言い切れないが耐性はついた。からかって来たとしても、適当に受け答えすればどうにかなる。
もう諦めて、向こうが飽きるまで無視してやろうか。なんて思いながら言葉を待つ。
「私と付き合ってよ」