From Stercorary , With Hatred.
無宗教……世界中の偉大な信仰の中で、いちばん重要な信仰。
アンブローズ·ビアス 「悪魔の辞典」
父親は拷問の後、頭を撃ち抜かれて肥溜めに捨てられた。
母親はレイプの後、頭を撃ち抜かれて肥溜めに捨てられた。
ここいらの子供で親がこういう目に合ってない子はいない。ぼくのパパとママも肥溜めにぶちこまれて異臭を発する塊になった。3年ぐらい前だったかな?ムスリムの連中がぼくの村を襲って、皆殺しにしていった。ぼくと友だちたちは目の前で両親だった物をバラバラにされた。マチェットで四肢を切り刻まれて、生ごみみたいになった。
みんな、怯えきっていた。勿論、ぼくもだ。小さな頃から知っている人たちが、自分の親族たちが訳の分からない連中の良いようにされている。目を閉じても耳から、耳を塞げば鼻から。どれだけ逃避しても目の前で行われている行為をまざまざと突き付けられ、どうすることも出来なかった。言うことを聞かない身体がガタガタ震えて、口は目一杯開かれてるけど叫び声というのは出なかった。いや、出ていたのかもしれないけど聞こえなかった。ずっとキーンと耳鳴りがしていた。顔は泥と血と鼻水やら涙が混じりあった物でぐちゃぐちゃだった。
何でぼくたちなんだ、と思った。ぼくたちが何をしたって言うんだ。パパもママも、みんな普通に暮らしてただけだ。お前らに何かした訳じゃないのに、どうしてこんなことするんだよぅ。ひどいよぅ。そう叫ぶとムスリムの1人が伯母さんを犯しながらこう言った。
「お前らがクリスチャンだからだ」
違う、ぼくたちはクリスチャンじゃない。それは隣村だから、お願いだからやめてよぅ。みんな叫んだ。必死に叫んだ。でも、ぼくらの叫びは奴らに届かなかった。勿論、神とやらにも。
こんな光景はこの地域じゃよくある光景だった。ムスリムがクリスチャンの村を襲う。イスラム教とキリスト教の宗教紛争。ぼくが生まれるずっと前から、国という物があった時代から続く底無し沼。ムスリムがクリスチャンを殺して、クリスチャンがムスリムを殺す。ひいおじいちゃんも巻き込まれて死んでいった。原因が何だったかなんて分かる奴は、みんな土の下。それに経済圏の正規軍が絡んできて、三つ巴の戦いになるから質が悪い。
ぼくは──ぼくの村はクリスチャンじゃなかった。ぼくは宗教なんて持ち合わせていなかった。にも関わらず、こうして何処にいるかも分からない神への信仰が大切な物を根こそぎ奪っていった。
ムスリムの連中たちは最後にぼくたちを殺そうとした。ぼくらは跪かされ、頭の後ろに銃口を突き付けられた。太陽はぎらぎらと照り付け、烏たちは待ちきれなくなったようで家族だった物をつつきながら、ぼくたちを見ている。
呪った。この世の全てを、心の底から呪った。奴らが信じる神や宗教、信仰に対する憎しみが沸々と沸き上がってきて、噛んだ唇からは血が流れた。これから肥溜めに捨てられても、この気持ちだけは忘れないと思った。
ぼくは覚悟を決めて目を閉じた。村にたくさんの銃声が鳴り響いた。
だが、その銃声と共に放たれた弾がぼくらを肥溜めに送ることは無く、代わりにムスリムたちの身体を貫いた。
怒号と銃声が飛び交う中、ぼくらは一歩も動けなかった。中には大声で叫びながらパニックを起こす奴もいれば、自分が死んだと思っている奴もいた。いとこは、狂ったようにゲラゲラ笑っていたのだけれど、いきなり頭から脳味噌が飛び出して動かなくなってしまった。身体を揺すっても起きないものだから、不思議とぼくも笑ってしまった。何してるんだい、って。でも、冷静になるといとこは流れ弾に頭をぶち抜かれてる訳で、頭を銃弾でぶち抜かれたら動物は死んでしまう。この瞬間、ぼくは親族を全員失った。独りぼっちになってしまった。それを自覚するのにはかなり時間がかかったのだけれども。
流れ弾に当たった奴は案外多くて、3分の1は死んでしまった。生き残ったぼくらが呆然とする中、ムスリムの連中が着ていた物とは違う迷彩服を着た大人たちが近付いてきた。
大人たち。CARC ──中央アフリカ解放十字軍の兵士たちは、ぼくらをトラックの荷台に乗せてキャンプへ連れていった。
荷台に乗せられて見た景色は目に写る光景としては衝撃的だったけれど、ぼくの深いところには何も響いてこなかった。
隣村も、そのまた隣村も焼けていた。家は真っ黒な炭になって、人の欠片が肥溜めに捨てられていた。まるでぼくの村と瓜二つのような光景だった。近辺の村の子供たちを乗せたトラックが道中で合流してきたけど、荷台に乗せられた子供たちの顔は酷い物だった。生気が無いというか、両親の元へ行きたがっているというか。端から見れば、ぼくたちも同じような顔をしているように見えているんだろう。
暫くトラックに揺られてると、CARCのキャンプに着いた。荷台を下りると、ぞろぞろとシスターたちが集まってきて、ぼくたちを建物の中へと誘導していく。広間に通されたぼくたちには暖かいスープとパンが出された。
正直、そんな気分じゃなかった。目の前で両親があんな目にあったんだ。それなのに、この状況でスープとパンを頬張れる奴は頭がどうにかなっちゃったんだろう。ぼくは、まともだった。
出されたスープとパンを相手に勝ちも負けも無いにらめっこをしていた。スープは人肌の温かさで、触れると色んなことが頭に過った。パパの手の大きさだったり、ママが作る料理の温かさ。兄弟姉妹との騒がしくも楽しかった日々。それは、もう戻ってこない。
そうしていると、カソックを着た男──神父がぼくらの前に現れた。
神父はぼくら1人1人に膝をつき、何か喋っていた。ぼうっとしていて何を言ってるかは聞き取れなかったけれど、子供たちは神父の言葉に涙を流し、目を輝かせ、神父に抱きつく奴までいた。
それまで濁りきって焦点が合ってなかった目が輝きを取り戻し、スープとパンにがっつく様は、まるで何か得体の知れないモノに救われる茶番を見せられているようで気味が悪かった。
「やぁ、君の名前は?」
神父がぼくの前にやってきた。慈愛に満ちた優しい眼差しで、ぼくを見る。
「答える義務は無いよ」
「それは困るなぁ……それでは君を何と呼べばいい?」
「好きに呼んでいいよ」
「じゃあ、loupと呼ばせて貰うよ」
ルー。狼。一匹狼。独りぼっち。
「辛かっただろう。私たちが後少し早く旧セレカの動きに気付いてれば……すまない」
神父はぼくに謝ってきた。哀しみと後悔の眼差しは他の子供同様に、ぼくにも向けられた。
「別に神父さんが謝ってもどうにもならないよ。パパとママは死んじゃったし、伯父さんも伯母さんもみんな肥溜めの中だよ。それに謝ってほしい訳でもないから」
「それでもだ……異教徒共に罪無き人たちが殺される現状を打破出来ずにいる私たちのせいだ」
「みんなを殺したのは神父さんたちじゃないよ、ムスリムの奴らだ」
パパの頭に穴を空けたのはムスリムの奴らだ。ママを犯して身体中に風穴を空けたのはムスリムの奴らだ。伯父さんを丸焦げにして、伯母さんも犯して関節の壊れた人形みたいにしたのもあいつらだ。
ぼくの心は嵐のようだった。この神父の謝罪を聞いたところで何か意味があるとも思えなかった。そんな言葉の羅列を聞いていると、酷くいらいらして眼前の神父を殴り倒したい衝動に駆られた。
早くここを出ていきたかった。ここにいると撒き散らされる優しさに吐き気を覚えて、具合が悪くなりそうだった。
「……でも、これも主のお導きかもしれない。どうだ?私たちと共に異教徒と戦わないか?」
半ば意識の外に追いやっていた神父の声の中にその文言が現れた時、ぼくの心に2つの感情が沸いた。
1つは嫌悪感。この神父たちも主だの信仰だのに囚われてる、ムスリムと同じイカれた奴らだということ。ぼくからあらゆる物を奪っていった奴らとこいつらは何も変わらない。同じ穴の狢。
もう1つは言い知れない高揚感だった。親族を殺され、銃口を突き付けられた時に感じた、今もまだぼくの身体を内から焼き焦がすような感情。この報復心のやり場が見つかった。この神父の元で主だ聖戦だと言わなきゃならないのは癪に触るけど、銃を手に取ってムスリムを殺すことが出来る。それはぼくにとってどんな施しや優しさよりも嬉しい物だった。
おそらく、他の子供たちにも優しい言葉をかけて兵隊にしているんだろう。よく聞くとスープとパンを平らげた奴が「ぼくは主のために異教徒たちをいっぱい殺すんだ」と胸を張っている。目は爛々と、スープにがっついていた時よりも輝いている。生まれて初めて見る宗教は、奇妙で滑稽で不気味に写った。
「いいよ。やるよ。あいつらを殺せるなら何だっていいよ」
ぼくは神父の誘いを受けた。
こうして、ぼくは少年兵になった。
CARCに入ってってからは夢のような日々が続いた。AKを手にムスリムのいる場所を片っ端から襲っていった。ぼくの報復が始まった。
男は拷問し、女は犯させて、子供には両親たちが尊厳を踏みにじられて肥溜めに捨てられていく様を見せつけて殺した。その中でいっぱい仲間が殺されたけど、その分たくさん殺し返した。
「何でこんなことするんだよぅ、やめてくれよぅ」と、どこかの村で子供に言われた。だから
「お前たちがムスリムだからだ」
そう答えて子供の脳幹に弾丸を撃ち込んだ。銃口を突き付けると最初はぎゃあぎゃあ騒ぐけれど、引き金を引くとぴたりと静かになる。ぼくはその静寂が好きだった。
時たま、ムスリム以外の奴らとも戦った。経済圏の正規軍の連中だ。
あいつらはムスリムの奴らよりも強くて、武器もいい物を使っているし、ぼくらもムスリムも見境なく攻撃してくる。だからあんまりかち合いたくないのだけれど、正規軍の兵士を殺せばいい武器が手に入るし、上物のドラッグを持ってることがあった。武器目当ての奴もいたが、ドラッグ目当てで兵士の死体を漁る奴が殆どだった。
ぼくらは普段コカインかマリファナばっかり使っていたから兵士たちが持っているような合成ドラッグは珍しかった。でも、兵士を殺すのには手間がかかる。手間を嫌う連中は医療ボランティアのキャンプを襲撃してモルヒネやPCPを奪ってきて使っていた。そういう奴は早々と頭がおかしくなって、子守唄を歌いながら自分のこめかみを撃ち抜いて床に色々とぶちまけるから迷惑でしかなかった。その一部が跳ねてスープに入った時なんて最悪だ。ただでさえ不味いスープが余計不味くなる。フォークでそいつの死体をめった刺しにして、ムスリムみたいにバラバラにして、野犬の餌にしても足りないぐらいだった。
でも、夢のような日々は長くは続かなかった。
ある日、正規軍の連中がぱったりといなくなってしまった。その代わりに外人がうろうろするようになった。正規軍の奴らよりもいい武器と装備をじゃらじゃらさせて、気味の悪い機械を従わせた連中。
同じ隊のばかが正規軍の奴らと同じようにドラッグを持ってると思って襲い、ぼくたちまで地獄を見た。頭に弾が命中したのに、外人たちは平気な顔をして撃ち返してきた。
それだけならまだよかった。分が悪いと判断して逃げたぼくらを追ってきたのは、外人の傍にいた機械──鉄の百足だった。どんなに細い路地に逃げ込んでも百足は追いかけてきて、いくらロケットを撃っても手榴弾を投げても止まることは無かった。口に付いた小さな機関銃が仲間を殺していって、隊の人数はみるみる減っていった。逃げ延びることが出来たのはぼくを含めて3人だけだった。
キャンプに戻ってから上官に聞くと、あの外人たちは身体の中をいじっているという。身体のあらゆる部位、骨、内蔵、筋肉、脳。それらを強度の高い人工物と取り替えているらしい。まるで化け物だ。
外人たちは正規軍の連中たちとは大違いだった。無駄なく、ぼくらとムスリムたちを効率的に殺していった。ムスリムの村を襲いに行くと、既に村を焼いて待ち構えてた外人たちに蜂の巣にされかけた。とてもじゃないが、ムスリムを皆殺しにするとか言ってる場合じゃなかった。奴らを皆殺しにする前にぼくらが外人たちに皆殺しにされてしまう。
朝喋った友達が、夕方には細切れになって帰ってくるなんてざらだった。変な形をしたヘリコプターのミサイルや装甲車の機関銃に毎日仲間が殺され、死体袋に入れられていく。気付けば見知った顔は数える程しかキャンプにいなかった。他は冷たい土の下。
そんな中、上官に呼ばれた。外人が乗る装甲車から命からがら逃げ帰って来てすぐの呼び出しだった。ささくれ立った気を沈める余裕も無く、上官がふんぞり返っている部屋へと向かった。
だが部屋にはいる筈の上官の姿は無く、カソックを着た男の後ろ姿があった。
「やぁ、久しぶりだね。loup」
いつかの神父は、初めて会った時のように優しい眼差しでぼくを見た。
「君の活躍は聞いていたよ。何人奴らを殺した?」
「覚えてません。数えてる暇なんて無かったし、数えてたとしても途中で止めたと思いまず」
神父はソファに座り、ぼくも促されるまま向かいのソファに腰掛けた。
「彼は来ない。君を呼んだのは私だ」
神父はぼくが質問するよりも早く、ぼくの疑問に対する答を口にした。
「ぼくに何の用ですか?」
「最近正規軍の代わりに外国人がこの辺りをうろちょろしているのは知っているな?奴らは戦争資源委託者だ」
「戦争資源委託者?」
「戦争資源委託会社の社員だ。経済圏の上層部に雇われた傭兵のことだ」
金で雇われた戦争の犬。戦争に資源なんて物は無い。ここにあるのは死体と、くそったれな信仰心と、肥溜めから沸き上がる臭いだけだ。
「奴らがいる限り、我々がこの聖戦を戦い抜くことは難しいだろう。奴らをこの地から追い出さなくてはならない」
「そうですね。奴らのせいで仲間が何人も死んでます。どうにかしないと……」
その時神父が笑った。意図を図りかねていると、地図と写真がテーブルに置かれた。
「明日、戦争資源委託会社の基地で、経済圏の治安維持部門のトップが抜き打ちの視察を行うことが分かった。我々の協力者からの情報だ」
写真にはシワ一つ無いスーツを着た男が写っていた。
「この視察は極秘で、まだ誰も知らない。戦争資源委託会社側もだ。当日の警備も十分ではないだろう……」
ここでようやく、神父がぼくを呼び出した理由を察した。
「視察を襲撃するんですか?」
「襲撃なんて大それた物ではない。君には基地で雇われている労働者に紛れて基地に入ってもらう。そしてヘリポートでヘリから降りてきたターゲットに向かって爆弾を投げて逃げる。それだけだ。簡単だろう?」
神父はそう言うが、一歩間違えばぼくの命は無い。やりたくない仕事だった。
「君は他の者と違い優秀だ。実に多くの異教徒を殺してきた。だが何よりも他の者と違うのは、君が初めから主の為に戦ってないという所だ」
この神父だけは知っているのだ。ぼくが報復心だけで戦い、他の少年兵とは違う殺意で引き金を引いているということを。ムスリムを殺せれば何だっていいということを。
「その報復心は他の者の信仰心よりも強い。君は我らが主よりも自身の復讐を信じている。そういった意味では、それもある種の信仰とも取れる。君は君が信じる復讐の為に、我々の聖戦に手を貸しているのだろう?お互いの信仰の為に今まで通り手を取り合おう。異教徒はまだまだ残っているぞ?」
神父の言葉に笑ってしまった。自分を嗤った。あれだけ馬鹿にしていた信仰が自分にもあったのだ。信じる対象が神じゃないだけで、ぼくは熱心な報復信者だ。他の奴らと何も変わらない。本質は同じだった。
「……出発は?」
「明朝だ。日が昇る前に出ろ。爆弾は出発前に渡す。神の御加護を……」
ぼくは宿舎に戻って準備を始めた。疲れきって死んだように眠る仲間を起こさないように気をつけていたけど、1人が荷造りの音で目を覚ましてしまった。
「何してるんだい?」
「見りゃ分かるだろ?荷造りさ。少し遠くへ行くからね」
「逃げるの……?」
「まさか。脱走兵は異教徒と同じで銃殺刑だ。ぼくも君も同じクリスチャンだろう?それに命令で遠くに偵察に行くだけだよ」
そう言うと彼は安心したようで再び眠りについた。彼はぼくと同じ村の出身で、小さい頃はよく一緒に遊んでいた。今、キャンプにいる同郷の者は彼だけだ。他はもうこの世にいない。
宿舎を出ると後ろから声を掛けられた。眠った筈の彼だった。
「どうしたんだ?」
「遠くに行くんだろう?これを渡そうと思って……」
そう言って彼はぼくにキャンディーを差し出した。
「こんなのどこで……?」
「おっさんの部屋から盗ってきたんだよ。疲れたら舐めてくれよ」
贅沢品のキャンディーはぼくらなんかじゃ手に入れられない。だから彼は上官の部屋から盗んできたのだ。彼のやんちゃな一面に笑みがこぼれた。
「ありがとう。帰ったら何かお礼をしなくちゃ」
「期待してるよ──」
久しぶりに聞いた自分の名前は酷くむず痒くて、胸が締め付けらて、色んな物が溢れてきそうで、暖かくて、ぼくはその感覚から逃れたくて彼に背を向けて歩き出した。
キャンプの出口で爆弾を受け取って、外人たちの基地へ向かう。
空にはまだ星がキラキラ輝いている。ぼくの報復心も、信仰心もあの星たちと同じように燃えている。
ぼくは歩く。歩き続ける。
ぼくのこの感情のやり場は、ここしかないのだから。