【8】
エルフォードの屋敷を覆う林を抜け、緩やかな丘を半刻ほど下る。変わり映えの無い景色が半刻ほども続くのは、なかなかに退屈なものだ。その景色が味気ないモノであれば、それは尚更のこと。フィオンにとって悲しむべきことに、延々と広がる枯草の草原は、彼の考える味気ない景色そのものだった。
フィオンは長い長い、この通り道が大嫌いだった。退屈で、無駄に足を疲れさせて、遊びに行く時にはいつだってこの道が邪魔をする。学校へ行く時はいつもこの道を延々と歩くことになるのだから、たまったものではない。
上る時と下る時のどちらがマシかと言問われれば、フィオンは後者だと即時答えるだろう。下りの方が歩くのに楽だという事もその要因だが、上る時と違って目前には栄えた町が遥か遠くに広がっていて、歩くにつれて近づいている実感がある。黄土色の登り坂、地面を目に写して延々と歩くよりは、分かりやすい目標物が目前にある方が気の持ちようがあるというものだ。
丘を下りきると周辺では最大規模の町、 “ミッドシティ・アーチャー”へと辿りつく。町にはいる際には見慣れた表札を尻目に、黄土色をした土の地面から、石造りの硬い道路へ足を踏み入れた。
町へ辿りつくと、フィオンはまず、思い切り背伸びをした。“アーチャー”の町は居住性を重点に置いて街造りがなされている。住民が不自由なく行き来出来るよう、網目状に道が張り巡らされている街並みは、実に機能的である。
エルフォードの屋敷のある丘から見下ろすと、町の通り道は規則正しい文様を描くように、法則性を持って四方へ伸びている。街並みが整いすぎているばかりに、観光で訪れた人物には病的な印象すら与えることだろう。事実、この様な街並みになるよう都市計画、設計を行ったマクレン町長は、病的に几帳面な性格である。
さて、背伸びの後、フィオンはふっと息を吐いて気合を入れた。この後、アイリュスに何処をどういう順番で見せるのか、自分なりにちゃんと考えたつもりだ。多くの人々が住まうこの町には、そこで生活を営む人々が訪れるべき商店が数多く存在する。ここで生活をするならば、会うべき人もたくさんいる。
ミッドシティ・アーチャーは名の通りの中規模な田舎町であり、規模としては都市に及ばず、これといった特産品も無い。だが、人々が行きかい活気溢れる街並みには、フィオンのような年頃の子供が好んで訪れる場所も多い。
そういった場所には、今後必ずアイリュスも訪れることがあるだろう。と、フィオンはそう考えていた。家の中に居るだけの単調な生活には、そのうち飽きてしまうに決まっている。
いざそんな時に、何がどこにあるのかわからないのでは、さぞ不自由だろう。自由に動きまわって生活するには、何にしろこの地に慣れて貰わなくては。
新しく出来た妹が早く生活に馴染めるよう、自分なりに頑張ってみよう。
フィオンはやる気に満ちていた。
「ねぇ~、フィオン―。」
意気込む彼の背に、ずいぶんと気の抜けた声が掛けられた。
「足が痛いぃ~……。」
気落ちする様な声に、肩を落としながら振り返る。するとすぐ後ろに、ドレスの裾を引きずるようにして、よたよたと歩く姉の姿が目に付いた。
「……そんな服で、こんな距離歩くからだよ。」
フィオンはやる気を削がれて、大きくため息を吐き出した。長い下りの砂利道に、あのドレスとヒール靴はあまりに負担だろう。いつも通っている道がどういうものか分かっているのに、何故敢えて歩きづらい服を選ぶのだろうか。フィオンには到底理解が出来なかった。
「大丈夫でしょうか、シンディお姉さま……。」
「大丈夫だよ、放っておけばいいさ。」
「でも……。」
心配そうな表情を浮かべるアイリュスに、フィオンはフッと笑いかけた。
「シンディはタフなんだ。ぼくよりもずっとね。あれくらいじゃ、ちっとも参っていないハズさ。」
にやりと姉の方を見遣ると、フィオンはやれやれと言った具合に肩をすくめて見せた。
「ちょっと、フィオン。“ぼく”だなんて、ずいぶんお行儀がいいわね。それにいつもしない妙な言い回しまでしちゃって、どうしちゃったの?」
からかうように言うシンディに、フィオンは口を尖らせた。
「変なところに突っかかって来るなよ。」
「わたしみたいな清楚な淑女を馬鹿にするからよ。女の子には、相応の扱い方ってものがあるんじゃなくて?」
シンディはつんと突っぱねた。弟は小ばかにしたような姉の態度にむっとしたが、妹の目の前である手前、ぐっと我慢して、毒を吐くかわりにそっぽを向いた。
「まあまあ、そう怒らないでよ。売り文句に買い文句。いつものことでしょ。……ねぇ、フィオン。どこに行くか、もう決めてるの?」
「あぁ、うん。学校まで行く道を辿って行こうかなって思って。行く場所は、シンディも知ってる場所だと思うよ。」
人の行きかう町の中、フィオンは人をかき分けて進んだ。時折振り返って姉と妹がついて来ているかを確認すると、ドレスに爪先立ちという歩きづらい恰好を強いられているにしては、きちんとついて来ている。フィオンは思わず感心した。自分だったら、あんな棒切れ付きの靴は三歩歩いた時点で脱ぎ捨てている。
姉に引っ付くようにして歩く妹の姿が見える。人がごった返して歩いている中を、おっかなびっくりな様子で歩いている。人が多く居る場になれていないのだろうか。周囲を見回すことに気を取られ、時折人にぶつかりそうになっている。
手に持った大きな箱が、いちいち行動に差し支えている。あんなに長く大ぶりな持っていたら、通行人にとっても彼女にとっても危ないだろう。
隣にいるシンディは自分が歩くことに必死で、妹にまで気が回っていない様子である。フィオンは思わず駆け寄ろうかと思ったが、駆け寄ったところで何が出来るだろうか。やれることなど、せいぜいあの箱を持ってやることくらいだろう。しかし、アイリュスはきっとそれを良しとしないであろうことを、フィオンは察していた。
故に、フィオンに出来たのはただ先導して、時折後を振り返りながら歩くことだけであった。
「こんにちは、おじさん。」
町に入ってから十数分、フィオンは最初の目的地へ辿りついていた。
フィオンが訪れたのは、町の酒場だった。アルコールの鼻につくような匂いは、店先までは匂わない。入口付近には、店主が自ら作ったレンガの花壇があり、黄色と赤の小さな花が植えられている。朝は葉さえ凍りつく冬、過酷な寒さの中でも健気に咲く花は、道行く人々の目に何気なく止まるものだ。
「あれ、フィオンくん?」
店先に植えられた花に水をやっていた人物は、フィオンを見つけると手を止めた。丸眼鏡を治すと、男は嬉しそうに笑って見せた。
「最近顔を見なかったから、少し寂しかったよ! よく来たね。」
「お久しぶりです、オジサマ。」
小さく咳払いをしたのはシンディだった。フィオンにばかり気を取られていた男は、慌てて少女へ向き直った。
「あぁ、そっちの子はシンディちゃんだったか! ずいぶん久しぶりだったからわからなかったよ、フィオンくんにしちゃずいぶん可愛らしい子を連れてるなとは思ったけれど。」
「まぁ、お上手ですのね!」
シンディはいつもよりも高い声で、なるべく気取って言ってみせた。コロコロと機嫌の変わるシンディを見て、フィオンは呆れた表情を作った。
「シンディだってわからなかったのは、このゴテゴテした重装備のせいでしょ。ホント、おじさんは世辞がうまいなぁ。どうりで繁盛してるわけだ。」
「フィオン、うるさい。」
丸眼鏡にふわりとした茶色の短髪。それに揃えた様な色の、茶色のエプロンはこの店の制服である。物腰の柔らかい男はこの店の店主だった。酒場にしては小奇麗な外装、内装はこの店主あってこそのものだろう。
店を包む雰囲気は、客にとても清楚で綺麗な印象を与えていた。外観や内装だけでなく、辺りの空気がそれを助長している。アルコールの匂いの代わりに、澄んだつゆ草の香りが店を包んでいる。
構えた看板こそ酒場だが、ここは事実上、喫茶店の様なものだ。訪れる客も、酒飲みより軽食を求める人物たちが大半である。昼間、小腹を空かせた住民が仕事の合間を縫って食事に来るには最適な場所である。店主の人柄がいいこともあって、店は繁盛していた。店主がこうしている今も、店の中では彼の雇った店員が必死になって客の対応に追われているのだ。
酒場の店主は、姉弟の言い合いを眺めながらにこやかに笑った。
「あはは、元気なのは相変わらずだ。……それで、そっちの御嬢さんは? この辺りじゃ見ない顔だけど。」
店主は首を傾げ、それから少女へ視線を投げた。
「あぁ、そうだった。今日はこいつの案内をしてるんだ。えぇっと……。」
フィオンが見遣ると、アイリュスは小さくお辞儀をした。
「アイリュスです。……あの、エルフォードの家にお世話になっています。」
「お世話にっていうと、もしかしてフィオンくんの言ってた養子の方? まだ小さいのに礼儀正しい御嬢さんだね。」
感心した様子で、店主はしきりに頷いた。フィオンもそれを見て、つられて頷いた。よしよし、店主のおじさんにはいい心象で紹介できた。フィオンは得意げに、アイリュスに店の説明を始めた。
「アイリュス、この店って食べ物以外にもいろいろ出てくるんだけど、ケーキなんかがすげー旨いんだ。」
「フィオンくん、出て来るって言うけど、タダじゃないからね? 売り物だからね、念のため。」
念を押すように店主がいう。しかし、フィオンは聞く耳持つ様子もなく、アイリュスにケーキについて聞かせていた。フィオンのケーキに対しての思い入れは強く、話は延々と続いた。
しばらくして、耐えかねたシンディは話を終わらせようと口を開いた。
「アイリーって、もしかして甘いモノ好きかしら? よかったら今度、みんなで何か食べに来ましょう。」
シンディが言うと、アイリュスは小さくうなずいた。
「ハイ。お二人が望むのでしたら、わたしでよければ……。」
暫く話し込んだ後、フィオンは酒場の店主に別れを言うと、歩を進めた。次に向かったのは町の雑貨屋である。
狭い入口をくぐると、中は様々なものがごった返した騒がしい場所である。物が洪水を起こしたかのように、少年たちの周りから押し寄せてくる。棚にびっしりと並んだ物には一貫性は見られず、様々な種の客の求めるモノが、そこにはある。
店に入った三人は店の趣に沿った動きをし、それぞれ別のモノを注視した。フィオンはパーティのジョークグッズ。シンディは首につる下げるアクセサリの類。そしてアイリュスは、分厚い革の背表紙が付いた、重々しい本に目を付けた。
置いてある物が多様過ぎて、非常に混沌とした印象を受ける。初見であったアイリュスは、様々なものに目移りして目を回しかけた。
「あら、フィオンじゃないの! ここに来てくれるの、久々ね!」
ふと、フィオンは店のカウンターを見遣った。
「こんちわ、おばさん。この頃寄ってないからね。遊び道具は買いたいけど、おこずかいじゃなかなか手が出なくて。」
にこやかに答えるフィオン。その視線の先には、青いコートに身を包んだ女性が居た。彼女こそが、この店の店主である。
厚化粧で肌を白く見せ、首からは赤い玉の様なものをアクセサリにしてぶら下げている。やけに白い肌と、分厚く塗った唇の赤さから、まるでピエロの様に見える。……と、フィオンは思っていたが、決して口にするまいと心に誓っていた。本人に面と向かってそんなことを言えば、何か恐ろしいことが起きるような気がするからだ。
「シンディちゃんはフィオンよりも久しぶりね!」
「お久しぶりです。相変わらず、その……。散らかってますね。」
「ううん、にぎやかなだけよ! 別に散らかってなんてないわ、寧ろこれはとっても整理された状態なのよ。もう少しすればあなたにもわかるわ。」
シンディは苦い顔をしたかったが、堪えて何とか苦笑いをするにとどめた。シンディは、実のところこの場所が苦手だったのである。確かに魅力的なものがある場所だが、彼女は物が散らかった場所が嫌いなのである。
「実は、俺たちに妹が出来たんだ。……前言った養子の子ね。今日は町を案内してるってわけ。」
「妹? へぇ、もう預かったんだね。今来てるのかい? どこにいるんだい?」
フィオンはアイリュスを見遣った。そして気が付いた。妹の身長が低すぎるあまり、カウンター越しに居る店主からは死角になっているのだ。
「あ、アイリュス……。です……。」
妹は挨拶をしようと、爪先立ちで精一杯の背伸びをした。
「え、えるふぉーどの家に、お世話に……なっています。」
背伸びの姿勢が厳しいのか、震える声で何とか言い終える。店主の女は身を乗り出すと、少女の頭を触った。
「やれやれ、小さいけど、どうしてなかなかいい子じゃないかい。ご丁寧にありがとう、宜しくねアイリュス。フィオンの弟だったら大歓迎さ、欲しいモノがあれば、いつでも来ておくれ。」
「欲しいモノ、ですか……?」
アイリュスは首を傾げた。それから周囲を見渡して、色々なものに目移りし、ふらふら目を回した。
確かにパッと見ただけでは、物が散乱するばかりでこの店がどういう場所か分かりづらいかもしれない。フィオンはアイリュスに説明した。
「町にはお店はたくさんあるけれど、この店は雑貨屋っていってなんでも揃ってるから、何か欲しいモノがあったらここに来るのがいいんだ。学校帰りに寄るには、場所も近いし。」
シンディはフィオンを小突いた。
「コラ、寄り道することを勧めるんじゃないの。……もしあなたが学校に通うことになっても、なるべく寄り道はしないようにしてね?」
にこやかに諭すシンディだったが、アイリュスはそれにはぼんやりと首を振ってこたえるだけだった。
「シンディ、おばさんの前で”寄るな”は酷いと思うよ。」
「ち、違うでしょ。学校帰りに寄り道するなって言っただけで……。」
二人の口論が始まりそうになった時、ふとアイリュスは小さな声で尋ねた。
「……あの、ここ、本は、扱っていますか?」
「ん、本? 読むの好きなのか?」
フィオンが首を傾げると、シンディはからかうように言った。
「フィオンは知らないんだ? この子、凄い読書好きなのよ? 家にある本を片っ端から読んでるし、お父さんが読むような難しそうなものも書斎から引っ張り出してるくらいなんだから。」
「……へぇ、知らなかったよ。」
フィオンはそっけなく言った。“知らないんだ?”なんて言いまわしが、なんだか気に食わなかったのだ。姉を極力視界の外に置くようにして、フィオンは妹に語りかけた。
「それなら、何か読みたいものがあったりしたら、おばさんに頼むといいよ。もし、その時になくても、おばさんは仕入れてくれるからさ。」
フィオンの言葉に、店主は相槌を打った。
「この町って物の流れって物が良くて、大抵のものは一週間か二週間もあれば用意出来ちゃうのよね。田舎町なのに、マクレンさんったらホント……。あぁ、ごめんなさい。ともかくアイリュス、必要なものがあれば遠慮せずなんでも言ってね?」
「……っ、はい。お世話になると思います。」
フィオンは思わずアイリュスの顔をまじまじと見た。今までになく活き活きと話す彼女を見て、ここまで食いつきのいいものかと考え込んだのだ。
「……? どうしたのよ、フィオン。また変な顔しちゃって。」
「……ねえちゃん、俺、もっと本読むよ。」
「はぁ?」
じっとアイリュスを見る弟の目は、真剣そのものである。なんだかよくは分からないが、何かを決意した弟を見て、シンディはそっと応援することにした。




