13話 ジェット13歳③
ヌシを見に行ってから更に二週間程が経過した。
最悪なことに、ヌシはいなくなるどころか木をなぎ倒しながら村の方へ接近して来ているらしい。
あのヌシが居座っていた洞穴付近は、ヌシの影響で動物や魔獣が激減してたから、餌を求めてこっちの方へ移動して来ているのだろう。
あれから村でも罠を仕掛けたり、討伐を試みたりもしたようだけど、思ったような結果は出せていないそうだ。何人か怪我人も出たと言う話だ。
その影響か、村の大人たちは最近ピリピリしている気がする。
今日も父さんは村長たちと対策を話し合っている。
今は村長の授業もお休みだ。子供は家からあまり出るなと言われている。流石に俺も遺跡の方へ行くのは控えている。
「ねえおにい、大丈夫かなあ」
リディが俺の袖を引っ張りながらそう呟く。
今の村の空気に不安になっているみたいだな。
「大丈夫だ。父さんも母さんもいるし、それでも何かあったら俺がリディを守ってやる」
そう言って頭を撫でてやる。
とは言ったものの、このままじゃヌシは村まで到達してしまうだろう。その前に大人たちが総出で討伐に行くだろうけど、そうなったらただじゃ済まない筈だ。最悪、父さんや母さんに何かあるかも知れない。それは絶対に嫌だ。
うーん、俺も何か出来ないかな。
倒すまでは無理でもヌシを弱らせるくらいは。
◇◇◇
ヌシの様子を見に行った大人たちが帰って来たのを見計らって、俺は村の北から外へ抜け出した。
素早く慎重に前と同じルートで進んでいく。
どんどん進んで行くと、ふいに視界が開けた。辺りを見回すと木々がなぎ倒されているのが目に入る。もうかなり村の方まで接近して来ているようだ。幸い今はこの付近にヌシはいない。
その獣道……って言うには豪快だけど、その道を進んで行く。すると、ヌシ用に仕掛けられたミスリル製の巨大なくくり罠を見付けた。間違って人が掛からない様に分かり易い目印もある。
それを見てふと考える。
これを上手く使えばヌシを弱らせることが出来るんじゃないか?
あ、それなら他にももしかしたら。
俺は更に獣道を進む。
そうしたら、俺の思った通りヌシに引き千切られた罠の残骸を発見した。
よし、これを集めて……
もうちょい長さが欲しいな。
そうやって材料を集めつつ、俺はヌシを弱らせる作戦の為の準備を始めるのだった。
一通りの準備を終え、俺は最初に見掛けた罠の見える場所に潜伏していた。
もしここをヌシが通らなかったら準備したことが全部無駄になっちゃうけど……豪快な獣道になってるし多分大丈夫だろう。もし来なかったら全部片付けなきゃ駄目だけど。
そんなことを暫く考えていたら、山の方角から黒い山の様なものがこっちに近付いて来るのが見えた。
ヌシだ! 前にグレンと見た時より距離が近いのもあってとんでもない迫力だ。
目に魔力を集中してヌシを観察する。ある程度は離れているし木が邪魔だけどその様子が見えた。
鼻をひくつかせながら歩いて来る。どうやら食えるものが無いか探しているようだ。
口からは大きな牙が突き出している。あれに突き刺されたらどうにもなりそうにない。
体は剛毛で覆われている。あの毛、余裕で人の体ぐらいなら刺さりそうだな。
俺の側から見える方、ヌシの右前脚にはミスリル紐が食い込んでいる。ただ、紐自体は短く千切れていて、どうやら食い千切られたようだ。
その後脚にも同じくミスリル紐が食い込んでいるが、こっちは長い紐を引き摺っている状態だ。仕掛けごと力任せに壊したようだ。
うん、これだとあそこに仕掛けられている罠もヌシを止めるのは不可能だろう。
隠れてヌシを観察しつつ、俺はその時を待つ。
ドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクン。
心臓がうるさい程早鐘を打つ。
この音で気付かれてしまわないかと冷や冷やする。
まだか。
もう少し。
もうちょっとだけ進め!
とある地点でヌシの歩みが止まる。
どうやら目の前にあるくくり罠の存在に気が付いたらしい。
何度も罠に嵌って煩わしいのか警戒していたようだ。
このままだと罠を潰されるか回避されてしまう。
だけど問題無い。
ヌシは何度も嵌った罠は見抜いたけれど、別の罠には気付かなかったのだ。
俺の仕掛けた罠には。
今だ!!!
俺は手元に引っ張って来ていたミスリル紐に一気に魔力を流し込む。
ミスリル紐を伝って、魔力が一気に流れて行く。
ヌシの腹の下へと。
ドゴォオオンドグォドゴオオオオオオンン!!!!
「ブギィッ? ヴイィィィイイイイイイイィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!」
けたたましい爆発音がヌシの腹の下の地面から響く。
それと同時にヌシの絶叫が辺りに響き渡る。
何組もの束ねられた剣や槍が、爆発音と共に地面から飛び出してきてヌシの腹に深く突き刺さる。
今までに経験したことの無い痛みを受けて、ヌシが暴れ回る。
そして、警戒していた筈の罠を踏み抜いてしまう。ミスリル紐が右前脚に更に食い込む。
それを見て、俺はすかさず前に出る。
ラッキー! こっちの罠も利用させてもらおう。
引き千切られる前に急いでヌシに繋がったミスリル紐を握り締め、風の『エンチャント』を発動する。
そして、その風の魔力を暴風の様に紐の周りを駆け巡らせる。
ぬぐぐぐぐ。かったい!
暫くそうしていると、ヌシの右前脚が吹き飛んだ!
ヌシ自身の力と俺の風の切れ味に耐えられなくなったのだ。
ヌシがバランスを崩し突っ伏す。そして、腹に刺さった武器たちが更に深くヌシの体に突き刺さる。
「イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛!!!!」
ヌシの喉が張り裂けそうな程の絶叫が轟いた。
駄目押し、と言わんばかりに俺はヌシの後方に移動し、引き摺っていたミスリル紐を手に取る。
さっきと同様に暴風の様な魔力を駆け巡らせ、後脚も吹き飛ばすことに成功した。
これでヌシはまともに移動することも出来ないだろう。
俺は急いで森の中に避難し、最後の抵抗とばかりに暴れるヌシを眺めた。
はあぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああ。
良かった! 本当上手くいって良かった!
ここまで緊張したのは初めてゴブリンと対峙した時以来だ。
今も心臓の爆音が止まない。
俺は最初にミスリル製のくくり罠を見付けた時、これに風の『エンチャント』を使って脚を吹き飛ばし、ヌシの機動力を奪うことを考えた。
そして、成功率を上げようと近くに同じ罠を仕掛けることを考える。その後ヌシに破壊された罠の残骸を集め、それを再利用しようとした。
罠を仕掛ける段階になってふと思う。ヌシに対して今までに何度もくくり罠は仕掛けてきた筈だ。もしかしたら同じ罠だと警戒して避けられるんじゃないかと。
猪は馬鹿みたいに突っ込んでくるイメージが強いけど、実際はなかなか賢いのだ。
そこで俺はくくり罠の手前に別の罠を仕掛けることにした。
まず、地魔術で広めに深い穴を掘る。これは畑仕事の手伝いで鍛えたのもあって簡単だ。
次はその穴の底に魔力を大量に設置する。多少のことで暴発しないよう魔力密度は出来るだけ高くする。そして、罠に使う予定だった括り合わせたミスリル紐の端と一緒に土で埋めていく。
地面を埋め直した後、今度は設置した魔力の上ギリギリまでの深さの細い穴を幾つか掘る。
そこに、亜空間から取り出した武器束を慎重に埋めていく。
この武器束は勿論遺跡で拾ったものだ。その中でも折れたり罅が入って振り回すのが困難なものを束ねて亜空間の中に入れておいたのだ。
あの遺跡は不思議なことに、落ちているボロボロの武器を拾っても、また何日か経過するとボロボロの武器が落ちているのだ。何故かは分からない。
そして、後はヌシが仕掛けた罠の真上に来た時に、地面の中に通じたミスリル紐に魔力を一気に流し、その衝撃で設置した魔力を爆発させればいい。
そうすれば後は爆発の衝撃で、埋めておいた武器束が飛び出してヌシの腹を貫くってわけだ。
この罠の構想自体は『設置魔術』の練習をし、どんな事に使えるか考えていた時に思い付いたものだ。これを利用すれば遠くに何か飛ばせるんじゃないかと。
まあ、ここまで大きな仕掛けについてはぶっつけ本番だったんだけどね。
ミスリル紐のお陰で遠隔爆破出来たのも良かった。
暴れてくくり罠にも掛かってくれたのは本当に幸運だった。
あの時はもう無我夢中だったよ。
前脚とおまけで後脚も奪ってしまえたのは想定以上の好結果だ。
暫く暴れるヌシを眺めていると、徐々に動きが弱弱しくなっていき、最後にはピクリとも動かなくなった。
それを確認し、まず俺は的を外した武器束を回収する。
爆発の衝撃でバラバラになったり砕け散ったものも多い。それらも出来るだけ回収する。
これらもボロボロだけどミスリルには違いない。もしかしたらエルクおじさん(エリン姉の父親)に渡せば再利用出来るかも知れないし。
括り合わせたミスリル紐は……後でこっそり村の資材置き場に返しておこう。
穴だらけになった地面も埋めておく。
ヌシの腹に刺さった分は解体しないと回収不可能だなあ。かなり深く突き刺さってるし。
改めて横倒しになっているヌシを見る。何を食べたらこんな巨体に育つんだろう?
今回は色々と運が良かったのは間違いない。
それでも。
それでも俺がコイツを討伐したんだよなあ。
ついつい顔がにやついてしまう。
ヌシの周囲を見て回り、頭の方へ辿り着く。
口から飛び出した巨大な牙が目に入る。
こんなの真正面から戦っても今の俺じゃまず勝ち目は無いな。
ふいにヌシと目が合う。
ん? 目が合う?
「ヴゥイ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛!!!!」
コイツまだ生きてる!
ヌシが憎悪の籠った目で俺を凝視する。
『お前だけは道連れにする!』
とでも言いたげに、口から血を吐きながら呪詛の声を上げる。
そして、吹き飛んだ脚を気にすることもなく立ち上がった。
あまりの出来事に俺は呆気に取られる。
ヌシがそれを見逃すはずがなかった。
最後の力を振り絞り地面を蹴り、ヌシが俺にその巨大な牙を突き立てようとする。
『身体活性』を解くようなへまはしていない。森の中では何があるか分からないのだから。
それでも俺は気付いてしまう。
あ、これは間に合わない。
そのことに気付いた瞬間、世界がひどくゆっくりに感じた。
頭の中を家族や村の皆の顔が過っては消えていく。
父さん、母さん、リディ、ごめん。
そして女神様の……俺の初恋の相手の顔が見えた気がした。
『お主に女神の祝福を授けよう。お主が努力すればするほど魔術が巧くなっていく祝福じゃ』
最期にそんな言葉を思い出す。
だからなのかは分からない。
それは完全に無意識での行動だった。
ゆっくりな世界の中で、俺はヌシの牙に手を伸ばし、それを掴む。
『身体活性』だけではこの牙を折ることは出来ない。
属性魔術や『亜空間収納』を使うような猶予は無い。
ならばどうする?
更に強い力を出せばいい。
こんな牙なんて簡単に圧し折る力を。
そして俺は……『身体活性』の上から更に『身体強化』を発動させる。
扱う魔力自体は同じものなのだから時間のロスはほぼ無い。
牙を掴む手に力を込める。
その手を捩じる。
すると、牙は鈍い音を立てて折れた。
そして、俺はそのまま宙を舞った。
地面に叩き付けられた俺は、そのまま勢いよく転がって倒木に体を強打してようやく止まった。
体中が痛い。特に腕の痛みが異常だ。
口の中に血の味が広がる。涙も鼻血も止まらない。
あまりの痛みに意識が飛びそうになる。
でも駄目だ。ここで意識を失ったら殺される!
早く回復を。
朦朧とした意識の中、俺は光魔術で回復を試みる。
全身の痛みで全く集中出来ない。
俺はゆっくりゆっくり体を回復していく。
どうにか首を動かせるようになった。
ヌシは? ヌシはどうなった?
辺りをゆっくり見回す。
ヌシが倒れているのが目に入る。
牙は折れ、体からは血が流れ落ちている。
朧気ながらあの牙を圧し折ったのは覚えている。
『身体活性』と『身体強化』の同時使用。
何故咄嗟にそんなことが出来たのかは分からない。
だけど、そのお陰で俺は牙に刺し貫かれることは免れた。
ただ、体の勢いは殺せるはずもなく、そのまま吹き飛ばされてしまったようだけど。
「何があるか分からん。皆気を付けて進むぞ!」
あれ? 誰かの声が聞こえる?
「お、おい! アベル、あれは!」
「な、ジェット!? なんで……お、おいその怪我! 大丈夫か!?」
あ、父さんだ……
そこで緊張の糸が切れてしまったらしく、俺の意識は闇に沈んでいった。
◇◇◇
「やはりこのままでは迎え撃つしかないか……せめて罠で少しでも弱ってくれたらいい……ん? 何の音だ!?」
村長宅で数人の大人たちが今後のことを話し合っていた時、山の方角から轟音と魔獣の絶叫がエルデリアに響き渡った。
それを聞いたアベルたちはすぐさま準備を整え、音の原因を探るべく山に向かう。
そして、その発生現場であろう場所でここにいる筈のない人物を発見する。
「お、おい! アベル、あれは!」
「な、ジェット!? なんで……お、おいその怪我! 大丈夫か!?」
そこには全身傷だらけで、鼻や口から血を流した自分の息子が倒れていた。
そして気付く。牙を折られ、血溜まりの中にその巨体を沈めたこの山のヌシが、その奥に横たわっていることに。
「あれは……ヌシか!? クソッ、何がどうなっている!?」
そのアベルの問いに答えられる者は、気を失っている彼の息子以外この場にはいない。
そしてはっと我に返る。息子をこのままにはしておけない!
アベルは素早くジェットを背負う。
(いつの間にか大きくなりやがって……この子を死なせはしない!)
その場を一旦他の者たちに任せ、アベルは数人の護衛と共に村へと急ぐ。
護衛はヌシ討伐の報告と応援要請も兼ねている。
流石に今の人数でヌシを解体し、それを村まで運ぶのは難しかった。
ヌシの見張りに残った者のうちの一人が、変わり果てたヌシの姿を見て呟く。
「大人が数人がかりでも止められなかったのに……それをまだ成人もしていない子供が一人でやったってのか……」
◇◇◇
うーん、あれ? ここ何処だ?
気が付くと俺はよく分からない所にいた。
前後左右も曖昧で、何だかふわふわした気分になる。
『全く……無茶なことをしよるのぅお主は』
あれ? 女神様の声?
女神様! 俺あれからいっぱい魔術の練習をして、色んな魔術を使えるようになったよ!
『くふふ、知っておる。そばでちゃんと見ておるからの。よぉ頑張ったな』
え? そば?
『さあ、そろそろ目を覚ませ。早く皆を安心させてやれ』
◇◇◇
ゆっくり目を開くと自宅の天井が目に入る。
あれ? 俺何してたんだっけ?
さっき……何だかとても嬉しいことがあったような?
って違う! そうだ! 俺はヌシにぶっ飛ばされて、それで気を失ったんだ。
何でここで寝てるんだ?
そう言えば最後に父さんの声が聞こえた気がしたけど。
ん? なんか体が重い?
そう思い体の上に目をやると、頭の上にポヨンを乗せたリディが胸の上に突っ伏して眠っていた。
グゥゥ~~。
唐突に腹の虫が鳴く。
なんか凄くお腹が減ってるな。
その音でリディが目を覚ました。
俺と目が合う。
びっくりして目を見開くリディ。その大きな目に涙が溜まっていく。
俺はリディの頭を撫でる。
多少の痛みはあるが、腕はちゃんと動く。そう言えば体の痛みも今は無い。
「おにいいいいいいい!! うああああああああああああああああ!!」
リディが勢いよく抱きついてくる。
ゴフッ! ポヨンが顔面に飛んできた。
リディの声を聞いてか父さんと母さんが慌ててやって来た。
起きている俺を見て母さんが涙を流し、俺をリディごと優しく抱き締めた。
「良かった……本当に良かった……生きててくれて」
随分心配掛けちゃったみたいだな……
グゥゥ~~。
そこで俺の腹が空気を読まず、再度空腹を訴える。
「母さん、お腹減った」
母さんが泣きながら頷く。
奥で父さんもホッとした顔をしている。
「はぁああああ、これでとりあえずは一安心か。さてジェット、飯の後でいい。色々と聞かせてもらおうか」
……あ。
ちなみに、村ではしばらく肉祭りが続いた。




