29 万事休すといわざるをえない?
ブロークンハートを抱え、場に見合わずいじけて地面にのの字を書こうとした私を、大きな掌が肩を掴んで止めてくる。誰だろうと思うと同時に振り向けば、そこには痛ましいという文字を顔に浮かべて隠しもしないルブルムさんがいた。
もちろんそっと目をそらした。だって、だって、ルブルムさん、全身血まみれだったんだもん。
「はぅあ゛あ゛あ゛」
「ルブルム、子女が怯えマス。体洗ってきなサイ」
「今はそういう場合じゃないだろう」
ごもっとも。
確実に夢に出てきそうなルブルムさんを見ないようにして、こくこく頷き、ルブルムさんを見ないためにヴィルディさんを凝視する。彼は私の顔色が横になる人達とは違う理由で悪くなっていくのにちょっと呆れたような雰囲気を醸し出したが、すぐに小さくため息を吐いた。
「この傷ハ」
言いつつ、白い指先で、シフルさんの右腕を指さす。包帯でぐるぐる巻きにされたそこは、とっても不穏だ。
「一言で言うト、呪いデス。効果は、噛んだ対象の眷属化、もしくは同族化。それが叶わぬ相手なら、自分より弱けレバ、死をもたらしマス」
傷ではなく呪いか。そう考えると、なるほどしっくりくる気がする。
ヴィルディさんが使える『生命魔法』ってのは、聞いた印象から察するに肉体に対して作用するものだ。肉体の範囲でいえば、例えば脳震盪や風邪なんかもなんとかなるっぽい。でも、呪いっていうのは肉体云々のお話じゃない。むしろ、魂とか、精神のお話だ。オカルティズムっていうのかな。だから効かないってことなんだと思う。
例えで説明してみると、ヴィルディさんが持っているのはどんなウイルスにも効く魔法の薬なんだ。錠剤の形をしていて、飲めばどんな病も怪我もたちまち治る万能薬。でも、彼の目の前にあるのはウイルスはウイルスでもコンピューターウイルスに冒されたパソコンさんであり、人間ではないのである。USBポートに錠剤を突っ込むわけにはいかない以上、人間のお医者様であるヴィルディさんにはパソコンの病気は治せないのである。
「呪いってんなら解けるのでは」
「エエ。神聖魔法がアレバ、ですガ」
「?」
なんか、聞いた覚えのない魔法がでてきた。
こて、と首を傾げて疑問を示すと、私が「わかんねぇっす」という顔をしたのを雰囲気で察したらしいルブルムさんが、騎士の一人からもらったタオルで手早く血を拭いてから教えてくれた。
曰く、魔法、っていうのは、私が教えてもらった七つの位階の魔法の他にもあるらしい。それらは纏めて『特殊魔法』と呼ばれている。数だけみればこちらの方が多いそうな。ただ、その魔法は魔法といいつつ魔力のない人間に発現したりなんだりと法則性規則性が殆どなく、謎に包まれているそうな。しかも、その魔法は殆どが七つの位階の魔法の下位互換であり、殆ど意味のないもの、らしい。例えば『洗濯魔法』。衣類を洗濯できるだけの魔法。第一魔法・生活魔法『洗浄』の下位互換だ。
でも、いくつか非常に重要な特殊魔法もある。その一つが神聖魔法というもので、これの中にある『解呪』という魔法が、呪い全般を解いてくれる魔法なんだそうな。この神聖魔法は厳しい修行の果てに後天的に会得できるとわかっている数少ない魔法であり、主に神官が持っているそうな。
それがあれば、『咬傷魔法』による呪いを解くことができる。それは確からしい。でも、この街には神殿もなければ神官もおらず、さらに、ヴィルディさんはこの魔法を持っていない。
だからヴィルディさんは治療できない、という結論に至るらしい。
「なるほど」
説明にあれこれと自己解釈をつけくわえ、私は彼の説明を理解した。当人もよくわかっていない所から、この『特殊魔法』がかなり未知の存在であることがよくわかる。でも、だからってこんなややこしい説明をほったらかしにしておいていいわけがない。
私は腕を組んで頷きつつ、内心で自分がわかりやすい説明を組み立ててみた。
(不思議現象を起こすものをなんでもかんでも『魔法』って呼ぶからわけわかんなくなるのよ。七つの位階の魔法だけ『魔法』って呼べばいいの。他のは魔法じゃなくて『技術』とか呼べばいいのよ。だって、魔力がなくても使えるなら、それは魔法ではないじゃない)
遺伝が重要で、可能性に満ちあふれ、使い手を非常に選ぶもの。それが魔法。
遺伝が全く関係なく、持つか持たないか、有用かそうではないかも博打じみたもの。それがスキル。
で、噛み傷による呪いはスキルによるもの。魔法ではなくスキルでないと解けなくて、だから神聖魔法っていうスキルが無い現状困っているナウ。
それでいいじゃない。
(なるほど理解した。それじゃあ確かにシフルさん達を助けることはできないなぁ)
この街から最も近い神殿を有する街は、ここいら一帯の領主様のお屋敷がある領都らしい。そこに至るまでに馬で三日はかかるそうな。でも、一日もあればこの場の七人は呪いに飲まれて狼の気を持つナニカになるか、死ぬらしい。
塞がっている。これはもう、完璧に塞がっている。
「『万事休す』ってやつか」
相当する言葉がわからないので日本語で呟くと、ちら、とヴィルディさんがこちらの方を向いた。どうやら私の諦めモードを察したらしい。
いつもなら綺麗なブイ字を描いている口が、歪んでいる。彼はその歪みを少しだけ開き、悔しそうな口調で言った。
「一応、方法が、無いわけデハないノデス」
「え」
「但し、成功確率は五割。更ニ一人にしか試せまセン」
「おい」
それは方法とは言わないんじゃないだろうか。
口をへの字にしつつ視線で言うと、私の横に回り込んできていたルブルムさんが「聞くだけ聞こう」と言った。
「具体的には?」
「呪いに犯された部分ノミ切り落とし、生命魔法で生やしマス」
豆苗かな?
「え、本気ですかそれ」
「本気デス。但し、補助魔方陣も触媒もナイので、私一人デやらねばなりまセン。傷を治すナラまだしも、失ったモノを一から生やすとナレばとんでもない量の魔力ガ必要になりマス。一人救えるカどうかモ怪しいデス」
「生やさないで傷を塞ぐという選択肢は?」
「生憎犯された魂の部分ごと器を斬るノデ、その後に器を継ぎ足して魂の受け皿を作らネバ、魂に傷が残ってしまいマス。その案は却下デス」
お茶碗が真っ二つに割れた場合、傷の少ない方のお茶碗に板をくっつけて「補修」しても、それは「お茶碗」とはいえないだろう。ご飯を満足によそえないし、フォルムだって変わってしまっている。それはいけないことだ。だから、ちゃんと元の形に直さなければならない。
「なるほど。で、人の体を再生させるような術はヴィルディさんでも非常に大変だと」
「一応言っておくが、そもそも人の体を一人で再生しうるのが規格外だからな」
つっかえねーな!みたいな雰囲気をしていたのがバレたらしい。釘を刺すような口調でルブルムさんに言われた私は、何と返答したものか迷った挙げ句、曖昧な愛想笑いをするに留めておいた。