6 強面男性は苦手です
ヴィルディさんが放った鳥はメッセンジャーのようなものだったらしい。砦の騎士達によるパンの搬入と購入手続きをする間に戻ってきた鳥がメアリーさんの声で「騎士様の用事は店よりも大事だからお相手してきなさい、店とクララのことは心配しないで、あとでパン焼きを終えた旦那が取りに行くから」と言ってきたのだ。ヴィルディさんは掌の上に降り立った鳥が伝言を発し終わると有無を言わせぬ笑みを唯一見える口元に浮かべ、そのまま私の後ろに回って背中を押し、私を建物の中に連れこんでしまった。
「うわーさらわれるー」
「棒読みの悲鳴もソコまでやる気無いト天晴れデスネ」
ヴィルディさんにそういう目的がないのはわかっているので、適当に騒ぎつつ、押されるがままに歩いて行く。途中言葉だけ聞いて何事かと飛び出してきた騎士が複数名いたが、私がやる気のない表情で台詞だけいっちょ前に騒ぎ、後ろのヴィルディさんが「はいはい大人しく足動かそうね」という態度で歩いているのを見て、すぐに呆れた表情を浮かべて戻っていった。
どうやらヴィルディさんは日頃から同じようなことをしているらしい。だから騎士様達は全然驚いていないのだろう。
ヴィルディさんの相手はきっとルブルムさんだ。そう思って、決して小柄ではないヴィルディさんが明らかに大柄なルブルムさんの背中をうんしょうんしょと押している所を想像してみたら、胸が萌えできゅんとした。小さいのがデカいの相手に四苦八苦する様って可愛くない? 私は可愛いと思うし大好きだ。犬化ネタで、ポメ化した子がゴールデンレトリーバー化した子の周りできゃんきゃん言ってるイラストとか、ベッドで萌え転がるくらい好きだった。
(あー、ネサフしたい。ここに来てからとにかく生きることに集中してたから忘れてたけど、オタ活動したい……)
私の人生はオタ活とともにあったと言っていい。しかも腐ってる方のだ。何を隠そう、私は女のオタクの中でも腐女子と呼ばれる種族です。くさってやがります。ええ、それはもうぷんぷんと。
ほぼ毎週欠かさず買っている週刊誌は推しカプの妄想のネタであり、時期と財布の機嫌が合えば多様な聖典が集う祭典にも行っていた。一年の期間限定の離島勤務の時はそんなことできなかったけど、逆に離島手当分を通販に注ぎ込み、週一の船便で「寺島エリア」を作り上げるほどにグッズを買いあさったりもした。
思い出したらやりたくなってきた。萌えたい。心躍るナニカを見たい。その衝動が胸の中で沸き上がった。
だが、この世界にはコミケもなければネットもない。印刷技術自体はあるようだが、まだまだ同人誌を、男同士のくんずほぐれつをこう、なんやかんやアレソレする域には達していない。あ、ちなみに私は女同士のくんずほぐれつも、なんだったら公式カプのイチャコラも美味しく戴ける幅広腐女子です。ストライクゾーン広めって野球だと損だけど腐女子だと得だぜ。
いや、得じゃないのか。損か。だってここには『公式様』もいなければ商業誌も同人誌もSNSもないのだから。
「はー……」
考えたら、なんだか気分が落ち込んできた。
「おや、どうしマシたカ」
私のため息を聞いてヴィルディさんが話しかけてきた。けど、こんな思考は話せない。異世界のことであるからってのと、『萌え』だの『SNS』だの『推しが尊い』『萌え枯れ』『バブみ』みたいな言葉に相当するこの国の言葉を私は知らないからだ。いや、知らないっていうか、たぶん無いだろう、この国には。この世界には。だって元の世界でだって日本にしかなかった言葉だもの。
「なんでもありません。強いて言うなら、故郷が懐かしくなっただけで」
嘘ではない私の言葉に、ヴィルディさんの雰囲気が変わった。
「ホう」
フードの暗がりから、じいとこちらを見つめる視線を感じる。後頭部に突き刺さるそれをなんとか無視しつつさらに歩くと、私は建物の上の方にある部屋に通された。
質素なデザインの木の扉には『団長室』って書いてあったから、中にいたルブルムさんと目が合っても、私は表情筋を動かさずに済んだ。
(でも、やっぱり苦手だ、この人。顔怖すぎるでしょ)
眉間にめちゃめちゃ皺が寄っていて、目つきが鋭い。金剛力士像は言い過ぎだとしても、気が立った鷲を思わせるその目つきの悪さは、サシで向かう合うには刺激が強すぎる。
顔はなんとかなったものの、足が止まる。部屋の中に広がる石の床の床に不自然に踵を立てて立ち止まった私に、背後で戸を閉めたヴィルディさんは「そんなニ怯えずトモよいですヨ」と言ってきた。
「怯えてません」
「ふふ、強がってもお見通しデ」
「ルブルムさんがマジで苦手なんです。顔怖すぎて」
「直球か」
おい、と突っ込むような声が聞こえる。同時に、団長机の向こうで手を組んで私を見つめていたルブルムさんががくりとうなだれた。
「俺はそこまで怖いか……」
「ハイハイ、そういうノ後でいいデス。さ、お話したいコトがあるので、適当にカケてくだサイ」
「はあ……」
そんなことを言っても、団長室にあるのは大きな机と、部屋の両脇にある本棚。それから、その横に積み重ねられた椅子くらいである。それを取ってきていいのだろうか、と後ろを振り向き視線で問うと、ヴィルディさんはすぐに「ああ、失礼」と呟いた。
「女性にはアレは重すぎますネ」
そういうことじゃなくて。
持ってきていいのか、悪いのか。それを問おうと口を開く。けれど声が出る前にヴィルディさんは手を伸ばし、指先に小さなあかりを灯し、空中で何かを描くような動きをした。
指先の光が空中に残り、絵を描く。広げた手ほどの円と、その中を満たすいくつかの図形となんとなく見覚えのある文字達だ。それが何だったか記憶を遡るために見つめてみたが、それを思い出す前に、それらはぶんと振られたヴィルディさんの指先の動きに合わせて空中を走り、椅子にぴたりと貼り付いた。
絵が、椅子の中に吸い込まれ、すっと消える。
途端、椅子がむくりと動き出した。
「おわっ」
まるで『突然キャラクターが歌い出す子ども向けアニメ映画』の『幻想曲』のようである。あの、主人公が掃除を面倒がって掃除道具が勝手に掃除をするように魔法をかけてしまうやつ。
あのシーンのような動きで、重ねられていた椅子がむくむく動く。座面同士をくっつけるようにしていたためか、上に乗っている方の椅子がじたばたと『足』を動かし、やがてエイヤッと反動を付けて椅子から降りて床に立った。そのままトコトコと床を走り、私の後ろにやってくる。
椅子は私の後ろでブレーキをかけて止まるとそのままつんつんっと私の膝の裏を突いた。座れ、という意味らしい。反対する理由もないので、「失礼します」と言いながらスカートを抑えておしりを乗せると、椅子は私を乗せたまままた少し走り、団長机に近い所で止まった。
そうすると、当然、ルブルムさんの顔が至近距離に来るわけで。
「……っ」
カウンターという防壁無しにじいっと見つめられるとやっぱり反射的に身がすくむ。
原因はわかっている。自分の父親だ。私の両親は世間でいう『毒親』であり、父は暴力を振るう人、母はやたらと拘束してくるわ、かと思ったらいきなりネグレクトしてくるよくわからない人だった。
暴力の方は体が大きくなってきた中学生くらいで少なくなったけど、成人してからも、怖い顔をした男の人はなんとなく苦手になままだ。漫画やゲームでなら「強面のイケメン」で済ませられるものも、リアルで相対するとどうにも身が竦んでしかたない。
もちろん、こんなことは他人には言えっこない。なので私は嫌な音を立てる心臓を意識して沈め、仕事モードに切り替えて微笑んだ。