80話 釣り日和
「あ! あんたたち、ちょっといいかい?」
宿で朝食を食べ終わった後のんびりお茶を飲んでいると、ミューさんの姉のリュシーさんが俺たちに声を掛けてきた。
「どうしたんだ?」
「確か、あんたたち普段から色んな食材を持ち歩いているんだっけ。もし良かったら、幾つかうちに売ってくれないかい?」
「それはいいんだけど、でも、海で獲れる魚介類は全然持ってないぞ?」
「ああ、いいよ。そんな贅沢も言ってられないしね。このままじゃ客に出せるもんが無くなっちまうよ」
「……そんなに状況は悪化してるのか」
「そうだね。日に日に漁の出来る範囲が狭まって来ているそうだ。このままだと、近いうちに海からの食材が一切途絶えちまうかもねぇ」
「成程……」
俺たちはリュシーさんと話し合い、リディの『亜空間収納』に仕舞っていた幾つかの肉類を納品することにした。
「はい、これ代金だよ。ああそれと、あんたたち、釣りはするかい?」
「偶にだけど」
「そうか。もし、海で魚を釣るようなことがあったら是非うちにも持って来てくれないかい? 買い取らせてもらうよ」
「海釣りかあ。そうだなあ。今日は予定も無いし行ってみるか?」
「さんせー! いっぱい釣って来て料理してもらおう!」
「この辺で釣りは出来るんですか?」
「ああ、流石に近くの海くらいなら大丈夫らしいよ。まあ、とてもじゃないけど町全体に供給するようなことは出来ないけどね。そうだ、後でお勧めのスポットを教えてあげるよ」
その後、俺たちは出発の準備を整え、リュシーさんに教えてもらった釣り場へと赴くことにした。
俺たちがサイマールに滞在を始めて既に二週間以上が経過していた。
その間に、海は鎮まるどころか日に日に荒れる範囲が広くなっているそうだ。勿論、ライナギリア行きの船なんて出せる筈もない。
ここ最近では潮騒亭でも魚介類の確保に難儀しているようで、海鮮料理以外のメニューが増えてきた。
まあ、アントンさんやリュシーさんはレパートリーを増やすチャンスだ! と張り切っているみたいだけど。
アントンさんの奥さんのカミーユさんやミューさんも、のんびりした性格もあって特に焦っている風でも無く、とても逞しい一家だと思う。
まあ、逆に町は日に日に雰囲気が暗くなってしまっているけど。
「やあおはよう、これから依頼かい?」
「おはようシャールさん。今日は海に釣りに行こうと思って。リュシーさんにも頼まれちゃったし」
「「おはようございます」」
今日の門番はシャールさんだったようだ。
挨拶を交わした後、ギルドカードを見せて手続きをする。
「やはり、潮騒亭でも苦労しているみたいだな」
「まあ、アントンさんたちはレパートリーを増やすって張り切ってたけどね。ああ、今日の昼は多分オーク肉がメインになると思うよ」
「ほう、それはそれで昼が楽しみだな。よし、通っていいぞ。近場の海なら大丈夫だと思うが、気を付けてな」
「ありがとう、行ってくるよ」
「「いってきます」」
俺たちはシャールさんに別れを告げ、釣り場を目指して道を進む。
すると、レイチェルが頻りに後ろを気にし始めた。
「……師匠、あの人、今日もついて来ているみたいですよ」
「はぁ、またか」
俺はこっそり後ろを確認する。
すると、岩場の陰から流れるような金髪の一部が確認出来た。
そう、あの合同依頼以降、何故かアガーテさんがこうやって俺たちの後をつけて来ている時があるのだ。
理由はさっぱり分からない。
「何が目的なんだろうね? やっぱりおにいへの復讐?」
「うーん、そんな雰囲気でもないけど……まあ、変にちょっかいを出してこなければいいさ。放っておこう」
俺たちは別に見られて困ることをやっている訳でもないしな。
それに、声を掛けてまた絡まれたら面倒だし。
俺たちは極力後ろを気にしないように移動し、リュシーさんに教えてもらった釣り場に辿り着いた。
そこは、砂の海岸ではなく岩場になっているようだ。
そして、小高い丘の上には何やら細長い建造物が建っている。
「ここか。足元に気を付けろよ」
「うわぁ、こうやって見ると、全然荒れてるようには見えないんだけどなあ」
雄大な海を眺め、リディがそう口にする。
確かに、これなら釣りをしても問題無さそうだ。
「ねえ、あの細長い建物って何かな?」
「あれは灯台って言って、あの天辺に火を灯して船にとっての目印にするそうだよ」
「へえ、色々考えられているんだなあ」
俺たちは早速亜空間から釣り道具一式を取り出す。
サイマールの雑貨屋で買っておいたのだ。それと、餌を小物入れから取り出す。
餌にはイソメと呼ばれるものがいいと教えてもらえたので、それも一緒に買っておいた。
「さて、始めようか」
「うっ、なんで釣りの餌ってちょっと気持ち悪いものばかりなんでしょう……」
「大丈夫だよレイチェル姉。ゴブリンとかオークに比べたら全然だよ」
まあ、レイチェルの言っていることは分からないでもない。
このイソメって、ミミズと百足を合体させたような見た目をしているからなあ。
まあでも、村育ちの俺やリディにとってはこの程度ならまだまだ平気だ。
「うぅぅう……女は度胸! とりゃあああああ!!」
レイチェルよ、それ毎回やる気なのか?
餌も付け終えたので、早速それぞれが思い思いに釣りを始める。
今回も川での釣りと同様、ポヨンとキナコも参加だ。
特にポヨンは海の魚を食べたいらしく、妙に気合が入っている……気がする。
針を海に投げ入れ、魚が掛かるまで波を見つめながら暫く待つ。
偶にはこう言ったのんびりした時間を過ごすのも悪くないよな。
すると、早速何かが竿に掛かったようだ。
「おりゃっ! おっ、これはアジか! 干物にしたら美味いんだよなあ」
アジを針から外し、魚籠に入れる。
なかなかいい滑り出しだ。
再び餌を針に仕掛け、海に投げ入れ魚が掛かるのを待つ。
お、また引いてる!
「とうっ! これはメバルか! あー、母さんが作った煮付けを食べたいなー」
その為には絶対にエルデリアに帰らなきゃな!
その後も俺は順調に釣果を重ねていった。
そして、ふと岩場の隙間を見ると、ある獲物を発見した。
「あれは……蟹か! 確か、蟹用の釣り道具もあった筈」
俺は、釣り道具一式から重りの付いた網状の入れ物を取り出す。
これだこれ。確か、これに餌を入れて、食い付いた所を釣り上げた後タモ網で掬えばいいって言ってたけど……
餌って何使えばいいんだろ?
「おーい、リディ」
「んー? どうしたの、おにい?」
「蟹を見付けてな。それで釣ろうと思ったんだけど、餌をどうしようかと……おお、結構釣れてるじゃないか!」
「ふっふん! ポヨンとキナコも優秀だからね!」
どうやらここでもポヨンとキナコが活躍しているようだ。
そして、リディたちは見たことの無い、なんだか平べったい変な形の魚も釣っていた。
目も同じ側にあるみたいだし……なんだこの変な魚?
「あ、餌だったらオーク肉の切れ端とかどう? あたしも大物狙いでオーク肉使いたかったし」
「またオーク肉で釣りするのか……この辺で大物なんて釣れるのか?」
「やってみないと分かんないよ? ちょっと待ってて、用意するから」
そう言ってリディは亜空間からオーク肉を取り出し、それを切り分け俺に渡してきた。
オーク肉を見てポヨンが食べたくなったらしく、切り分けたオーク肉を火魔術を使って焼いていた。
「おう、ありがとな。大物が釣れなくても気落ちするんじゃないぞ」
「絶対釣ってみせるからね!」
どうやらリディは気合十分なようだ。
とりあえず俺は、さっき蟹を見付けた岩場へと移動する。
おっ、まだ移動していないみたいだな。
俺は蟹用の釣り道具にオーク肉を入れ、それを蟹の近くへとゆっくり垂らしていく。
左手にはタモ網を構え、準備は万全だ。
蟹はオーク肉に気付くと、網状の入れ物ごとハサミで押さえ、肉に食らい付こうとする。
よし、今だ!
俺は仕掛けをゆっくり引き上げ、下からタモ網で蟹を掬い上げる。
「よーっし! 蟹もゲットだ!」
ハサミで挟まれないよう慎重にタモ網から取り出し、魚の入ったものとは別の魚籠へと入れる。
うおおおおおお、海釣りも楽しいな!
そう言えばレイチェルはどうなったのかな?
周囲を見回してレイチェルを探す。
すると、丁度掛かった魚と格闘している所だったみたいだ。
見た感じ、結構大きいのが掛かってるんじゃないかあれ?
しばらくその様子を見ていると、ついにレイチェルが魚を釣り上げた!
え? 魚?
「うっひゃああああああっ! 何ですかこの足がいっぱいあるウネウネしたの! うわわわわわっヌメヌメするし、きゃああああああああああああ!」
あれは……蛸か!
見た目はグロテスクだけど、食ったら美味いんだよなあ。
って、そうじゃない!
なんと! レイチェルが釣り上げた蛸は、その八本の足をレイチェルに絡め始めた!
しかも、その足は一部服の中にも侵入し、レイチェルの胸に向かって……
くそっ! エロ蛸め! なんて羨まし、じゃなくて! なんてけしからん!
「大丈夫かレイチェル!」
「きゃああああ! 師匠、来ないで下さい!」
「おにい! あたしに任せて!」
「お、おう。気を付けろよ!」
その後、どうにかリディがレイチェルから蛸を引き剥がす。
蛸は魚籠の中に放り込み、厳重に封をしておいた。
「うぅぅうう、ヌメヌメするし、吸盤が跡になってます……」
「ヌメヌメは後でお風呂に入るとして……」
リディがレイチェルに光魔術を使う。
なんか、レイチェルってウナギと言い蛸と言い、美味いけど変なものばかり釣るんだよなあ。
もしかしたら、ここでは蛸しか釣れないんじゃないか?
「ありがとうリディちゃん。大分跡が薄くなってきたよ」
「後は自然に治っていくと思うから……あっ!」
リディが慌てて自分の竿の元に戻っていく。
どうやら、レイチェルを助ける間はポヨンとキナコに竿を任せていたようだ。
そして、その竿が今大きく撓っている!
え? 本当に大物が掛かったのか!?
リディがポヨンとキナコから竿を受け取る。
そしてポヨンはリディの右腕に、キナコは足元に移動し、リディと協力して掛かった大物を釣り上げようとする。
「師匠、わたしたちも!」
「ああ!」
そして、俺とレイチェルもリディの元に駆け付ける。
「よーし、皆! 一気に釣り上げるよ!」
三人+ポヨンで一斉に竿を引く。
あれ? これと同じ状況が以前にもあった気が……
確かその時は……
そんなことを考えていると、針に掛かっていた超大物が海から飛び出して来た!
「キュィィィイイイイイイイイ」
釣り上げられた魚? が俺たちの足元で跳ねている。
大きさは俺の膝よりやや大きくて、キナコと同じくらい。
ぷっくりした流線型の体で、背中と体の両側にヒレのようなものがある。
背中は目の覚めるような青い色をしていて、腹に向かうにつれ白くなっていく。
そして、額には白い星型のような模様も見える。
「「「ルカ!?」」ちゃん!?」
リディは急いで針を外し、光魔術でルカの治療をする。
「ルカァァアアアアアアアアアアアッ!!」
「キュィィィイイイイイイイイイッ!!」
リディが思い切りルカに抱きつき抱え上げる。
ルカも嬉しそうな声を上げる。
そして、リディが水魔術で水を生み出すと、ルカはそれを器用に操り、俺たち全員に頭を擦り付けて来た。
その後はポヨン、キナコと嬉しそうに遊び始めた。
「ルカちゃん、凄く嬉しそうですね」
「そうだな」
あれ? 何でルカがここにいるんだ?
確か沖に向かって泳いで行ったよな?
……まあ、それを聞くのは後でいいか。
暫く俺とレイチェルは、嬉しそうに燥ぐリディ、ポヨン、キナコ、ルカを眺めるのだった。




