139話 森の中層にて
「ブモォォオオオオオオッ!」
土煙と共にグリムバッファローの巨体が俺に迫る。
初めて黒獣の森に来た時に死体だけ見たけど、実際に動いている個体に自分で出遭ってみるとその危険度がよく分かる。
今俺に迫っている奴はエルデリアで出会ったヌシの半分くらいの大きさか。門で見た死体よりは少し小さいくらいかな。
「おっと」
グリムバッファローの突進を避けつつ右前足を斬り付ける。
前足を斬られバランスを崩したグリムバッファローは、そのまま滑るように俺が地魔術で設置しておいた大岩に突っ込む。
だけど、その大岩はグリムバッファローの極太の二本角によって刺し貫かれ、脆くも崩れ落ちた。
ははは……予定通り動きを止めることは出来たけど、あそこまで簡単に砕かれるとは思わなかったなぁ。
「はぁぁああっ!」
アガーテの鎚がグリムバッファローの左前足を何度も打ち据える。
時折上手く発動した『限界突破』によって、グリムバッファローの前足に無視出来ないダメージが蓄積していく。
「モォォオオオオオブッ!」
堪らずグリムバッファローが角を振り回す。
アガーテはその角を盾で防いだものの、下から掬い上げられるような一撃を受け後方上空へと吹き飛ばされる。
流石にあの一撃の前には不動も効果が薄かったようだ。
そして、グリムバッファローがアガーテのみに集中していた隙に、気配を殺し忍び寄っていたレイチェルが雷のナイフをグリムバッファローの太ももに突き立てる。
「んんんん……!」
そして雷のナイフに魔力を通し、グリムバッファローの体内に雷を流し込む。
だけど、グリムバッファローの体が大きすぎてなかなか全身を痺れさせることが出来ない。
「ブゥゥウモオオオッ!!」
「きゃっ!?」
グリムバッファローが振り回した尻尾がレイチェルを捉え、そのまま吹き飛ばす。
直撃する瞬間後ろに跳んでたから最低限のダメージで済んでいるだろうけど、それでもなかなかの威力だ。
周囲の邪魔者を振り払ったグリムバッファローが立ち上がろうとするも、前足はアガーテの攻撃によって力が入らず、後ろ足はレイチェルの雷のナイフによる痺れが残っているのか痙攣している。
一瞬グリムバッファローは起き上がったものの、すぐに体勢を崩してしまう。
「やぁぁあああっ!」
そこへ、リディから『光の矢』がグリムバッファローに向け放たれる。
ただし、撃った後に反動で動けなくならない程度に威力を抑えたものだ。
「キュキュゥウウウウ!」
それを補うように、ルカが水で作り出した砲身の中を通し、水流によって速度と威力を高めている。
そんなリディと従魔たちの渾身の一撃がグリムバッファローの首筋に命中し、周囲を抉り取りながら深く突き刺さっていく。
「ブォォモォォオオオ……」
首筋に大穴があいたグリムバッファローは、暫くその場で最後の大暴れをした後ようやく絶命したのだった。
◇◇◇
俺たちが黒獣の森の探索を初めてひと月程が経過した。
冬の寒さも峠を越したようで、今では日中は時折暖かさを感じることもある。
それでも朝晩は冷え込むから油断ならないんだけど……
俺たちは少しでも危ないと感じたら戻って修業をしたり、時折依頼を受けたりしながら森を進み、今は中層にある草原地帯までやって来ている。
ここは森の中でも周囲に木が少ない場所だ。その為か、グリムバッファローのような大きな魔物が多く出現するようだ。
「ほら、お疲れ」
俺はレイチェルとアガーテの怪我を光魔術で治療していく。
「ありがとうございます師匠」
「助かる。ふぅ、ようやく最初だけジェットの援護を受けることで、私たちだけでもグリムバッファローを討伐出来るようにはなったか」
「初めて戦った時のことを考えたら上出来だよ」
そう、現在修業も兼ねて、可能な限り俺抜きでグリムバッファローの相手をしているのだ。
最初に三人がグリムバッファローと対峙した時は散々な結果だった。
アガーテは攻撃を受け止め切れず吹き飛ばされ、リディやレイチェルの攻撃ではグリムバッファローの固い皮膚に阻まれてまともに通らない。
結局、そのままでは危険だと判断した俺が力業で討伐するに至ったのだ。
まあ、ある意味仕方ない部分もある。
このグリムバッファロー、本来は大人数の冒険者で数日かけて弱らせて仕留めるそうなのだ。
門の付近に現れた個体も討伐するのに八日掛かったんだとか。
ただ、三人はその結果に満足出来ず、戦い方を工夫し魔術の修業を続け、今では僅かな援護があれば討伐出来るくらいにはなったのだ。
「そう考えると、この辺りまで探索に来れている冒険者たちは優秀なんだな」
初めて黒獣の森に入った時出会った冒険者たちも中層からの帰りだって言ってたし、かなり優秀なパーティーだったんだろう。
「まあ、優秀なことは間違いないでしょうけど……」
「普通は可能な限り目当て以外の魔物は避けて進む。ジェットたちのように見掛けた魔物を片っ端から倒していくことはしないからな」
同じことをヴォーレンドでジャネットさんにも言われたな。
でも、魔物は間引いた方がいいとも言ってたしなあ。それに、俺たちにとっては修業にもなるし、素材や肉も手に入るしでいいこと尽くめだと思うんだけどな。
「おにいー、この牛切り分けてー」
「おう」
グリムバッファローは大きすぎて、やはり今のリディの『亜空間収納』では丸ごと収納は不可能だった。
なので、俺がパーツごとにある程度切り分けてそれで収納している。
まあ、魔力を鍛えていけば、いずれはリディ一人で丸ごと収納出来るくらい入り口を大きく出来るだろう。
「そろそろ夕方か。今日はこれくらいにしておこうか。俺が見張っておくから先に風呂に入っていいぞ」
「うん、分かった」
俺が切り分けたグリムバッファローを回収したリディは、少し離れた場所にある石が剥き出しになった地面に地魔術を使って穴をあける。
すると、そこに地下に続く土の階段が現れる。
先にレイチェルとアガーテ、従魔たちを通した後、リディもその階段を降り再び穴は石の地面となって塞がれた。
あの下には俺が地魔術で造り出した地下空間が広がっている。
地上では安心して休めないと言うことで、地下に休憩所を造ってみたのだ。
色々試してみた所、黒獣の森内でも蔦の迷宮のような修復力の強い場所だと無理だけど、そうでない場所なら一日くらいなら問題無く地下に空間を維持出来た。
リディとレイチェルに地下の安全を確認してもらい、その日その日で地下空間を制作しているのだ。
ただ、地下ゆえの問題点も幾つかある。
まず、当たり前だけど陽が射したりしないから常に真っ暗だ。
これに関しては光魔術か灯りの魔道具で解決出来るから大丈夫だ。
次に空気の問題だ。
隔絶された地下空間なので、どうしても長時間いると息苦しくなってしまう。
魔物に気付かれないよう空気穴も数ヶ所作ってはいるけど、とてもじゃないけど全てをまかなうことは出来ない。
なので、入り口を開いて定期的に空気を入れ替えたり、風魔術で新たな空気を作ってやる必要がある。
多少不便ではあるけど仕方がない。魔物に襲われる環境で休むよりは余程ましだ。
それと、地下にいると外の様子が分からないと言う問題もある。
特に地下から出る時が一番危険だ。
これに関してはレイチェルの気配察知が頼りだ。
それと同時に今みたいに地下で入浴や休憩をする時は、外に俺かアガーテが見張りに出るようにしている。
リディは一人だと危ないし、レイチェルだと地魔術で穴をあけられないからな。
俺が周囲を見渡していたその時、少し遠くの森の中に黒い小山が見えたような気がした。
ん? 周囲が少し薄暗くなってきたから見間違えたか?
念の為、その森の方向に視線を集中させる。
すると、森の木々がなぎ倒され始めた。今度こそ見間違いじゃない!
薄暗くなってよく分からなかったけど、何か大きな魔物が少し遠くの森に潜んでいたようだ。
《リディ! 何かデカい奴が少し遠くの森にいる!》
《えっ!? 大丈夫なのおにい!?》
《どうやらこっちには気付いていないみたいだ。木をなぎ倒しながら遠ざかって行ってる》
その姿は、まるで俺がエルデリアで戦ったヌシを彷彿とさせるようだ。
《そうなんだ。ねえ、そんな大きい魔物が近くにいるんだったら、一度ここを離れた方がいいんじゃないかなあ?》
《そうだな。ただ、今日はもう暗くなる。今から動くのは危険だ。明日の明るいうちにここを離れるとしようか》
《分かった。レイチェル姉とアガーテ姉にも伝えとくね》
既にこの草原でグリムバッファロー相手に戦い続けて四日は経過してる。そろそろ一度ライナスまで戻って、あのデカい魔物のことを報告しておいた方がいいだろう。
遠くて何の魔物かまでは分からなかったけど、グリムバッファロー二頭分はあるんじゃないかってくらいの大きさだった。
その後、三人が風呂から上がるのを待って俺も地下空間へと降りていく。
「師匠、お疲れ様です。リディちゃんから話は聞きました」
「外の見張りは私たちがしておくから、ジェットも早く風呂に入るといい」
「いや、もう今日は外には用事も無いし出ない方がいい。あのデカい魔物……さっきはどこかに移動してたけど、また戻って来ないとも限らないし」
「それはそうだが……その」
アガーテが頬を染めて何やらモジモジしている。
その横ではレイチェルも同様に頬を染めていた。
「どうしたんだ二人とも?」
「ねぇおにい、おにいはこれからお風呂に入るんだよね?」
「ああ、そのつもりだけど……あ!」
そうか、俺がこれから風呂に入ると言うことは、この場で素っ裸になると言うことだ。
流石にこの地下空間はそこまで広く造っている訳じゃない。
せいぜい普通の宿屋の一室と同じ程度の広さだろう。嫌でも俺の入浴が目に入ってしまう訳だ。
俺もそれを考えて外で見張りをしてた訳だしな。
「あー、すまん。一時的に石壁で仕切りを作るからそれで勘弁してくれ」
俺の言葉を聞いて、レイチェルとアガーテは安心したような残念なような複雑な表情を浮かべた。
その後俺は手早く入浴を済ませる。
こんな密閉された地下では火を使っての調理も不可能なので、食事は出来合いのものをリディの『亜空間収納』から取り出して食べる。
外に戻ったら色々と買い足したり作り置きしたりしなきゃな。
魔力操作の修業も今日は就寝前に軽く行うだけにした。
普段通りやってしまうと、レイチェルとアガーテは汗びっしょりになっちゃうからな。
後は、寝る前に空気の確保をしておかなきゃな。
レイチェルに外の気配を確認してもらい、大丈夫そうなので出入口の石天井に小さな穴をあける。
そこから風魔術を使って空気を入れ替える。
天井を塞いだ後は、可能な限り風魔術で空気を生み出しておく。
「よし、これで大丈夫だ。それじゃ明日は移動しなきゃならないし、今日はもう寝よう」
「「「おやすみ」」なさい」 「キュキュッキュ」
「ああ、おやすみ」
魔道具の灯りを消すと、周囲に暗闇が広がる。
暗闇の中にリディたちの息遣いだけが聞こえる。
さっきのデカい魔物……とてもじゃないけど今のリディたちには荷が重いだろう。
万が一遭遇してしまったら俺が皆を守らないと……
一人そんな決意をしていると、いつの間にか俺は睡魔に負けて眠りに就いたのだった。




