96話 クラーケン変異体②
《それじゃ準備してくるね!》
《キュッ!》
リディとルカたちが、今回の俺の思い付きを実行する為に一旦安全な後方まで下がる。
頼んだぞ。これが可能かどうかはお前たち次第だ。
《タイダリアたちとクラーケンは……どっちも攻めあぐねているな》
《タイダリアたちはさっきのを見ていたでしょうしね。海流を利用した遠距離攻撃が基本ですね》
《遠距離攻撃が封じられたクラーケンは接近したい。だが、タイダリアは接近を許さない。このままでは、いずれクラーケンがこの場から逃げ出してしまうだろうな》
ここで奴を見失ってしまうのは避けたい。
どこかで傷を癒し復活すれば、また今回と同じ騒動が起きてしまうだろう。
それに、奴からはミスリルの槍とミスリル紐を回収しなきゃいけないしな。
《よし、奴をあそこに押し留めるぞ!》
本来なら、魔力があまり残っていない俺は後ろに下がっているべきなんだろう。
だけど、ここは海底だ。レイチェルが維持してくれている『潜水魔術』が無くなった瞬間、俺は密漁者たちと同じ運命を辿ることになるだろうな。それはアガーテも同じことだ。
それに、一旦船まで戻っているような時間は無い。
ならば、最後の一撃の為に魔力を温存しつつ、レイチェル、アガーテの近くに留まり続けるしかない。
《分かりました! リーダー、クラーケンの前までお願い!》
「キュォオオオン!」
リーダーが海流を発生させ、俺たちをクラーケンの前まで運ぶ。
俺たちが接近して来たことに気付いたクラーケンは、迎撃するべく残った大百足の触腕を振るう。
《随分弱っているようだなクラーケンよ。その程度の一撃が通ると思うな!》
その攻撃はアガーテがあっさり受け止めてしまう。
《食らえっ!》
そこへすかさず俺が剣で斬り付ける。
ぐっ、最低限の『身体活性』を使っているだけだから体が重い……
それに、『エンチャント』も『限界突破』も無いただの斬撃だ。俺の攻撃は、クラーケンの触腕に僅かな傷を付けるのが限界だった。
そして、弱っているとは言えクラーケン……更に、大百足の毒素と生命力を得たであろう変異体だ。
その程度の傷は即座に再生し、しぶといまでの生命力を見せる。
だけどそれでいい。
俺の攻撃は、奴の体力を奪うのが目的だからな。
普段通りならこのまま攻撃し続けていれば倒せただろうけど、今の状態じゃそれは不可能だ。
それならば、徐々に奴を弱らせて最後に強力な一撃で止めを刺すしかない。
一度見せた『光の矢』だと発動準備中に確実に警戒されるから、それ以外の方法で。
クラーケンが攻撃し、アガーテがそれを防ぎ俺が斬り付ける。
同じことを数度繰り返すと、少しクラーケンの様子が変わった。
触腕での攻撃を止め、まるで一本の槍のような姿になる。この姿は……!
《クラーケンの奴、逃げるつもりだ!》
《させない! リーダー! クラーケンを止めて!》
「キュオンッ! キュォォオオオオオオオオ」
「「「キュオォォオオオオオオオオン」」」
リーダーの指示を受けた数頭のタイダリアたちが一斉に海流を発生させる。
その海流に呑まれたクラーケンは、その場に留まるのが精一杯の様子だ。
だが、クラーケンは今度はその海流を利用してこの場から逃げ出そうとする。
「キュゥゥオオオオン」
リーダーの鳴き声と共に先程まで発生していた海流が止み、今度は逆方向から他のタイダリアたちが海流が発生させクラーケンを呑み込む。
《よし! リーダーはちゃんとタイダリアたちを配置してくれていたみたいだな!》
俺たちとクラーケンから少し離れた周囲を、数頭ずつのグループに分かれたタイダリアたちが囲んでいる。
このタイダリアたちが海流を発生させ、クラーケンを逃がさない檻の役目を果たしてくれている。
ルカがリーダーに伝えた内容はちゃんとタイダリアたちにも伝わっていたようだ。
それに、このリーダーは俺たちの簡単な指示なら聞いてくれるくらい頭がいい。
こいつがいてくれて本当助かったな。
更に、タイダリアたちが周囲にいると言うことは、俺たちも海流に乗れるってことで、
《おおおおおおおおおっ!》
ドッゴァアッ!
タイダリアの海流によって俺たちは逃げあぐねているクラーケンの頭上まで運ばれる。
そこで、アガーテがクラーケンを光の盾で殴りつける!
突然の衝撃と苦手な光属性の魔力を受け、クラーケンは堪らず槍形態を解除してしまう。
《こっちもだ!》
そこをすかさず斬り付ける。
クラーケンの足の先端を一本斬り落とすことに成功した。
その傷は瞬時に再生されてしまったけど、奴の体力は幾らか奪えた筈だ。
《おにい! 出来たよーーーー!!》
待ち望んでいたリディからの『念話』が届く。
クラーケンも最初よりかなり疲れている様子だし丁度いい。
俺は剣を腰の鞘に戻した。
《クラーケンに接近するぞ! リーダー!》
「キュオオン!」
リーダーが海流を操り、俺たちをクラーケンの至近距離まで運ぶ。
逃げられないと見たのか、クラーケンは再び大百足の触腕で迎撃してくる。
それに、さっきまでの攻撃より数段鋭い! おそらく、残った力で俺たちを排除する気なのだろう。
《そっちの触腕を使ってくれるんなら好都合だ! アガーテ!》
《了解した! 上手くやれよ、ジェット! 『闘気盾』!》
ドゴォォオオオンッ!
《ふふっ……、今のはいい一撃だったぞクラーケンよ》
クラーケンの渾身の一撃を受け、アガーテが少しよろめく。
だけど、見事攻撃を受け止めることに成功した。
《ナイスだアガーテ! お陰で掴めたぞ!》
俺の右手には、クラーケンの触腕から垂れ下がっていたミスリル紐が掴まれていた。
激しい動きを繰り返した影響か、ミスリル紐はクラーケンの触腕にがっちり絡まっているようだ。
俺はミスリル紐を離さないよう手に何重にも巻き付ける。
《レイチェル、絶対手を離すなよ!》
《はい! 師匠ともアガーテとも絶対に離しません!》
レイチェルと俺たちは、お互いに強く手首を握り合う。
よし、これで俺たちも準備は出来た!
《リーダー! リディたちの所まで運んでくれ!》
「キュゥウウウオオオオオオオオオオンッ!」
リーダーが周囲のタイダリアたちに指示を出す。
すると、今までで一番の強さの海流が発生し、俺たち共々クラーケンを飲み込んだ。
流石にここまで弱ったクラーケンだとこの海流の勢いには逆らえず、徐々に目的地まで流されていった。
《あ、来た来た! おにい、こっちこっち!》
リディが俺たちに手を振る。
そして、そのリディの前には周囲の海水とは違う、薄っすらと光る巨大な水球が佇んでいた。
《よし、上手く出来たようだなリディ。タイダリアたち、あの光る水の中にクラーケンを運んでくれ!》
「キュォォオ、キュキュオオオン」
タイダリアたちが海流の向きを調整し、クラーケンを光る水球の中へ押し込んだ。
すると、クラーケンがもだえ苦しみだした。
うおっ! 紐が手に食い込んで痛いっ! 仕方ない、右手の『身体活性』の出力を少し上げよう。
《ちょっと揺れるけど……大丈夫か、レイチェル、アガーテ》
《は、はい。す、すごい苦しんでますねクラーケン》
《こちらも問題無い。光の魔力を含んだ水球か……私たち人間にとっては、毒水の中に放り込まれたようなものか……》
そう、この水球はリディが水魔術によって作り出したものなのだ。
今回は、クラーケン用と言うことで光属性の魔力も含ませている。
クラーケンの体の大部分を包んでいるが、触腕部分とそこから垂れ下がったミスリル紐は水球には包まれていない。
《キュキュキュ……!》
そして、その水球を維持しているのがルカだ。
クラーケンはどうにかその水球の中から逃れようともがくも、ルカがそれを許さない。
だけど、水球の大きさとクラーケンの抵抗もあって、少し苦しそうにも見える。
《急いだ方が良さそうだ! タイダリアたち、クラーケンをこのまま上へ!》
「キュォオ、キュオキュオキュオオン」
リーダー指示と共に上向きの海流が発生し、水球ごとクラーケンを押し上げる。
そして、紐を掴んだままの俺たちも共に海面へと向かって行く。
《ルカ、頑張って!》
《キュキュゥゥウ……!》
どうやら、リディたちのことはルカの両親が運んでくれているみたいだな。
ルカも流石にあの状態で自由自在に泳ぐのは無理だったようだ。
海流が徐々に勢いを増し、俺たち共々クラーケン入りの水球もどんどん海面へと向かって行く。
暫く海流に流されていると、周囲が陽の光で徐々に明るくなっていく。
そろそろ海面が近そうだ。
《ジェット! そろそろじゃないのか!?》
《ああ! レイチェル、海面から飛び出した瞬間俺の手を離せ!》
《はい! 仕上げはお願いします、師匠!》
上を見上げると、空の様子が見れるようになっていた。
海面はもうすぐそこだ。
さあ、ここからが俺の出番だ!
《ルカ! あいつを空高く飛ばしちゃえ!》
《キュキュキュキュゥゥウウウウウウウウウウウウウウウッ!》
ザッボァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンッ
激しい海流によって勢いに乗った水球と共に、クラーケンが空高くへと打ち上げられる!
そこで、俺はレイチェルと繋いでいた手を離す。
レイチェルとアガーテは途中で海に落ちていき、ミスリル紐に掴まった俺だけがクラーケンと共に空を舞う。
さあ、ここなら何も問題は無い。
レイチェルのお陰で俺自身は濡れていないから誤爆も心配ない。
クラーケンを倒すのに用意した思い付きは光の水だけではない。
ここからが最後の仕上げだ!
俺の残った魔力をお前にくれてやる!
そして、俺は掴んだミスリル紐に雷魔術を放った!
バヂバヂバヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂイイィイイッ!
クラーケンが雷をその身に受け、より一層もがき苦しむ。
ミスリルは雷を良く通すからな。
それに、魔術で生成された水は雷魔術の威力を倍増させる。
今までは海の中だから周囲への誤爆を考え雷魔術は使えなかったけど、空なら周囲のことは気にする必要は無い。
それに、これならお前の再生も意味無いだろう?
さあ、このままぐえっ!
なんと、クラーケンは最後の抵抗とばかりに歪な再生をした触腕を俺に叩き付けてきた!
『身体活性』もかなり出力が落ちていた上に、クラーケンから雷魔術の威力が俺にも伝わる。
俺はミスリル紐から手を離してしまい、そのまま海面へと叩き付けられた。
ぐっ、なんてしぶとさだ……
それに、このままじゃ溺れて……
すると、二頭のタイダリアがこちらに泳いできて、俺を海面へと引き上げてくれる。
どうやらルカの両親が俺を助けてくれたようだ。
「おにい!」
「師匠! 大丈夫ですか!?」
「ジェット! 無事か!?」
ルカの両親と共にリディたちが、そしてレイチェルとアガーテが泳いでこちらに向かって来る。
濡れていない所を見ると、どうやらまだ『潜水魔術』を維持しているようだ。
「ああ、どうにか助けられたよ、ありがとう」
そう言ってルカの両親を撫でる。
「クラーケンは!?」
「まだ、生きているみたいです……」
「なんと言う生命力だ……大百足の生命力を得たクラーケンとはこれ程なのか」
「ルカ、大丈夫!?」
「キュキュキュ……」
ルカが少し苦しそうな声を出す。
どうやら水球の維持がそろそろ限界なのかもしれない。
それに、クラーケン入りの水球がゆっくりと海面に近付いて来る。
くそっ! あと一歩なのに!
何か…何か手は!
その時、ふとレイチェルと目が合う。
……っ! そうだ!
「レイチェル! 雷のナイフだ! あれで俺がやったようにクラーケンに雷を食らわせてやれ!」
◇◇◇
「ふぇっ!? わたしですかっ!?」
師匠の言葉につい間抜けな返しをしてしまう。
だって、まさかこんな大事な場面をわたしが任されるなんて……
今までだってわたしなりに全力でやっては来たんだけど、それでもやっぱり肝心な所では師匠やリディちゃんがいるから大丈夫、と言う考えがあった訳で……
「ぁ……ぇ……えっと、その」
突然のことに心臓が早鐘を打つ。口が乾いて上手く言葉が紡げない。
すると、アガーテがわたしと繋いでいた手を離す。
こんな所で手を離したら『潜水魔術』が消滅して海に沈んじゃう!
だけど、アガーテは海水に濡れはしたものの沈む様子は無い。
どうやら、ルカちゃんのお母さんがアガーテを背に乗せているようだ。
「レイチェル、こちらを気にする必要は無い。レイチェルはレイチェルのやるべきことを」
アガーテが真っ直ぐに私の瞳を見て来る。
「やっちゃってレイチェル姉!」
「キュキュキュゥ……!」
リディちゃんとルカちゃんがわたしを後押ししてくれる。
ポヨンちゃんとキナコちゃんからも、わたしのことを後押しする気持ちが伝わって来る。
「レイチェル、何も難しいことは無い。普段通りやればいい。自分を信じろ! お前なら出来る!」
師匠はそう言うけど、やっぱり……まだわたしはちょっぴり自分のことを信じてあげることが出来ない。
だけど……
だけど、師匠の言葉なら信じられる!
師匠がわたしなら出来るって言ったんだ! なら、わたしはその言葉を信じる!
わたしは拳を硬く握りしめ、アガーテ、リディちゃんたち、そして師匠の目を見る。
「分かりました! 後はわたしに任せて下さい!」
私のその言葉に、皆が力強く頷いてくれた。
「キュォォオオオオオオン!」
そして、わたしのその言葉を待っていたかのように一頭のタイダリアが姿を現した。
そのタイダリアはわたしを背に跨らせようと泳ぐ。
「リーダー! もしかして乗せてくれるの?」
「キュオン!」
どうやらこの子も手伝ってくれるみたい。
あとでうんとお礼をしなきゃ!
「リーダー、あの垂れ下がっている紐の下までわたしを運んで!」
「キュキュオオオオオン!」
リーダーがわたしを背に乗せ海を泳ぐ。
すると、あっと言う間に目的地へと辿り着いた。
クラーケンは……まだ空中でもがいている。
急がなきゃ!
わたしは『亜空間収納』から雷のナイフを取り出す。
垂れ下がったミスリル紐を手に取り、それをナイフの刃に外れないよう巻き付ける。
よし、これでいい。
クラーケンはまだ空中だし、紐がリーダーや海に触れたりもしていない。
あとは、ナイフに思いっ切り魔力を注ぐだけだ!
「やぁあああああああああああああああああああああっ!!」
バヂバヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂィイイッ!
凄まじい雷が水球を蹂躙する。
そして、それを受けたクラーケンが激しくのたうち回る。
まだここまで動けるなんて……
ナイフにもクラーケンの暴れる力が伝わって来る。
それでも、わたしは絶対にこのナイフを離さない!
そうやって、暫くクラーケンと根比べをしていると、ふいにナイフに伝わって来る力が無くなった。
それと同時に、すぐ上に感じていたクラーケンの大きな気配が消失する。
わたしは一度ナイフに注いでいる魔力を止める。
勿論、何かあった時はすぐに魔力を流せるよう警戒しながら。
一度深呼吸をし、わたしは意を決してクラーケンを見上げる。
するとそこには、十本の足をだらりと下げ、全ての力を使い果たして力尽きた巨大な烏賊の魔物の姿があった。




