156話 反撃の狼煙
「ンンモォォオオオオッ!!」
暴れ回るデーモンバッファローが木に突っ込む。
ああもう! またかよ!
俺は急いで泥の鎧の中に隠れ衝撃に備える。
ドガッバキバキバキッ
今俺はデーモンバッファローの纏った泥の鎧の中から脱出の機会を窺っている。
位置的には大体左肩の付近になるか。
デーモンバッファローに自爆女王蟻の毒袋を爆発させて食らわせ、泥の制御が甘くなった所で周囲の泥の支配権を奪ったまでは良かった。
だけど、そのことでデーモンバッファローがパニックを起こし、大暴れを始めてしまった。
無秩序に周囲を爆走し、そこにあるもの全てを薙ぎ払う。
泥の鎧で膨れ上がった姿も相まって、正しく暴走する小山そのものだ。
こんな状態で外に抜け出たら、俺の体が地面に叩き付けられ無事では済まない。
一番最悪なのは、その状態でデーモンバッファローに踏み潰されかねない所だ。
だから、出来るだけデーモンバッファローの動きが止まった所で脱出したいんだけど、その機会がなかなかやって来ない。
こうやって暴走しているうちに、いつの間にか湿地帯を完全に抜けてどこかの森の中に到着していたようだ。
その影響で周囲に木が多くなり、気を付けないとデーモンバッファローが突進した木に俺までぶつかってしまう。
ただ、泥の中に避難しても正直かなり痛い。
泥の中に残っていたら残っていたで、このままじゃ身が持たない。
何より、デーモンバッファローが落ち着いてまた泥の支配権の奪い合いになったら折角のチャンスが水の泡だ。
激しく暴れ回ることで、デーモンバッファローの傷口からの出血がより酷くなる。
こんな状態でも走り回れることを考えると、これだけじゃデーモンバッファローにとってはそこまでの傷ではないようだ。
嫌になるぐらい頑丈な奴だな本当に。
いっそもう一発毒袋を食らわせてやるか?
本当は傷口に魔術を食らわせてやりたいんだけど、さっきの爆発の影響で少し手が届かなくなったんだよなあ。
武器を振るには泥が邪魔だけど、かと言って泥を払い過ぎたら振り落とされて地面に叩き付けられるし。
そんなことを考えながら外の確認をしていると、ふいに人影が視界の端に映った。
顔や背格好までは確認出来なかったけど、周辺を探索していた冒険者か!?
いかん、このままじゃ俺のせいで巻き込んでしまう!
「おい! 誰かいるのか!? 早く逃げろ! こいつはデーモンバッファローだ!」
俺は出来るだけ声を張り上げる。
ちゃんと伝わってくれたらいいけど……
よく考えたら、相手からは俺の姿は見えないだろうから、いきなり声だけ聞こえても不気味だよなあ。
しかし、そこに予想外の返事が返って来る。
「えっ!? この声おにい!? おにいなのっ!?」
「師匠!? え、さっき暴れ回る泥の山から師匠の声が……!」
「先程デーモンバッファローだと言っていたが、あの泥の塊がデーモンバッファローなのか!?」
えっ!?
さっきの声、リディとレイチェルとアガーテだったよな!?
聞き間違える筈がない。なんでこんな所に!?
「モォォオオオンッ!!」
デーモンバッファローが転回し、別方向に向けて走り出す。
すると、さっき見た人影の姿が鮮明に確認出来た。
やはり、俺が今一番会いたくて、そして一番出会いたくなかった三人だった。
「リディ! レイチェル! アガーテ! よりによってなんでここで……いいから早く逃げろ! この泥に捕まるな!」
俺の叫びを聞いて、三人がデーモンバッファローの進路から退避する。
ちゃんと飛び散る泥も避けたみたいだな。
「おにいっ!! そこから出られないの!?」
「出られなくはないけど、こいつが動きを緩めないと無理だ! そんなことはいいから早くここから逃げろ! 俺は大丈夫だから!」
再びデーモンバッファローが転回し、三人を視界に捉える。
まさか、こいつリディたちを狙って……!
もしかしたら、角を失った原因の一つのアガーテを覚えていたのか!?
執念深いこいつのことだ。そうだとしても何ら不思議ではない。
くそっ!
このままじゃ三人まで……
やはり毒袋をもっと爆発させてどうにか動きを止めてやるか!?
俺も幾らか爆発を食らうことになるだろうけど、そんなこと言ってる場合じゃ……
「分かった、今助けてあげるねおにい!」
「馬鹿っ! 何にも分かってない! 下手に触れたらお前たちまで」
「サシャ! 力を貸して!」
サシャ? 誰だ?
「ニャァァウン」
すると、どこからか猫の鳴き声が聞こえた。
よく見ると、リディたちの近くの木の上に黒猫の姿があった。
え!?
あいつ、あの時の黒猫!? それとも、違う黒猫か!?
何にしても、何をする気なんだ!?
「ウモッ!?」
黒猫が金色の瞳を光らせると、急にデーモンバッファローの勢いが弱くなった。
なんだ!? 何が起こった!?
ベキバキミシミシミシッズボァッ
それと同時に近くの木が地面から引っこ抜けた。
デーモンバッファローがぶつかった訳じゃないのにどうして……
ミシミシミシミシッ
更に木のきしむ音が周囲から聞こえる。
ふいに地面に目を向けると、なんと木の影がデーモンバッファローの纏う泥に巻き付いていた!
はっ?
どうなってるんだ!?
もしかして、あの黒猫がこれをやっているのか!?
「ウウウウウモオオオオオオオオオオンッ」
そうして、何度も木の影に引っ張られることによってデーモンバッファローはバランスを崩し、横倒しになって滑りだした。
滑ったデーモンバッファローに引っ張られた影響か、周囲の木が次々と地面から抜ける。
その間も黒猫は木の上を移動しながらデーモンバッファローについてくる。
ふう、逆向きに倒れられていたら俺が危なかったな。
もしかしたら黒猫が倒れる向きを調整したのかもしれないけど……今がチャンスだ!
周囲の泥を一気に振り払い、横倒しで滑るデーモンバッファローの上に立つ。
そして、ある程度勢いが弱くなった所で木の無い場所に飛び降りる。
『限界突破』で着地の衝撃に備えるも、勢い余って俺は地面を転がり体を強く打ってしまう。
いってえぇぇえええっ!
今の勢いでもこれか。暴走している時に飛び出していたらこんなもんじゃ済まなかっただろうな。
「おにい!」 「師匠!」 「ジェット!」
リディ、レイチェル、アガーテが俺に駆け寄って来る。
ポヨン、キナコ、ルカも一緒だ。
そして、それに合わせて黒猫が木の上から飛び降りてきた。
「助かった……けど馬鹿! なんで逃げなかった!?」
「だって……もうやだよ! あたしを置いて行かないでよ!!」
リディが目に涙を溜めて叫ぶ。
「じじょううぅぅうう……ぢゃんどざいごまでめんどうみでぐれるんじゃながっだんでずがぁ」
レイチェルが涙声でそう訴える。
「私たちが……どれ程心配したと思ってるんだ……?」
アガーテがどうにか声を絞り出す。
ああ、そうだった。
俺はずっと皆に心配かけたままだったんだな。
それに、もし逆の立場だったら俺も『逃げろ』なんて言われても頑として聞かなかっただろう。
「……ごめん、悪かった。でも、あいつは本当に危険な」
「ンン゛モ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ!!」
デーモンバッファローの雄叫びが響き渡る。
泥がクッションになった影響で転倒によるダメージは無いと見ていいだろう。
「とりあえず、色々聞きたいことはあるけど今は後回しだ。手短に説明する。あいつはあの時のデーモンバッファローで、色々あって泥を操るようになった。あの泥に迂闊に触れるとさっきの俺みたいになる」
俺の言葉に三人が頷く。
「要は直接触れなければいいんだな?」
「まあ、そうだけど……」
アガーテが少し得意げに笑う。
そう言えば、ちょっと気になってたんだけど、持っている盾が普段のものと変わっているな。
なんだか黒光りする大きな盾だけど、どこかで見たことあるような気がするんだよなあ。
「じじょう……うぉほんっ! 師匠、あの泥ってどうにか剥がせないんですか?」
「剥がす……か」
泥に魔力で干渉する時、土と水の比率が大きく変わると、それに合わせて地属性と水属性の魔力量も調整しないといけなかったんだよなあ。
そう考えると、まだ泥を操る能力に目覚めて間もないデーモンバッファローなら、この比率を弄ってやるとすぐには対応出来ない可能性があるな。
「準備さえ出来れば……もしかしたら」
「師匠! 大きな気配がこちらに向かって来ます!」
どうやらデーモンバッファローが起き上がって俺たちの方に向かって来たようだ。
ズウゥゥウンズゥゥゥウウン
「うわぁ……木とか岩が体から生えてるみたい」
周囲のなぎ倒した木や岩を取り込んだのか、デーモンバッファローの泥の鎧から木や岩が大量に姿を見せる。
更に、俺たちの方に向かって歩きながら周囲の木や岩も取り込んでいるみたいだ。
「おにい、時間が無いからあたしも手短に言うね。この子はサシャ。さっきみたいにある程度の大きさまでなら影を操って相手を拘束することが出来るの」
やっぱりさっきのは見間違いじゃなかったか。
黒猫……サシャは、俺を見ると興味無さそうに欠伸をする。
このつれない感じ……やっぱりあの時の黒猫だよなあ?
おっと、黒猫の観察をしている場合じゃない。
デーモンバッファローをどうにかしないと。
その時、新たな盾を構えたアガーテが俺たちの前に出る。
「何か準備が必要なのだろう? 私が時間を稼ぐ」
「お、おい、アガーテ!」
「サシャ、手伝ってくれる? うん、分かった。後で頼んであげるね」
リディが黒猫……サシャと何やら話し合う。
今一瞬俺の方をちらっと見た気がしたけど……
「ニャウン」
「え? いいの? 分かった」
すると、リディがサシャの背に跨った。
どうやらリディの影を使って体を支えてるみたいだ。
くっ、こんな時だけど、俺もちょっと乗ってみたいぞ!
「大丈夫! あたしとサシャもアガーテ姉を手伝うから! ポヨンとキナコとルカは練習したあれを準備しておいて!」
そう言ってリディはポヨンにありったけの地属性『エンチャント』を施す。
「キュッ!」
ポヨンとキナコとルカがリディに頷く。
どうやら俺について来るみたいだ。
「師匠、わたしにも手伝わせてください!」
そうだな。
レイチェルがいてくれたら、ある程度作業を任せてその分俺が好きに動けるようになる。
今のレイチェルなら、きっと俺の期待通りの働きをしてくれるだろうしな。
俺はレイチェルに頷く。
「ンンモオォォオオオオオオオオオオオオオンッ!!」
多くの木と岩を泥に取り込み、更に体が大きく膨れ上がったデーモンバッファローが雄叫びを上げる。
それに合わせて体を覆う泥の鎧の一部がうねる。
何をする気だ!?
うねった泥が近くに埋まっていた岩に纏わりつく。
そして、なんと岩を包み込んだ泥を俺たちに向けて飛ばしてきた!
それを見たアガーテは黒光りする盾を構え一歩前に出る。
「お、おい!」
「大丈夫ですよ、師匠」
アガーテが構えた盾に魔力を通す。
これは、地属性の魔力か。
すると、盾が魔力を何倍にも増幅させ、その魔力が盾全体を覆う。
「はあぁぁああああああっ!」
飛んで来た岩入りの泥弾をアガーテが盾で受け止め、受け止めた瞬間体を盾ごと斜めにずらす。
すると、泥弾は盾に沿って軌道が逸れ、俺たちから離れた場所に着弾した。
泥弾を受け流した黒い盾が泥で汚れた様子はない。
「ブラックホーク相手に使っていた受け流しか! それにその盾……」
「これは奴の、デーモンバッファローの角を加工した盾だ。この盾に地属性の魔力を通してやると、あらゆるものを弾き受け流すことが出来る。先程執拗に私たちを狙ったのもこれに気付いたからだろう」
成程。アガーテの地属性の魔力が増幅されていたのはデーモンバッファローの角の影響か。
元々生えていたあいつの角は地属性の魔力の塊みたいなものだったしな。
元の角の大きさもあって、どうやら両手で扱うよう作られているみたいだ。
魔物の角で魔力を増幅か。
ライトニングホーンの角の場合は魔力を雷に変換してたけど、今回のデーモンバッファローの角の場合は同じ地属性を使った影響なのか?
そうだとすると、もしかしたらあの時の……って、今はそんなこと考えている場合じゃない。
デーモンバッファローを見てみると、憎悪に濁った瞳で俺たちを見下ろしていた。
奴は執念深い性格だ。
アガーテの言う通り、自分の角を加工した盾を見て怒り狂ったのだろう。
「詳しい説明は後でする! 行け、ジェット!」
「出来るだけ早く準備を整えてね、おにい!」
「ああ! 行くぞ、レイチェル!」
「はい!」
デーモンバッファローの足止めをリディとアガーテに任せ、俺とレイチェルは奴を嵌める罠を作成する為に反対方向へ走り出した。
◇◇◇
「よし、ここでいいか」
俺とレイチェル、ポヨンとキナコとルカはデーモンバッファローから離れ、奴が暴れ回ったことによって木々がなぎ倒され更地となった場所を見付けた。
ここなら残っている邪魔な木を退けたら広さ的には丁度いい。
ドォォォオオオオンッ
ミシミシミシバキバキッ
背後から何かがぶつかるような大音や、木が折れる音が響く。
デーモンバッファローの猛攻が始まったのか。
「大丈夫、デーモンバッファローの気配は二人が押し止めてくれています。わたしたちも作業を急ぎましょう」
「ああ。レイチェルとポヨン、キナコ、ルカはこの辺りの邪魔な倒木を退けてもらいたい」
「はい!」 「キュッキュ!」
早速レイチェルたちが作業に入る。
大きめの木についてはキナコの回転円盤があれば切り分けて小さく出来るから大丈夫だろう。
さて、その間に俺も自分の役割をこなさないとな。
『亜空間収納』からミスリルの鎚を取り出す。
鎚に地属性の『エンチャント』を発動し、普段と違って魔力を先端部分に集中させる。
それを大きく振りかぶって、
「どぉぉりゃぁあああっ!!」
思い切り地面に叩き付ける!
その時に『エンチャント』の魔力を鎚の衝撃と一緒に放つ。
ゴゴゴゴゴドドドドドドドッ
「え? 何の音? それに地面が揺れて」
あ、ちょっと魔力を込めすぎたかも。
「レイチェル! ポヨンとキナコとルカも倒木の陰に隠れろ!」
「えっ!? は、はいっ!」
俺も急いで後ろに飛び退き、石壁を作り衝撃に備える。
ゴゴゴゴドォォオオオオオンッ
凄まじい音と共に、大量の土砂が周囲に飛び散る。
暫く飛んでくる土砂をやり過ごした後先程の地面を見ると、そこには見事な大穴があいていた。
よし、広さは十分だ。
後はもう少し深くしてやれば大丈夫だろう。
「けほっけほっ。もう、こんなことやるなら最初に言っておいてくださいよ!」
大きな倒木の陰から土砂まみれになってしまったレイチェルが出てくる。
同じく土砂にまみれたポヨンとキナコとルカからも非難の感情が届く。
「す、すまん。予定だとデーモンバッファローみたいに地割れを起こして穴をあけるつもりだったんだけど……」
どうやら地割れではなく『設置魔術』になって衝撃で爆発してしまったみたいだ。
俺は魔力を遠くに飛ばしたり動かしたりするのが苦手だ。才能のかけらも無いと言ってもいい。
小規模な地割れならともかく、広範囲に地割れを起こすのは無謀だったようだ。
だけど、一気に大穴をあけられて、更に周囲の倒木も土砂が流してくれたから問題無い。
ちょっと失敗したけど問題無いんだ!
「ここにデーモンバッファローを落とすんですね?」
「ああ、後は少し深くして水で満たしてやれば完成だ。ここであいつの泥を水で薄めて、レイチェルが言っていたみたいに剥がしてやるんだ!」
そうすれば泥の中の土と水の比率が大幅に変わり、デーモンバッファローは泥の鎧の維持が困難になる筈だ。
泥の鎧が剥げてしまえば、あいつにはその巨体だけしか武器は残らない。
そうなれば、後は幾らでもやりようはある。
「そうだ! レイチェル、これを渡しておく」
俺は『亜空間収納』からブラックディアの角を二本取り出し、片方をレイチェルに渡す。
「えっと、これは?」
「これは水属性のブラックディアの角だ。さっきのアガーテの盾を見て思ったんだ。これを使えば水属性の魔力を増幅出来るんじゃないかって」
「え? ブラックディアの角って、物凄い買い取り金額の高級品じゃ……」
あれ? そうだったっけ? まあいいや。
試しに持っている角に水属性の魔力を込めてみる。
おお? 込めた魔力が角の中で膨れ上がっていく!?
よし、もっと多めに魔力を……
バキィィイッ
「「あっ」」
俺が持っていたブラックディアの角がポッキリ折れてしまった。
「え、えっと、わたしもやってみますね!」
同じようにレイチェルも水属性の魔力を角に込める。
すると、ブラックディアの角が水属性の魔力を帯び始めた。
レイチェルが角の先端から水弾を放つと、無数の水弾が放たれ近くにあった倒木を粉砕した。
「す、凄い……わたしでもこんなことが出来るなんて」
どうやらレイチェルはあっさりと使いこなせたようだ。
俺には魔物素材を武器として扱う才能も無かったらしい。正直ちょっと凹んだ。
い、いかん。
凹んでいる場合じゃない!
今度は『亜空間収納』から液体の入った甕を取り出す。
「師匠、それは?」
「これはエゴノキって木に生る実から作った石鹸だ。落とし穴に水を満たした後こいつもぶち込む」
この落とし穴に対しては量が足りないだろうけど……それでもデーモンバッファローの泥を剥がすのに役立つはずだ。
エルデリアではこれで服の泥汚れも落としてた訳だしな。
「とにかく、まずはこの落とし穴の完成を急ごう!」
「はい!」
こうして、俺たちはデーモンバッファローの泥の鎧を剥がす為の罠の完成を急いだ。
ははは、不思議な感覚だ。
一人だとどうにもならなかったけど、皆がいれば負ける気がしない。
さあ、デーモンバッファロー。お前との戦いもこれで最後にしようか!




