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私は無実です。  作者: S子
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別れと出会い

私の人生は、幸せを少しずつ吸っていく虫がいるようなものだった。吸われてなくなってしまった幸せが乾いてしまい、ヒビが入り、そした音もなく崩れていったのだと思う。

もし、どんな別れ方をするか知っていたら例え同じ場所で同じ出会い方をしても、愛おしそうに私を見つめ、そして手を握るあなたをどれほど愛してても振りほどいて振り向くことなく帰ったと思う。


タクシーを降り、そびえ立つホテルを見上げた。緊張のあまり口の中がパサパサになっている。どこかで水を買いたいが、現時点で30分ほど遅刻している私にそんな余裕はなかった。急いでホテルの中に入り、フロントでカードキーもらい、ふとロビーを見渡した。統一感のある家具と絨毯がより一層高級感を演出している。極め付けは、優雅な歌だ。自分の場違いさと彼に会う緊張で息がどんどん上がっていく。

彼に会うのは初めてではないし、お互いが好きなことはもう分かっている。しかし、19歳の私が男の人が待つホテルへ向かうのは初めてだった。私は、今日男の人というものを知ってしまうかもしれない。不安と緊張で早くなる心臓を落ち着かせるため大きく息を吸った。手の汗が止まらず、今にも逃げ出してしまいたい気持ちで溢れていた。

エレベータに乗り、言われた通り35階を選択した。だが、

「その階へは上がりません。」

エレベータの音声にそう言われ、ついえ?と声が出てしまった。携帯を取り出し彼からのメールを見返した。やはり、35階と書いてある。来るなという意味があるのかもしれない。このまま帰ってしまいたい気持ちをグッと堪え、彼に電話した。

「どうしたの。今どこにいんの?」

そういう彼の声は優しく、もう40分ほど遅刻していることに罪悪感を感じた。

「いまエレベータなんだけど、なんか上がらなくて…」

「カードキーかざして。そしたら上がる。」

そう言うと、ブチっと電話を切られてしまった。彼って怒っているのか、いないのか分からない人だなあ。男の人が苦手で、どれだけ長く付き合っても自分を呈することなどなかった私が、こうして男の人が待つホテルへ向かっているのが奇跡だとしか言いようがなかった。不安と緊張、彼に捨てられてしまうのではないかという恐怖を和らいでいるのはここがラブホテルでないという事実だけだった。

部屋に着き、ドアを開けると飛びつくように抱きしめられた。

「寂しかった。」

その切なそうに呟く彼の瞳は愛で溢れている感じがした。嬉しいような恥ずかしいような感覚で目を合わせられず、そらして私もと返した。髪を優しく撫で下ろす彼の胸に顔をうずくめ、気づかれないように息を吸い、彼の服の匂いを嗅いだ。好きな人の匂いは、きっとどんな慰めや愛の言葉よりも人を癒す力があるに違いない。さっきまで持っていた不安や恐怖が溶けていく中、染み染みととそう思った。徐々に近づく彼の唇に全てを任せ、幸せに浸っていく。愛されるって気持ちがいい。なにをしても受け止めてくれる相手がいるのは心強い。そんな彼に少しずつ染められていく痛みさえ愛おしく感じた。


「風呂一緒に入る?」

始めに脱ぎ捨てた服を拾う気力もなく、ただベットでシーツに包まる私に彼は聞いた。

「はいらん。」

「なんで?入ろうよ。嫌なの?」

「人とお風呂入るの苦手なの。」

「そうなんだ。珍しいねえ」

そう言って風呂場の扉をピシャッと閉めた彼の後を追うため、体を起こした。ちょうど隠れるぐらい彼のティーシャツ着て風呂場の扉を開けた。

「あれ、俺の服着てんの?」

「うん」

「濡らしちゃダメだよ、いい?」

コクリと頷き彼が浸かる湯船に足を入れ、風呂場の淵に腰をかけた。湯が驚くほど熱くて、動じずに浸かっている彼の男らしさが更に愛おしかった。

「ねえ」

呼びかけに反応し、私の方を向いた彼の髪に水をかけながら聞いた。

「どうして私のこと好きなの?」

「分かんない。動物の勘。」

少し黙って考えてから惚れ惚れするようなことを言うかと思っていた私とは裏腹にすんなりと適当なことを言う彼に笑ってしまった。

「なんで笑うの」

拗ねて聞く彼になんでもないよと答えた。

彼が言うとなんだかそれが恋愛学の答えのように感じられる。そう思ったり、彼が言うこと全てが正しいような感覚に陥ってしまうのは彼のことを深く愛しているからだと思った。

「俺もう出るからちょっとどいて」

わかったと言い、彼のために湯船から足を出し、脱衣所へ向かった。足を拭きながら自分が今驚くほどニヤついていることに気づいた。きもちわると思う反面、どれほど幸せと感じているのかわかる。ふと外が見えるガラスを覗いてみたら、思っていた以上に街が綺麗ですぐ彼を呼んだ。

「ねえねえ、こっち来て。綺麗だよ。」

2人でガラスに面しているソファに腰掛け、しばし街を見下ろした。地味に見える車や人の動きを見ながら彼が尋ねてきた。

「あの白の車どこいくと思う?」

彼の指差した方を見ると白の軽自動車がちょうど赤信号で止まっていた。

「あそこ一方通行だからまっすぐ行くと思う」

自信たっぷりに言ったが、そっかといい彼が笑い出した。なんで笑うのか聞くと彼は答えた。

「あそこ右車線だから曲がるよ。ウィンカーも出してるし」

そう言われ慌てて見ると彼のいう通りだったが、笑っている彼にムッとした。それから少ししてご飯でも行くかという彼とレストランに行き、食事を済ませホテルへ戻った。眠る前に私を抱く彼の頬をそっと撫で、しがみつくように抱きしめた。

私は彼に愛されている。だが、彼を私の全てにするのは19歳の私には荷が重かった。見られぬように抱きつきながら流した涙は到底誰にも理解できない。事が終わり眠る彼にそっと呟いた。

「ねえ、お願い。これからもそばにいさせて。私あなたのこと本当に好きよ。だから突然別れを告げたりしないで、お願い。」

彼の寝顔を見るのが最後にならないように祈りながら抱きしめて眠りについた。

明日、彼は奥さんが待つ家に帰り、私は親と兄弟が待つ家に帰る。彼がまた350キロの距離を経て私の元へ帰ってくる確信を得たかった。

その確信は、愛の最終形とも言われる左手に光る小さな指輪をしていない、この時の私にはそれだけで十分だった。

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