夢見る少年と魔法使いの少女
「はあっ、はあっ……みんな、まだ戦えるか?」
剣を振り汚れを飛ばして、後ろの仲間を振り返る。皆疲れてる、それに傷だらけで、防具の至る所に無数の傷があった。それでも、その表情までは疲れ切ってなかった。その目の奥に燃える炎が、ボクにまで伝わってくるようだった。
「何を言ってる、当たり前だろう?」
目の下に走る深い切り傷が目立つ戦士は、自分の肩程まである長い両手剣の刀身を右手で持ったまま、自分の顔の前に差し出す。その手は重たい剣を持っててもまったくぶれることなく、揺るがない意志を感じた。
「ここで引き返すわけにはいかないでしょ。行くわよ」
高い帽子の調子を整えて、奇術師は棒をくるくると回転させながら高く放り投げる。その行方を追っていたんだけど、ゆっくりと落ちて手元に落ちてきた瞬間、代わりに聖水が握られていた。ボクの剣に振りかけて清めると、にこりと笑ってどこかからまた棒を取り出して回転させてる。
「これで、この辛い旅も終わりでしょ? だったら、ほら!」
いつの間にかボクの後ろに回り込んだ盗賊は、どこからか忍び込んでたサソリをそのダガーで刺して、遠くへ投げる。もしかしたら毒を持ってたかもしれない、助かったよ、なんて言う前にボクの背中を押して、一歩を歩ませる。
目の前にはあまりにも巨大な扉が閉ざされてる。そうだ、この先には……
「この先に、平和な世界が待ってる。ボク達で魔王を倒して、この世界を救おう!」
剣をかざして、仲間に、そしてボク自身に誓う。きっとこの先には今までのどの魔物より強く強大な敵が待ち構えてる。でも平気だ、ボクには頼もしい仲間がいるんだから。
重たい扉に両手をかけて、全力で押す。ゆっくりと、本当にゆっくりと開いていって、目の前から光が差してくる。最初は眩しかったけど、少しずつ目が慣れていって、やがて……やがて、目の前には……
「……ら、……きな。ほら……ほら、起きなさい!」
「……んー、ん……?」
重たい瞼を持ち上げて、頭に響く声について考える。誰? お母さん。なんて言ってた? 起きなさい。……ん、起きなさい?
「……あっ、い、今何時!?」
ベッドから飛び起きて辺りを意味もなく見回す。
「もう日が昇ってしばらくよ。寝言がすごかったけど、またあんたの好きな『勇者』さまの夢でも見てたの?」
「うるさいなー、別になんも見てないよ」
いや、ほんとは見たんだけどさ。ボクが勇者になって、魔王と戦う夢。でもそんなの恥ずかしくて言えないよ。
「そういえばあんた、どこかに行くって言ってなかった?」
「うん、ルミにお店の手伝いを頼まれててさ」
「だったらいい加減自分で起きなさい、あんたももうすぐ15でしょ?」
呆れたため息をついてお母さんが部屋から出てく。部屋の扉が閉められる直前、パンの焼ける良い匂いがした。ついつい二度寝しそうになる頭が、お腹の鳴る音で目覚める。それに窓の外からは小鳥のさえずりが聞こえる、もう起きなきゃ。
「で、今日は何の手伝いをするの?」
椅子に座って少し焦げ目のついたパンの匂いを嗅いでると、お母さんがミルクを持ってきてくれる。
「何か、薬を作るために木の実が欲しいらしいんだ。それの収穫に森へ行くから、一緒に来てほしいって」
「そう。気をつけなさいよ? 最近隣の国で人さらいが起きてるらしいの、犯人もまだ捕まってないって。もしルミちゃんに万が一があったら……」
「平気だよ、隣の国まで結構遠いし。それにそこの森はあんなに鬱蒼としてるんだよ、例えその人さらいに会いに行ったとしても、会えっこないよ」
ボクたちの町を出て北に行ったところに広がる森には、『森の主』っていう魔物がいる。だから森のきれいな水を取りに行くときも、こうやって木の実とかを集めるときも、入るのは町が見える入り口だけ。だけどボクももう明日で15、もう大人なんだから、少しくらい奥の方に行っても平気だ。
「……あんたその顔、『もう明日で大人になるんだし、ちょっとくらい奥に行っても平気でしょ』なんて思ってないでしょうね?」
「えっ!?」
驚いてパンを飲み込んで、慌ててミルクで流し込む。
「そっ、そんなわけないじゃん、安心してよ。ルミが必要なものを採取したらすぐ帰ってくるからさ」
椅子から立ち上がると、自分の部屋に戻って必要なものを支度する。バッグに、万が一の時のために包帯とか、果物を取るためにナイフ。
「それに、これも……」
ベッドの傍の壁にかかってる古い剣を取り出す。鞘には所々に錆びがあるけど、まだまだ頑丈だし、刀身を守る役目は果たしてくれてる。
剣を抜いて、ちょっとだけ鈍った刀を振ってみる。やっぱりボクの手には少し重いけど、昔から使ってるものだし、愛着はある。
何度かぶんぶんと振って――両手でね――具合を確かめる。片手でも出来るけど、モンスターを斬りつけられるほど早くは振れない。特にこの辺りのモンスターは柔らかいスライムが多いから、叩き切るっていうよりは断ち切るっていう感じで、速度を乗せないと止めを刺せない。
「……あんた、部屋で何してんの?」
いつの間にかお母さんが部屋の入り口から見てた。ちょっとだけ恥ずかしくなったボクは急いで支度をすると、剣を背中に背負う。
「ちょっと待ちな。ほら」
横を抜けて出ようとすると、お母さんが持ってる何かがボクの鼻先に突き出された。ちょっとだけびっくりしたけど、それ以上に美味しそうな玉子の匂いがして、ボクは聞くよりも前に包みの中身がわかった。
「お弁当?」
「そう。お腹がすいたら食べなさい。少し多めにしといたから」
「……? はーい、行ってきます!」
「しっかりルミちゃんのこと守りなさいよ? 行ってらっしゃい、ユウ」
負い紐を引っ張って剣の位置を整えて、ボクは幼馴染、ルミとの待ち合わせの場所に向かった。
家の前をお城の兵士たちが歩いてる。時々森から小さいモンスターが町に紛れ込んだりするから、こうやってよく見回りをしてくれてるんだ。挨拶をすると、剣をボクの方に持ちあげて気さくに返事をしてくれる。遠くから、金敷を叩く甲高い音が聞こえてくる。待ち合わせ場所は鍛冶屋の向こうだ。
「おうヒロ、今日もあの子の手伝いか?」
「鍛冶屋のおじさん、おはよう! 今日はいろいろ採集するらしいから、もしかしたらおじさんの湿布に使う薬草も見つかるかも」
「そうかい、それは期待して待っとこうか。それより気をつけろよ、最近森の奥で知らない奴らの話声を聞いたってよく聞く。何か見かけたらすぐ町に帰って来いよ、成人祭直前で怪我したなんてつまんねえだろ」
「それに、ルミに怪我させたらお母さんに怒られちゃうからね。気を付けるようにするよ、ありがとう!」
「ああ、良いってことよ。俺は仕上げなきゃならねえもんがあるんだ、もし太刀打ちできそうにないモンスターを見かけたら、彼女を連れて逃げろよ」
鍛冶屋のおじさんは短い白い髪を掻いてボクを見送ってくれる。初めて見た時は怖かったけど、思ったより全然優しいし、背中の剣を作ってくれたのもおじさんだ。おじさんの冗談に舌を出して、待ち合わせに足を速める。
走り続けて少し体が汗ばんできた頃、噴水の縁に座る女の子の姿が見えた。短めの黒っぽいローブを羽織って、大きな書物を読んでる。その蜂蜜のような色の髪が、風に揺れていた。
「ルミ、お待たせ!」
手を振って幼馴染――ルミの名前を呼ぶ。本をパタンと閉じると、まるで30分も1時間も待ってたみたいに固まった体を伸ばした。
「ユウ、遅いよー!」
ぴょんと噴水から小さく飛ぶと、ボクの目の前に人差し指を立てる。
「ごめんねルミ。でもボク遅れてないよね?」
「……それ本気で言ってるの? 昨日、待ち合わせ何時って言ったか覚えてる?」
それくらい覚えてるよ。確かルミのお店の前で、約束した時間は……
「7時半?」
「7時! その30分はどっから来たのさ!」
ルミは腕を組んで頬を膨らませる。30分も待ってたように見えたのは、本当に30分も待たせてたからだったみたいだ。
「ごめん、勘違いしてた……」
「全くもう、気を付けてよね」
小さくため息をついてから、「行こ!」って言って森に向かう道を歩く。さっきまで読んでた本は、気が付いたらどっかに消えてた。
「今日採りたいのは、貼り薬に使うダルネの葉に、お母さんに頼まれたディラの花。あとは……」
門番さんに門を開けてもらって、森に向かう道を歩く。って言ってもすぐ目の前に森は広がってるけど、あまりにも広くて森の奥の方は何も見えない。その途中でルミは、色々な植物の名前を指折り数えてる。今言ってる植物は全部、普段ルミとルミのお母さんが色々やって、すごく便利な道具にしてくれてるんだ。
いつもルミのことを怒らせちゃうけど、ちゃんと謝れば許してくれるから、本当は優しいんだ。勉強熱心で頭が良くていろんなことを知ってるし、それに……
「……ウ、ユウ? 聞いてる? 着いたわ、下がってて」
ルミに顔を覗き込まれて、そこで初めてもう森の中に入ってることに気付いた。ぼくはルミの言葉通り下がると、反対にルミは、不自然に草がなぎ倒されてる広場にたどり着いた。中央にはスライムがふよふよとこちらを向いてる。
「げ。私スライム苦手なんだけど。ユウ、お願いしていい?」
「もちろん」
剣を抜き、腰を落としてスライムを睨みつける。スライムは相変わらず半透明な青の体をふよふよと揺らしてるけど、その表情はさっきまでの穏やかな薄ら笑いが一転して、今にも襲い掛かってきそうだ。
ボクは先手を打って、一刀両断する。スライムは人間でいう眉間を斬らないと、動きを止めることが出来ないんだ。二つに分かれたスライムの体を遠ざけて、広場の中央をルミに譲る。
「ありがと」
「どういたしまして」
深く息を吸って、ルミは両手をゆったりと広げる。そうして目を閉じると、まるで目の前に友達がいるように、優しく語り掛けるように、口を開いた。
「……ラン? おいで、ラン」
右手を差し出して、頬を撫でるようにゆっくり動かす。それから目を開くと、薄く口を開けて呪文を唱えた。
「我らを導く父よ、我らを抱擁する母よ。天を拓き地を均し、海を割って我らの前に現れよ」
「……な、何それ」
吹き出しそうになる前に、ルミの仰々しい詠唱を止める。だって、精霊魔法に呪文なんか必要ないのに。
「冗談よ、それっぽいでしょ? ねー、ラン」
何もいない宙に向けて微笑む。一陣の風が、ボクとルミを包むように吹いた。ボクには精霊視が出来ないから、ルナがランって呼ぶ風の精霊は見えないけど、きっとそこにいるのかな。
「ラン、この森の香りを、私の元まで運んできて」
そう言ってランを見送ると、代わりにローブの中から丸めた羊皮紙を取り出して、足元に広げる。それから妖精の粉を、広場いっぱいまで四方に直線状に伸ばしていく。そうして再び羊皮紙の上に戻ってきて、初めてそこに書いてある呪文を唱え始める。それはさっきふざけて言ってたのとは全然違くて、朗々と、歌うように読み上げていく。
やがて呪文をすべて読み上げて、羊皮紙がひとりでに燃え上がる。
「この魔法は?」
「この封梱呪文は『周囲の空気・匂いを着色させる』もの。つまりランに頼んでこの森の空気を運んでもらうのと同時に、あらかじめお家で羊皮紙に込めた呪文を唱えたの。だからあとは、ランが運んできてくれれば……」
そう言っているうちに、この広場を風が埋め尽くす。色んな方向から緑や茶色が空中に漂い始めて、目の前を綺麗に彩り始めた。
「……こうやって目の前が彩り始める」
「この色ってルミが決めたの?」
「うん。緑は薬に使えるダルネで、茶色は混合して煮詰めることで薬効成分が増大するバイカ。他にも白、黄、青、いっぱいあるよ」
「それ全部自分で設定したの? さすがは首席だね」
広場を離れて、色のついた空気が流れてきた方向に向かう。ルミはこれでも、アカデミーで一番頭がいいんだ。お母さんと一緒にお店をやってて、例えば農工具の修繕魔法や、落雷で家が壊れないために雷のエネルギーを貯められる呪文の書いた羊皮紙を売ってたりする。呪文は魔法について学んだ人なら誰でも書けるけど、ルミの家の呪文はとりわけ効き目が良いんだ。
あとはこないだなんか、モンスターが襲撃してこないよう、この国全体を包む結界魔法をお城の魔導士と協力して作り出したんだ。それで国王様に表彰されてた。
「大勢の人間の気配を感じにくくさせるだけで、こんなの、ただの気休めでしかないから」
ボクが結界について聞くとルミはいつもそう言うけど、新しい魔王の誕生によってモンスターが凶暴になって10年経った今、ようやく小さな子供が家の外で遊べるようになったのは、ルミが結界を張ってくれたからだってみんなが言ってる。
「……ちょっと、ユウ? 今日はどうしたの、ずっと上の空だけど」
色に従って突き進むルミについていってたら、いつの間にか当のルミがボクの目の前に仁王立ちをしてた。口調は心配してくれてるようだけど、むくれてるから心は怒ってるみたい。
「ううん、何でもないよ。ごめんね」
「もっとしっかりしなさいよね、私が無理やり付き合わせてるみたいじゃない」
「え……だって、ルミを一人で行かせるとボクが怒られるから……」
「……つまり本当は来たくなかったって?」
思ったよりしょんぼりした返事で、ボクは慌てて否定する。ボクだって嫌だったらこんな手伝いしないで、剣術の訓練するよ。
「違う違う! そういうことじゃないよ! 誤解しない、で……」
じゃあさっさと行くよ! って裾を掴んで引きずって行こうとする。だけどボクは逆にルミの手を掴んで立ち止まった。何だろう、今の。
「ふぇっ!? な、なに急に、手なんか掴んできて……ま、まあ、そんなに許してほしいって言うなら? 許してあげないことも、ないけど……」
「ルミ、止まって」
手を強く握って、周りの気配に集中する。一瞬、ほんの一瞬感じた“何か”を、どうしてか気のせいだって切り捨てることは出来なかった。
「……どうしたの?」
ルミはボクの手の中から離れて、不安そうに辺りを見回す。いくらこの森がボクたちの町――サニスタの近くだったとしても、どんなとこにだってモンスターは生息してる。確かにルミの魔法はすごいし強力な呪文も使えるらしいけど、ボクの剣やモンスターの牙より早く唱えられるとは限らない。だから不安なんだと思う。さっき感じた違和感も今は感じられないから、とりあえずルミを安心させなきゃ。
「なんでもないよ、大丈夫。間違えて森の奥に行っちゃうと大変だし、念のためさっきの魔法で、もう一度近くの植物の匂いを……」
……匂い?
その時、一際強い風が髪の毛を揺らす。きっと風の精霊も傍にいるんだ。ボクは目を閉じて、鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。そうだ、さっき感じたのはこの匂い。この匂いは……
「……血だ」
間違いない、人の血の匂いがする。
「ルミ、さっきの呪文もう一つ持ってる?」
「え、うん、持ってるけど」
「じゃあそれに血の匂いを足して、ここで唱えてくれる?」
頷いたルミは羽ペンと羊皮紙を同時に自分の正面に生み出すと、手早く書き足して地面に置き、呪文を読み上げて羊皮紙が燃える。それと同時に目の前がまた彩り始めたけど、さっきと違うのは、鮮やかな赤色が一筋、森の奥に伸びてるのが見えること。
「この赤が……」
「うん。血の匂い」
ボクとルミは、お互いの顔と赤いもやを見比べる。先に口を開いたのはルミだった。
「ねえ、ユウ。まさか……この先に行くなんて言わないよね? 今は森の外側を回って移動してるからいいけど、奥にはすごく大きな魔物がいるって言うし……」
森の中心にはここの主がいて、迷い込んだ人間を食べてしまう――幼いころから何度も聞かされた言い伝えだ。大人の倍もある魔物に手足をちぎられて食べられるなんて言われたら、誰だって近寄ろうとは思わないよ。
「ても……」
でも、この先には誰かがいる。ボクにわかったんだから、魔物やモンスターにだってわかるはず。きっと、街に戻って助けを呼ぶ時間はない。
「……ルミ。ルミは町に戻ってて。ボクはこの先に行って様子を見てくるから」
唾を呑み込んで前に進む。……つもりが、一歩進んだところでルミに思いっきり引っ張られて、同じだけ下がっちゃった。
「私のことをこの森に一人で置いていこうってつもり!? いい、私はユウが離れたら一歩も動かないから」
「えぇ、ルミ……」
「大体、ユウは精霊魔法も使えないし、どうせ治癒魔法の呪文も持ってきてないんでしょ。ユウがなんて言っても、私はついていくんだから」
できればルミにはついて来てほしくなかったけど、でもルミの言うことはもっともだった。ボクには精霊視が出来ないから精霊の力を借りることも出来ないし、まさか奥に行くことになるは思ってなかったから、持ってるのは精々包帯くらい。
「……わかった。だけど危険だって思ったら、とにかく走って逃げてね? いい?」
「余計なお世話! いいから早くいくわよ!」
頷いて走り出す。今は一秒でも早く、怪我した人を見つけなきゃ。
新連載はファンタジーです。全くの新しい試みなので気になる点はあるかもしれませんが、温かい目で見て頂けたら幸いです。応援の程、宜しくお願い致します。