181話 過去を断ち切る
「おにい、全部出て来たみたいだよ」
「おう。しかしこれは……」
俺たちは障壁の魔道具に取り付いたブロッブをおびき出す為に、脱出通路をゆっくり後退していた。
ブロッブ……正確にはブロッブに喰われたギリアムの魔力が俺たちの魔力に惹かれて、少しずつ崩れた壁の向こう側からこちらを目指してくる。
そうしてブロッブの全容が明らかになったんだけど……
まるで目の前に淀んだ沼でも広がっているようだ。
時折、泡が出たかと思うと黒い煙が発生する。
下手に踏み入れば、どこまでも体が沈んでしまうんじゃないかと錯覚してしまう。
そして、俺たちを追うギリアムの頭蓋骨の周りにはギリアムの顔がいくつも浮かび上がる。
《奴の魔力を喰ったことで体が暴走しておるのか。いや、これは奴の魔力だけではない。おそらく、周囲の瘴気も取り込んでしまった結果じゃろう》
言われてみれば、隠し通路に入ってから瘴気はほとんど感じなかった。
今のこの場所なんて一切瘴気を感じない。
「光属性とか白炎が効果的だったのは、このブロッブの体に瘴気が満ちてるからだったんだな」
取り込んだ瘴気がギリアムの魔力と混ざり、こんな異常な変異を遂げてしまったのか。
高密度の瘴気と強力な魔力が混ざりあってその場に留まり続けると、普通では起こらないようなおかしな現象が発生するのは彷徨いの森で体験済みだ。
「おりゃっ!」
白炎の剣でギリアムの顔を斬り裂く。
白炎はブロッブに引火し、白炎に燃やされるギリアムの顔が苦悶の表情を浮かべる。
だけど、白炎は周囲のブロッブの体に覆い尽くされかき消されてしまう。
「大きさの規模が違い過ぎる。この程度じゃ消化される!」
そこで俺はブロッブに対し剣を突き入れた。
そして、体内に直接白炎を送り込む!
「よし、これなら……駄目か」
ブロッブの体は広範囲にわたって燃え尽きたものの、そこで白炎の勢いが止まる。
燃え尽きた体も暴走により再び生み出されているようで、ブロッブの沼が小さくなった気配は無い。
俺はブロッブに呑み込まれないように一度距離を取った。
「おにい、さっきのもう一回やって!」
ふいにリディからそんなことを言われる。
「それはいいけど、そんなに効果的じゃなかったぞ!?」
「大丈夫、あたしも……ううん、あたしたちも手伝うから!」
ポヨンが伸び縮みしてやる気を見せる。
すると、リディとポヨンはおもむろにブロッブの方に近付いていく。
「お、おいリディ! 何やってんだよ!」
咄嗟にリディの腕を押さえる。
「大丈夫だよ、おにい。あたしを信じて」
リディの真剣な瞳を見て俺は手を離す。
リディは俺に笑顔を向けた後、再び真剣な顔でブロッブへと向かう。
念の為、いつでも動けるよう白炎の剣は構えておく。
リディがブロッブのそばまで辿り着く。
今までの分離したブロッブなら、触手で捕らえようとしたり消化液を吐きかけてきたりする筈だけど……
目の前のブロッブがそう言ったことをしてくる気配は無い。
その代わり、ブロッブの表面に現れるギリアムの顔が愉悦に歪む。
「うん、もう苦しまなくていいから。あたしたちに任せてね」
すると、ブロッブの表面に波紋のような揺れが発生する。
なんとなくだけど、感謝の感情が……
ああ、そうか。
リディにはこのブロッブの声が聞こえる。
つまり仮の従魔みたいになってるから、リディは攻撃されないと言う確信を持ってブロッブに近付けたのか。
その影響で、俺も『念話』を通じてこのブロッブの感情が理解出来たんだ。
リディがしゃがみ込み、ブロッブに手を伸ばす。
こいつに触れる気か!? 攻撃されないとは言え、このブロッブに触れるのは消化液に触れるようなもので……
「リディ!」
「大丈夫。あっ……ぐぅ……」
焼ける手の痛みにリディが声を漏らす。
必死に痛みに耐えているみたいだけど、目には涙が溢れている。
「うぅ……あ、そうだった……んだ。待っててね、今……」
リディはブロッブと何か話しているみたいだけど……
ああくそっ! さっきからニタニタ笑うギリアムの顔が腹が立つな!
すると、リディは手に火属性の魔力を集め始めた。
そうして、なんとブロッブに対し、ポヨンにやるように火属性『エンチャント』を発動させる!
そこにポヨンも自身の体を伸ばしてブロッブへと突き入れる。
ポヨンの光属性『エンチャント』がブロッブにも施されていく。
「おにい! さっきと同じように白炎を!」
そうか。
リディとポヨンは火属性と光属性の『エンチャント』をブロッブに施し、白炎の届く範囲を広げようとしてるんだな!
白炎は火属性と光属性の炎だし、今の状態のブロッブなら『エンチャント』を伝ってブロッブ全体に行き渡る筈だ。
「分かった! おおおおおおおっ!!」
俺は白炎の剣を薄ら笑いを浮かべるギリアムの顔目掛けて突き入れる。
そしてブロッブの体内にありったけの白炎を注ぎ込んだ!
リディとポヨンが施した『エンチャント』によって、白炎がブロッブの体全体に行き渡る!
俺はリディたちの方を見る。
可能な限り、リディたちの方に向かわないように奥に向けて白炎を流し込んでるけど、危なそうだったら逃がさなきゃ……
どうやら、その心配はなさそうだった。
リディたちの目の前でブロッブが波を作り、白炎が点った体をリディたちから遠くへと押しやっていた。
どうやら、ブロッブの意志でリディたちを守っているみたいだ。
ブロッブの体に浮き出たギリアムの顔たちが苦悶の表情を浮かべる。
俺はミスリルの槍を取り出し、そちらにも白炎を点す。
過去の亡霊にはここで退場してもらうぞ、ギリアム!
ギリアムの頭蓋骨目掛け白炎の槍を突き入れる!
砕けたギリアムの頭蓋骨に白炎が引火し、少しずつギリアムの存在を消し去っていく。
頭蓋骨が燃え尽きると同時に、ブロッブの体に浮き出ていたギリアムの顔は絶望の表情を浮かべ白炎の中へと沈んでいった。
◇◇◇
「あの子ね、元々はカーグの南の森の洞穴の中にいたんだって。ほら、あたしたちが『転移陣魔術』で飛んじゃった場所」
リディの手を治療した後、俺たちは白炎によって燃えるブロッブを眺めていた。
ブロッブは一切抵抗すること無く、白炎によって燃やし尽くされ徐々に小さくなっていく。
「……そうか! 『転移陣魔術』はその場所にあるもの同士を入れ替えるから」
あの秘密基地の扉の前に、俺たちの代わりにこのブロッブが飛んで来たのか。
「ずっと何も食べられなくて体を維持出来なくなって、あの場所に潜り込んで自分が死ぬのを待ってたみたい。多分、あの時『転移陣魔術』があそこに繋がったのは、あの子があたしを呼んだんじゃないかと思う。助けてって」
《暴走した『転移陣魔術』の行き先がそやつに誘導された、と言うことか。リディのテイマーとしての資質を考えるとあり得ん話でもないのかもしれぬな》
それで、飢えて今にも死にそうだったこいつは漂うギリアムの魔力を取り込み、生きる為に最後の力を振り絞ってあそこの扉をこじ開けて、ギリアムの魔力を辿って喰ってしまったって訳か。
《結局は、ギリアムが全て自分で招いた因果じゃな》
「ギリアムの魔力を吸収した後は暫く眠ってたんだって」
「それで、最近になって目覚めてあの魔道具に取り付いていたと」
《そうなると、ダミアンがエルデリアに現れたのはギリアムの指示ではなく、そやつとのここでの縄張り争いに負けた結果じゃったのかもな》
ギリアムみたいにブロッブに喰われる前に逃げ出したってことか。
燃え盛っていた白炎が徐々に小さくなっていく。
暫くすると、白炎はブロッブが取り込んでいた瘴気やギリアムの魔力の全てを燃やし尽くし、役目を終えて消えていった。
《ふむ。もうギリアムのねちっこい魔力を一切感じぬな。これで、彼奴が彷徨い出ることは二度と無いであろう》
そうか。五百年前からの因縁はこれで終わったんだな。
それに、これでエルデリアがアンデッドやブロッブに襲われる心配も無い。
「あっ!」
リディが何かを見付けたようで、ポヨンを抱え駆けていく。
後について行ってみると、しゃがみ込んで黒い半透明の何かに触れているようだ。
「リディ、どうした?」
「おにい、この子が最後にあたしたちにお礼を言ってて……これで楽になれる、ありがとうって」
「……そうか」
どうやら、元のブロッブが辛うじて生きていたようだ。
だけど、体が端から少しずつ溶けていっている。
このままゆっくりと死んでいくんだろう。
それで、最後にリディにお礼を言っていたみたいだ。
その時、ポヨンがリディの懐から飛び降り、体を大きく動かしながら何かを訴える。
「え? 魔力が欲しい? う、うん」
ポヨンに催促され、リディが魔力を分け与える。
うーん、腹が減ったとかじゃないよな?
何をする気だ?
様子を見ていると、ポヨンがリディから受け取った魔力を体の一部に集め始めた。
そして、その部分を小さな塊として自分から切り離した!
「何やってるのポヨン!? え? これをこの子に?」
リディの言葉にポヨンが頷く。
リディは言われるままに、ポヨンの欠片を溶けゆくブロッブに与える。
すると、ブロッブに触れたポヨンの欠片が薄く伸びていき、ブロッブの体全体を覆う。
そのままブロッブを中に取り込んでいき、なんと卵のような形になってその場に転がった。
「えええええ!? どうなってるの!?」
《ふむ。ポヨンは自分の体を使ってそやつの崩壊を止めようとしているようじゃ。魔力を催促していたのもその為であろう。無事生き残れるかどうかはそやつ次第、と言った所か》
「女神様、それって大丈夫なのか? あのブロッブはギリアムの魔力を……」
《ポヨンもギリアムのねちっこい魔力は一切感じておらんかったようじゃし大丈夫であろう》
リディが薄緑色の卵を拾い、鞄の中に仕舞う。
ブロッブの卵はすっぽりと鞄の中に納まった。
《暫くはそっと寝かせておいた方がいいじゃろう。村へ戻ったら両親に預けておくとよいじゃろうな》
「うん、そうする」
その後は、当初の目的通り隠し通路の扉を開きに行く。
ブロッブで覆い尽くされていた部屋へと入ると、中心にある障壁の魔道具は強い輝きを放ち始めていた。
《どうやら元通りになったようじゃな》
そうか。
これで一安心だな。
「女神様、隠し扉を開けるのは……」
《うむ。もう少し奥に行った所じゃ》
女神様に言われた通り部屋の奥に向かうと、障壁の魔道具より小ぶりな光る球が幾つか備え付けられていた。
そのうちの一つから光が失われている。
《その一つだけ光っておらぬのが先程の場所に対応した物じゃ。その球に触れ、純粋な魔力を流し込んでみよ》
その作業はリディに頼んで行ってもらう。
ブラックディアの角の時のことを考えると、俺がやったら下手すると暴発しかねないからな。
リディが球に触れ魔力を流すと、周囲と同じように球が光り出した。
《くふふ、それであの扉が開く筈じゃ。役目も終えたし、妾もそろそろ退散するとしようか》
どうやら女神様は再びポヨンの中で俺たちを見守るみたいだ。
「女神様、助かったよ! ありがとう!」
「ありがとう先生! また色々と魔術を教えてね!」
《くふふ、ではな》
そうして、女神様との『念話』が切れた。
俺たちは来た道を戻り、隠し扉を開きレイチェルとアガーテ、従魔たちとの合流を果たす。
そして、隠し通路の先で見たものの全てを報告するのだった。