85話 水の世界
「ん? あれ、ここは……」
『息災であったか、リディよ?』
「あ、先生! うん、皆元気だよ。最近ね、新しいお友達もいっぱい増えたんだ」
『くふふ、お主の周りは随分賑やかになっておるようじゃな』
「うん! あれ? 先生の夢を見てるってことは……」
『察しが良いな。そう言うことじゃ。お主も頑張っておるようだし、そろそろ新たな魔術を教えても良いかと思ってな』
「うわぁ、今度はどんな魔術なんだろう?」
『念話。声や感情を魔力に乗せて飛ばし、少し離れた相手とも会話が出来る魔術じゃ。魔力を使った会話だから周囲には聞こえないし、普段は喋れない場所でも会話可能じゃな。お主を中継することで、仲間同士での会話も可能じゃ』
「凄い! それがあれば水の中でも会話が……そうだ、先生、今おにいが水中で活動する為の魔術を頑張って習得しようとしてるんだけど、なかなか上手くいってないみたいなんだ。何かいい方法は無いかなあ?」
『くふふ、ジェットはまた面白いことをやろうとしておるようじゃな。お主の従魔、タイダリアのルカの能力を再現しようとしておるのじゃろうが……水の扱いには海に棲むタイダリアに一日の長がある。人が同じようにやっても上手くはいくまい。そうじゃなあ、水属性の他に風属性も上手く扱えばよいかもな。そうジェットに伝えてやれ』
「分かった、ありがとう先生!」
『くふふ、よい』
「……ねえ先生、あたしたち、今エルデリアじゃない全然知らない所を旅してるんだけど……無事にパパやママの所に帰れるのかなぁ……」
『……案ずるな。お主の兄、ジェットについて行っておれば大丈夫じゃ。そうじゃろう?』
「……うん!」
『くふふ。さて、兄に負けぬよう妾たちも魔術の修業を始めようか』
「うん! よろしくお願いします、先生!」
◇◇◇
マール湖での修業を始めて一週間程度が経過した。
変わらず俺たちはミューさんに紹介された依頼をこなしつつ、時折息抜きに海釣りにも行ったりしながらマール湖での修業を続けている。
その間、アガーテと和解し新たな弟子になったり、そのアガーテが宿を潮騒亭に移動して来たり、山の調査から戻って来たサリヴァンさんに「お嬢をよろしく頼む」と言われたり……
アガーテの魔術の修業は順調で、やはり無属性の扱いには慣れているのか、既に『身体活性』を身に付けている程だ。まあ、最初は地獄の筋肉痛に襲われていたみたいだけど……
反面、慣れない属性魔術は苦手なようで、そちらはまだ一切使うことが出来ない。まあ、これについては焦らず丁寧に教えていこうと思う。
対して、俺の修業は正直上手くいっているとは言い難い。
ルカと同じように水魔術を使って色々試してみるものの、どうにも再現出来る気がしない。
そのお陰でレイチェル共々、水魔術の扱いが以前より巧くなったのは嬉しいんだけど……
俺たちが修業を始めて以降、海の荒れが以前から広がっていないのが不幸中の幸いか。
それと、なんとアガーテまでミューさんたちが選んだ水着を購入していた。
レイチェル同様ビキニ、と呼ばれる水着を着用しており、黒地の布がアガーテの金髪と色白の肌に良く映える。
アガーテはどうやら俺たちの海中調査について来る気らしく、水に慣れる為だと顔を真っ赤にしながら言っていた。
……俺が溺れそうになる回数が増えたのは言うまでもないな。
ただそうなると、折を見てルカの言っていた海の異変の原因を教えないといけないなあ。
アガーテは大丈夫だとは思うけど、周囲に漏れるリスクを考えてまだアガーテには教えていないんだよな。
コンコンッ
「ジェット、そろそろ朝食の時間だぞ」
扉越しにアガーテがそう伝えてくる。
アガーテは、まだ心の準備が出来ていないから、と言って別の部屋に宿泊している。
一人だと寂しいだろうから、とレイチェルも今はそちらに移動している。時折リディもそちらに移動することがあり、その時俺は一人寂しく就寝することになるのだ。
「ああ、分かった。リディを起こすから先に行っていてくれ」
「了解した」
さて、リディを起こさなきゃな。
今日はどうにも寝坊しているようだ。
ポヨンやキナコ、ルカは既に起きているんだが……
「おーい、リディ、起きろー。朝御飯の時間だぞー」
リディを優しく揺り動かすも、目を覚ます気配は無い。
「おーきーろー」
《うーん、まだ眠いー》
なっ!?
何故か頭に直接リディの声が響く。
ど、どうなっているんだ!?
「お、おいリディ! 頭の中にお前の声が聞こえるんだけど、これお前がやっているのか!?」
《あ、上手く出来たみたい》
再び頭の中に声が響く。
「リ、リディ! 起きてちゃんと説明してくれー!!」
◇◇◇
「うわっ! えっ、リディちゃんの声?」
「ぴゃっ! な、ななな、なな何事だ!?」
《二人ともー、ビックリした?》
朝食後、今日は特に受けている依頼は無かったので、俺たちは早速マール湖へとやって来た。
このリディの謎の声についてはマール湖に着いたら教えると言われていた。
多分、周囲に人がいない所でこれをやりたかったんだろうな。
当のリディは得意げな笑顔を浮かべてレイチェルとアガーテを見ている。何故か、ポヨン、キナコ、ルカも得意げな表情をしている……ん? キナコとルカはともかく、なんで俺はポヨンが得意げだって分かったんだ!?
「なあリディ、そろそろ教えてくれ。気になって朝食もあまり喉を通らなかったんだ」
「いや、普通に食べてただろう、ジェット」
「おかわりしてなかったし、普段よりは少ないと言えば少なかったですけど……」
「うん。これはね、『念話』って魔術。魔力を使って相手と直接会話出来るんだよ! 夢の中に先生が出て来て教えてくれたんだ!」
また先生か。一体何者なんだろう?
やはり、リディは起きたらどんな相手だったかあまり覚えてないみたいだし。
今までリディが教えてもらった魔術を考えると、危険な相手ではないとは思うけど……
「なんだか、さっきからポヨンちゃんたちの気持ちがちょっと理解出来ているんだけど、もしかしてこれも……」
「うん、それも『念話』の効果だよ」
「こ、こんな能力、今まで聞いたことも無いぞ……」
「先生は聞いたことも無い不思議な魔術ばかり教えてくれるんだよね。あ、そうだ。おにい、先生から伝言」
「? なんだ」
『亜空間収納』の時もそうだったけれど、このリディの夢の中の先生、どうやら俺のことも認識しているみたいなんだよな。
「ルカと同じようにやろうとしても駄目だって。水属性以外にも風属性も一緒に使ったらいいかも、だって」
どうやら水中活動の修業のことのようだ。
確かに、今まではルカと同じように水属性だけを使って再現しようとしてたけど……風属性か。
ん? 風属性……
「! 成程、何か掴めそうだ! リディ、助かった! その先生にもお礼を言っておいてくれ!」
早速俺は服を脱ぎ捨て、冷たい湖へと勢いよく飛び込んだ!
「あ! まだ『念話』の説明が途中だったんだけど……」
リディの呟きが聞こえたが、今はそれよりこっちだ!
何かが掴めそうな今のうちに色々試してみたい!
『念話』についても勿論気になるので、後でじっくり教えてもらおうか。
まず俺は、風魔術を使って水中で空気を生み出してみる。
だけど、空気はすぐに水面へと浮かんでいった。
そこで、今度は大量の空気を作り出し、自分の周囲を覆ってみる。
「お、これなら息が……うわっ!」
空気に覆われたことにより水の浮力が失われ、俺は水中に落ちることとなった。
うーん、この方法なら無理矢理水底を歩くことくらいなら出来るかもだけど、風魔術で空気を生成し続ける必要もあるし、とてもじゃないけど海中調査をするには魔力が足りない。
この空気を他の材料から作り出すことが出来れば魔力の節約にもなっていいんだけど、そんな材料……
あるじゃないか、俺の周囲にいくらでも。
俺は周囲の水に水属性の魔力を浸透させる。
そして、浸透させた水属性の魔力を徐々に風属性に変換する。
すると、俺の魔力を含んだ水が空気に変わっていった!
おお、この方法いいんじゃないか?
よし、この方向性で色々と煮詰めてみよう!
俺は、それから数時間ほど水中で試行錯誤し続けた。
途中、俺が溺れてしまったと勘違いした三人が慌てて潜って来たけど……
不意を突かれ、刺激的な水着姿を見せつけられた俺が本当に溺れかかったのは言うまでもない。
そして、俺はリディたち三人だけを町に帰し、三日程マール湖に泊まり込んで昼夜問わず魔術の修業に没頭するのだった。
◇◇◇
《うわぁ……これが水の中の景色なんですね》
《差し込んで来る光が幻想的な光景を作っているのだな……》
俺はやった、やったぞおおおおおおお!!
三日程試行錯誤を続けた俺は、ついに水中で活動出来る魔術、『潜水魔術』の習得に成功した!
今は、俺の様子を見に来たレイチェルとアガーテにもその魔術を使い、手を繋いでマール湖の底を歩いているのだ。
手を繋いでいるのはこの魔術を維持するためだ。決して邪な気持ちでやっているんじゃないぞ?
今、俺たちは水属性と風属性を融合させた魔力の膜で全身を覆っている。これは『融合魔術』を一人で行っているようなイメージだ。
この魔力を通すと、息を吸えば水が空気となり、息を吐けばそれが水となる。そうなるように調整した魔力なのだ。
これの維持に魔力を消費はするけれど、直接空気を生み出すより圧倒的に長く水中での活動が可能だ。
勿論、ルカがやっているのと同じように、服を着たまま濡れずに活動可能だ。
だけど、多少泳いだり武器を振るうことなら出来るけど……流石にルカのように自由自在に泳ぐ所まではまだ再現出来てはいない。
まあ、それについては追々練習していくこととしよう。
《おにいー、これなら海の調査に行けるんじゃない?》
《キュッキュー!》
ルカに跨ったリディが物凄いスピードでこちらに近付いて来た。
リディの前にはキナコがちょこんと座り、ポヨンはリディの右腕に装着されている。
ちなみに、今俺たちはリディの『念話』を通じて会話をしている。
この魔術、リディを通せば周囲との会話も可能なのだ!
この『念話』については、少しコツを掴めば全員すぐに使えるようになった。
もしかしたら、これを使えば父さんや母さんに俺たちの声を届けることが出来るんじゃないか!?
そう考えたけれど、流石にエルデリアとは距離が離れ過ぎているらしく、リディは無理だったと言っていた。
《そうだな。レイチェル、どうだ?》
《は、はい! 発動は今の私ではとてもじゃないけど出来そうにないですけど、自分の分を維持するだけなら出来そうです!》
レイチェルも水属性と風属性が扱えるからな。
これからの修業次第で俺と同じように扱えるようになっていくだろう。
それに、俺とリディがずっと実戦や旅の中で魔術の腕を鍛えてきたんだ。今のレイチェルは、もう出会った頃のゴブリン相手に腰を抜かしていたレイチェルではないのだ。
レイチェルが『潜水魔術』の維持を問題無く出来ているのを確認して、俺たちは一度水の世界から地上へと戻った。
「よし、早速明日海の方に行ってみようと思う」
リディ、レイチェル、アガーテが頷く。
ルカはとても嬉しそうにしており、それはポヨン、キナコも同様だ。
「その前に……アガーテ、お前に話しておかなければならないことがある。周囲に漏れるリスクを考えて今まで黙っていたんだが……気を悪くしないでくれ」
「いや……それを話してくれると言うことは、私は君たちに信用してもらえた、と言うことなのだろう? ならばそれでいい」
そう言ってアガーテは照れ臭そうに笑った。
本当、最初の印象とは随分変わったよなぁ。
「そうか。分かった」
俺たちは、そのアガーテの言葉に笑顔で頷いた。
そして、ルカから聞いた海の異変の原因、暴走したタイダリアのことについて説明していくのだった。




