4 フェデラム騎士団の魔法使い
ぱっかりぱっかりと非常に牧歌的な音を立てながら、朝の街を進んでいく。
最初に行くのは商人ギルドだ。裏手に回り、クララから降りてスカートの乱れを直す。身だしなみを簡単に整えてから勝手口の戸をノックすれば、すぐに飯炊きの使用人さんが顔を出した。
「おはようございます。イーストのパン屋です。パンをお届けに上がりました」
「おはよ、今日はテーヌさん一人かい?」
戸から首を出した使用人さんが尋ねてくる。それに首肯を返すと、彼は少し目を細め「えらいねぇ」と言った。
「じゃあ、いつものお願いね」
「はい。料金は1ネックと15ペグと23フレットです」
「はいよ。確認してくれ」
使用人さんが革袋を出してくる。受け取り、中身を改める。
金貨一枚と銀貨十五枚、それと銅貨を三十二枚確認した。
「はい、確かに。それではパンを搬入します」
「俺がやるよ。女の子にさせる仕事じゃない」
「メアリーさんと来たときは一度もそんなこと仰いませんでしたよね……?」
「耳が痛いなぁ!」
ははは、と笑いながら彼は荷車に歩み寄り、大きな籠を四つ重ねたものを取り出した。私がイーストさんに進言して、スタック機能を付けるために底と表面に合致する凹凸を付けた籠である。簡単に言うと、重ねられるファイルケースの超でかいバージョンにして、パン屋でよく見る薄黄色のケースだ。
「熟々思うけど、これ、いい発明だよね」
「ですよね」
「テーヌさんがこんなものを発明できるとはねぇ」
「いや、私が一番最初に思いついたわけでもないんですけどね……」
私がこの籠を作ったのは一ヶ月も前のことだ。配達の際、荷車に一段分しかパンを載せられず、何度も往復するのが不経済だと思って縦に詰む(スタックする)機能をつけることをイーストさんに進言し、面白がったイーストさんが採用して色々がんばって作ったのである。
その際、配達で向かった商人ギルドの人間がこの箱に注目した。籠という木よりも軽い素材のくせに、中にものをいれた状態で縦に重ねる機能を持っているこれは、彼ら曰く流通革命をもたらすものにして、とってもよく売れそうな商品らしい。彼らは発明者である私に「これの詳しい構造を教えてくれ」と詰め寄り、私も別に秘密にするようなものではないと思ったのでぺろっと教えたのだ。
まあ、そんなことはどうでもいい。だって流通革命とか私が特に気にしたいことではないですし。
私はパンを運び込み終わってダベりモードになった使用人さんと、その使用人さんの声を聞いて出てきたギルド長さんの熱い革命語りをぶった切り、次の配達場所に向かった。
次の場所は冒険者ギルドである。現代人には馴染みがないものだが、ファンタジー世界ではおなじみのアレだ。
いるのは文字通り冒険者さんたち。あと、彼らの活動を支援し援助するギルド職員さんたち。私がパンを配達するのは、併設されたギルド酒場の方である。
「おはようございますー」
「イーストさんか。上がってくれー」
石造りの建物の裏手に回り、荷車を開く。えっちらおっちら籠を運び、中で会計を済ませると、酒場の親父さんは私の周りをぐるりと見て目をちょっとだけ見開いた。
「今日はメアリーさんはいないのか」
「ええ、今日から私一人で配達することになりまして」
「おや偉いねぇ」
「いや、これくらい普通ですし」
こっちの世界では、成人年齢は十五歳である。十五になったら一人前に仕事をするのだ。翻って見れば、私の年齢は三十二歳。こっちの基準でいけば成人かける二プラスちょっと、である。一人前どころか二人前でもおかしくないのだ。
なのに、私は漸く半人前くらいの仕事を任せてもらったばかりである。
その評価は不本意だ、という意思を込めてじっと親父さんを見つめてみれば、彼は茶化すような顔をして「おお、すまんすまん」とおどけて謝った。
「割増料金戴きますよ」
「それは勘弁してくれや。ほい」
ちゃりんちゃりん、と音を鳴らす革袋が差し出される。それを受け取り、いつもの金額が入っていることを確認し、私はギルド酒場の裏から出た。
いや、出ようとした。
「ああ、ちょっと待ってくれ」
「はい?」
呼び止められて振り返る。視線の先にずいと差し出されたのは、ギルド酒場で仕入れてはいるものの、ギルドの受付の方で売っている保存食用のパンだった。カンパーニュとかいうやつである。保存に特化したパンであり、大量生産大量消費社会であった現代ではあんまりお目にかかったことのないパンである。
このパンは、保存用と銘打つだけあって長期保存された上で食べられる。だから最後に食べる頃にはパンがかちかちになっていて、非常に、それはもうひっじょーに食べにくい。
それをパン屋で働いている故に「売れ残りの味」という意味で知った私は、差し出されたものを見てこてりと首を傾げた。
「どうしましたか」
「これをさ、時間経っても美味しく食べられる方法ってないかな」
「スープに漬ければよいのでは」
「それ以外で!」
無茶ぶりである。この人は私のことをクック○ッドか何かかと思っているのではないだろうか。
でも、こうして頼まれると考えてしまうのが私である。新卒時期にやっていた生活保護のケースワーカー経験の条件反射みたいなものだ。それともかNOと言えない日本人の血と言ったらいいのか。どっちにしろ、私は歩き出していた足を止めた。
どうにかできないか、と考えること、暫く。私はぽんと手を打って「じゃあ」と切り出した。
「フレンチトーストにしてみればいいんじゃないですか」
「何だそれ」
「フレンチなトーストです。卵に浸して食べるの」
「よくわからないんだが……」
たまご……? ひたす……? と親父さんが呟きながら首を傾げている。
詳しい説明をしてあげてもいいのだが、生憎私は仕事中である。いいよね、仕事中って言葉。どんなおしゃべりも一気に切り上げられる魔法の言葉だと思う。
なので、私はその伝家の宝刀をすらりと引き抜き、会話をぶった切った。
「すみません、今私、仕事中なので」
「そうだな。引き留めて悪かった。そのうちまた来てくれ」
「そのうち」
そのうち、と書いて「よっぽどの用事が無い限り基本的には行かない」というのが日本人言語である。ホンネ=タテマエ・スキルともいう。
とことこ小走りでクララに戻り、時間がかかったことに「何してたの」と言わんばかりの目をしている彼女にごめんごめんと謝っておく。そのまま彼女の背によじ登り、次なる配達先へ私達は出発した。
ぱっかりぱっかりと響く足音は、街が目覚めて活気に満ちてくるのに比例して軽くなっていく。荷車の中身が減るのだから当然だ。
あちこちの配達先で、「ちょっといいかな」とか、「あの、聞きたいことがあるんだけど」と小さく尋ね事や頼まれ事をしたせいで、時間が中々かかっている。なので最後の配達先はクララにお願いして心持ち早歩きで向かっている。
その配達先の名前は、フェデラム騎士団。街の端っこにして、街を包むように立てられた壁の一部にめり込むようにして存在している砦のような建物である。
「こんにちはー、イーストのパン屋でーす」
裏手に回り、大きな門に向かって声をかける。おそらくは訓練所とかもあるであろう扉の向こうの空間から、がやがやという声が響いてくるので、心持ち大きめに。
けれど、私の大声程度では砦の中には声を届けられなかったらしい。いつまで経っても戸が開かない。
なので、私はもう一度、今度はもっと大きな声で叫んだ。
「こーんにーちはー!」
瞬間、がやがやの声が、ぴたりと止んだ。
「んお」
スイッチを切ったようにぴたりと止んだために、少しびっくりしてしまう。私の声で何か変なことが起こったのかしら、と思って少しおろおろしていると、すぐに勝手口の戸が開いた。騎士様!という、誰かが誰かを咎める声とともに。
開いた扉の向こうにいたのは、大きな体を持つ男性だった。見上げた先にあるのは、燃えるような赤毛と、明るい夕焼けのような橙色の瞳。それらがあるのは、逆光気味になっていても尚よくわかる、イケメンだけどめちゃくちゃ怖い顔の中。
「ヒエッ」
助けてくれたことには感謝していても、容姿がおっかなすぎるから、目にした瞬間条件反射で何か身が竦んじゃう。そんなルブルムさんだった。
ルブルムさんは、扉を開けると同時に私の口から漏れた「ヒエッ」の声で傷ついた顔をした。謝ったのは言うまでもない。でも、同時にちょっとした疑問が心の中に生まれた。
(なんでこの人、私の声でここに来たのだろう)
疑問について色々と考えつつ、ルブルムさんの後ろからわらわらでてきた使用人さんたちにパンの運搬を任せて首を傾げていると、ちょいちょい、と肩をつつかれた。
後ろを振り向くと、私の背後には、いつからそこにいたのか全く解らないヴィルディさんがいた。いつものフード付き白ローブを被っている。
振り返ると同時に、別の方向から聞こえてきた「アゾート様」という声で、ルブルムさんが呼ばれて去って行く。彼が消えたことで体のこわばりを解けた私は、なんとなく肩をまわしてヴィルディさんに向き直った。
「この後ちょっトいいデすカ。お時間ありますカ」
目深に被ったフードの下から見える唇が、言葉を紡ぐ。最近、彼の言葉が他の人と違って何か訛りのようなものがあるのだと気付いた。その、少し癖のある声が、私は結構好きだったりする。
でも、好きだからってそれにふらふらついていけるわけがない。なんせ私は仕事中。社会人は自分の趣味嗜好で仕事を放り出したりしないものである。
「無いです。帰ってお店を手伝わないと」
故に私は腕でバツを作り、首を横に振った。途端、フードの下の唇が、ゆるい上弦の月の形から富士山の形になった。への字ってやつだ。
「むむウ。ルブルムの奇行につイテ教えてアゲようと思ッタのニ」
「それはちょっと気になりますけど、私、これでも仕事中なので。お仕事をほっぽり出すわけには参りません」
「勤労ナ方ですネ。嫌いじゃありませんケド、融通が利かナイ」
ヴィルディさんはそう言って、袖から出した手を振った。そこにひらりと薄茶色の紙が現れる。羊皮紙、ってやつだ。それの切れっ端って言った方がいいのかもしれないけど。
動きに釣られてそれを見ると、その表面には何やら魔方陣のようなものが描いてあった。
「これは小型巻物とイうものでス」
視線を感じてか、ヴィルディさんが説明してくれる。彼はそれをぎゅっと握ると、空に放り投げた。
音もなく燃え上がった炎が、その紙を包む。数秒経って、炎は形を変えて鳥の姿になった。
鳥は二三度羽ばたくと、パン屋さんの方に飛んでいった。ぽかん、と口を半開きにしてそれを見て居ると、鳥を見たらしい騎士団の人がうわあ、と声を上げた。
「さっすがカラド様。小型巻物を雑事使いするなんて」
「え、あれすごい魔法なんですか」
思わずその人に尋ねると、彼は「知らないんですか」と驚いた顔をした。だが、彼が説明をする前に、ヴィルディさんが「ちょっト!」と抗議の声を上げてきた。
「なんデそいつに聞くンデスカ。使った本人に聞くモノでショウ、こういうのハ!」
「え、だってヴィルディさん、これを会話のきっかけにして私と話そうとしてるから……」
あからさまな罠感のある行動すぎるんだもん。それに態々嵌まりに行くほど私は馬鹿ではない。
そういうことを、この一言と「私はあなたを疑わしく思っています」という目線で伝えると、彼はちょっと固まった後、ふん、と鼻を鳴らした。
「全く、扱いにくい人デス」
「そりゃこっちの台詞です。ちゃんと言って下さいよ、私にそれなり大事な用事があるからちょっとこの後居残ってくれないか、って」
「そう言えバあなたは残ッテくれるノですカ」
「いいえ。仕事中なので、お店に戻ります」
ばっさり切り捨てると、ヴィルディさんは口をはっきりへの字にして「私アナタのこと嫌いデス」と言ってきた。おちょくられて思わずそういう直球が出ちゃう所、私は結構好きですよ。