148話 黒く蠢くもの
ヒュオンッ
突如どこからともなく風切り音が聞こえてくる。
すると、俺の手に何かがぶつかって来る。
その何かはぴったりと俺の手に張り付き、強い力で引っ張ろうとしてくる。
黒猫と別れた翌日、千年樹の領域を西に抜けようとした俺は突然正体不明の相手に襲われた。
手に張り付いた何かもその出所も姿が見えない。
だけど、そこに何かが確実にある、と言うことだけは分かる。
俺は手に張り付いた何かを掴む。
目には映らないけど、そこにあるものなのだから触ることは出来る。
手には何とも言えない生暖かさと弾力、そしてぬめりけを感じた。
角度を変えてよく見ると、細長い何かが俺の手に張り付いているのが分かった。
一種類だけ、この相手に心当たりがある。
ギルドの資料室でリディが見ていた珍しい魔物の資料、そこに記載されていた変色竜って魔物だ。
確か、体表を周囲の色に同化させる能力を持っていて、こうやって姿を隠し木の上から舌を伸ばして相手を捕食する魔物だ。
竜って名前だけど蜥蜴の一種だった筈だ。
となると、このぬめっとした物体は変色竜の舌か。
例え姿が見えなくても正体さえ分かれば怖くはない。
俺はその舌に対し水魔術を発動し、温度を下げて掴んでいる舌を凍らせていく。
すると、変色竜だと思われる魔物は透明な舌を慌てて引っ込めようとする。
勿論そんなことは許さず、逃げようとする舌を掴んだままどんどん体温を奪っていく。
それと同時に、次第に姿の見えなかった相手が目に映るようになっていく。
舌を辿っていくと、木の上にいる黒い蜥蜴が目に入った。
長い舌を伸ばし、左右の大きな目をギョロギョロさせている奇妙な見た目は、やはり資料で見た変色竜と呼ばれる魔物で間違いない。
こいつの舌の先端からは粘着性のある粘液が発生しているみたいで、それを相手に絡めて口まで運ぶのだ。
ただ、蜥蜴の仲間なので思った通り寒さには弱いらしく、舌が凍り付いて体温が下がったことで同化能力や動きが鈍ってきた。
姿が見えたら問題無い。一気に倒す!
俺は掴んでいる舌を引っ張り、変色竜を木から引きずり下ろす。
木から落ちて慌てている変色竜に接近し、氷の拳を叩きこむ!
直接体を冷やされたことで、変色竜の同化能力と動きが更に鈍くなる。
俺は剣を抜き、氷の『エンチャント』を発動し変色竜を斬り付ける!
硬い鱗に阻まれ致命傷にはならなかったものの、切り口からどんどん体が凍り付いていき、変色竜はまともに動くことが出来なくなる。
そうなった所で脳天から剣を突き刺し、頭部を凍結させる。
変色竜は舌をだらりと地面に垂らし、そのまま二度と動くことは無かった。
ふぅ、リディが見ていた資料を見せてもらってて助かったな。
それにしても、本当どこへ行っても魔物だらけで休まる場所が無いなこの森は。
変色竜を討伐した後周囲の安全を確認し、解体して魔石と表皮を剥ぎ取る。
表皮は出来るだけ余計な肉はそぎ落とし、光魔術で浄化して『亜空間収納』に仕舞う。
確かこの変色竜の表皮は加工品として人気があった筈だ。何でも光の当たり方や見る角度によって様々な色に見え方が変わるんだとか。
本当はなめしが出来れば良かったんだけど、普段は全部リディの『亜空間収納』任せになってたからそう言った技術を習得出来てないんだよなあ。
持って帰るまで腐らせないよう、定期的に光魔術で浄化しておくか。
変色竜の肉は食用には向かないみたいだから木陰に放置しておく。
そのうちスライムが処理してくれるだろう。
さて、他に何か肉が食える魔物を探さなきゃな。
食料は昨日全部黒猫と一緒に食べちゃって、朝は近くで見付けたアケビしか食ってないんだよなあ。
この辺って変色竜以外にはどんな魔物が出るのかねえ?
そんなことを考えていると、ふいに近くの茂みから何かが飛び出してきた。
幾重にも枝分かれした立派な角を持った黒牡鹿、ブラックディアだ。
「クゥルァァァアアアア」
ブラックディアは俺に気付くとその場に立ち止まり威嚇してくる。
俺は見たことないけど、確かブラックディアこと黒鹿ってエルデリア周辺でも出るんだよな。
父さんの話によると、黒鹿の雄は角に個体ごとに違う魔力を溜め込むって話だったけど……
すると、ブラックディアの角が水属性の魔力を帯びていく。
どうやらこいつは水属性のブラックディアのようだ。
「クゥアアアアァァァァッ」
枝分かれした角の先端に氷の槍が発生する。
ブラックディアはそれを俺目掛けて放ってきた!
どうやら俺のことを排除する気らしいな。
俺は石壁を作り氷の槍を防ぐ。
『亜空間収納』からミスリルの槍を取り出し、雷属性『エンチャント』を発動する。
おそらくこいつもヴォーレンドで出遭ったライトニングホーンと同じく、俺から距離を取って戦おうとする筈だ。
なら、逃げられる前に一気に接近して勝負を決める!
石壁に氷の槍がぶつかる音が止んだ後、俺は石壁から飛び出しブラックディアへと迫る。
俺が向かって来たのを見て、案の定ブラックディアは距離を取ろうと移動を開始する。
だけど、地面を蹴った後ろ足がバランスを崩してしまい、ブラックディアはよろけてしまう。
後ろ足に怪我でもしてたのか?
何にしてもチャンスだ!
俺はその隙を逃さずブラックディアに雷の槍を突き刺す。
「クゥ……クァァッ」
全身に激しい雷が流れ、ブラックディアの体が痺れその場に横倒しになる。
すかさず槍を剣に持ち替え、ブラックディアの首目掛けて振り下ろす。
痺れて倒れたブラックディアが剣を避けられる筈も無く、ブラックディアは首を撥ねられ息絶えた。
ふぅ、とりあえず血抜きをして解体を……
あれ? 何だこの傷?
ブラックディアの死体をよく見ると、後ろ足の数ヶ所から血を流していた。
勿論、俺が槍で突いた時に出来た傷じゃない。
この傷のせいでさっきはバランスを崩したのか。
血抜きの為に近くに木にブラックディアを吊るす。
頭の方は角だけを斬り取って埋めておいた。
吊るしたブラックディアに近付き、後ろ足の傷を観察してみる。
うーむ、少し傷の周囲がズタズタになっているな。
それに、抉れた傷から流れる血が止まらない。
この症状は……最初に黒獣の森を訪れた時に助けた冒険者のものとよく似ているな。
確か、フランさんが傷口は何かが破裂したような痕になっているって言ってたけど……
この傷口もそう言った傷口に見えないこともない。
その時、俺は父さんが語っていたブラックディア……黒鹿の特徴を一つ思い出す。
確か、黒鹿は雄一頭に対して雌が数頭近くに存在するって話だ。
少し違うけど、ライトニングホーンも大量の雌を引き連れたハーレムを形成していたな。
だけど、俺が今回倒したのは牡鹿一頭だけだ。
勿論、周囲に他の鹿の姿は確認出来ない。
もしかして、こいつは何かから逃げて来ていたのか?
そこで偶然俺と遭遇して……
そうだとすると、こいつを襲ったのは傷口の特徴から考えて謎の賞金首だったりするのか?
確か、森の中層や深層にかけて被害が出ているって話だったし。
うーん、少し考えが飛躍し過ぎているかもしれないけど。
念の為、こいつが逃げてきた先を調べておいた方がいいのかもしれないな。
血抜きが終わった所でブラックディアを一旦『亜空間収納』へと仕舞う。
解体は後回しだ。
まずは周辺の安全を確認しておいた方がいい。
確か、ブラックディアが飛び出してきたのは向こうの茂みからだったな。
俺は茂みをかき分けながら進んで行く。
地面をよく見ると、ブラックディアのものと思われる血痕が所々に存在する。
これを辿って行けば良さそうだ。
俺は周囲を警戒しつつ、ブラックディアの血痕を辿って行った。
◇◇◇
そうして血痕を辿った先で、俺は雌のブラックディア三頭を見付ける。
ただし、そのどれもが既に死んでおり、その死体は蠢く小さな黒い生物に覆われていた。
これは……蟻か。
何かに襲われて死んだ所で蟻が集って来たのか。
行列を作っている蟻もいるから、ブラックディアを食料として巣穴に運んでいるんだろう。
だけど、それじゃ襲った奴は何が目的でブラックディアを襲ったんだ?
アガーテには殺戮ゴブリンなんて呼ばれていた黒ゴブリンだって、襲った獲物は基本餌にするぞ。
何か痕跡がないか周辺の地面を調べていると、数匹の蟻が俺の手の甲を這っていた。
どうやら地面に手をついた時に移ってしまったようだ。
殺す程のことでもないので、俺は息を吹きかけ蟻を飛ばそうとする。
だけど、蟻は俺の手からなかなか落ちない。
仕方ないので、指で払い除けようとした所、蟻の体にちょっとした変化が現れた。
なんだ? 腹の部分がどんどん膨らんで……
パァァアアアンッ
「いったぁっ!?」
なんと、腹を膨らませていた蟻が弾け飛んだ!
俺の手の甲にはえぐれたような穴があき、そこから血が流れ出る。
それに、傷口が焼けるように痛い。
どうも蟻が弾け飛んだ時に何か毒物が一緒に放たれたようだ。
その影響か、周囲に少し刺激臭が漂う。
俺は急いで傷口を光魔術で治療する。
どうやら、ブラックディアの後ろ足の傷は、さっきの蟻の自爆攻撃によって出来たもののようだ。
ブラックディアを襲った相手はこの蟻の大群だったのか……
そうなると、冒険者の傷もこれが原因の可能性が高い。
いつの間にか体に蟻がよじ登って来て、気付かないまま自爆された、と言った所か。
それなら攻撃相手の正体が掴めなかったのも説明が……ん?
雌のブラックディアに集っていた蟻の一部が動きを止める。
そして、何かを探すように周囲を見回し……なんと、俺の方に向かって来た!
なんだ!? どうしていきなり俺の方に……
その時、再び刺激臭を感じ取った。
やはり、さっきの傷口から流れ出た血から放たれているみたいで……
蟻が地面に落ちた俺の血に群がる。その場で再び周囲を見回す。
そうか、この刺激臭を辿っているんだ!
あの自爆攻撃は相手にマーキングする意味もあったんだ!
となると、あいつらが向かって来る先は……
俺の血に群がっていた蟻は、暫くするとある一点に向かって再び動き出す。
そう、俺に向かってだ。
こいつら、こうやって一部を犠牲にしながら数の力で獲物を仕留めるのか!
あのブラックディアが逃げ出したのも納得だ。
さっきから迫って来る蟻を踏み潰して始末しているんだけど、はっきり言ってキリがない。
それどころか、仕留めそこなった奴が俺の脚を這って登って来る始末だ。
自爆される前に、風魔術の突風で吹き飛ばす。
くそっ! 光魔術で傷を治療しても、この刺激臭は消えないみたいだ。
それに、こんな無数の小さい奴が相手じゃ剣や槍による攻撃は効果が薄すぎる。ちょっとずつちまちま倒しても意味がない。
もっと広範囲を一気に攻撃しないと、このままじゃ近くで蟻に集られているブラックディアと同じ末路を辿ることになる。
俺は一旦木の上に避難する。
だけど、それでも刺激臭を辿れるのか蟻たちは俺が飛び乗った木の根元へと移動を開始した。
やはり、多少逃げても駄目みたいだ。
それならこのままこいつらが臭いの判別が出来ないくらい遠くまで逃げるのは……いや、駄目だ。
ここで逃げても、また黒獣の森の奥地を目指す時こいつらに出くわす可能性がある。
そして、その時は俺だけじゃない。リディやレイチェル、アガーテも一緒なのだ。
そう考えると、出来ればこいつらは今ここで始末しておきたい。
やはり、虫が相手となるとあれが一番か。
木の上なら俺には被害は出ないし丁度いい。
俺は急いで水魔術を発動する。
手の上に水球を作り出し、それをどんどん大きくしていく。
グリムバッファローくらいならすっぽり包み込めるくらい大きくなった所で、今度はその水球の温度を高めていく。
そして、触っただけで火傷しそうな温度になった所で地面に落とす。
すると、熱湯はブラックディアの死体ごと周囲の蟻全てを巻き込み広がっていく。
熱湯に触れた蟻は少しもがいた後、熱湯に浮いたままどこかに流されていく。
ふう、上手くいったか。
こうやって水球を制御せず落とすくらいなら暴走の心配は無いみたいだ。
まあ、普段から風呂に湯を張ったりしてる訳だから可能だろうとは思っていたけど。
周囲が綺麗さっぱり流された所で木から降りる。
これで周辺の蟻は対処出来ただろうけど……
あれだけ蟻がいたんだ。おそらく、近くに巣穴があるに違いない。
後のことを考えたら、今のうちに駆除しておきたい。
そうと決まればまずは蟻の巣を探さなきゃな。
確か、ブラックディアに集っていた蟻たちはあの茂みに向かって行列を作っていたな。
行ってみるか。
こうして、俺は蟻の巣探しを開始したのだった。




