25-1 街を襲う異形の民(ヴィルディ視点)
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時は少し戻って、襲撃が起こる寸前の頃。
夜の灯りに使う蝋燭も油も高い辺境の地において、生活魔法一つで夜の光源を確保できるヴィルディは、個人的な書類を作るために夜中まで作業していた。
最終研修とは名ばかりの三年の騎士任務が間もなく終わる。最初のあれやこれたの研修期間を含めると倍の六年。人の人生において決して短いとは言えぬ時間だ。
六年前、ヴィルディはルブルムがその時間を騎士として生きると聞いた。家の事情でどうしても伯爵家の主としての仕事をせねばならず、けれど有り余る剣の才を持ってしまった男が、その才を存分に輝かせる猶予期間を与えられると聞いた。
その猶予期間に付いていくため、ヴィルディは魔法院を飛び級し、十八で卒業し、騎士団入りを志願した。魔法を使える人間は基本的には前線に出ない。騎士団などという最前線に出るのは、魔法使いとは名ばかりの、生活魔法や防御魔法等といった低位魔法の使い手達だ。大きな戦いでは魔法攻撃の砲台として登用されることもあるが、それとて騎士団所属ではなく魔術院からの出向という形で出てくるのが通常である。
魔法を使える人間にとって、騎士団とは他に行くところのない場合に仕方なく選ぶ場所なのだ。最優秀の主席を、しかも飛び級して取った人間が行く場所では、もちろんない。しかしヴィルディはそれを志願した。
彼は前例無き蛮行に合理性を持たせるため、「前線における戦闘時及び非戦闘時の魔法使いの有効的活用法考案のための情報を集る」という理由を挙げた。これがなんだかんだで認められ、ヴィルディは魔法院初の十代の騎士団所属の魔術師となったのである。
それだけのわがままを通した手前、ヴィルディには先に述べた『情報』の成果を報告書を書かなければならない。もちろん、ヴィルディの挙げた『理由』が彼が幼馴染にくっついていくための言い訳に過ぎぬことは王も騎士団の上層部も理解しているだろう。しかし、さりとてそれに甘えて報告書という名の成果を上げなければ、今度の活動に支障を来すおそれがあるやもしれない。それ故ヴィルディは羊皮紙の上でせっせと羽ペンを踊らせているのである。
長時間同じ姿勢で書き物をしていると肩と首が凝る。凝りを取るために、ヴィルディは少し首を挙げて天井を見た。
こきり、と小さな音がした。音に遅れて、姿勢を変えた途端停滞していた血が巡りだし、す、と肩が涼しくなる。
首周りの内側から溢れる清涼感を感じつつ、ヴィルディはこの書類に手を付けた理由に思いをはせた。
「明日ですカ……」
ぽつりと呟いた、明日という文字。これには大きな意味がある。明日の夕刻頃、ルブルムとヴィルディの代わりにこの地に就任する次期団長の人間がやってくるのだ。気心の知れた部下達とともに。それから二ヶ月かけて緩やかに引き継ぎをこなし、任務に穴を開けぬようにして、二人は代わりにこの地を去るのである。そして、この退去はそのまま汗と血のにおいがする騎士団からの退去をも示している。
それは三年前からわかっていたことだ。けれど、三年前にはわからなかったこともある。二ヶ月後の帰都に「オマケ」がついてくることだ。
「オマケ」の種族は人間。名前はテーヌ。性別は女。黒髪黒目という人類に二人とおらぬ遺伝的特徴を持つ『新しい血』を持つ存在にして、人間の中では随一の魔力を持つ存在。どうやら魔法の概念がないド辺境の国出身らしく、頭の中には魔法を使わない様々な知識があるらしい。そのド辺境から魔法で転移させられたらしく、戻る場所、つまりは彼女を指して「これを返せ」と言ってくる存在はいない。
まとめると、いくつもうまみを持っていて、どこを使っても美味しい、奇跡のような逸材ということになるだろうか。御伽話に出てくるべき類の存在だ。
惜しいのは見目が平凡なことと、時折自分とルブルムを背筋が寒くなる目線で見つめてくることくらいだろうか。あの視線と一緒に呟かれる異国語は、意味など一切わからないにもかかわらず、下っ腹がきゅっとなるような寒気を自分にもたらしてくる。
つらつらと芋づる式にあれこれ思い出している途中でヴィルディはフードの奥で顔を引きつらせた。
「ウウ、余計なコトを思いだしマシタ」
母にも父にも似なかった異国風の顔立ちを少しでも隠すため、ヴィルディは常にローブのフードを目深に被っている。作り出す影で目元は見えず、また、見える口元だって常に浮かべている笑みで内心を悟らせぬのに一役買っている。貴族社会において表情をごまかし内心を隠せるというのはかなり有用で、ヴィルディはこれで魑魅魍魎蠢く世界を泳ぎ生きてきた。故に彼には「他人に心を悟らせない」という点において、かなり大きな自信を持っている。
だというのに、テーヌのあの目はそんな自分の内側をまるっと透かし見ているようで非常に落ち着かなくなるのだ。
まるで、彼女の前では自分は何も身につけていないかのような。そんな、羞恥とも恐怖ともいえぬ何かを煽ってくるあの目。あの目だけが、どうにもヴィルディは苦手であった。嫌いではない。ただただ、苦手であった。
「考えるのやめまショ。うん」
彼は知らない。その目の正体が所謂『腐女子の目』であり、彼女の目は(妄想の産物ではあるが)確かにヴィルディの素っ裸を見てしまっていることを。見た上で、それを愛でていることを。もっというと剥かれた体があはんうふんなことになっていることを。その後継を彼女は熱と冷静さを同時に含んだ目で見て「どっちが上なんだろうか……」と意味深なことを呟いていることを。
この辺を密に描写することは可能だ。しかし、年齢制限を引き上げねばならなくなるので自重しておこう。たった一つだけ自重の隙間にねじ込んでおくと、テーヌはどっちが上でも美味しく戴ける自信があるが、どちらかというと華奢な方が受けの方が好みである。
ヴィルディは鳥肌の立った二の腕をローブの上からさすった。少しでも熱を与えるために。そうして暫く自分の体を温めていると段々と落ち着いてきたが、そうしているうちに書くべき書類に向かうための集中力はすっかり霧散し夜の空気に溶けてしまった。元が眠い目を無理に開いて掻いていたものなので、こうなってはもう先など一字も書けっこない。
元が要らぬ書類であることも相まって、ヴィルディのやる気は冒険者の酒杯の中身が無くなるのと同じくらいの速さでなくなった。
「もーいい。辞めタ。明日にしまショ」
ため息をつき、生乾きのインクが光る羊皮紙を一番上にして重ねる。そのまま自室の机の引き出しの中に放り込み、伸びをして……そこで彼ははっと思い出した。明日の約束を。
(そういえば……)
魔法を教える、という約束をした。不思議な目をする娘に。いや、八つも上らしいから、不思議な目をする女性といった方がいいのか。
伸ばした腕を組み、考える。その約束をどう果たすべきか、と。
(あの様子デハ魔力の認識はナイでショウ。そこから、というのは……手っ取り早く命の危機デモ感じてくれれバよいのデしょうガ。生憎そんなコトできまセンしネェ)
魔力、というものにはいくつか特徴がある。その一つは女の血によって受け継がれることである。大きなものをもう一つ挙げるとすれば、それが一つの明確なエネルギーであり、かつ、実体を持つものであることか。
魔法使いはそのエネルギーを触って動かせる。どうしてなのかは未だに解明されていない。そして、ここからが重要なのだが、魔法使いになるにはまずこのエネルギーを「触れる」と認識することが大切なのだ。全ての魔法教育は、この認識を前提として構成されている。
例えば、素晴らしい絵を描ける才能を約束された人間がいるとする。しかしその人間には生まれつき視力がなく『視覚』という感覚器官が欠損していた。そうなれば、絵を描くどころの話ではないだろう。君は素晴らしい絵を描けるんだ、などと言われても「絵って何?」という反応をするしかなく、その才能は開花することなく墓場の冷たい土の下で永久の眠りにつくしかなくなるだろう。
魔力を持つ者達は、物心つく前から魔力を認識している。言葉を覚えるよりも先に魔力の作る不思議な現象で遊び、ある程度大きくなってから「目で見る感覚を視覚と言い、いつも使っている目に見えぬ力を魔力と言う」と覚えるのだ。その段階は初等教育よりも前に済ませる段階であり、もちろんヴィルディも済ませたものである。
しかし、テーヌはそこで引っかかっていると考えられる。魔力を今一認識できていないように見えるからだ。
テーヌの反応かを思いだし、ヴィルディは白いローブを脱いで寝支度をしながらうーんと唸った。
ローブを脱いで露わになった首と両手首を飾る魔法道具が、ランプの中で座っている火の精霊の光で煌めき、金色の輝きを部屋のあちこちに反射する。きらきらするそれを見るともなしに見ながら麻の寝間着に首を通す。なんとなく落ち着かないという理由でフード付きのそれは、もちろん特注の一着だ。寝間着すら特注のくせにその素材は麻という微妙に平民仕様なのは、単純に麻が頑丈であり耐久性に優れた素材だからである。
すぽりと着てフードを被り、白い首元を隠すように胸元を合わせれば、首や手首の輝きはすぐに見えなくなった。
輝きが落ち着いた所で、ほう、と息を吐き、ランプに声をかける。
「ありがとうございマシタ」
すると中にいる火の精霊はこくりと頷くと自分でランプの蓋を開けて外に出てきた。そのまま、数度ヴィルディの周りを飛び回り、すぐにふわりとかき消えた。
唯一の光源が消えることで、部屋に別種の明りが満ちる。満月の輝きだ。
砦らしい小さな窓から差し込むそれに橙色の目を細め、ヴィルディは窓に近づいた。一応かけてあるカーテンを引いて、月光を遮るためである。
だが、布地に手を触れ、掴んだその時。見るともなしにそこから見える夜闇に沈む街並みをみていたヴィルディの目に、ふ、と灯りが灯るのが映った。
「うん?」
時刻は日付が変わる頃。今から灯りを持って出歩くとは考えられぬ時間である。遅くまで開いている酒場から酔客が帰ると考えれば納得できそうな気がするが、そんな客はそもそも火を用いる灯りなど持たない。
「──」
無視するのも落ち着かない。小さく呪文を唱える。自分の体の中に魔法を組み立て、発動する。今の自分に可能な最大限界の魔法、生命魔法で目の構造を変えるのだ。
より遠くが、よりはっきりと見えるように。月光が照らす橙色の双眸が、ぐわりと形を変えていく。ヒトの目から変わったそれをずいと細めた次の瞬間、彼の目は驚愕に見開かれた。
「な!!!」
理由は簡単だ。街の中にある大井戸の一つから亜人族が現れるのを見てしまったからである。たいまつの代わりに森の奥に生える夜光茸(ちなみに毒茸ではないが美味くもない)を腰に付けた彼らが、恐らくは音も無く続々と這い出してきているのだ。
考えるより先に手が動いた。カーテンを離し、両手で空中に魔方陣を描く。一つは使い勝手のいい風の精霊に騎士団の大鐘を打たせるため。もう一つは、現場に急行するためにこの場この部屋この壁に穴を開けるためである。
書き上げたそれらに魔力を通す。発動と同時に緑と青色に煌めいたそれらのうち、緑の方からは髪の長い女の形をした風の精霊が現れた。ドアの隙間からするりと抜けて突風の姿で鐘に向かう。青い方からは、精霊ではなく水の剣が現れた。
空中にずるりと吐き出されたそれを手に取る。刃先を非常に鋭くできる代わりに維持に莫大な集中力を使うため、数秒しか持たぬ剣だ。もたもたしている暇はない。
「はぁっ!」
気合いの入ったかけ声とともに剣を分厚い石壁に突き刺す。そのままぐるりと回しきった所で剣がばしゃりと水に戻った。
剣の入った部分を、寝間着の裾を翻しながら右足で勢いよく蹴飛ばす。がこん、という音とともにすっぽ抜けたそれが外に落ち、人一人通り抜けられる穴が出来た。迷わず飛び込み、飛び出せば、その先は高さ五メートルを超える高所である。
自由落下する前に別の魔法を発動し、大きく響く鐘の音と一緒にまた風の精霊を出す。今度は二体だ。片方の背に飛び乗りつつ、もう片方に「ルブルムに連絡ヲ。狼人族の襲撃を確認。大井戸カラ出てきていマス、と」と言づてを頼み、自分はそのまま現場に向かって飛んでいった。