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1 裸一貫とはこういうことを言う

「パンを一つくれないか」


 そう言ってだいたいいつも決まった時間に表れる男性に、私はにこりと笑って今日一番売れていないフランスパンを差し出した。


「はい、5フレット」

「いただこう」


 衛生観念などないのがこの世界である。私は素手で掴んだフランスパンを男性の持っている似合わなさすぎる編み込みバスケットの中に突っ込み、同じ手で金臭い銅貨を五枚受け取った。










 私の名前は寺島天子。読み方はテラジマテンコ。

 ちょっと「て」の音が多い名前だが、それ以外は特筆するもののない平凡な名前だ。


 年齢は三十二歳。職業は地方公務員である。趣味は献血と読書と映画鑑賞。

 献血が趣味なのは私の血が「O型のRh-」というちょっとだけ特殊な血だからだ。科学的な説明は面倒だから省くけど、簡単に言うと「誰にでも輸血できる血」ってことね。厳密に言うと違うのだけど、そういう認識でとりあえずOKだと思う。気になる人は「黄金の血」でぐぐってほしい。

 後半二つについては、具体的に言うと、少年漫画や少女漫画、それからアニメとラノベとネット小説である。いえす。わたしはオタクです。イヤッホー。ネトゲも好きだぜ。主にファンタジー系のネトゲを色々囓っています。どれも全部男キャラでやってます。イケメンは正義だ。


 そんな私だから、ある日仕事から帰ってきてお風呂に入っている時にいきなり風呂が輝き出し、「うわなんだこれ」と思った次の瞬間素っ裸で見たこともない森の中にぽつんと座っていた時、すぐに自分が置かれた状況が何かの『見当が』ついた。


 異世界関係、ってやつである。


 あれだ。トラックに轢かれて死んだ衝撃で異世界に行ったり、異世界で何らかの召喚行為が行われて呼び寄せられたり。あるいは元々が異世界の人間だったのが、期限が切れて、生まれ変わっていたというのに『元の世界』に強制的に連れ戻されたり。そういうやつだ。


 もちろん最初は冷静に「あ、夢だなコレ」って思ったさ。だってそうだろう。三十二歳の女性が、いきなりとんでもない状況に陥った時に「うむ、これは異世界にあれそれされたやつだな」と『納得』したら頭の病気を疑う。周りにそう言ってくる人間がいたら言ってくる人間の頭を疑う。

 だから、私の頭は一瞬で思いついた「異世界」というキーワードを持つ可能性ファイルを『見当』のフォルダに入れるに留めた。そこに入れることくらいは許してほしい。私の心の中にはオタクらしい中学二年生がまだ住んでいるのだから。


 そんな、社会人としての常識と、中学生としての夢見る心を同居させた私は、風呂でよく暖まっていたはずの体が急速に冷えていくのを感じた。なんたって森の中だ。当然暗いし、素っ裸でいるだけで風邪を引きそうな所に、私の全身は髪まで余す所なく濡れていた。


 そんな私に襲いかかってきたのが森の生物である。その正体は、当時はわからなかったけど後から角狼なのだと教えられた。森に住む魔物の一種で、群れで行動する、狩人の性質を持った狼っぽい肉食の生物である。狼『っぽい』という言い方をしたのは、私が狼というものを生で見たことが無いために狼のイメージが曖昧だからなのと、それでも少なくともただの狼は頭の上から角なんて生えてないことくらいはわかるからである。


 そんなとんでもない奴らのいる領域に、私は素っ裸の状態でぽんと出現したわけである。彼らは最初ビックリしただろうが、すぐに目の前の存在がただの美味しいお肉だと理解して襲いかかってきた。


 もちろん、狼に襲われてディナーになるなんてことを私が許容できるわけがない。私は寒いと感じる感覚すら放棄し、吠え声とともに襲いかかってきたそれらを間一髪奇跡的に回避し、とにかく走り出した。知恵の実の林檎を食べたアダムとイヴ以上に何も身につけていない、野生と本能の姿で森を駆けた。


 多少の擦り傷や切り傷を負いつつも森から出ることができたのは、走り始めてから暫く経ってからのことだった。その間、彼らは私を何度も襲おうとしたが、その度に何度も失敗した。ある時は枝に顔をひっぱたかれていたし、ある時は私が駆け抜けた後の崖じみた部分がばらばらと崩れ迂回を余儀なくされていた。


 そうして暫く走って森を抜けたところで、私は運良く人間の集団を見つけ、もうこの際なんだろうと構やしないと形振り構わず「助けて!」と叫んで彼らの所に飛び込んだ。


 私が飛び込んで行った先にいたのは甲冑を着込んだ男達だった。所謂騎士ってやつだ。彼らは素っ裸かつ汚れた姿で森から飛び出してきた私を見て皆一様に腰に帯びた剣を引き抜いたが、私の後ろから大量の角狼が出てくるのを見てすぐに敵を私から彼らに定め、そして殲滅してくれた。


 その後、私は騎士の男達──フラーマ王国の辺境の街フェデラムに居を構えるフェデラム騎士団に保護された。

 騎士団の医務室で手当を受け、適当な衣服を戴いて、そのまま事情らしきものを聞かれた。もちろん全く答えられなかった。理由は簡単、彼らの言葉が全く理解できなかったからである。


 私は仕事で姉妹都市との交流企画立ち上げなんかもやっていたから、外国とのやりとりのために英語はほぼ使えるし、それ以外の言語も、旅行に不自由しない程度には使える。使えるということは、つまり知っているということだ。そんな私でも彼らが何を言っているのか理解できなかった。

 さらに、指パッチン一つでろうそくに火をともせる人が当たり前にいるなんて国は私の知る限り私の生きていた世界には存在しない。


「つまり、ここ、やっぱ異世界か」


 素っ裸の私に一番最初に自分のマントを被せてくれた、多分一番偉そうな男の人が難しい顔をしている。その人の目の前で、私は通じぬ日本語でぽつりと呟いたのだった。

続くかどうかはわからない。ただふっと思いついた。

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