183話 ライナスに迫る黒い獣
「はあっ!」
アガーテが黒盾を構え、飛んできた木の実を弾き返す。
弾き返された木の実は真っ直ぐ枝の上にいる小さな狙撃手、黒リスへと向かう。
自分が投げた木の実がここまで正確に弾き返されるとは思っていなかったのか、黒リスは慌てて木の実を避けようとして枝から落ちてしまう。
そこへ木陰に潜んでいたサシャが飛び出して来て、地面に落下している黒リスの首元を見事咥える。
首に鋭い牙を突き立てられた黒リスはどうにか逃れようともがいていたものの、暫くするとぐったりして動かなくなった。
拠点からライナスへと向かう道中、こんな感じで黒獣の森の魔物に時折襲われた。
見掛けたのは黒角兎や黒リスと言った森の入り口付近で見掛ける魔物だったけど、そもそもこんな場所で出遭うこと自体がおかしい。
以前の寄生型トレントみたいに何かしらの方法で黒獣の森から抜け出して来たにしても、幾ら何でも数が多過ぎる。
「念の為ウィタを避難させといて正解だったな」
「師匠、もうこの辺りには魔物の気配はありません!」
「おにい、もう少しでライナスが見える。早く行こう!」
「ああ!」
アガーテはさっきまでのような焦りは見られないけど、不安からか口数が少なくなってしまっている。
俺はアガーテの頭の上に手を持っていき、軽くポンポンと叩く。
「な、なななななな、何を急に」
びっくりしたアガーテは顔を真っ赤にして俺を見上げる。
「よし、普段の調子に戻ったな」
「……全く、心臓に悪いことをする」
そうは言いながらも、アガーテは手を払いのけようとはしない。
うん、もう大丈夫だろう。
その後は再びライナスへと歩を進める。
すると、ライナスに近付くにつれて魔物の鳴き声や人々の怒号、大きな音が聞こえるようになってきた。
ライナスが見える丘の上に到着すると、その先には驚愕の光景が広がっていた!
「ライナスの周囲を黒獣の森の魔物が埋め尽くしている!?」
グリムオークやグリムバッファロー、黒鹿や黒ゴブリンの姿も見える。
他にも周囲に同化していない変色竜もいる。ここでは同化能力が使えないのか?
それ以外にも見たことある魔物や見たことの無いキノコのような魔物など多種多様な魔物たちがそこにはいた。
「そ、そんな……あぁ……」
その光景を見てアガーテが呆然と立ち尽くす。
「落ち着いてアガーテ! ほら、まだ門や外壁は破られていないみたいだから!」
レイチェルが言うようにライナスの門は固く閉ざされ、外壁も一部破損しているもののまだ穴があいたりはしていない。
どうやら、こうなってからまだそれ程長い時間は経過していないようだ。
その時、黒い蜘蛛が外壁に取り付き登り始めた。
すると、外壁の上から大量の矢が射かけられる。
「あ、あそこ!」
リディが指さした方を見ると、上空に火の壁が浮かんでいた。
そして、次第に大きくなった火の壁が、体に何本もの矢を受けた蜘蛛を巻き込んで地面に向かって落ちていく。
地面に落ちた火の壁は、周囲に集まっていた魔物を呑み込み燃え盛る。
ライナスの外には魔物が密集しているからな。特にさっきの蜘蛛やトレントみたいな火に弱い魔物にはとても効果的だろう。
「どうもあの辺りでサリヴァンさんが指揮を執っているみたいだな。よし、俺たちも加勢しよう!」
俺たちも外側から魔物の大群に向かって行く。
「ブフッ!? ブヒィィイイイイイイッ!」
俺たち、と言うより、リディたちの気配に気付いたグリムオークの一団がくるりとこちらに向きを変える。
大群の外側にいたこともあって何事も無くこちらに向かって来る。
「グリムオークが来るぞ!」
「くそっ! こんな時になんと邪魔な……!」
「キナコ、ルカ、お願い!」
「キュゥウウウ!」
キナコからは水属性の魔力弾が、ルカからは水弾がまるで横殴りの雨のようにグリムオークに向かう。
「レイチェル!」
「はい!」
レイチェルが構えた長杖から氷の槍が連射される。
キナコの魔力弾とルカの水弾によって先頭のグリムオークたちはびしょ濡れになる。
この距離からじゃ分厚い肉に阻まれて大した威力にはなってないみたいだけど……
続けてレイチェルが放った氷の槍が地面に着弾する。
体がびしょ濡れになったグリムオークは地面ごと足が凍り付き、あまりの勢いに止まることは出来ずうつ伏せに倒れてしまう。
そこへ後続のグリムオークたちが突っ込み、うつ伏せになったグリムオークに躓いてしまう。
更に後ろからグリムオークが走って来て、倒れたグリムオークたちを踏み潰しながら俺たちの方に向かって来る。
あれだと下敷きになったグリムオークはまず助からないだろう。
「貴様ら! 邪魔だどけぇぇえええええっ!!」
アガーテが黒鎚を両手で振り上げ、そこへ地属性の魔力を一気に流し込む。
デーモンバッファローの角の効果により地属性の魔力が増幅される。
それを地面に思い切り振り下ろす!
黒鎚を叩き付けた地面から地割れが走り、迫って来るグリムオークたちに向かっていく。
地割れに足を取られたグリムオークは先程と同じように転び、後続がそれに巻き込まれる。
そうやってどんどん数を減らし、俺たちの前に辿り着いたグリムオークはわずか十匹程度だった。
「ブブフゥゥゥゥウウウウウウウウッ!!」
その中でもひと際体の大きなグリムオークが雄叫びを上げる。
「上位種か! あいつは俺が受け持つ! 周囲のグリムオークを頼む!」
「うん! ポヨン、『魔装変形』!」
ポヨンがリディの右腕に装着される。
そこへサシャが向かって行き、リディをその背に乗せる。
キナコはルカに跨って迎え撃つみたいだな。
レイチェルは武器を氷のナイフ二刀流に持ち替えたようだ。
それと共にレイチェルの存在感が曖昧になり、意識していないと見失ってしまいそうになる。
アガーテは黒鎚を右手に持ち替え、左手に普段使いの盾を持つ。
そのままグリムオークに突っ込み、黒鎚や盾で殴り飛ばしていく。
さて、俺も目の前の相手に集中しようか。
剣を構え、雷属性『エンチャント』を発動させる。
「ブブゥヒィィイッ!」
目障りな俺を叩き潰す為に、グリムオークの上位種……長い! グリムオークチーフだとして、チーフでいいか。
チーフは巨大な拳を俺に振り下ろしてくる。
その拳を避けた俺は雷の剣でチーフを斬り付ける!
一瞬チーフは痙攣したものの、すぐさま俺に向き直りその巨体を武器に突進してくる。
突進を避けながらもう一度雷の剣で斬り付ける。
だけど、さっきと同じように一瞬痙攣したものの、すぐに動き出す。
普通のグリムオークだったらあれで痺れて動けなくなってる筈なんだけど……
どうやら更に分厚い脂肪に阻まれて効果が薄いみたいだ。
あの様子だと氷や闇属性もチーフには相性が良くなさそうだ。
うーむ、それだったら……少し試してみようか。
チーフの攻撃を避けつつ剣に闇属性『エンチャント』を発動する。
そこへ更に火属性『エンチャント』を発動し、闇属性を火種にして剣の火の勢いを強めていく。
すると、火がどんどん黒く染まっていき、剣が纏っている炎が黒炎になった。
黒炎を見たチーフは一瞬たじろいだものの、俺を排除することを優先し雄叫びを上げながら向かって来る!
チーフの拳を避け、その腕を黒炎の剣で斬り付ける!
「ブッフィイイイイイイイイイッ!?」
切り傷から黒い炎が発生し、チーフの腕にまとわりつく。
チーフはどうにか黒炎を消そうと腕を叩いたり地面に擦り付けたりするも、そんな程度のことじゃ黒炎は消えない。
どうやっても消えない黒炎を消そうと躍起になるチーフは、どうやら俺の存在も忘れてしまっているようだ。
俺はチーフに一気に迫り、その醜い顔を黒炎の剣で袈裟斬りにする!
すると、チーフの顔が黒炎に包まれる。
チーフはその場でのたうち回り、次第にその動きが鈍くなっていく。
俺は剣に風の『エンチャント』を発動し直し、虫の息になったチーフの首に風の剣を振り下ろす!
剣はチーフの太い首に食い込んでいき、最後にはチーフの首を撥ねる。
チーフの体は暫く痙攣した後、完全に動きを止めた。
チーフの死を見届けた俺は、光の水で黒炎を消火していく。
この黒炎、すぐに消火する為には水属性と光属性の両方が必要なんだよな。
周囲を見回すと、他の皆も残ったグリムオークを始末したようだった。
頭がひしゃげたり体の至る所が凍り付いたり、中には全身に穴があき血だるまになったグリムオークや体がおかしな方向に曲がったグリムオークの死体も存在した。
リディにはチーフと一部の状態がいいグリムオークだけ回収してもらって残りは放置しておく。
流石に今全てを回収する余裕は無いからな。
そんなのは全部が終わってからでいい。
そうして、俺たちは再び魔物の大群へ向かって行った。
◇◇◇
「うぉりゃああっ!」
目の前の黒いキノコの姿をした魔物を斬り捨てる。
そのまま前に進もうとするも、その穴を近くの別の魔物が埋めてしまい、魔物の壁に阻まれる。
くそっ! これじゃ全く前に進める気がしない。
更に、進みあぐねている俺たちの周りに別の魔物が集まって来る。
「師匠! このままじゃ囲まれます!」
「これじゃとてもじゃないけど進めない! 一旦下がろう!」
「しかしっ……くっ、分かった……」
アガーテは気持ちの上ではこのまま進みたいんだろう。
だけど、頭ではこのままじゃどうにもならないことを理解しているみたいだ。
悔しそうな表情を浮かべながらも俺の指示に従う。
「サシャ!」
「ニャァン」
サシャの瞳が金色に光ると、周囲の魔物の動きがピタリと止まる。
どうやら影で縛り上げているようだ。
「皆、急いで! 流石にこの数じゃ長くは持たないよ!」
「分かった! 今のうちに下がるぞ!」
「はい!」 「……ああ」 「キュッ!」
俺は後ろに引きながら、氷や雷属性の『設置魔術』を仕掛けていく。
俺たちがある程度下がった所で魔物たちが再び動き始める。
そして、俺たちを追って来た魔物たちが『設置魔術』を踏み抜き、周囲に氷と雷がまき散らされる。
そうして巻き込まれた魔物たちが一斉に動きを止める。
その隙に、俺たちは魔物たちの追撃を逃れ一時後退することに成功した。
「ふぅ、あのまま闇雲に突っ込んでも魔物の大群に呑み込まれるだけだな」
「くっ……こうしている間にも……」
アガーテは拳を握り締めながら体を震わせる。
それをレイチェルとリディが抱き締めて落ち着かせる。
二人のお陰で、アガーテも徐々に冷静さを取り戻す。
「何度も見苦しい所を見せてすまない……」
「いや、仕方ないよ。俺とリディだってエルデリアが襲われた時は冷静じゃいられなかったし」
「やっぱり、あの数相手だとわたしたちだけじゃ手数が足りませんね……」
一匹一匹の質が高い魔物たちがライナスの周囲をぐるりと埋め尽くしているからな。
こっちからは見えないけど、町の反対側も同じような状況だろう。
「せめて、トレントの時みたいにライナスの冒険者や衛兵と協力出来たらいいんだけどな」
「でもおにい、あれじゃとてもじゃないけど門なんて開けられないよ?」
今の状況で門なんて開いたら、その瞬間に魔物たちが一気に雪崩れ込むだろう。
「せめて町から引き剥がせたらいいんですけど……」
うーん、とにかく今必要なのは、俺たち以外の戦力の確保とライナスの安全の確保か。
「そうだ! 『転移陣魔術』でマイルズとアムールから冒険者を呼んでくるのは? ライナスがあんなことになってるなら援軍を呼んでるだろうし」
「駄目だ! 忘れたのかリディ? 『転移陣魔術』はむやみに他の者に見せるなと言っただろう!?」
リディの案をアガーテが即却下する。
確かに上手くいけば一気に戦力の確保も可能だけど……
ここからアムールまででも結構距離がある。
その移動時間も考えると、ライナスの守りが破られる方が早いかもしれない。
「でも! こんな所でもたもたしてたらアガーテ姉の家族もフランさんも……」
「頼むリディ。私の為に自分の身が危険になるようなことをしないでくれ……」
「ふ、二人とも落ち着いて!」
レイチェルと従魔たちがリディとアガーテをどうにか落ち着かせようとする。
その時、一つの考えが俺の頭に浮かぶ。
うん。多少の問題は残るけど、これなら色んな問題を一気に解決出来そうな気がする。
「皆、俺に一つ考えがある」
そして、俺はその頭に浮かんだ考えを皆に話し始めた。