151話 おにいを迎えに
「やっぱりここはもう塞がっちゃってたね」
「でも、ダンジョンの修復力でも完全に元通りにはならなかったみたい」
「あの時は底が見えない程の大穴があいていたからな」
おにいを捜す為に黒獣の森へ足を踏み入れたあたしたちは、まず最初におにいが崩落に巻き込まれた渓谷手前までやって来た。
デーモンバッファローの仕業であの時はここに大穴があいていたんだけど、今はダンジョンの修復力が働いて穴は塞がっている。
だけど、全て元通りにはならなかったみたいで、大穴のあいていた場所は抉り取られたように陥没していた。
念の為周囲を調べてみたんだけど、おにいどころか人がいた形跡すら見当たらない。
勿論、ここに来るまでにもおにいの痕跡は見付かっていない。
「ねえアガーテ姉。あの時この下から水が流れる音がしてたんだよね?」
「ああ。直接見た訳ではないが……おそらく聞き間違いではないと思う」
「やっぱりその水に流されちゃったのかな? 師匠なら生き埋めになったぐらいだと地魔術で脱出してくるだろうし」
レイチェル姉の言葉に頷く。
確かに、おにいなら生き埋めくらいならどうにでもなると思う。
そもそも、ここから脱出出来たんだったら問題無くライナスまで帰って来てるだろうし。
だけど、実際にはおにいは帰って来ていない。
「仮に本当にその水に流されちゃったとして、どこまで流されちゃったんだろう?」
おにいには『潜水魔術』もあるし、溺れているようなことは無い筈だ。
「正直見当もつかん。当たり前の話だが、普通の冒険者がそんな地下深くまで地面を掘り進めることなどあり得ない。誰も地面の下がどうなっているかなんて知らないのだ」
アガーテ姉の言葉に押し黙ってしまう。
流石に、あたしたちでここを掘り返すのは現実的じゃない。
どうにか掘り返せたとしても、万が一おにいが流されてしまったような水に落ちちゃったら……
あたしはルカのお陰で大丈夫でも、レイチェル姉とアガーテ姉はおにいがいないからどうにもならない。
地魔術で地面の下を調べようとも思ったんだけど、やはりダンジョンの影響かある程度深くなると様子が分からなくなるんだよね。
「それだったら、この先の渓谷に沿って進んでみるのはどうかなあ? もしかしたらその地下を流れている水ともどこかで合流するかも?」
「ああ。手掛かりも無いし、今の所はそれが一番いいだろう」
そうして、あたしたちは渓谷を川の流れに沿って進んで行くことになった。
◇◇◇
「二人共、このまままっすぐ進むと魔物がいるみたい」
「よし、ならば進路を変えようか」
道中はこうやって出来る限り魔物との遭遇を避けながら進んでいる。
魔物を見掛ける度に全部倒していくなんてことおにいがいないと無理だし、何よりあたしたちの今回の目的は魔物討伐じゃない。
場合によってはこのままおにい抜きで黒獣の森の奥地まで行かなきゃならないし、無駄な体力や魔力の消耗は避けたい。
魔物との遭遇を避けて暫く渓谷を進むと、川沿いに大きな木が生えて丁度木陰になっている場所に出た。
レイチェル姉が資料を取り出し捲っていく。
「ここは渓谷ルートで休憩所になっている場所の一つだね」
「こんな危険なダンジョンじゃなければ、夏の暑い日なんかだととても気持ち良さそう」
「えっと、資料によるとここは魔物との遭遇がかなり少ないんだって。魔物が嫌がる臭いをこの木が発してるんじゃないかって言われてるみたいだね」
魔物が嫌がる臭いかぁ。
あたしには何も分からないけど……
「ポヨン、キナコ、ルカ、ここにいても何ともない?」
ポヨン、キナコ、ルカが揃って頷く。
どうやら問題は無いみたいだ。
「その分、万が一魔物が現れた場合強力な個体が多いそうだが……レイチェル、周囲に気配は?」
「ちょっと待ってね。んー……大丈夫。周囲には何も気配は無いよ」
あたしも風魔術を使って周囲を探ってみる。
「近くの木がなぎ倒されてるなんてことも無さそうだよ」
地魔術も使って地面も調べたけど、分かる範囲には特に異常らしきものは見当たらなかった。
「ならば、ここで昼休憩していこうか」
「キュゥウ?」
ルカが川で水遊びをしていいか聞いてくる。
確かに、こんな時じゃなければのんびりしていきたくなるような場所だ。
もしおにいがいれば、間違いなくルカと競って川に飛び込んでたと思う。
「安全を確認してちょっとだけだよ? それに、先にお昼ご飯食べてからね」
「キュッ!」
ルカがヒレを器用に使って了解の意を示す。
その後、あたしたちは木の下に移動し、そこにあった石に腰を掛ける。
ふぅ、こう言った休憩出来る場所はありがたいな。
おにいがいれば、地面の下に休憩所を造ってそこで休んだりも出来るんだけど……あんなことはあたしやアガーテ姉の地魔術じゃ不可能だ。
おにいは全然気にしてなかったけど、ダンジョン内と言うこともあって、弱いながらもやはり地面を掘る時に抵抗みたいなものがある。
地魔術での探査のことも考えると、地下深くなればなる程徐々に抵抗が強くなるんじゃないかな。
仮におにいが造ってたみたいな地下空間をあたしが造ろうと思ったら、それだけで魔力がすっからかんになっちゃうと思う。
「はい、どうぞ」
『亜空間収納』から買い込んでいた料理を取り出し皆に配る。
魔物が嫌がる臭いがあるとは言え、流石にここで料理なんて出来ないし。
「「「いただきます」」」 「キュキュッキュ」
グリムオークの串焼きを頬張る。
うーん、甘辛いタレがよく絡んで美味しい。
あの黒豚は嫌いだけど、お肉は好きなのがちょっと複雑な気分だ。
そう言えば、おにいはご飯はどうしてるんだろう?
おにいの『亜空間収納』じゃ食材が腐るから何も持ってなかった筈だけど……
それに、魔物を狩ってお肉を食べようにも焼いたら匂いに釣られて魔物に襲われちゃうし。
まさか、光魔術で浄化しながら生肉を食べたりなんてしてないよね?
流石にそんなことしないとは思うけど……おにいだったらそれぐらい無茶なことをしてても不思議じゃないんだよね。
「師匠はちゃんとご飯食べてるのかなあ」
「ジェットのことだ。最悪魔物を狩って生肉を無理矢理食べてでも生き残っているだろう」
二人も同じようなことを考えてたみたいだ。
「あはは、なんだか否定出来ない所が師匠らしいと言うか……ん?」
「どうしたのレイチェル姉?」
「なんだろう、誰かに見られているような感覚が」
その言葉を聞いて、アガーテ姉が即座に鎚と盾を構える。
ポヨンとキナコとルカもあたしの周囲に集まり警戒を強める。
こう言う時のレイチェル姉の発言は絶対に気を付けておいた方がいい。
「レイチェル、どこから見られているか分かるか?」
「え、えっと……上の方から視線を感じる」
あたしたちは木を見上げる。
ここは木陰になっているから、上の方だとするとこの木の上しか無いんだけど……
注意深く木の上を観察していると、ふいに何かと目が合った!
金色に光る両目があたしをじっと見てくる。
魔物が嫌がる臭いを出す木の上に平気でいるような奴だ。
相当強力な魔物に違いない。
「レイチェル姉! アガーテ姉! あそこ!」
「あれは……うん。視線の主はあの金色の目で間違いないみたい!」
「なんだあれは? 目だけが木陰の中に浮かんで見えるが……」
金色の目の周囲をよく見ていると、何やらゆらゆら揺れる黒いものが目に入った。
あれは……尻尾?
更に注意深く見ていると、だんだんと姿がはっきりしてきた。
木の枝の上に寝そべり、長い尻尾をゆらゆら揺らしている。
金色の瞳の上部には、ピンと立った三角の耳も見える。
「黒猫だ。黒猫が木の上からこっちを見てる」
黒猫とは言っても、町中で見かけるような普通の大きさではない。
ここからじゃちゃんとした大きさはよく分からないけど、大体ルカと同じくらいの大きさかな。
「黒猫って確か、黒獣の森で稀に見ることがある珍しい魔物だって」
そう、ライナスのギルドで見た珍しい魔物を記した資料に黒猫のことが書いてあった。
ここ一年くらいの間に初めて姿を現した魔物で、魔物の中では珍しくむやみに人を襲うことは無いそうだ。
時折こうやって人前に現れて、飽きたらどこかへ消えていくらしい。
「あれがその黒猫で間違いないのか?」
「多分そうだと思う。ねえ皆、あの黒猫はあたしたちのこと襲ってくるかな?」
すると、ポヨンもキナコもルカも首を横に振る。
どうやら資料に書かれていた通り、本当にむやみに人を襲わない魔物みたいだね。
「あたしたちがあの黒猫をむやみに刺激しなければ大丈夫みたい」
その言葉を聞いて、レイチェル姉とアガーテ姉が武器を下ろす。
「分かった。しかし、あの黒猫は何が目的で私たちのそばに現れたのだ?」
「何だろうね? 魔物とは言え猫だし、単なる気まぐれじゃないかとは思うけど」
さっきから気になってたんだけど、あの黒猫はずっとどこか一点を見つめてるんだよね。
あたしの方を見ているようで見ていないような……
「まあ、こちらに危害を加えるつもりが無いのなら、無理に討伐する必要も無いだろう」
「そうだね。ちょっと視線が気にはなるけど……」
レイチェル姉とアガーテ姉は黒猫を気にせず休憩することにしたみたいだ。
あたしとしてはちょっと頭とか顎の下を撫でたりしてみたいんだけど……あんな木の上じゃそれも出来ない。
仕方ないので食事の続きをすることにする。
食べかけだったグリムオークの串焼きを口に運……ぼうとした所で、あたしでも分かるくらい強い視線を感じた。
視線の主は勿論木の上の黒猫だ。
もしかして、この串焼きをずっと見てたのかな?
試しに、串焼きを持った手を動かしてみる。
すると、黒猫の視線が見事に串焼きを追う。
「ねえ、あなたこれが欲しいの?」
あたしが声を掛けてみると、黒猫はスッと立ち上がり木の枝から飛び降りた。
そして音も無く着地し、じっとあたしを見てくる。
「ねぇリディちゃん、大丈夫なの?」
「うん。少なくとも敵意は感じないよ」
ポヨンたちも特に警戒するようなことは無い。
「これあげてみてもいいかなあ?」
その言葉に、黒猫の耳がぴくっと反応する。
「今の所は大丈夫だとは思うが……もし危なそうだったらすぐに離れるんだぞ」
「うん、分かった」
グリムオークの肉を串から外し、皿に乗せて黒猫の前に差し出す。
黒猫は少し警戒しながら匂いを嗅ぎ、少し肉を舐めた後勢いよく食べ始めた。
それ程量があった訳ではないので、黒猫にあげた肉はあっと言う間に無くなってしまった。
「どう、美味しい?」
「ニャァアゥン」
「え、もっと欲しいの? ちょっと待っててね。今取り出すから」
『亜空間収納』を開き、手を突っ込んで料理を探す。
えーと、これはまだ生のままのグリムバッファローの肉で、これはアニマフルーツだ。
うーん、今度『亜空間収納』の中身をちゃんと整理した方がいいのかも。
「リ、リディちゃん……今」
レイチェル姉とアガーテ姉が少し驚いたような表情であたしを見てくる。
どうしたんだろう?
「気付いてないのか……リディ、その黒猫の言葉が理解出来るのか!?」
「……あ!」
そう言われてようやく気付く。
さっき、確かに黒猫の言葉が理解出来た。
それってつまり、この黒猫が従魔になる可能性が……
ポトッコロコロコロ
びっくりして『亜空間収納』からアニマフルーツを落としてしまった。
周囲にアニマフルーツの甘い香りが広がる。
すると、黒猫が転がるアニマフルーツに飛びつき一心不乱に齧り始めた。
あたしたちは、つい呆気に取られてその光景をぼーっと眺めていた。




