30話 急転
「師匠ぉおおお、じじょおぉおおおおお!!」
「わわわ分かったから落ち着けレイチェル!」
後から合流したレイチェルが泣きながら抱きついて来た。
うおおおおお……なんか柔らかい幸せな感触が……って落ち着け俺!
ブルマンさんたちはニヤけながらこっちを見ているだけで、助けてくれる気配はない。
自力でレイチェルをどうにかするしかない。
この幸せな感触から離れるのはちょっと勿体ない……じゃなくて、このままじゃ身動きが取れない!
「レイチェル、この通り俺は無事だから。ほら、後始末もしなきゃ駄目だし……その、皆見てるぞ」
「はっ!! す、すすすすいません! 勢い余ってつい」
顔を真っ赤にしながらレイチェルが飛び退いた。
……うん、やっぱりちょっと勿体なかったかも。
「なんだ、もういいのか? それじゃあジェット、もう一度聞くがこいつはゴブリンで間違いないんだな?」
ニヤケ顔のブルマンさんが真面目な顔に戻る。
その切り替えの早さにちょっと感心する。
「ああ、間違いない。前に俺がギルドに売った魔石のゴブリンと同じ種類だ。まあ、強さだとそこのゴブリンの方が確実に上だったけど」
「よし。で、それを踏まえた上でガンドフ。こいつはお前が以前倒したゴブリンジェネラルと同一個体なんだな?」
「あ、ああ。あの時は崖下に落ちて生死の確認は出来なかったが……確実に右目を潰して左腕を斬り落とした」
「マスター、今は両腕とも無くなってるが、最初は間違いなくさっきガンドフが言った通りの状態だった」
アルゴスさんが補足する。
アルゴスさんも、合流した時には涙ながらに俺の生存を喜んでくれた。感極まったのか、力強く肩を叩かれてちょっと痛かった……
そのすぐ後にレイチェルが大泣きし始めて有耶無耶になったけど、あのままだったら俺に抱きついて来てたのは、レイチェルではなくアルゴスさんだったかも知れない……
「最初はあれがゴブリンだなんて思わなかったから気付かなかったが……あの刃こぼれした大剣もジェネラルが振り回していたものと同じに見える」
「となると……この黒いゴブリンは瀕死だったゴブリンジェネラルが、何かしらの原因で突然変異した個体だって可能性が極めて高いってことか。普通ジェネラルはキングに進化するって言われてるが……」
黒いゴブリンってそんな風に生まれてたのか。
あれ?
「アルゴスさん、ゴブリンジェネラルってどんなゴブリンなんだ?」
「ん? ああ、ゴブリンジェネラルってのは紫の肌をした中型のゴブリンだ。リーダーの上位種だな。中には魔法まで使える奴もいてな。俺たちが戦ったやつも魔法が使える個体だった」
うーむ、そのジェネラルが黒いゴブリンに変異したから、このゴブリンは魔術を使えたのかな。
俺の知ってるゴブリンにしては頭が良かったのも、元がジェネラルだったからなのかもしれないな。
でも、エルデリアの周辺の森ではそんな紫のゴブリンなんて、見たことも聞いたことも無い。
向こうの黒いゴブリンは天然ものなんだろうか。
そのせいか、魔術なんて勿論使えないし、頭も悪い。
「お前、黒いゴブリンのことは知ってるのにジェネラルのことは知らないんだな」
「うん、俺が住んでた所だと、黒いゴブリンしか見たことなかったから。緑のやつとかもカーグに来て初めて見た」
「……あんなのがそこらに出没するとこに住んでたとか……そこは魔境か何かなのか……」
「うーん、普通の村だと思う」
「……絶対そんな訳ねぇ」
そんなことを話していると、他ルートで森に入った冒険者たちもちらほら合流し始めた。
「ほら、とりあえずこの住処の調査をするぞ。詳しい報告はギルドに帰ってから聞かせてもらう」
ブルマンさんの一言でこの場の調査が始まる。
次第に合流する冒険者も増え始め、最終的には全員で調査をすることになった。
中にはゴブリンの奇襲で怪我を負った冒険者もいたけど、命に別状はないそうだ。
黒いゴブリンの死体を見て腰を抜かす冒険者もいた。
実際に住処の調査をしてみると、中心付近でキングを含む多くのゴブリンの上位種の食い散らかされた死体が散乱していた。魔石も全部食い荒らされていたらしい。
黒いゴブリンの死体は、持ち帰ってギルドで調べられることになった。
今日は一旦森の外まで運んでそこで一泊し、明日ブルマンさんたちが一足早く持って帰るそうだ。
俺たちは、明日はこの周辺のゴブリンの処理が仕事らしい。残党がいたらその始末も。
住処での調査を一旦終え、俺たちは黒いゴブリンの死体を運んで森の入り口まで戻って来た。
ブルマンさんの指示で、何人かが野営の準備を始める。
そろそろ空が赤らんでくる時間かな。今日はアルゴスさんの治療や、黒いゴブリンとの戦いでかなり魔力を消費したからな。早く休みたい所だ。『身体活性』だってずっと使っているから僅かとは言え消費は嵩むし。
「ほら、レイチェル」
亜空間から取り出した寝袋と飲み水をレイチェルに渡す。
「ありがとうございます、師匠」
俺も自分の分の水を取り出し一気に飲み干す。
はぁ、体中に染み渡る気分だ。
「ふぅ、ようやく人心地がつけましたね……あれ? 町の方から誰かが走って来てませんか? ほら、あそこ」
レイチェルの指さした方向を見る。
確かに誰かがこっちに向かって来てる。
「……なんか焦ってるように見えるけど」
他の冒険者たちもその存在に気付き始め、次第にざわめきが広がっていく。
ブルマンさんとアルゴスさんたちも指示出しを一度中断し、こちらに向かって来た。
「あれは……ソーリンか。リューゴーたち帰ってきてたのか」
「だが、ちょっと様子がおかしくないか? なんで一人でこんな所まで」
次第にソーリンと呼ばれた男の様子がよく見えるようになってきた。
苦悶の表情を浮かべ、ふらつきながらも懸命にこちらに走ってきている。
何かを叫ぼうとしているのか口も時折動いているが、疲れ果てて声も出ないようだ。
ただ事じゃないと判断したブルマンさんたちが駆け寄っていく。
俺たちも含め、他の冒険者たちも後に続く。
ブルマンさんたちと合流した所でソーリンは脚が縺れて倒れてしまった。
ブルマンさんがそれを受け止め支える。
「ソーリン! 水だ! 飲め! 何があった!?」
どうにか水を受け取ったソーリンが一気に水を飲み干す。
「はぁ、はぁ、マ、マスター! 町がっ……ゴブリンの……大群に……襲われている!!」
「なっ!?」
「南から……はぁ、はぁ、キングが……率いる群れが襲って来て……」
「キングだと!? キングの死体はさっき確かに確認した。そうだよな!?」
「あ、ああ。だがソーリンは南から来た、と」
「くっ、てことは他にもキングがいやがったのか……! これが今回のゴブリン異常発生の本当の原因か!」
「リューゴーたちと……ギルド職員や衛兵たちが中心になって対応してるけど……他にいるのはEランク冒険者たちと戦えねえ住民くらいだ! とてもじゃないがこのままじゃ持たない! 早く……早く町を!」
おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!?
今町にはリディが残っているんだぞ。
そこにゴブリンの大群だって!?
しかも緊急依頼で戦える奴が殆ど出払っているこのタイミングで!!
くそっ!!
「レイチェル! 俺は先に町に戻る!」
「えっ? 師匠!」
俺は町に向かって無我夢中で駆け出した。
『身体活性』の出力も上げる。脚がしばらく使い物にならなくなったって構わない。
背後から誰かが叫んでいる声が聞こえたけど、俺は振り返ることなく全力で走り続けた。
◇◇◇
「お、おい、いいのかマスター!」
「あいつはほっとけ! 止めようにも、もう背中も見えん」
(何より……あの黒いゴブリンを一人で倒しちまうようなやつだ。アルゴスの話と実際自分で見た死体や戦場の感じだと、俺たちが束になって勝てるかどうかって相手にな……)
ジェットが物凄い勢いで走り去った後、ブルマンは残った冒険者たちに指示を出していく。
「お前ら! 聞いた通りだ! 今カーグがゴブリンどもの襲撃を受けている! 戦えるやつはこのまま町の救援に向かうぞ!」
だが、今から急いで町に戻ろうにもそれなりに時間は掛かってしまう。
それにただただ全力で走ればいいと言うものでもない。町に辿り着いた時、すぐに戦いに移れなければ意味は無い。ここに救援を求めに来たソーリンのようになってしまっては戦いどころではないのだから。
おそらく町に到着する頃にはゴブリンどもが門や壁を突破しているだろう。
最悪の事態も考えながら、ブルマンが町に向かう者とここに残る者を分けていく。
ゴブリンの攻撃を受けて怪我をし、本来の働きが期待出来ない者たちを中心に、八人ほどがここに残ることとなった。
その中には依然として満足に戦えないアルゴスや、ここまで走って来るのに全てを費やしたソーリンも含まれる。
その指示を受け、アルゴスが食い下がる。
「マスター! 俺も連れて行ってくれ! こっちじゃ何も出来なかった分町では」
「駄目だ! はっきり言うぞ、今のお前では足手纏いだ! お前にはここの指揮を任せたい。時間が惜しい、分かってくれアルゴス!」
ブルマンの言葉にアルゴスは押し黙る。
悔しさに唇を噛み、爪が食い込むほど手は強く握られている。
そして、絞り出すように声を出した。
「……町を頼む」
その言葉にブルマンやガンドフたち彼のパーティーメンバーが力強く頷く。
「行くぞ! 俺たちで町を救うぞ!」
「「「「おおおおお!!」」」」
こうしてゴブリンキング討伐部隊は、カーグ救援部隊として町へと向かい駆け出した。




