10 目覚めの時
例えるなら、Twitterで交流していた神絵師が三月頃にした「はー今日卒業式だ緊張する!」という呟きを見た時のような。
しかも、それに添えられた写真が、どうみても、大学じゃなくて、中学や高校の教室の風景だった時のような。
そんな衝撃が脳天からつま先までを駆け抜けた。正直、角狼に追いかけられた時と同じくらいの衝撃だった。ぶっちゃちょっと泣いた。
「そこまで衝撃的でしタカ」
「うう、そりゃ六歳も年下の子にこれだけ迷惑をかけていればね……」
衝撃をいなしきって、暫く。漸く元の体勢に戻った私に、ヴィルディさんがいつの間にか入れていたお茶を差し出してくる。カップに入ったそれを両手で包み込み、じいっと指先を温めていると、なんとなく心が落ち着いてきた。
「そういうものデスカ」
「そういうものです。で、話の途中でしたね」
確か、魔力が多いことがいいこと悪いことどっちか、って話だった。年齢ショックが大きすぎて色々と忘れていた。
記憶の彼方にもう会えないであろう神絵師の記憶を放り出す。思い切りと潔さがいいのが私の美徳である。自称だけど。
「はい」
「フラーマ王国に身を寄せた時のデメリットは、女として、ちょっと看過しがたいものがありました」
「ではもう一つ。フラーマ王国から離れる、というノなら、王国に仕える者トシテ、私達にはアナタを拘束する動機がアリまス」
「こうそく」
「言い換えれば、保護ですネ。ここは対亜人戦線の最前線。危うい場所なのデスヨ。そんな所に、戦況をひっくり返しかねない存在を放置するコトハできマセン」
言われてみれば、確かにそうだ。
私に何ができるのかは、私にはわからないが、ヴィルディさんにはわかるみたいだし、ルブルムさんにもわかるらしい。ならば、イーストさんも言っていた「亜人」という人類が敵対している存在にも、私を利用する方法があると考えた方がいい。
例えるなら、私は『大富豪』におけるジョーカーみたいな存在なのだろう。何にもなれるし、どうとでも扱えるコマ。そんなもの、仮に私が戦争の指揮官だったら、多少の無理を押しても取りに行く。
でも、そうだったら。
「どのみちフラーマ王国に拘束されてしまうのでは?」
「イイエ。第三の選択肢がありマス。それは冒険者になることデス」
「ぼうけんしゃ」
私にとってはパンの配達先の一つである。それ以上でもそれ以下でもない。
ぶっちゃけたことを言うとだな。
「私、冒険者が何なのかわからないのですが。何してる人なんですか、冒険者って」
「冒険者ギルド支部が……ああ、その様子なら無いのデスね」
首を振り、ヴィルディさんはおおざっぱに説明してくれた。その成立から。
曰く、冒険者ギルドというのは大昔に冒険者と名乗る者達が寄り集まって作った団体、らしい。それは確かに組合の概念に合致するから、そうだろうな、と思う。
ただしその先がちょっとすごい。寄り集まった彼らは、皆強大な力を持っていた。たった複数人で魔獣や亜人を屠り、或いは悪人を討伐し、それによって金銭報酬や珍しいアイテムを手に入れて財をなした彼らは、同じようなことをしたがる者達のために組織を拡大。何者にも縛られぬようにと大きく大きく成長し、最終的に各国に支部を置く代わりに国からの干渉を受けない地位を築き上げることになった。
イメージとしては、駐屯地のようなもの、だろうか。ただし駐屯しているのは某国の軍人ではなく流浪の民である。
人は冒険者という肩書きを得ることで、国籍を有したまま様々な国に優先的に出入りできるようになり、彼らは好きな所に根を張って生活できるようになる。
仮に街で生きる冒険者に国家業務に従事するように強制命令を出した場合、冒険者を蔑ろにしたと判断され、ギルド支部が撤退するかもしれない。そうなると冒険者がその街から居なくなり、冒険者に出してこなしてもらっている討伐依頼などが処理されず、やがて魔獣被害や亜人の襲撃に街が飲まれてしまうかもしれない。
「そういう危険があるカラ、国は冒険者に手を出せナイ。だから、冒険者ギルドの保護を受けるという意味デ、冒険者になるのも手といえば手デス」
「それのメリットは先に言った自由の全てを確保できること。それのデメリットは、それ以外の全てを自分で調達しなければならないこと、ですね?」
「ハイ。付け加えておきますト、失礼デスが、私にはアナタが冒険者になれるとは思えまセン」
冒険者というのはふぁんたじーでよくあるように切ったはったが多いお仕事らしい。大怪我なんて日常茶飯事。指先をナイフでちょっと切っただけでああもぼたぼた泣くような貧弱な「小娘」には、できっこないものらしい。
「それは私も同意します」
「それと、これが最後の選択肢。全テヲ捨てて神殿に入る、というものデス」
「『尼さん』になるってことね」
出家するともいうかな。出家は最終手段だ。でも、ある意味で非常に具体的というか、わかりやすいと思う。だって現代にもその考え方はあったから。
でも、ヴィルディさんに言わせれば、これは一番おすすめできない道らしい。
「昔ならともかク、今の神殿ハ腐敗しきってイマス。神の教えを説くことは勿論、碌な治癒もできない癖ニ、それにすら金を取ったリ。そんな所にアナタのような『価値』のある人が入レバ、きっとアナタはあの蛆虫共にたかられマスよ」
「でも、望まぬ性行為とかは避けられますよね?」
「基本的ニハ。デスガ、神聖娼婦とされて仕舞エバ、結局は同じヨウナことを強要されマス」
神聖娼婦、というのは宗教上の儀式として神聖な売春を行う者のことだ。そんなものにされてしまえば、現代女性にとってはお先真っ暗な未来しか見えてこない。
「そしてその可能性は非常に高いデス。むしろ、神聖娼婦を異常解釈シテ『魔力を神から授かるための女』とされ、実質金を積んだ男達の種を受ける腹とされてシマウ可能性が高イ」
「気持ち悪ッ!!!!」
私は自分が腐っている(腐女子的な意味で)自覚はあるが、そこまで腐っているとは思っていない。人としての節度を保って腐っている、腐った蜜柑である。別の言い方をすると隠れ腐女子ってやつだ。
だから、そうやって、あからさまに腐っているものに対する嫌悪感は凄まじい。
まるで、街中のカフェでのんびりお茶をしていたら、後ろの女性グループが推しカプのR-18話を大声でしているのを聞いてしまった時のような。そんな不快感が身を包む。それにおもわずおげぇ、と嘔吐のジェスチャーをすると、真に受けたらしいルブルムさんが背中をさすってくれた。
「すまない。気持ち悪い話を聞かせてしまった」
「あ、いえ、お気遣いなく」
腐っているから、腐りすぎたものに対する嫌悪感もあれば、腐ったものに対する耐性もまたあるのである。
脂ぎったザビエルヘアーのいやらしい顔をしたモブおじさんがカソックを着てニヤニヤしているイメージを追い払う。具体的に言うと、その足下に真っ黒な穴を描いてボッシュートして消してしまう。そうしてイメージをある意味物理的に消して深呼吸し、私は心配そうな顔をしているルブルムさんの方を振り返って笑いかけた。
「大丈夫ですよ。ありがとうございます。顔に似合わずお優しい方ね」
「この顔はそんなに怖いか」
無理をして、笑おうとするルブルムさん。
そっちの顔の方が歪んでいて怖いです、と言う前に、ふむふむ言いながら口元に手を当てていたヴィルディさんのチョップがその頭に決まった。
「そっちの顔の方ガ歪んでいて相当怖いデス。まだ仏頂面の方ガ愛嬌を感じられる気がシマス」
(そこまで言っちゃうのか……)
ヴィルディさんの手を、頭の上に手を伸ばしたルブルムさんがガッと掴む。そのまま押さえ込みつつ立ち上がった彼は、手を引っ張り戻そうとするヴィルディさんに凄みつつお説教じみた言葉を述べ始めた。
「いつも言っているがお前は気安くなるとすぐ手が出る!だいたい……」
「アーはいはい」
時間が経つにつれ、この人達の関係が、予想以上に深いものだと見えてくる。
彼らは、隠し事などする必要がないほどの距離の近さがあると同時に、それを「仕事の場では」抑えることができる程度の社会的能力も備えている。社会人の礼節と幼馴染の気安さの奇跡のコラボレーションだ。事実、今日まで私は彼らがここまでべしべしできる仲だなんて知らなかった。
(……あ)
その事実に、不意に『きゅん』と来た。
やめんか、痛くはないが、やめろ、と言いながら、ヴィルディさんのローブから見える細い手首を掴んで引き下ろすルブルムさん。その男らしい手は、ともすると女のそれと見間違えてしまいそうなほど白くて細い手首など、きっと折ろうと思えばすぐに折れるだろう。
けれどそんなことはしない。だって、それは大切な友の体だから。
ヴィルディさんは、自分を殴って殺せてしまう体格の幼なじみに、遠慮無く手をあげるし足もあげる。でもそれは自分のそれでは相手の体は全く傷つかないとわかっているし、心だって、そんなことじゃ離れていかないと知っているから。言い換えれば、彼はルブルムさんには甘えているから。
たぶん、ヴィルディさんは自分がルブルムさんに甘えてるって自覚してる。自覚した上で甘えてる。ルブルムさんは気付いてない。幼なじみが気安くなるのは自分だけだと思っている。だからこそ、自分が受け止めてあげなくちゃ、と思って、彼の些細な暴力を受け入れる。
想い合っているといえば想い合っているけど、すれ違っているといえばすれ違ってるといえる関係。甘酸っぱくてもどかしくて、けどとっても見守りたくなる男の子達の関係。
(オウ、これは尊み判定イエスですわ)
顔がにやけて仕方ない。受け攻めは……いや、そこはまだ保留にしておこう。目の前に当人達がいる状態で脳内でセッさせるのは失礼だ。
はー、でも萌える。これは萌える。
萌え枯れしていた心にジャスト濃度の栄養剤どっぱどぱです。
たぶんアレでしょ。ルブルムさんしか本当にいないところでは、ヴィルディさんはその深いフードを取るのでしょう。あ、尊い。まじで尊い。
「……え、ちょっと。テーヌさん、何してるンですカ」
「あ、つい癖で」
気付いた時には床に正座し、ポケットから銅貨を出して並べ、両手を合わせて拝んでいた。
「癖とは」
「私の国の……ええと、とある宗教の少数派の礼拝の姿勢でして。素晴らしいものを見た時、崇めたい気持ちになった時、こうやってお金を捧げるのです」
「何故に金等」
「お金があれば、尊く感じたものや、それを作り出した方に支援ができるでしょう?」
公式にお金を落とす。これ、腐女子にかかわらず、オタクにかかわらず、全ての経済活動において大切なことです。広義のクリエイターにお金を落とすのは大事なことなんだよ。
でも、ヴィルディさんの手首を掴んでいるルブルムさんと、掴まれているヴィルディさんにはピンとこないことらしい。彼らは数秒私を見つめた後、顔を見合わせ、「変な人ですネ、この人」「確かに異邦人なのだな」と、かなり失礼なことを囁き合った。