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14 平和な街ではなく前線都市

 フェデラム騎士団から出ると、すっかり太陽の位置が変わっていた。入る時は中天からちょい東よりの所にいて「よっおはよう」と手を振っていた太陽が、出てきた時には西の空で「今日もがんばったねおやすみ~」と言っていたのだ。言うまでもなくびっくりした。そんな長時間あの場所にいた、ということに。


 夕焼け色に染まり始めた街の中を小走りで帰る。拙い整備でぼこぼこの石畳を飛び移るようにして走れば、すぐに仕事先兼我が家であるパン屋が見えてきた。石を積んで作った頑丈そうで耐火性能が高そうな建物だ。ただしそれは一階部分だけのお話である。その上に建つ二階部分は、石ではなく煉瓦を積んで作られている。頑丈であることは確かなのだが、基礎が続いていないことを考えると、火はともかくとして地震には滅法弱そうである。

 石造りの建物の、入り口の横にかかっている木の板には「イーストのパン屋」であることを示すパンの絵がかかっている。識字率の低い辺境の街では文字よりも絵の方が見て理解されやすいからだ。そこからさらに視線を横にずらせば、木造の馬小屋がある。このパン屋と馬小屋とこれらが建つ土地がイーストのパン屋の不動産である。

 馬小屋から馬の気配が漂ってくるのを感じてクララの帰宅を確認しつつ、二つの建物の間にある階段を駆け上がる。一階がパン工房兼パン屋さんであり、二階が住居だからだ。後付けの木製の階段を軽やかな足音とともに上がれば、小さな玄関と、そこに飾られたドライフラワーと蔓で作った小さなリースが私を迎えてくれた。


「ただいま戻りました」


 リースを揺らして玄関ドアを開け、中に飛び込む。靴は脱がない。家の中という空間を土足で歩くことに関する違和感は、一週間で消失した。もはや懐かしい記憶だ。

 廊下を進みつつ外套を脱ぎ、台所に通じるドアの横のコート掛けに引っ掛ける。

 軽く衣服をはたいて埃を落とし、ドアを開ける。台所に行けば、そこにはメアリーさんがいた。どうやら夕飯を作っているらしい。


「おかえり。遅かったねぇ」


 まだ日が沈むには時間があるが、日が沈んだらだいたいそのまま寝る時間なので、私の帰宅は結構遅い部類に入る。それを暗に指摘する言葉に、私はぺこりと頭を下げた。


「申し訳ありません。今日の仕事ができなくて」

「騎士様の用事でしょう? ならいいわよ、気にしないで」


 柔らかな金髪を揺らしながら、メアリーさんが穏やかに笑う。ダイニングテーブルで皿などを並べていたイーストさんも笑って同じようなことを言ってくれた。


「俺達を守って下さる騎士様のなさることだ。むしろ逆らっちゃだめだよ」


 従順な民らしい台詞だ。どうやらこの街の住民は騎士に守られている、という意識が強いらしい。

 所謂役人的な立場の存在が生活を守っているという認識を庶民が持ってくれていることは、元公務員としては仕事がやりやすそうで嬉しい限りだ。しかし、それはつまり、役人に接すること、感謝されるようなことが日頃から多い、ということだ。

 騎士という存在を多角的に観察するにあたって、別視点からの情報は有益だろう。そう考え、私は夕飯の配膳を手伝って二人の機嫌を整えつつ、騎士について聞いてみた。


 ちなみに私が彼らの食卓にお邪魔しているのは「部屋代込み三食昼寝付き身元問わず朝から晩までそれなり労働で月に金貨一枚」という労働条件に私が頷いたからだ。雇用契約の範囲内ってことである。ただ、ぶっちゃけたことを言うとごはんはあまり美味しくない。やはり中世時代風の食卓はワンコインでお得に美味しいものが食べられる日本人にはちと厳しい世界なのだ。


「騎士様のこと、ねぇ」


 今日の夕食はシチューだった。売れ残りのパンと一緒にもぐもぐ食べる。温かいスープの中には根菜がメインで浮いており、肉は少なめだ。その少なめの肉をさらにイーストさんに集めているため、私のスープ皿に入っているのは実質クズ肉とお出汁だけみたいなもんである。

 そんな肉をスプーンですくって口に含み、がにがにと噛みながら頷くと、イーストさんが昔を思い出すような目をした。


「数年前の話なんだがな。この街の横に、大きな森があるだろう?」


 声とニュアンスとタイミングから考えて、私が出てきた森のことだろう。

 がにがに噛んでちょっと柔らかくなった肉をがんばって飲み下す。ごくん、という音と喉がちょっとだけ感じた痛みに「せめて噛みきるべきだったか」と思ったが、まあ後の祭りといえばそうなので気にしないで水を飲む。お腹の中にお肉が落ちるのと、イーストさんがゆっくりと次の一口を飲み込むのは同じタイミングだった。


「あそこから亜人が出てきたことがあったんだ。あ、テーヌちゃんは亜人ってわかるか?」

「以前教えて戴いたのは、人を喰らう人に似た者達であり、人類の敵。ヴェネノム大森林の向こうに広がる大地を領土としているが、人があまりに弱くまた美味なために虎視眈々と人の世界を狙っている。あと魔物もいるから普通に危ない──って内容でしたね」


 漸く言葉がわかってきた頃、森で採集とかして生活の足しにしないのか、と問いかけたことがある。その時にありえない!と首を大きく振って答えられたのが、こんな言葉だった。

 人食いのナニカがいるとか聞いたら怖いし、実際私は喰われかけた。その言葉を実感していた私は、だから言われたことをよく覚えていた。


 諳んじた私に、イーストさんは大きく頷いた。


「そう。俺が教えたのは一般常識程度のことだし、王都の方じゃこんなの昔話みたいなものらしい。

 でもこれは実際にあったことなんだ。ある日森から獣人系亜人の狼人族が出てきてな。街を襲ったんだ」


 それは亜人族の先兵であり、彼らは丁度騎士団メンバーの交替時期──私の感覚でいえばそれは三月から四月にかけての年度替わりのごたごた時期らしい──を狙って森から出てきて街を乗っ取ろうとしたそうな。狼人族の狙い通り、騎士団の命令系統は混乱を見せた。もっとも、それは彼らが期待したレベルではなく、激しい戦いをするうちに騎士団は盛り返し、街の防衛に成功した。


 だが、その混乱で失われたものはとても多かった。街の壁が壊れたことにより、狼人族が侵入し、多くの命が喰われ殺され攫われていった。


 その中の一人に、イーストさんのご両親、そしてイーストさんとメアリーさんの一人娘も、含まれていた。


「……」


 食事中に聞く話ではなかったと思っても、もう遅い。


 しんみりどころかどんよりとした空気が食卓に満ちる。それから逃げたくて、私は与えられた部屋の妙な居やすさの正体に思いを向けた。今私がいるのは先に述べた通り屋根裏部屋なのだが、そこにあるベッドも、シーツも、なんだか妙に暖かみがあったのだ。ただの居候や客人を迎えるためとは思えないその優しさは、本当ならば彼らの娘に向けられているはずのものだったのだ。


「部屋、移りましょうか」


 察したことを考えて、その思考の果てに聞いてみる。

 きっとあの部屋は思い出のある部屋なのだろう。だったら異邦人の私で上書きするべきではない。もう大分手遅れかもしれないが、まだ残滓のようなものがあって、それは大事に残せるかもしれない。

 そう思って言ってみたが、私の言葉にメアリーさんはふわりと雰囲気を緩ませて首を横に振った。


「いいのよ。むしろ、このまま使いたいだけ使ってちょうだい」

「でも……」

「ファルテーヌが帰ってきたみたいで、うれしいのよ、私は」


 ファルテーヌ、というのが彼らの娘の名前らしい。通称は、テーヌ。

 奇妙な一致だ。私も、ここではテーヌと呼ばれている。もっとも、私が「テーヌ」と呼ばれるようになったのは彼らがそう呼ぶからというのが大きかったのだが。


「なら、このまま使わせていただきます。ああでも、そのうち私王都に行かないといけない? かもしれないので、そうなったらまた空きますが」

「王都に? なんでまた」


 穏やかになりかけた雰囲気から一転、メアリーさんの顔が歪む。


「騎士様からの要請で。なんでも、なんか、私の血? が、この国の騎士様を強くしてくれる? らしく?」


 流石に貴族や王族の愛妾になりに行くとは言えない。彼らが亡くなった娘の面影を私に見ているというのなら、尚更言えない。なのでふんわり「私もよくわかってないんですよ~」とアピールしつつそう言えば、彼らは「なるほどなぁ」と頷いてくれた。


「騎士様の要請なら、仕方ない。いや、光栄なことだ」

「テーヌが騎士様を助けるということは、テーヌが私達を守ってくれるのね」

「そーいうことになるんでしょうか。私はできることをして平穏無事にいきていくだけですよ」


 いつだってそうだ。それは彼らが私を娘のように思っていようとも、騎士様達がどう思っていようとも、変わらない。


 私はまず最低ラインとして平穏無事を希求する。その上で、可能ならば萌えを探求していくのだ。


「それでいいのよ。自分の幸せが一番大事なの。でも、本当に王都に行くことになったら教えてね。お祝いしましょう」


 メアリーさんがとても嬉しそうな顔で言う。その晴れやかな顔は好きだ。穏やかな一般人、という顔だから。元公務員として、こういう顔の一般人は好ましいのだ。変なクレームをつけてきたりしないし、大人しくルールに従って粛々と行政対応を待ってくれている、という意味で。


「はい、わかりました」


(──本当は)


 本当ならば、ここで私は彼らの娘への愛情に酷く感動するべき(・・・・)なのだろう。過去の亜人の行動に怒ったり、娘さんの分まで幸せになります!とか言ったり、或いは彼らを本当の両親のように思って甘える……はやりすぎにしても、距離を縮めるくらいはするべきなのだろう。

 でも、私にはそれができない。私の本当の両親というやつは本当にクソだったから、彼らに全く被らないのだ。両親という存在にどう甘えればいいのか、私にはわからない。


 だから私は彼らを好ましい一般人として見る。それが普通の他人に私が贈る最上級の賛辞であり、最も好ましいという意味を有する態度だから。


「……ごめんなさい、娘っぽいことができなくて」


 それでも申し訳ない気持ちは晴れない。なので空になった皿を前にそう言うと、彼らはまた首を横に振った。


「いいんだ」

「いいのよ。ファルテーヌは、ファルテーヌ。テーヌちゃんはテーヌちゃん。どっちも大事なうちの子よ」

「ええと、それなら、私は健康で長く働けるのが一番いいんですかね……?」

「そうね。王都に行くと決まるまで、改めて宜しくね」


 メアリーさんが手を伸ばしてくる。私も手を伸ばし、私達はどちらからともなくしっかりと握手した。まるで、最初に会った時、すぐに彼女が私を受け入れてくれた時のように。イーストさんは私達のやりとりを微笑ましいものを見る目をして見つめ、夕食のあと、「とっておき」らしいお酒を取り出してきて、夜遅くまで、それはそれは嬉しそうな顔をしてお飲みになった。




 そして、そんな酒の匂い漂う夜の中。


 屋根裏部屋でベッドに潜り、うとうとしながら眠りの気配を待っていた私の耳が、小さいながらもはっきりとした狼の遠吠えを聞いた。

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