勇者くんとフィエナちゃん
霊廟を始めとした魔法障壁の内側が、にわかに激しい風で満たされていく。それが森の主を包む炎の勢いを強めるけど、ルミの完全詠唱の呪文をもってしても体力を削り切ることは出来ないみたいだ。少しずつ炎が落ち着いていって、じたばたして炎を消そうとする魔物の動きも小さくなっていった。
「ルミ! どうやってここに、障壁あるのに……! それに、あの子たちは?」
魔物が動けない間にルミの元まで走る。
「簡単な話、障壁が下りる前に内側にいたの。それで音がする方に向かったらユウがあいつと戦ってて、私はここからずっと雷と炎の複合魔法を詠唱してた。それにあの二人は無事」
ルミの目は魔物に向いてる。今は深く話し合う時間じゃない。それに女の子も、ルミが大丈夫だって言うならきっと大丈夫なんだ。
「それにしてもあいつ、一体どれだけ体力あるの……? あれでも結構全力だったんですけど」
「多分、弱点を潰さないと倒せないのかもしれない。ほら、あの赤い円。あれが弱点なんだと思う」
「よく見つけたね、流石。そしたらあとは……右手、じゃない右の前足の甲と、左右の肩の三つ?」
「ううん、四つ。お腹の方にも一つあった」
不意にルミが膝を折る。慌てて彼女の肩を掴むけど、ルミはボクの手助けを手を振って断って、スタッフを地面に刺した。そこで初めて気が付く。ボクもそうだけど、ルミも全身ボロボロだ。
「ごめん、なんでもない。そしたらユウ、私が隙を作るから、腹にある弱点の攻撃をお願いしてもいい? 他の三つは任せて」
「……わかった。だけど無理だけはしないで?」
「体力バカのユウとは違うの、私はそんなに無茶出来ません。それにさっきからランもかなりやる気みたい、これなら普段より力を貸してくれるはず」
頷いて、ルミの指示に従ってもう一度石の陰に移動する。魔物は体の火に気を取られてボクには気付いていないみたいだけど、もうその炎も消えてしまった。赤黒く変色した皮膚が、ゆっくりと綺麗な黒に戻っていく様子が見える。やっぱり、弱点以外の攻撃は回復していくんだ。
力を込めすぎて痛くなった右手を剣から引きはがす。高鳴る心を深呼吸で鎮める。大丈夫、落ち着こう。ルミはやるって言ったら絶対にやってくれる。だからボクは、ルミの作り出す隙を、たとえ一瞬でも見逃しちゃ駄目だ。
石から頭を出して、大人しくなった森の主の様子を窺う。さっきから唸り声も足音も聞こえないからだ。
森の主は、止まったまま森の方を――ルミを見てた。ううん、もっと正確に言うなら、ルミの周りに浮かんでる無数の石を見ていたんだと思う。拳大のものから人の顔くらいはあるものまで、大小問わずが木の間を埋め尽くすほどふよふよと漂ってるんだ。もし森の主が人の言葉を喋れたなら、言うことはボクと同じだ。
「いったい、何をしようとしてるの……?」
どうして浮いているのかはわかる。ルミが自分の魔力を使って浮かせているんだ。じゃあ、あの無数の石は一体どこから……
ランの暴風で、叩きつけるようにルミのローブがはためく。そうか、あの石を呼び出したのもルミなんだ。
ルミはあのローブの内側に特別な呪文を施してる。そうすることで、重さや形を理解しているものなら、“特別な印”をつけることでなんでも特別な空間にしまえるらしいんだ。だけど何かをしまいこむのにも、それを取り出すのにも、その数や質量が多いほど魔力を使う。そして特別な印も。
だからルミは、ずっとふらふらしてたんだ。きっと昼にあの沢山の石を揃えるのに印を使ったから、眩暈を起こしてたんだ。
“特別な印”っていうのは、その人の血。ルミはあの無数の石一つ一つに、自分の血をかけてローブに隠していたんだ。こうやって戦うことになることを見越して。
「私がこんな化け物と戦うってのに、何もせずのこのこやってくるとでも思った!? あんたみたいにでたらめな力はないからって軽視したこと、後悔させてやるっ!
ラン、私たちに力を貸してっ! その昂る心、私に委ねなさいっっ!!」
魔力を限界ギリギリまで引き出してるからなのか、ランの荒ぶる心がルミに伝わってるのか、口調が今まで聞いたことのないものに変わってる。それはこれ以上なく頼もしいものだった。
「さあ、いくわよっ!」
風がルミを中心に渦巻いて、直後に森の主に風が――そして石が殺到する。それぞれにさっきの青白い炎みたいな威力も爆発力もないけど、勢いと鋭さは同じくらいだ。それに、嵐の日の雨みたいに魔物の体を打ち付ける。数が凄まじい分弱点に正確に飛んでいく石は少ないけど、たとえ弱点以外攻撃が効かないとしても、この乱撃の前には何の行動も出来ないみたいだ。離れたボクだって、流れ弾が飛んでこないよう陰に隠れることしかできない。
恐ろしいことに、森の主の体を襲った石と同じ数だけ、ルミの周りには新しい石が呼び出され続けてるみたいだ。一体どれだけ血を使ったんだろう。それを考えると、ルミの「女の子たちを助ける」っていう意志の強さをひしひしと感じた。
甲高い悲鳴を何度も上げて、森の主から黒い霧が立ち込めた……気がした。それ以上に石が落下する衝撃で湧き上がる噴煙の方がすごいんだ、次第に魔物の姿が煙に隠れて見えなくなっていってしまう。
「………ふうっ、ふうっ……はぁー、はぁー……」
特大の魔法を放って、ルミがその場に倒れた。さっきみたいにしゃがみ込む余裕すらないみたいだ、頭から地面に崩れ落ちて動かない。だけどスタッフだけはしっかりと握りしめていた。最後の石が放たれた矢のような鋭さで噴煙に呑み込まれていく。
ありがとう。ルミがいなかったら、絶対に勝てなかった。これだけの攻撃を受ければ肩や手の甲の弱点はもちろん、体力も大分削ったはず。ひとまずルミを休ませて……
「……ぐるるるぅぅ……」
ルミに駆け出そうとしたボクの足を、その鳴き声が止める。
「……うそでしょ? あれだけの魔法を受けて……」
……まだ動けるの?
噴煙が落ち着き始めて、その巨体の影が浮かび上がる。森の主は今度こそ満身創痍で、全身から大量に霧を吐き出してた。どうやら見えてる部分の弱点は全て攻撃できてたみたい。だけどまだ腹にひとつ残ってるはず。もしかしたら全ての弱点を攻撃しない限り、動き続けるのかもしれない。だとしたら。
躊躇わずに地面を蹴りつける。森の主はまだ動きはしないけど、四本足で立ってる。最後の弱点を攻撃するにはあの足の間を掻い潜らなきゃいけない。
でももう怖くはない。だってボクは、一人じゃないから。
ランがまた追い風を生み出して、ボクの背中を押してくれる。更に加速したボクを見て、魔物は力を振り絞って足を振った。その動きはもうわかってるよ、ボクが何回見たと思う?
この魔法障壁で、繰り出す爪はその空間を抉るような威力だ。ボクは足を振り始めた直後に横に全力で飛んで、森の主とルミのちょうど真ん中くらいの所に立ち止まった。そう、あの強い女の人の動きを真似したんだ。
「……――――…………」
「……!」
空振った魔物はすぐにボクの方を向く。そのまま今度こそ走って……深く、深く身を沈めた。これは森の主の攻撃を警戒したわけじゃない。転んだわけでもない。
だってこうしないと、後ろから片目だけで睨みつけていたルミが、魔法を撃てないでしょ?
「……わかってん、じゃん!」
ルミが、ただスタッフだけを持ち上げて、何かの魔法を唱えてたんだ。魔力はないに等しい、詠唱時間はボクが爪の餌食になるまでの数秒。火球も、雷も、氷の結晶も放たれない。それでもボクは迷いなくその胸に飛び込んだ。足を振る力もないのか、森の主はその牙でボクに噛みつこうとしてくる。
ボクの目の前で、赤い血のついた石がふわりと浮かび上がる。それが突然飛び上がって、森の主の頭にぶつかった。さっきまでのとは比べることも出来ないほど弱々しい一撃は、だけど確かに一瞬の隙を作りだしたんだ。
「ルミっ、完璧!!」
剣を逆手に持ち、振り上げる。だけど石で足が滑って、深く突き刺すことができなかった。それでも、ここで止めを刺しきらないと。
ボクは地面に手をつかずに足元の小さな石を拾うと、倒れこみながら柄を思い切り殴り上げた。剣の刃が森の主に全て埋まるほど深く突き刺さる。
耳を刺すような悲鳴を覚悟した。聞こえたのは、聞き取るのもやっとな高く細い声だった。
ボクの周りに黒い霧が溢れて、頭上の魔物の体が霧散する。霊廟を覆ってた障壁が、ガラスを割るように砕けて散った。全身が痛い。両手と両足が千切れずにくっついてるのは奇跡って言っていいと思う。
「ルミ……? ルミ、大丈夫?」
「……あんな魔物を相手取って、大丈夫だと、思う?」
うつ伏せのルミが頭を上げて、不満げにボクを見る。よかった、いつものルミだ。その横まで歩いて行って、仰向けに倒れる。
「……なによ」
「……ルミがいなかったら、絶対に駄目だった。本当にありがとう」
「……私は、剣も、弓も、下手くそだから。ユウが傷付いてるのを助けること、出来ないから……」
「……ルミはボクの傍にいてくれて、ボクには使えない魔法をいくつも知ってて、気まぐれな友達だってついてる。その上剣を持って戦えるようになっちゃったら、ボクの出番がなくなっちゃうよ」
まあその剣も、もう使えなくなっちゃったけど。森の主が消えたことで抜け落ちた剣を、月に照らして観察する。ただでさえ折れた刀身に、更にヒビが走ってる。持ち手には吹き飛ばされたときや石で叩いた時の傷が、直せないくらい深く入ってた。それに鞘も、さっき投げたせいでなくなっちゃったし。
「貯めたお小遣いで、新しいの買えるかなぁ……」
「何言ってんの、10年間もこの森で沢山の人を襲ったあの森の主を倒したのよ? あなたは英雄よ。……ううん、あなたが好きなのはこっちだったわね」
ルミがスタッフを離して、握り拳をボクの方に伸ばしてくる。
「ありがと。『勇者さま』」
いつもはボクをバカにしたようにそう言うけど、今は違う。ボクも手を握ると、ルミの拳にボクの拳を合わせた。
「ふーん、なるほど、『勇者サマ』ね」
面白そうな声が霊廟の方から聞こえてくる。でもこんな激しい戦いをしたんだ、始めは気のせいかとも思った。
それでも、重たい頭を動かして声の聞こえた方を向く。
「お、やっと気付いた。二人ともおつ~」
石の上に座って、足をブラブラさせながらボクたちに手を振る女の子。それはとても楽しそうで、だからこそボクたちは笑えない。
「……君は?」
「いやさ、『あいつ』の大事にしてたペットが活発に活動してたみたいだから、しばらくここで見てたのよ。具体的に言うと、この墓にそこの男の子が来た辺りからかな」
石から飛び降りて、スキップでもするように軽やかに歩いて近づいてくる。ボクはその異様な雰囲気に立ち上がろうとしたけど、体が重くて言うことを聞いてくれない。おかしい、さっきまで動いたのに。
「あ、あんまり動こうとしない方が良いよ? もうそんなボロボロなんだから、これ以上悪化したら困るでしょ。
ええと、ユウ君とルミちゃんだっけ。二人ともすごいね、まさかあいつ倒しちゃうなんて。倒し辛さで言ったら『エル』ちゃんはピカいちだったと思うんだけどなー。自力で弱点見つけるのは想定してたけど、足の裏とか普通は無理ゲーじゃん」
所々何を言ってるのかわからない言葉を使うけど、一つわかったことがある。
「……もしかして、あなた、魔物……!?」
苦しそうにルミが睨みつける。肌は健康的な橙色だし、そこに赤い線なんて見えないけど、その口ぶりはボクにもルミと同じことを考えさせた。
「お、せいかーい。じゃあ『勇者くん』の誕生記念に色々教えちゃおうかな~」
ボクたちの周りを踊るようにくるくる歩き回る。ボクの体は依然として動かないままだった。
「キミがさっき倒したエルちゃんはね、百年前の勇者が連れてた白狼。当時の魔王に噛みついた凄い奴なんだけど、それで大量の魔力を体内に摂取して、勇者の死後魔物になって、この墓をもうずっと孤独に守ってたってわけ。
魔物は大体一体につき一つだけ、特別なスキル使えるの。氷を作り出すとか、身体強化とか、大抵は自分に合ってかつ攻撃的なやつを。でもこの子だけは魔法障壁の展開っていう、唯一守りに徹した、そういう意味でも一番倒しにくい子を配置したつもりだったんだけどな。
あ、多分『魔物は魔王に魔力を分けられて誕生する』みたいなこと教わってると思うけど、このエルちゃんだけは例外。10年前に誕生した今の魔王とは関係しないからね」
随分と嬉しそうに話すようだけど、本当に魔物なんだろうか。それにこの子の言ってることが本当だとすると、この霊廟は先代の勇者を祭ってるってことになる。
「で、ここからが大事な話。君は魔王を倒したい?」
ボクの目の前にしゃがみ込んで、両手を自分の頬に当てて無邪気な顔で聞いてくる。その意図がよくわからないけど、ボクはボクが思うことを素直に言葉にすることにした。
「……人間を攻撃したり町を壊すっていうなら、ボクはそれが魔王でもモンスターでも関係ない。何度復活しようと、誰かを守るために、倒さなきゃ」
「なーるほどね…………うん、さすがは先代勇者の負の遺産を倒しただけあるね。君は立派な勇者くんだ。おまけにもうひとつだけ教えてあげる。
魔物は魔王に力を分け与えられて生まれる。そして魔物が倒されたとき、その力は魔王に還る。つまり、中ボスを倒すだけラスボスは強くなるっていう燃える展開なわけ。
そしてここが一番肝心で、全ての魔物を倒して、その魔力を一か所に集めた状態で魔王を倒さなければ、数年後、数十年後、或いは数百年後、必ず魔王は新たに生まれる」
なんだかこの魔物はさっきからボクのことを勇者と勘違いしてるみたいだ。ルミが勇者さまだなんて呼ぶから、話がこじれそうになってる。だけどその話がもし本当なら、何度も何度も蘇る魔王を、完全に封印することが出来るようになるのかもしれない。
「……もしあなたの話が本当、なら……あなたも私たちに倒される、ってわけね……」
ボクより辛そうなルミが、魔物を挑発するように投げかける。その言葉を笑って受け止めた魔物は、立ち上がってルミの方に近づいて行った。
「やだなぁ、流石に負けないよ。でもあたし、強い生き物は好きよ? 特に人間なんか、一人ひとりは全然なのに、たった数人仲間が出来ただけで、歴代の魔王を倒すくらい強くなるじゃない? そういうの大好きなの。ってか、ワンサイドゲーム嫌いなのよ。片方ばっか強いと、見てる方もやってる方もつまんないじゃん?」
だからさ。そう言ってルミの前で同じようにしゃがむと、まるで慈しむように金色の髪を撫で始める。
「絆の力ってやつ? 見せてよ。作戦を練って、諦めない力でもって、陰で操るような卑怯者を、捻じ伏せてやってよ!」
陰で操る卑怯者が誰の事かはわからないけど、その姿はまるで、心の底からそう願ってるようだった。魔物に心があるのか、ボクにはわからないけど。
「あたしは二人のこと、応援してるよ? きっとこの先、いろんな所へ旅して、沢山の仲間を作って、いつかは魔王城までたどり着くから。それまで待ってるね、勇者くん?」
にっこりと笑って、立ち上がって手を振る。次に瞬きをした瞬間、そこに魔物の姿はなかった。
「あ、ごめん、やっぱ最後にもう一つ。あたし魔物って呼ばれるの嫌いなの、次会う時はフィエナって呼んでね!」
どこかから響くその声を最後に、魔物の――フィエナの気配は完全に消えた。
「ゆうしゃさまー!!」
自分一人で歩けないくらい疲弊したルミに肩を貸しながら一心に町に戻る。何故か開いたままの門を潜ると、突然ボクの足が動かなくなった。びっくりして、痛みではっきりしない目をこする。どうやらボクの足を止めてたのは、ボクたちが命がけで助けたあの姉妹だったみたいだ。白み始めた空が、女の子たちの目元に浮かんだ安堵の涙を輝かせる。
「勇者、さま?」
「ゆうしゃさま、ありがとうございます!」
「ございます!」
困ったな、またルミが変なことを吹き込んだのかな。そう思って横を向くけど、そこにはボクと同じように驚いた顔があるだけだった。
ボクたちの様子を見て、お姉ちゃんが少しずつ不安そうな顔になる。
「あっ、えっと、お姉さんがユウって呼んでたから、てっきり、ゆうしゃさまなのかと……ごめんなさい」
「ごめんなさい!」
「ああ、そういうことか。ううん、別にいいんだよ」
どうやらボクの名前を、勇者の『ゆう』だと勘違いしたみたいだ。別に、勇者って呼ばれるのは嬉しいからいいんだけどさ。ちょっと恥ずかしい気もする。
それにしても、2人はどうやってここまで戻ったんだろう。ボクが森の主を引き付けてる間に、ルミが町まで行って戻ってくるだけの時間はなかったと思うんだけど。
それを考えてると、更に背中から、ボクたち二人を抱きしめる手が伸びてきた。綺麗だけど、同時にとても傷付いた手。
「ありがとう……! ありがとう、ありがとう!」
ロブさんのところにいるはずの、あの女の人だった。全身を巻き付ける包帯の上に、見慣れた布の服を羽織ってる。その包帯は土で汚れてた。
「この人が私たちの事をあの広場まで追いかけてきてたのよ。それで、私は二人をこの人に任せたの。目が私に、そうお願いしてきたように見えたから」
そういうことだったんだ。ボクが森の主の弱点に気が付いたきっかけを作ってくれたのはこの人だけど、同時に姉妹まで助けてくれてたなんて。
ボクを抱きしめる手を取って、正面に向かい合って握手する。不思議そうな顔をしてたけど、すぐに微笑んで握り返してくれた。ボクたちにナイフを向けた時の、敵意と恐怖が混ざったあの顔じゃない。心の底からの笑顔。とりあえずはそれだけで十分だ。