141話 悪魔の角①
「それじゃ、今回は草原地帯を避けながら行ける所まで行ってみようと思う」
グリムバッファローの肉と報酬を受け取った俺たちは、以前とは別のルートを辿って黒獣の森の奥地を目指している所だ。
黒獣の森は広大な森林型ダンジョンなだけあって、奥を目指す為のルートは一つだけと言うことは無い。
目的や狙う素材、難易度等で幾つもの道順が存在する。
俺たちは普段奥へ向かう時は、真っすぐ森を突っ切るルートを通っていた。
グリムバッファローが多く生息する中層の草原地帯もそのルートの一部だ。依頼で向かった蔦の迷宮なんかは少し外れたルートになる。
だけど、今回はデーモンバッファローとの遭遇を避ける為、この真っすぐのルートを避けることにしたのだ。
デーモンバッファローについてはパーティーの安全を考え、やはり戦うべきではないと言う結論に至った。
中層を我が物顔で闊歩しているって話だったけど、やはり目撃例は草原地帯が一番多いらしい。
なので、奥を目指す時は草原地帯以外の場所から向かおうと言うことになった。
草原ルート以外だと、主なルートは湿地帯ルート、渓谷ルート、菌糸類ルートなんかがあるそうだ。それ以外にも細かいルートは色々あるみたいだけど、あまり情報が無いらしい。
基本的に冒険者が向かうのは素材獲得の為だ。有益な素材が見付からない、あるいは安全に進めない場所は敬遠されるのだろう。
「今回は菌糸類ルートに行ってみるんですよね」
「そうだな。ここは毒性の魔物や植物が多くいることを除けば、比較的歩きやすいみたいだしな」
「湿地帯は地面のぬかるみが、渓谷は高低差があり足元が不安定な場所も多いと聞く」
「それに、毒類だったら光魔術で対処出来るしね」
そう、俺たちにとっては地面のぬかるみや崖の高低差よりも、毒への対処の方が簡単だ。ルートを選ぶ際の一番の決め手はそこだった。
草原地帯の方が地形としては楽なんだけど、その分出現する魔物が単純に強いらしい。
逆に菌糸類ルートは、毒に対処出来れば魔物としての強さはそこそこと言った所なようだ。
「本来なら草原地帯で力を付けて奥を目指す予定だったが……仕方あるまい」
「デーモンバッファローがいなければなあ。とは言え、他にも正体不明の賞金首もいるけど、そっちは明確な情報が無いから避けようがないんだよな」
ただ、光魔術での治療がその場で行える俺たちなら対処は難しくないだろうと思う。
「でも、美味しいキノコ類が採れるのはちょっと楽しみだね」
「キュッキュキュ!」
リディの言葉にポヨンとルカが盛大に反応する。
キナコは純粋に珍しい光景が見れるのが楽しみなようだ。
「あはは、気を付けないと毒キノコとかカビなんかもいっぱいあるみたいだけどね」
「それに、湿地帯よりはマシとは言え暗くてジメジメした場所だそうだ。場所によっては毒霧が発生するような場所もあるようだし、あまり物見遊山な気持ちで行くのは良くないだろう」
アガーテの言葉に全員が頷く。
油断して全滅なんてことになったら洒落にならないからな。
こうして別ルートから中層に向かっているんだけど、少し気になる点がある。
「そう言えば、暫く魔物を見てないな」
程度の差こそあれ、黒獣の森ではどこへ行っても魔物とはそれなりに遭遇する。
今だって既に何度か出遭ってても不思議じゃないんだけど……
「偶然かと思っていたが……これほど出遭わないとなると何か原因があるとしか思えん」
「この前のトレント騒動でもそうでしたね。周囲には魔物や動物が一切いなくて。でも、細かい虫なんかはちゃんといますね」
この前のトレントのように生命力が吸い取られている、と言うことは無さそうだ。
「なんだかエルデリアの秘密基地とちょっと似てるね。この辺りって元々こんなに静かな場所だったのかな?」
「えーと、資料にはこの辺りについては特に何も書かれてないね」
どうやら特別何かがあるような場所ではないようだ。
そこで俺はもう一つ、周囲から魔物や動物が一斉にいなくなっていた出来事を思い出す。
「まずいな……近くに何かヤバい魔物がいるのかもしれない」
そう、エルデリアで巨大イノシシであるヌシが山に現れた時がそうだった。
ヌシの周辺からは、魔物や動物が一斉に逃げ出していたんだよな。
「レイチェル、周囲には何の気配も無いんだよな?」
「は、はい。少なくとも簡単に感じ取れるような気配は……だけど、ちょっと変なんです。風魔術を使って周囲の様子も探っているんですけど、この先に謎の開けた場所があって……」
「あ、本当だ! これは、木がなぎ倒されてる?」
どうやらリディも同じく風魔術で周囲を探っていたようだ。
これで確信した。この周辺に木々をなぎ倒しながら移動するような危険な魔物が現れたんだ。
今の段階で俺が思い付く魔物は一体しかいない。
「くそっ! もしかしたらデーモンバッファローがこっちに移動して来ているのかもしれない!」
デーモンバッファローを避ける為に草原地帯を選択しなかったのに……
だけど、今はそんなことを考えている場合じゃない!
「今すぐ引き返そう! 幸い周辺にはいないみたいうおっ!? 何だ!?」
ドォォオオオオオオンッゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォッ
「きゃっ! きゅ、急に地震!?」
リディが急いでポヨンとキナコを抱きかかえる。
ルカもリディの近くに移動する。
「いたた……どうにか収まりましたね」
尻もちをついていたレイチェルが立ち上がる。
「ん? 何か聞こえて……」
俺は『身体活性』で聴力を強化し、周囲の音を探る。
すると、冒険者のものであろう声が聞こえた。
『だ――! 俺たちの――える相手じゃぎゃあああああ!』
『うわぁぁああ――――』
『ひ、ひぃいいいいい――』
どうやら、自分たちの手に負えない相手と戦って全滅したようだ……
「近くで冒険者パーティーが何かと戦って全滅したみたいだ」
俺の言葉に皆が息を呑む。
「とにかく今すぐここを離れよう。このままじゃ次に狙われるのは俺たちだ」
俺たちは急いでこの場を離れる為に来た道を戻る。
「先程の地震、やはりフランの言っていた通りデーモンバッファローが……」
「分からない。そもそも、実際にデーモンバッファローを見た訳じゃないから別の魔物って可能性も」
バキバキバキバキッドドドドドドドドドッ
「な、何の音!?」
「し、師匠! 大きな気配が物凄い勢いでこっちに!」
後ろを振り向くと、黒い小山が木々をなぎ倒しながらこちらに向かって来るのが目に入った。
まだそれなりに離れてはいるけど、ここからでもうねった巨大な角を前に突き出しているのが良く見える。
「悪魔みたいな角……デーモンバッファローだ! やっぱりこっちに移動して来てたんだ!」
それに、とても興奮しているように見える。
おそらく、先程全滅した冒険者パーティーと戦っていたのもこいつなのだろう。
「くっ、まるで山が迫って来ているかのようだな!」
「師匠! このまま真っ直ぐ逃げているだけじゃ……」
「追い付かれちゃう!」
俺たちは障害物を避けて、地面の起伏にも注意しながら逃げなければならない。
対して、デーモンバッファローは全てを無視して最短距離を走ればいいだけだ。
巨体故に一歩が大きいのもあり、流石にこのままでは分が悪い。
「あそこの大きな木を左に曲がろう! あいつにはこれを食らわせてやる!」
俺は走りながら水属性の魔力を氷の魔力に作り替えていく。
それを足で『設置魔術』として幾つも地面に設置していく。
急いでいるからかなり大雑把な設置だけど問題無い。
あれだけの巨体が興奮して走っているんだから問題無く踏み抜くだろう。
「よし、急いで曲がれ!」
目印にした大きな木を曲がり、俺たちはとにかく走る。
そして、俺たちが木を曲がるのと時を同じくして、デーモンバッファローが氷の『設置魔術』地帯へと足を踏み入れた。
デーモンバッファローが幾つもの『設置魔術』を踏み抜き、地面に氷が広がっていく。
「ヴォオォオオモォォオオオオオオオオオオオオオオッ!」
そして、氷に足を取られたのか、デーモンバッファローが木をなぎ倒しながらまっすぐ滑っていく。
これで少しは時間を稼げる筈だ!
「今のうちに少しでも離れよう!」
「まだ追ってくるかな!?」
「分からん。だが、ここで立ち止まる訳にはいかない!」
「気配は動いていません! まだ立ち上がれていないようです!」
そうして、俺たちはデーモンバッファローから逃れるべく走り続けた。
間近で見てはっきりと分かる。
あれと真正面からまともに戦うのは危険すぎる!
ヌシと同じだ。もし相手をするのなら、気付かれていない時に何かしら罠に嵌めるなりしないと駄目だろう。
暫くすると、地面が土から岩肌に変化してきた。
どうやら渓谷方面に走っていたようだ。
「ジェット、この先は渓谷のようだが……どうする?」
「丁度いい。あの巨体じゃ渓谷を進むのは無理だろう。このまま渓谷に逃げ込んで」
ドォォオオオオンッ
背後から巨大な音が鳴り響く。
「何? 何の音!?」
「きゃっ!? 地震!!」
そして、時間差で走るのが困難な程地面が揺れる。
「師匠! また大きな気配が……!」
「逃がすつもりは無いってことか!」
戦いの影響か、かなり興奮していたからな。
あの興奮が収まるまでは諦めることは無いのだろう。
「仕方ない、俺が時間を稼ぐ! 皆は早く渓谷の方へ!」
「何言ってんのおにい!」
「そ、そうですよ師匠!」
「安心しろ! まともに戦うつもりは無い! 障害物を作って逃げる時間を稼ぐだけだ! 俺もちゃんと逃げるから大丈夫だ!」
「今は言い争っている時ではない! ジェットを信じて進むぞ!」
俺はその場に立ち止まり、分厚い石壁を作り出す。
ただ、一つだけだとまず止められない。
なので、これを時間が許す限り何重にも作り続ける。
そして、そうこうしている間に地響きと共に大きな足音が聞こえてきた。
デーモンバッファローが近くまで迫って来ているようだ!
そろそろ俺も離脱しないと危ないか。
最後に、限界まで魔力を込めた『設置魔術』と石壁を設置し、俺も皆の後を追う。
「ヴヴヴヴヴモォォオオオオオオオオオオッ!」
ドゴォォンッドゴンドゴォオオンッ
どうやら、デーモンバッファローが石壁に突っ込んだみたいだ。
だけど、設置した石壁はあの巨大な角によって悉く粉砕されているようだ。
くそぉ……ちょっと自信無くすぞ!
「モ゛オ゛ォォオオオオオオオオオオオッ!」
若干勢いは衰えたものの、結局設置した石壁はデーモンバッファローによって全て砕かれてしまった。
悔しいけど……まあ仕方ない。
あれで止まればよかったけどもう一つ罠はある。
ドゴォオオオオオオオンッ!!
その時、デーモンバッファローの目の前の地面が大爆発を起こした。
地面に大穴があき、そこにデーモンバッファローが突っ込む。
そして、その上に砕かれた石壁が雨のように降り注ぐ。
「モォォォォ――」
そして、デーモンバッファローは地面の下に埋まってしまった。
ふう、『設置魔術』も仕掛けておいて良かった。
これで今のうちに、
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴオォォオオッ
何だ!? 地面の下から何か音が……
ドオォォォオオオオン!
そんな音と共に地面に大穴があく。
それと同時に周囲が激しく揺れる。
くそっ!
地面に穴をあけて無理矢理……
ん? あいつの角、地属性の魔力が凝縮して……
そうか、地震もこいつが地属性の魔力を使って引き起こしていたんだ!
そして、あいた穴からデーモンバッファローが勢いよく飛び出してくる。
ズドオォオオオオオオオオン……
くっ、これじゃ逃げきれないか。
仕方ない、ここで俺がどうにか食い止める!
皆を逃がす為、俺はデーモンバッファローと戦う決意を固めた。




