月夜に抜け出す少年少女
欠伸をして、ベッドから抜け出す。窓から差してくる月明かりは、今日が満月なのもあってとても明るい。この調子なら、町の中では足元もくっきり見えるはず。
元通り壁にかけておいた剣を取る。今朝と違って軽くなってしまったそれを背負って、昼に用意しておいた革の袋を腰にぶら下げた。
「お母さん。行ってきます」
夜中の明るく照らされた道を走る。向かう場所は一つ。
「止まれ、何者だ! ……なんだ、ユウか。どうした、こんな時間に」
この町の外周に三つあるうちの一つ、今朝も通った門で、門番さんに呼び止められる。
「……森に行かせてもらえませんか?」
「なに? 駄目だ駄目だ、夜行性のモンスターは昼行性の奴と比べて危険な奴が多い。いくらお前さんが強かろうと、子供を一人でこんな時間に出歩かせられるわけがないだろう」
門の隣、カンテラのついた小屋から門番のおじいさんが出てくる。もう何十年もここで門を守ってるらしいおじいさんは、険しい顔をしたままボクに近づいてくる。だけど僕だって諦めるわけにはいかない。
「……――……」
「ん? なんだ、他に、も……」
風に乗って誰かの声が聞こえてくる。その声の方を振り向いたおじいさんは突然、膝から崩れ落ちて倒れてしまった。
「えっ、ちょっと、おじいさん? 大丈夫ですか!?」
「へーきへーき、眠らせただけだから」
暗がりの中から知ってる声がする。……っていうより、この声は……
「……もしかして、ルミ?」
「もしかしなくても私ですー」
暗闇の中から、いつものローブを風にはためかせて、長い杖――スタッフをとんと地面に置いたルミが出てくる。門の横の壁にもたれかかって、片手をポケットに突っ込む姿は、ボクを待ちくたびれていたみたいに見える。
「なんでこんなところに……」
「その言葉、そっくりそのままお返ししましょうか?」
ボクが言葉に詰まっていると、ルミは小屋の中のレバーを操作して、門を開いた。お城にまで届きそうな大きな音が、空に響き渡る。
「……ルミも、助けに?」
「私は、あなたを助けに来たの! そんな折れた剣じゃ何も出来ないじゃん」
全くもってその通りなんだけどさ。無意識のうちに掴んだ負い紐から手を離す。
「よし、門は開いたね。『勇者さま』大好きなあなたなら、きっと行くって言うんでしょ?」
「うん。ボクは行くよ。……その言い方はすごく気になるけど」
薄明りに照らされる野原へ歩き出す。すぐ目の前に広がる森は、まるで獲物を待つ獣のように蠢いていた。
「そういえば、門は開いたままで平気なの?」
「平気。詠唱を大分短縮したから、5分もしたら目覚めて門を閉じるはず」
森の中を早足で進みながら、ルミはスタッフを空に放り投げて呪文を呟く。そのたった数行の詠唱でスタッフは空中から消えて、ルミだけが干渉できる空間ってところにしまわれるらしい。
「どっちに行けばいいのか、わかってるの?」
先行するボクの斜め後ろを、足元に注意しながらルミが付いてくる。
「大丈夫。あの子たちは森の更に奥に逃げた。だからボクたちはまっすぐ北に。あの星を目指して進めばいいんだ」
木々の合間に見え隠れする、一際明るい星を指さす。あの星は常に北に浮かんでるから、あれさえ見えれば迷うことはないはず。
「ユウ、待って!」
服を掴まれて一瞬首が締まる。何かあったのか後ろを振り向くと、ルミの視線は目の前の草むらにまっすぐ向けられてるのが分かった。
「ランが運んでくれた……獣の臭い」
腰を落として、剣に手をかける。次の瞬間、目の前の草むらからモンスターが二匹、そして背後から更に一匹が飛び出してきた。同じ四足歩行でも昼のピオニーとは全然違う、凶暴なモンスター、ジャガールだ。常に群れで動き、旅人や商人を襲うこともあるらしい。大きさはピオニーと変わらない、ボクの膝くらいだけど、全身を覆う濃い青の毛が、この闇で黒く見える。
「ルミ!」
「『町に戻って』なんて言ったら怒るから!」
「言わないよ、離れないで!」
詰めてくる距離を見定めながら、右手で背中の剣を抜いて……すぐに左手に持ち替える。それから右手には鞘を持つことにした。剣なら――剣って言うより鍔のあるナイフって感じだけど――刺せば使えるけど、鞘は急所を狙って力を乗せないといけないから、利き手の方が使いやすい、んじゃないかな。
両手をまっすぐ左右に、そして目の前に伸ばして、それぞれが届く範囲を掴む。二刀流のやりかたなんてアカデミーじゃ習ってない。背中合わせにルミが上がった息を調えるのが伝わってくる。ルミってそんなに体力なかったかな……
「ユウ、援護は任せて!」
スタッフを召喚したルミが、ランに語り掛けるのが聞こえる。ボクの敵は目の前の二匹だ。斜め左右に分かれて同時に突進してくるモンスターを見て、ボクは右前に一歩踏み出した。二匹同時に飛び掛かられたら危険だ、一匹ずつやろう。
右側のジャガール目掛けて、右から鞘を振り下ろす。だけどそれに気づいたジャガールは左、つまりボクの正面側に避けた。そしてその背中を蹴って、もう一匹が飛びついてくる。左手の剣は態勢が悪くて、繰り出せそうにない。
咄嗟に右手の位置を変えて、左に振った鞘をもう一度下から右に振りなおす。ボクの目の前まで迫ったジャガールの顎に鞘をぶつけて、そのまま右まで全力で振り抜いて地面に叩きつけた。邪魔しようとするもう一匹も、左手の剣で皮を切ると狼狽えた。
叩きつける時の甲高い鳴き声は気分が良いものじゃないけど、でもこっちだって必死なんだ。背後では詠唱を終えたルミが足元の木の葉を舞い散らせて、ジャガールの視界を奪ってくれてる。ボクは左手をぎゅっと握ると、短くなった剣を首元に突き立てた。その直後、残る二匹のジャガールが怒ったように鳴く。
「ルミ、一匹やった!」
「でしょうね! ジャガールは仲間意識がすごく強い、数が減っても気を抜かないで!」
竜巻のように舞う葉っぱの中でも、ジャガールは互いの鳴き声を頼りに合流したらしい。二匹とも低い位置に頭を落として、飛び出す態勢を取ってるのがわかった。
「ラン、行くよ!」
風の精霊に声をかけて、ルミがスタッフを高く掲げる。すると突然、二匹の足が出血し、飛び出そうとしたジャガールが出鼻を挫かれて突進を止めた。きっと、姿の見えない攻撃に戸惑ってるんだ。
「ユウ、ランがかまいたちで足切ってくれた! 行けるよ!」
剣を持ち直してルミの横を通ると、足が軽くなったように感じる。ボクは精霊魔法の仕組みはよく知らないけど、ルミかランがボクの背中を押してくれてるのがわかった。
鞘を頭に振り下ろし、剣でもう一匹を刺す。だけど片手だと思ったより強く叩けなかったみたいで、剣を引き抜く前に最後の一匹が大口を開けるのが見えた。切れた足で速度は落ちてるけど、今剣の間合いは牙の間合いと大して変わらない。つまりボクもジャガールも、お互いの間合いにいる。
「ルミ!」
「言われなくても!」
いつの間にかボクのすぐ後ろにくっついて来てたルミが火球を打ち出す。詠唱魔法は呪文を全部詠唱するのが一番威力がある。だけど深く理解をしていて、かつルミの持ってるスタッフみたいな魔具があれば、威力はすごく弱いけど完全無詠唱で魔法を放てるらしいんだ。現にジャガールは火球を口で受けたけど、狼狽しつつすぐ目標をボクからルミに替える。
「駄目だよ!」
その隙に今度こそ剣を引き抜いて、両手で横腹に突き刺す。容赦なんかしない、ボクたちは先を急がなきゃいけないんだから。