89話 出港三日前
「お~、よしよし。こいつも食うか、ルカ?」
「キュッ!」
あれからお茶を飲みながら待つこと十数分。
現在、ルカはリカルドさんの膝に乗せられお菓子を与えられている。
あのお菓子、結構高級品に見えるんだけど……
「全く……タイダリアの子供を密漁しようなんざ許せねえよなあ。もしタイダリアたちがやってなけりゃ、俺が海に沈めてやってた所だ」
ルカに優しくそう語りかけるリカルドさんの表情はずっと緩みっぱなしで、最早この場では取り繕う気は一切無さそうだ。
「えっと、それで船は」
「ああ、海洋ギルドもお前たちに協力する。と言うより、こいつはサイマールとタイダリアたちの危機だ。原因と解決法が分かった今、何もしねえなんて選択肢は端からねえよ」
そう言って表情を引き締めるリカルドさん。
だけど、ルカを撫でる手は止まらない。
「アントンさんとルカのお陰でどうにかなりそうだね」
「いえいえ、これくらいのこと。それに、直接の解決は皆さんに頼る他ありませんし……」
「そう言うこった。はぁ、まさか最初にお前たちに怒鳴った言葉を実行に移してくるとはなあ。正直、お前たちを見くびってたよ。悪かったな」
最初に怒鳴られた言葉……
ああ! 海の異変をどうにかしてくれってアレか。
そう言われてみれば、確かにその通りの展開になっちゃったな。
「ただ」
そこでリカルドさんが少し難しい顔になる。
「俺たちは船は出せるが、あくまでも船乗りだ。海のど真ん中でずっと停泊して、船に向かって来る魔物を撃退し続けるなんざ不可能だ。その辺はどうするつもりなんだ?」
「今、私の仲間が冒険者ギルドに同じ話をしに向かっている。おそらく、そちらから護衛の冒険者たちが派遣される筈だ」
「成程。なら、後で冒険者ギルドにも話し合いに行かなきゃならねえな。それに、水と食料の用意も必要になるな」
「わたしたちは普段問題無いから忘れがちですけど、今回みたいなことだとかなりの量が必要になりそうですね……」
「その辺りは町全体で用意することになるでしょうな。勿論、ウチからも協力は惜しみませんよ」
この一件は、サイマール全体で取り組むことになりそうだな。
「……やはり、あの船を今回使うか。あれなら魔物に襲われても多少のことならビクともしねえ筈だ。それ以外にも、補給用の船の用意も……」
「リカルド、やっと完成したのか?」
「ん? ああ。船自体は少し前に完成してるんだが、船首に取り付ける予定の像の完成が遅れててな。この町の彫刻家に依頼してんだが、いいモチーフが見付からないと言ってなかなか作業が進んでいないようでな。まあ、あの手の連中は気難しいからな。急かした所でいいものが出来る訳でもないし、少し時間を置いている所だ」
どうやら、今回新しい船を使うことになるみたいだな。
話を聞く限り、結構頑丈な船みたいだけど……
うおおおお、こんな時にアレだけど、早く船に乗ってみたいな!
「はっはっは、お前に気難しいと言われるとは相当なようだな」
「……うるせぇ」
自分でも気難しい自覚があったのか、リカルドさんはアントンさんの言葉にそっぽを向いて頭を掻いていた。
「よし、なら善は急げだ! 早速こっちでも船の用意をしなきゃなんねえな! おーい!」
話を誤魔化すように、リカルドさんがそう切り出した。
そして、リカルドさんの大声での呼び掛けに、海洋ギルドの職員の男性が応接室までやって来た。
「どうしましたか、マスター?」
「おう。今から船を出せるよう準備を進めろ。例の船を出す。補給用の船も必要になるからそっちもだ」
「え? 今からですか? それに、今海は船を出せる状況じゃ」
「それをどうにかする為に船を出すんだよ! 他の奴にも通達してさっさと突貫作業で進めろ! ただし、手抜きしやがったら承知しねえからな!」
「は、はいいいいいいい!!」
海洋ギルド職員は慌てて応接室を出て行った。
暫く大変かもしれないけど……俺たちじゃ船の準備なんて出来ないし、彼らには頑張ってもらうしかないな。
「よし! まずは冒険者ギルドへ行くとするか!」
「キュッ!」
そう言って、リカルドさんはルカを抱きかかえたまま応接室を出て行った。
「ルカーーーーッ!」
リディがポヨンとキナコを抱え、慌ててリカルドさんの後を追う。
「……俺たちも行こうか」
「ああ、サリヴァンたちの様子も気になるしな」
「私は宿に戻って夕食を用意しておきます」
「ありがとうございました、アントンさん」
「助かったよ、アントンさん」
「後は私たちに任せておいてくれ」
「ははは、不思議と皆さんに任せれば大丈夫な気がしますよ。よろしくお願いします」
そうして、アントンさんは潮騒亭へと戻り、俺たちはリカルドさんとリディたちを追って冒険者ギルドへと向かうのだった。
◇◇◇
「ほう、焼いたオーク肉で」
「うん。最初はヴァラッドって言う村の近くの川で釣り上げてね、それで――」
「――くぅ、ルカよぉ、お前大変だったんだなあ。だが安心しろよ。絶対俺たちがどうにかしてお前の両親も仲間も助けてやるからよう」
「キュゥゥウイ!」
冒険者ギルドへの道中、ルカを通じて意気投合したのかリディとリカルドさんがルカのことで盛り上がっていた。
仲良く歩くその姿は、まるで親子……と言うよりお爺ちゃんとその孫、と言った雰囲気だ。
アントンさんの幼馴染って話だからそこまで年寄りではないと思うんだけど……
やはり、リカルドさんの白髪と少し苦み走った雰囲気がそう感じさせるのかな。
「ふふ、あの二人、一気に仲良くなっちゃいましたね」
「だなあ。まさかリカルドさんがあそこまでのタイダリア好きだったとは」
「元々このサイマールではタイダリアは好意的に見られているし、その上命を救われたとあってはそうなるのも無理はないのだろうな」
「リカルドさんを助けたタイダリアって、今も海にいるんでしょうか?」
「船から落ちた所を助けられたって話だから、多分助けてくれたのは船に寄って来ていた子供のタイダリアだろ? タイダリアの寿命がどれくらいか分からないから何とも言えないけど……」
「仮にそれが三十年くらい前だとして、多分まだ生きているんじゃないか?」
「もし、その二人が今回再会なんて出来たら素敵ですよね」
「はは、まあその為にも絶対にタイダリアたちを救ってやらないとな」
「ん? 前から歩いて来るのはサリヴァンか?」
アガーテの言う人物を視力を強化して見てみると、確かにそれはサリヴァンさんのようだった。
なんでこんな所に?
「よう、丁度いい所に。これから海洋ギルドに向かおうと、げっ!?」
俺たちに気付いたサリヴァンさんが手で挨拶をしながら話し掛けてきたけど、リカルドさんがいることにも気付いて少し焦った様子になった。
ああ、以前怒鳴られて叩き出されたって話だしなあ。
「おい、何がげっ、だ」
「た、たはは、いやぁその節は大変失礼を……」
「ふん。まあ別にいい。俺も今丁度冒険者ギルドに今後の話をしに行こうと思っていてな」
「ああ、だったら俺ももう一度冒険者ギルドに戻るとするか。そうだな、君たちは今日はもう休め。海の調査で疲れてるだろ? それに、暫く君たちにとってはつまらん大人の話し合いが続くだろうからな」
「アントンのとこに泊まってるんだろ? なら、早く帰って何か食わせてもらえ」
そう言って、リカルドさんは抱きかかえていたルカをリディに手渡した。
「えっと、いいのか?」
「君たちには明日にでも話し合いに参加してもらうさ。色々細かいことも決めなきゃだしな。その時は使いを宿に出すから、少しゆっくりしていてくれ」
そうだな。それなら二人の言葉に甘えておこうか。
「分かった。なら俺たちは宿に戻るよ。後はよろしく」
「おう、任せとけ」
「全部お前たちに任せっきりには出来んからな。面倒な話し合いくらい俺たちに任せろ」
そして、サリヴァンさんとリカルドさんと別れ、俺たちは潮騒亭へと戻ることになった。
思いの外早く帰って来た俺たちにアントンさんが少し驚いていたけど、理由を話すと納得した表情を浮かべていた。
その後は用意してもらった夕食を、アントンさんやカミーユさんからリカルドさんとの昔話を聞きながら食べることとなった。
リカルドさんのことを話すアントンさんは、少し照れ臭そうにしながらも嬉しそうな様子だった。
いいな、こう言う男同士の友情って。
俺もエルデリアに帰ったら、グレンやゴーシュたちとこんな関係を築いていきたいものだ。
夕食後は日課の魔力操作の修業をし、風呂に入って汗を流す。
そして、今日は海中調査とタイダリアの治療で魔力を多く使っていたこともあり、俺はベッドに入ると数分と待たず眠りに就くのだった。
そして翌日、サリヴァンさんに言われた通り潮騒亭でのんびりお茶を貰っていると、ミューさんが俺たちを迎えに来てくれた。
ミューさんと共に冒険者ギルドへと赴き、奥の大きな部屋へと通される。
すると、そこにはサリヴァンさんやリカルドさん、他にもおそらくサイマールの重要人物だと思われる人たちが勢揃いしていた。
視線が俺たちに集中し、ルカのことを見て感嘆の声が漏れる。
うわぁ、ここで説明しなきゃいけないのか……流石にちょっと緊張するなあ。
レイチェルなんて既に満身創痍な様子だ。
逆にアガーテは場慣れしているのか堂々とした様子だ。
サリヴァンさんとリカルドさんの間が空いていたので、そこに移動することになった。
リカルドさんはちゃっかり隣にリディを座らせていた。
余程ルカの近くが良かったんだな。
そして、サリヴァンさんに促され、俺はこれまでの経緯を時折魔術を実演しながら語っていく。
魔術を見せる度にどよめきが聞こえるも、サリヴァンさんやリカルドさんが制してくれる。
そして、リカルドさんに見せたように『潜水魔術』を実演すると、今日一番の歓声が上がるのだった。
◇◇◇
「あー、疲れた……」
「たはは、お疲れ」
サリヴァンさんがお茶を手渡してきたので、俺はそれを一気に煽る。
ふぅ、生き返るぜ。
会議での俺たちの出番は終わり、今はギルドの酒場スペースで休憩している所だ。
サリヴァンさんが奢ってくれるとのことなので、その厚意に甘えることにしたのだ。
レイチェルはあの場の空気に完全に中てられてしまったようで、現在はテーブルの上に突っ伏している状態だ。
俺たちの役割は最初から決まっているから、今回の会議への出席は半分顔見せみたいなものだったんだよな。それに、俺たちから直接話を聞いた方がお偉いさんたちも納得するだろうとのこと。
実際、魔術を実演してみせたら完全に歓迎ムードだったしな。
「出港は三日後だっけ?」
「ああ、そうだな。本来なら今すぐにでも向かった方がいいんだろうが、これだけ規模がデカくなると人員を集めたり物資を集めたりでどうしても時間が掛かっちまう。これでもかなり急いだ方なんだぞ?」
「焦って準備を怠る訳にはいかねえからな」
リディと共にルカやポヨンにお菓子をあげているリカルドさんがそう言う。
まあ、確かにそれはそうか。
「そう言えばサリヴァン、船の護衛に当たる冒険者たちはもう決まったのか?」
「ええ。何でもサイマールギルドから海の魔物に慣れた幾つかの冒険者パーティーに指名依頼を出すみたいですよ」
「海の魔物って言うと、あのマーマンとかか」
「他にもフライングキラーみたいな魚型とかもな。それに、魔物は海だけじゃねえ。空からも鳥型の魔物が襲ってくることもある。まあ、この辺りはタイダリアたちの縄張りだから、他の海竜型の魔物がいたりしねえのは救いだな」
フライングキラーか。
初めて聞く名前だけど、魚型ってことだし海から飛んできたりする奴なのかねえ。
「ああ、そうそう。俺も護衛として同行するからな」
サリヴァンさんがそう語る。
おお、この人何だかんだで頼りになるからな。心強い。
「船は俺に任せとけ。きっちりお前たちを送り届けてその場で拠点になってやるよ」
リカルドさんも船長として同行することが決まっている。
「えっと、二人とも、よろしく」
俺のその言葉に、サリヴァンさんとリカルドさんが力強く頷く。
こうして、出港の準備が町全体で進められることとなり、俺たちは出港の日に向けて体を休めるのだった。




