第二話 もう一度だけでいいから微笑んでほしかった 〜変わったの違い 〜
澄み渡る空、心地よく吹く風、窓から差し込む暖かい日差し。良く晴れた日曜日の昼下がり、都内のはずれの一室から、ウシガエルの鳴き声のようないびきが響き渡っていた。
「グゴォー、グゴォー、グガッ……ん、んぁ? ふぅわー、あぁ良く寝たぜ」
大きなあくびと共に「うーん」と伸びをかます、ぐうたら生活満喫してます全開のマキアキトがそこにいた。
マキは今日も何事もない平穏な日常を送っていた。
前回、アオヤマカオリの依頼をこなしてからというもの、また依頼人の来訪は全くと言っていいほどなく、相変わらずマキ探偵事務所は閑古鳥が鳴いている状態であった。
「あぁ、今日も平和で結構結構。さぁてと、ブラックなコーヒーちゃんでも飲むか」
コーヒーメーカーでコーヒーを注ぎ、いつもの窓際の椅子に深座りし、背もたれにガッツリともたれかかった。
「いやぁ、やっぱりブラックはサイコーだねー。あぁ身に染みるうまさだぜ。今日もぐでーっと過ごせるなんて俺は幸せ者だなぁ。まっ、懐の寒さだけはどうにもならんが……」
至福のひとときに嫌な現実を思い出してしまった。そう、金がない。仕事の依頼がこないので当然ではあるが、幸せなぐうたら生活を棄てたくはない。本心から言えばぐでーっとしていたいと思う反面、依頼がこないもんかと思うところもある。
しかし依頼がこないことには始まらない。ここはこのままのんびり待つとしよう、マキは安易な考えでそう決めた。
「ふわぁー、めんどくせぇこと考えてたら何だかまた眠くなってきたなぁ。窓から差し込む日差しも、吹き込む風も、澄んだ真っ青な空も全てが心地良くて、まるで俺に『昼寝しようぜ』って言ってるみたいだぜ。あぁ……ねむっ」
背もたれに掛けてあった黒いコートを頭からかぶると、ぐごーぐごーっといびきをかいていたのはいうまでもない。
……コンコン。ガチャ。
「失礼します。あの、どなたかいらっしゃいますか?」
……グゴォー、グゴォー。
返事はなかった。しかし、いびきが返事として認められるならば「はーい、いますよ」の返答になったであろう。
来訪者はそのまま事務所に入りドアを閉め、そのいびきの発生場所までツカツカと移動した。
「あの、ご休憩のところ申し訳ございません。私、『タチバナユイ』と申します。あなたはこの探偵事務所のマキさんでよろしいでしょうか?」
……グゴォー、グゴォー。
返事は相変わらずのいびきであった。
来訪者は呆れた様子で、マキがかぶっている黒のコートを引っ掴んだ。
「ほらっ、もうお昼ですよ! 起きてください‼︎」
来訪者はバサっと勢いよくコートを剥いだ。まぶしい日差しがマキの顔面に容赦なく降り注ぐ。
「ぉ、うおっまぶしっ! えっあ、アレ? アンタ誰?」
品の良い紺のブレザーに、程良く短いスカート、そしてそこからスラッと伸びた脚……そんな女子高生が少し不機嫌そうに、マキのコートを掴んだまま立っていた。
「突然お邪魔してすみません。私は『タチバナユイ』と申します。一応言っておきますけど、先程も自己紹介はしましたがどうやら聞こえていなかったようですので」
ユイは話しながらコートを机に置くと、さらにもう一言付け加えた。
「それと、事務所は開いているのにあなたがお昼寝しているみたいでしたので、勝手ながら起こさせていただきました。ご無礼をお許しください」
ペコッとお辞儀をした。黒いサラサラな長い髪が肩からフサっと垂れた。
「えっ、あ、あぁ……」
まさか知らないヤツが勝手にあがり込んできて、ましてや昼寝の邪魔をしてくるなんて、正直考えもしなかった。……しかも女子高生に。
ユイの口はまた動き始めた。
「あなたがマキさんですよね? 実は依頼をお願いしたくて来ました」
「えっ、依頼⁉︎ ではこちらへどうぞ!」
早速、ユイを来客用のソファに案内し座らせた。正直、このタイミングでの依頼は嬉しかった。財布の中身が底を尽きるのにそう遠くないところまで来ていたからだ。
しかし財布の現状はどうあれ、やはりまずはウチの管轄かどうかを確認しなければならないだろう。
「それでは改めまして、マキ探偵事務所へようこそ。どんなことでお困りでしょうか」
マキはさっきのこともあるので、もうこんなことを言っても格好はつかないとわかっていたが丁寧に対応した。いつもはフランクなせいか、何だか背筋がモゾモゾする。今回の依頼人は優等生のような物腰なので、ついかしこまった対応になってしまう。……強行なのはどうかと思うが。
「実は、私の父が最近様子がおかしいようなので、調査をお願いしたいのですが」
「おかしい……といいますと?」
「はい。普段は会社に仕事に出ているのですが、ここのところ無断欠勤しているようなのです。たまたま私が具合が悪く、学校を早退して家で安静にしていたのですが、その時会社から電話が掛かってきました。その内容が、父が連絡もなく欠勤しているのだが大丈夫なのかということでした」
ふむふむ、謎の無断欠勤ね。そいつは気になるね。
ユイは冷静に説明を続けた。
「その日、父が帰宅してからすぐに会社から電話があった事を伝え、その事について尋ねると、『大丈夫だ、ちゃんと会社に行っている。何かの間違いだ。ユイは心配しなくていい』としか答えてもらえなくて……。明らかにおかしいと思うんです。普通、会社がそんな変な間違いなんてするわけないじゃないですか。父には何か秘密があると思います!」
キッパリと断言した。
マキは思った。とにかくこの女子高生はしっかりしている。ヘタな大人なんかより数段しっかりしている。少なくても自分の三倍はしっかりしているだろう。ただ、口が賑やかなのがたまにキズといったところだろうか。学校では生徒会長をやっているんじゃないかと思わせるその佇まい……優等生なのは間違いないと思われる。
「それはたしかになんか怪しいね。他にも最近何か変わったことはあるかい? 身の回りで何か変化があったことは?」
マキもそろそろ普段の調子を取り戻したのか、いつも通りのフランクマキになっていた。
「まず、半年前に母が他界しました。それからですかね、父の様子が日に日におかしくなったのは。母が他界する前の父は、明るく家族思いで、そして誰よりも母を深く愛していた良き父でした。私から見ても恥ずかしいくらいに二人は愛し合っていました。私も将来こんな幸せな家庭を築けたらなと思っていたくらいです。しかし……」
ユイはやや俯いた。
「母が他界してからは、ずっと塞ぎ込んでおり、あまり食事もとらず、日に日にやつれていきました。会社は慶弔休暇と貯まっていた有給休暇で当分は心配ないと、お見舞いに来てくれた会社の方が言ってくれましたが、父自体の状態は精神的にも身体的にも相当まいっていたと思います」
マキは静かに聞いていた。
「私も大好きな母が他界してしまい、しばらくは泣いていたり、塞ぎ込んでいました。しかし、時間が経つにつれちゃんと心の整理をしていき、立ち直ることが出来ましたが、父はそうではありませんでした。それから月日は流れて父も次第に元気を取り戻し、会社に行くようになりましたが、少しおかしい感じがしていました」
「おかしい、というと?」
「はい。父は母が生前の頃と比べて不健康にやせ細っていたことは周知の事実でしたが、それとは別に目の奥にギラギラと不気味な光りを宿すようになり、仕事の後や休日に何も言わずに何処かへ行くようになりました。私には何処に行っていたのかはわかりませんが、何か良くないことをしているように思えて仕方がなかったのです。もちろん、父はそれについては何も教えてはくれませんでした」
ユイの心配っぷりがよく伺えた。さらに話の先を続ける。
「そしてどんどん不気味さは増していき、最近では何かに取り憑かれているんじゃないかと思うくらいです。身なりはいつもきちんとしていたのに、服が汚れていても変な匂いが染み付いていてもまったく気にしなくなり、頭はボサボサのまま出歩いたりと、外見的にもあからさまにおかしいのがわかるようになりました」
ユイの説明は明解だったため、内容はよく理解できた。しかし、ウチとしてはまだ『変わったの』絡みかどうかはわからない。ただの考えすぎで、新しい趣味が出来てそれに没頭しているだけなのかもしれない。が、どちらかというとウチの管轄の匂いが強い気がする。
「うーん。まだ何とも言えないが、その親父さんが何をしているのかしっかり調べないと、だな」
「それも含めてお願いしたいのですが。実は一度、父を尾行したことがありまして、その時は人気のない廃屋に入っていくのを見ました。何をしていたのかまでは調べられませんでしたが」
「えぇっ⁉︎ そこ見なきゃー」
ユイは口ごもった。
「それは……その時は夜遅くで周りも薄暗く気味が悪かったので、私にはそんな余裕ありませんでした……」
さっきまでのハキハキとした態度とは違い、今はモジモジとしている。
意外とかわいいとこもあるようだ。こういうことに関しては歳相応なのかもしれない。
ユイのがんばりによって、拠点に使っていそうな場所が分かっただけでも収穫は大きい。ここまでの情報があれば調べはつきやすいであろう。
「じゃあ、親父さんの件はとりあえず引き受けるとするよ。なんかヤバそうな匂いがするしな」
「はいっぜひ! では謝礼の方ですが、こちらでよろしいでしょうか? 私の貯めていたお小遣い全部ですので、もっといるとなるとちょっと……」
ユイはまたモジモジとしだした。どうやらここも自信がないようだ。
「わかった、これで大丈夫だ。充分足りてるよ」
全額ときたか。それ程にまで親父さんが心配なのであろう。ここはこのマキさんに任せとけってな。
「わぁっ! ありがとうございます‼︎ では父の件、よろしくお願いします」
またペコリとお辞儀した。マキは照れ臭そうに「いーよ、いーよ」と右手をヒラヒラさせた。
「じゃさっそく、親父さんが入ってったその廃屋とやらに張り込んでみますか。ところで、ウチは『変わったの』しか引き受けないんだけど、知ってた?」
ユイは自信満々に答えた。
「もちろんです。父が前とは『変わってしまった』ので、それをどうにか更正させてくれるんですよね? マキさんって探偵兼精神カウンセラーみたいな特殊な仕事をされているんですね。素敵です!」
ユイはニコッとした。
……ものの見事に勘違いされている。『変わったの』のニュアンスが、これでもかというくらいに明後日の方向に行ってしまっている。いったいどうしたらこんな勘違いを引き起こすのだろうか。それはわからないが、この優等生はしっかり者かと思いきや、意外と只者ではないのかもしれない。それにしても探偵兼精神カウンセラーとはいったい……。
「え、まぁ、そ、そうだね。もうそれでいいや。じゃ、仕事に移ろうかね」
ユイに廃屋の場所を聞いた。どうやら木々に囲まれ周りに建物がないため、間違えることはないそうだ。ということで、ユイは安全を優先して家に帰すことにしよう。この先何が起きるかわからんからな。
いつもの黒いコートに袖を通し、ユイと一緒に事務所を出た。
「さっき教えてもらった廃屋に行ってくるから、ユイちゃんは気をつけて帰るんだよ」
そう別れを告げたつもりで車に乗り込もうとすると、いきなりグッとコートの袖を掴まれた。
「ちょっと待ってください! 私も連れて行ってください!」
「えっ⁉︎ いやいやいや。危ないかもしれないから連れていけないよ」
もしかしたら悪魔絡みの可能性もあり、危険を伴う。なるべく巻き込みたくはない。
「いえ、私には真実を知る権利と、行く末を見届ける義務があります!」
ユイは力強く真っ直ぐな眼をマキに向けた。
マキはその視線をしっかりと受け止め、ややしてため息混じりの息を吐いて言った。
「……わかったよ。じゃあ助手席に乗りな」
たぶん、ここに置いて行っても強引に乗り込んでくるか、場所は知っているから他の交通手段を駆使してやって来るだろう。だったら素直に一緒にいた方が安全だし都合が良さそうだ。そういえばユイの親父さんの顔、知らないしな。
そんなわけで助手席にユイを乗せ、廃屋に向かってアクセルを踏み出すのだった。




